75話『ナゴタの町、タルテの故郷』 その1
カッコつけて意気込んだはいいが、ナゴタへの出発は2日後になった。
そうなったのは、院長先生に命じられたからだ。
あの後、
「すいません院長先生。正当な戦闘要件を満たしているとはいっても、こういう場で殺しをやってしまって……その責任は取ります。俺、種まきの会から抜けます」
と、修羅場慣れしてない人達の前で血を見せちまったことへの詫びを入れたんだが、
「そこまでする必要はありません。ですが明日いっぱいまで、謹慎処分とします。いいわね」
と返された。
「……ありがとうございます」
有無を言わさぬあの圧力をかけられれば、こっちとしてはそう答えるしかない。
で、言われた通り昨日はしっかり静養して、翌日の今はもう馬車の中って訳だ。
それと時間を置いて冷静になってようやく理解できたが、院長先生があの時殺しを止めたのは、別に人道的な理由だけじゃない。
明確に法に触れていないとはいえ、ファミレで起こした数々の不行儀な行為が、フォンダーン家と関係しているという証拠を残しておきたかったからだ。
この時点で、かなり大きな優位性を獲得している。
いざとなったらこいつをチラつかせるって手もある。
今回の件にあたり、俺やシィスは特に精神が動いたりはしていない。
大監獄の時のことを思えば、この程度のことは屁でもない。
「……」
やっぱり問題はタルテだよな。
あまりよく眠れてもいないみたいだ。
体調がよくなさそうなのに加えて、今もまるでこの世の終わりが迫っている時のように憂鬱そうだ。
無理もないか。
物心つくまえからずっと虐げられて、否定されて……心に暗い影を落とした相手だもんな。
前々からだが、詳しい事情を掘り下げて聞くべきか、迷っていた。
俺が知っているのは、タルテの母親は……その、言葉が悪いのは承知しているが、父親の妾だったってことぐらいだ。
両親との間に、どんな関係があったのかは分からない。
もし本人が話したくないなら、一生触れないままでも構わないと思っていた。
どんな家庭事情にせよ、タルテはタルテだし、俺がタルテを好きだって気持ちも変わらない。
でも、それは別として、タルテの心に深く根付いてしまっている闇は、引っこ抜いておくべきだと思う。
他の誰のためでもなく、タルテ自身のために。
とても辛いことだろうけど、乗り越えてもらいたい。
だから俺は半ば強引にナゴタ行きを決めたんだ。
もちろん俺が出来ることは何でもやる。
加えてありがたいことに、シィスもついてきてくれた。
「個人的な友情、とでも言うべきでしょうか。ですので勿論報酬は結構ですよ」
シィスの優秀さは散々証明されているので、頼もしいことこの上ない。
「……くかー」
……本当に頼もしいことこの上ない。
あーあー、口を開けて、よだれまで垂らしちゃって。
「……い、いけませんユーリさん! 私達の関係はタルテさんと交際を始めるまでって決めていたじゃないですか!
あ……ちょ、私は腋を舐められるのが弱点なのに……!」
「何言ってんだお前! ふざけんな! おい、言っとくけど事実無根だからな!」
シィスを揺さぶりつつタルテに弁解したが「……そうなの」としか返ってこなかった。
……疑ってるのか憂鬱なのか分からねえ。
「おい起きろ! これ以上寝てると俺の冤罪が積み重ねられる!」
「……ちにゃ?」
ようやく淫夢から帰還した。ったく。
「――ところでユーリさん、何か策はおありですか?」
眠たそうに目を擦りながら、シィスがそんな質問をしてきた。
「そりゃ正面から乗り込みよ。ご挨拶するのに小細工はいらねえだろ」
「大丈夫なのですか」
「大したこたねえだろ。考えてもみろよシィス。スールや皇帝ぐらいの化物がそうそういると思うか?」
「……確かに、そうですね」
俺達はそんな脅威に思ってないが、問題は当事者だ。
「やっぱり、本能的に委縮しちゃうか?」
顔を覗き込むと、小さな頷きだけが返ってくる。
「簡単に精神的外傷は拭えないよな」
まず共感を示ししつつ、手を重ねて軽く握ってみた。
すると、タルテが空いた手を更に俺の手に乗せてくる。
不自然なほどひんやりしている掌だった。
「まだ着くまで時間があるし、ちょっと話に付き合ってくれるか」
「……ええ」
「ありがとな。んじゃ、ゆっくり考えてみようか。まず、俺には餓狼の力が、その中に全てを遮断するホワイトフィールドがあるだろ?」
「……ええ」
「つまり、相手が暴力を振るってきても、体が傷付く心配はないってことだ。これはいいか?」
タルテは、頷いた。
「で、次にちょっと思い出してみてくれ。以前リレージュで、ミスティラと大喧嘩やらかしてたよな?」
今度は少し恥ずかしそうな素振りを見せて頷く。
少しずつ話を区切っているのは意図的にだ。
一方的にならないように、ちゃんとやり取りを交わすのは大切だからな。
「あの時、結果はどうなったっけ。恥ずかしがらないで、正直に答えてくれ」
「……本音をぶつけて、ちゃんとミスティラと向き合えるようになったわ」
「だろ? お前はあのミスティラに認められたんだぞ。あの気の強いお嬢様にだ。
で、義理の母親もミスティラに似ている部分があるんだろ?」
タルテが、曖昧に頷く。
「つまり、どうにかなる可能性は高いんじゃねえかな」
「……でも、あの人たちは、ミスティラとは根本的なところが違うわ。ミスティラのように、きれいで気高い心の持ち主じゃない」
「だよな。全く同じって訳でもないよな。だから、別に無理して和解を考えたり、許そうとしなくてもいいと思う。ミスティラを相手にする時のように、真っ当な向き合い方をしなくてもいいと思う」
タルテの視線の揺らぎを見て、ここがまとめ時だと判断する。
「別に言い返す時、言葉に詰まったりだとか、声が上擦ったりしても構わねえんだぜ。全然おかしいことじゃないからな」
指を、きゅっと握られる感覚。
もう言っちゃってもいいかな。
「それと、ここが一番大事だけど、俺は何があってもお前の味方だからな。誰に迷惑がかかろうと、誰が敵に回ろうとな」
「ユーリ……」
「私も、エピアの檻の底までお供致します……ってあああ! 申し訳ありません! ここは2人の"世界を敵に回しても君を愛する"的な強固な絆を強調すべき場面でしたね! どうして私という虫ケラはこう耳に障ることを割り込んで口を挟んで……!」
「具体的に解説するのをやめろ! 恥ずかしいだろ!」
「……ふふっ、ユーリも、シィスさんも、ありがとう。すごく嬉しいわ」
お、やっと少しは笑ってくれた。
シィスの発言もまあ良しとするか。