72話『ユーリ、タルテに全てを打ち明ける』 その2
「実は俺……生まれる前の記憶があるんだ。しかもここじゃない、別の世界の」
「なるほどね」
疑問形ではあったけど、想像していたよりも素直に受け入れられているようだ。
「あれ、疑わねえの?」
「今さら疑うわけがないじゃないの、あなたのこと」
しかも即答された。
「あなたが時々変なことを言ったり、知ってたり、妙に物事に詳しかったりしたのも、これで色々とつじつまが合うわ」
「……ごめん」
「謝らなくてもいいのよ。話せない事情があったんでしょう? 心の整理がつけられてない、とか」
仰る通りだ。
「もう大丈夫だから、話すよ。全部……って言っても、前の人生のことは大体モクジさんに既に話しちまったんだけどな。説得するのになりふり構ってられなくてさ」
「そうなの?」
「でも、これから話す詳細は、まだ誰にも言ってない。お前が初めてだ、タルテ」
それから、俺は包み隠さず、前の世界がどんな場所だったかを含めて、過去のことを全て話した。
俺の前世の名前は、安食悠里だったこと。
貧しいだけでなく、親としての資質が欠けた両親の下に生まれてしまったこと。
食べ盛り、育ち盛りの時期にろくに食べさせてももらえず、構われもしなかったこと。
挙句の果てには、飽食の国に生まれながら餓死するという最悪の結末を迎えたこと。
俺のいた世界には、誰かが腹を空かせていると、どこからともなくやってきて、パンでできた自分の顔をちぎって食べさせてくれるヒーローがいたこと。
でもそれは単なる作り話で、自分の所には誰も来てくれず、手を差し伸べてもくれなかったこと。
「……だからあなたは、相手が誰でも餓えから助けようとしているのね」
「本当のことを言うと、安食悠里のままだったら、誰かを助けようだなんて到底思えなかったな。死ぬ間際に思ってたのは、恨みつらみばっかだったから。何で自分ばっかりこんな理不尽なことがって、親とか、いるのかどうかも分からねえ神様をずっと憎んでたよ。
あと……さっさとこんな世界から逃げたいって、ずっと願ってた。全部自己責任、自業自得、生まれる前に自分が決めたことだなんて受け入れられるほど、人間ができちゃいなかった」
「ねえ、はっきり言っていい?」
ここでタルテが、眉根を寄せてきっと俺の目を覗き込んできた。
「あなたは、自分の中の理想像に執着しすぎなの。自分を追いつめてまで、立派な人になろうとしなくても大丈夫なのよ。今のままでも、あなたを受け入れて、認めてくれる人はたくさんいるわ。わ、わたしだって……」
そこまで言われてしまったら、もう視界が歪んで熱くなるのを止められなかった。
というか、もう隠す必要もないと思っていた。
彼女になら、見せてしまっても構わない。
頬をそっと拭ってくれる指先が、安心できて、心地良くて仕方がなかった。
「それにしても、名前が前の世界と同じになったって、凄い偶然ね」
「母親がつけてくれたらしいんだけど、何でだろうな。閃いた名前をつけただけって言ってたけど」
「ねえ、質問してもいい?」
「おう、何でも聞いてくれ」
「生まれた時点で、もう前の世界の記憶が全部あったの?」
「いや、前の記憶が戻ったのは、大きくなってからだな。それまでは完全にユーリ=ウォーニーとして育ってた」
「どんな子どもだったのか、知りたいわ」
「どこにでもいるような、ワホンの普通のガキんちょだったよ。でも、その普通が凄くありがたくて、幸せだった。記憶が戻るまで気付けなかったけどさ。
母親が時々ちょっと情緒不安定になったりもしてたけど、まともな家庭があって、度が過ぎた寒さや暑さに苦しまずに済んで、毎日ちゃんとメシが食えて……ああ、前にも話したけど、俺の実家、料理店やってるんだ。少なくとも食うには困らない環境に生まれ育ったのは、神様とやらが少しは気を利かせてくれたのかもな」
