70話『ユーリ、大監獄から帰還する』 その3
名残惜しむどころか、特に別れの挨拶もせず邸の地下室へと降り、そこの片隅にあった隠し階段から更に地下へと降りていく。
「あの、ユーリさん」
道を塞ぐ扉を開錠しながら、ここまで先導していたパッカさんが口を開いた。
「私個人として、何かできることはありませんでしょうか」
ああそうか、この人は花精の血が流れてるから、分かってるのか。
「気にしないでいいっすよ。別に精神的に病んでるとかしてませんし」
素っ気なさが引っかかったのか、答えが気に入らなかったのか、パッカさんが一瞬悲しそうな顔を見せる。
だが、すぐに笑顔で取り繕って、
「皆さん、どうかいく久しく円満に」
そんなことを言った。
「私はここまでで失礼させてもらいます。シィスさん、後はよろしくお願いしますね」
「はい」
シィスの声は、どこか沈んでいるように聞こえた。
深々と一礼するパッカさんに別れを述べた後、俺達は扉の奥に伸びる一本道を歩き始めた。
洞窟のように岩肌がゴツゴツした通路は、俺達5人が並んで歩けるくらいには幅が広く、天井も、軽く飛び跳ねても頭をぶつけずに済むくらいには高い。
何より、5層よりも清潔で快適そうなのがいいな。
いいなって何だよ。毒されすぎだろ。
通路に照明はなかったが、あらかじめパッカさんから太陽石を受け取っていたため、何の問題もない。
俺を含め、誰も何も口を開かず、淡々と長い通路を歩く。
色々話したかったが、流石にまだそういう状況じゃないってのは分かっていた。
やっぱり口封じでもされるんじゃねえかという疑いもあったが、追手も罠もない。
本当にたんまり報酬を持たせて逃がしてくれるらしい。
空白の皿がこの後何をするのかにはほとんど興味がなかった。
思うのはただ、あいつと手を繋いでいたいとか、そういうことばかり。
情けねえな。何でこんなにも心細くなっちまってるんだか。
不意に、とんとんと、軽く耳の下をつっつかれる。
つまんねえ悪戯しやがって、と言いそうになったが、犯人の真剣な顔を見たらすぐに引っ込んだ。
――なんだよ。
――メニマ殿のことは、胸に秘めたままにしておけ。私もそうするゆえ。
――お前……
――良いのだろうか、と考えているのだろう。断言する。良い。以上だ。反論は聞かぬ。
それ以降は呼びかけても返事がなかった。回線を切っちまったんだろう。
でも分かったよ。お前がそう言うなら……
「出口が見えてきましたね」
ひどく緩やかな坂を上下しながら更にかなりの距離歩いた所で、先頭に立っていたシィスが声を発した。
確かに、前方にごく薄い光が幾筋も差し漏れているのが見える。
「私が排除します」
「俺も手伝うぜ」
扉の代わりに積み重なった岩が出口を塞いでいたが、どかすのは容易だった。
「ふぅ……」
「ユーリ様、これで御手を」
「ああ、あんがと」
ミスティラの動きや目線にまだ引け目みたいなものが残っていて、申し訳ない気持ちになる。
出た先は岩山地帯だった。
周辺に人や魔物の気配は一切せず、埃っぽい乾燥した空気やわずかな草木、強い日差しが代わりにお出迎えしてくれた。
「最寄りの町へ行き、そこで休息を取りましょう。そう遠くはありませんから、もう少しだけご辛抱を」
正直結構疲れてたが、異存はない。
いざとなりゃブラックゲートで短縮移動すりゃ多少は楽になるし。
もうひと踏ん張りすっかと自分に鞭打つと、いきなりタルテが驚きの声を上げた。
「見て! 光が……!」
「うおっ、どうなってんだありゃ」
タルテが指差した方角――果てしなく広がる荒野の一角に、巨大な光の柱が立ち上っていた。
「あそこにあるのって」
「帝都、ですわね……!」
周辺に伸びている道や地形から、光にすっぽり覆われているのは、さっきまで俺達がいた帝都だというのが分かった。
光の柱は一切収まる様子もなく、山よりも高く、青空に輝く太陽よりも眩く、強大な力を放ち続けている。
「おいアニン、原因分かるか?」
「いや、結界ではないだろうし、斯様な現象は居住していた時にも一度も見たことがない。皆目見当がつかぬ」
「近くへ見に行ってみるか?」
「いけません!」
シィスが、強い調子で制止してきた。
「どうしたんだよ」
「詳しいことは私も知らされてはいません。ですが近付けば……ユーリさんたちも巻き込まれてしまいます」
「巻き込まれる?」
「ロト様は、皇帝の暗殺と同時に、帝都そのものも根本から変えるとおっしゃっていました。恐らくそれを実行したのでしょう」
「要領を得ねえな。まさか盛大な自爆をやらかそうってんじゃねえだろうな」
「分かりません。……ですが、ロト様がユーリさんたちを急いで帝都から脱出させたのは、"変革"に巻き込ませないためです。それだけはどうかご理解を」
「……」
結局、船でツァイを出るまでの間に、"変革"とやらの答えが判明することも、帝都を覆う光の柱が消えることもなかった。