その後は、幾つかの子ども時代の逸話なんかを話したりした。
虫取りに行って迷子になったとか、秘密基地を作ったとか、戦争ごっこをしたとか、本当に他愛もないようなことばっかだったけど、タルテはそれらの1つ1つを、本当に真剣に、興味深く聞いてくれた。
本当に嬉しかった。
「――ふふっ、ほんとにあなた、食い意地が張ってたのね」
「まあそう言うなよ」
「でも、無理もないわよね。ところで、以前の記憶が戻ったきっかけって、何だったの?」
慎重に尋ねてきているのが、声色や微かな表情の変化、そしてこれまでの話の流れから読み取れた。
「んー、前の記憶が戻った決定的な出来事は、餓死しそうなくらい衰弱してた親子を見かけた時だな。
ほんと突然だったな。それまでも時々頭が痛くなったり、自分を俯瞰して見てるみたいな感覚があったりもしたんだけど、あの人達を見た瞬間、脳天から雷で打たれたみたいになってさ。前の世界での記憶が一気にドドーッて流れ込んできて、一瞬で全部を思い出したんだ」
「混乱しなかったの?」
「そりゃ混乱したよ。前の世界とは色んな意味で全然違うことばっかだし、頭の中に人格が2つあって、常にああだこうだ言い合ってるんだ。どっちの言い分が正しいのかも分かんねえし。
ちなみに餓狼の力も、この時使えるようになってたことが分かったんだ。いや、ずっと忘れていたのを思い出したっつうべきかな。
で、一応家族には記憶や力のことを話したんだけど、力の方はともかく、記憶の方は全然信じてもらえなくてさ。突然頭がおかしくなったって思われて、ショルジンにある特殊な病院にぶち込まれたこともあったっけ」
「そんな……」
「ま、しょうがねえよ。……情けない話だけど、今まで皆に言えなかったのは、親しい人間に信じてもらえなかった時のことが怖かったからなんだ」
「……ごめんなさい」
「謝んなって。……で、病院からは割とすぐ出られたんだ。治療とやらは全然役に立ちはしなかったけど。力の方は使えないふりしてすっとぼけてたらあっさり騙せたし、精神的な方も、時間が経つにつれて段々と安食悠里とユーリ=ウォーニーが和解してきたっつーかさ、記憶も、知識も経験も、性格も自然と1つになってったんだよな。しかも両方の良い所が残った感じでさ。そこはツイてたかも」
「今はもう、大丈夫なの?」
「ああ、頭痛もしねえし、二重人格でもねえよ。そうそう、きっかけになった親子は、結局うちの店でメシ食って元気になったから心配無用だ。
……でさ、その親子の様子を見てたり、話を聞いたりした時、これまで考えてもこなかったことを色々考えたり、思ったりしたんだよ。俺の住んでたロロスはずっと平和だったし、実家も料理店だったから、これまで食糧難とは無縁だったからさ。それに世界規模で見ても、今は割と食糧事情が安定期に入ってて、国の間で大きな戦争もなかったりするだろ?」
「そうね」
「だけど、世界がそういう状態でも、やっぱり餓えて苦しんでる人は出ちゃうんだよなって。あの時の親子とか、前の世界での俺みたいにさ。
……すっげえ泣きながら両親の作ったメシを食ってる姿や、親父たちにお礼を言ってる姿を見て、その時の俺、つい泣いちまったんだ。もらい泣きとはちょっと違って、気持ちが痛いくらい分かっちまったんだよ。どうしようもないくらい腹が減ったり喉が渇くのって、しかもそのせいで死んじまうのって、ほんとに辛いことだからさ。
その時、決めたんだ。1人でも多く、腹減ってる人達を助けようって。例え悪人でも死刑待ちの人間でも、罪や罰とは別に、とりあえず食わせてやろうって。食べることって、生物の尊厳を守るって意味でも、本当に大事なことだって思うんだ。
自己満足でしかないだろうし、全てを救えるとは思えなかったけど、やらずにはいられなかったんだよ」