70話『ユーリ、大監獄から帰還する』 その1
あの後、スールが戻ってきたとか、死体が見つかったという情報は入ってこなかった。
絶対の王だったスールが消え、前体制の大臣たちも5人全員が死亡したため、大監獄内の政治は混乱状態に陥っていた。
看守の目もあるため、表立っての内乱は起こっていないが、5層を除く各大臣が作っていた派閥どもが色々と揉めているらしい。
もっとも、俺達にはもう関係がない。
監獄の外に出てこなけりゃ知ったことじゃない。勝手に延々と揉めてろって話だ。
懐柔して引き入れようと目論んでる奴らが何人も会いに来たが、全員"丁寧に"お引き取り願った。
次期監獄王だが、表面的には暫定としてソルティが就いた。
とはいえ、用が済んだらさっさと辞めるつもりらしく、
「ひとまずの秩序を取り戻したら、俺もここを出るさ。あいつに報告したいからな。その後は……一度実家にでも帰ってみるとするか。こんな親不孝者を受け入れてもらえるとは思えんが」
なんて笑って言っていた。
まあ元々犯罪者ではなく、濡れ衣を着せられてただけだからな。
「なあソルティ」
「おっとユー坊、お前さんも手伝う、なんて言いっこ無しだぜ。お前さんには任務が、それと待っている人がいるんだろう? 一刻も早く帰って安心させてやれ。それと、不逞の輩によって俺の婚約者のような目に遭わせないよう、守ってやれ。お前さんも、敵を一切作らない生き方をしている訳じゃないだろ?」
「……ああ」
「なあに、お前さんの知り合いの大道芸人たちや、悪徳商人もいるんだ。寂しいと感じている暇はないさ。それと、あのメニマという娘のことは任せておくがいい。ウォルドー家でなく、我が名・ソルテルネと我が魂に誓って、必ず彼女に安息と幸福を与えてみせよう」
笑みを消し、極めて真摯な顔つきで、ソルティはそう言ってくれた。
信じていいだろう。
そう、既に一家が離散してしまったため、故郷のショルジンにも戻れないメニマにはもう帰る場所がなかった。
また聖都の娼館街に戻すなんてもってのほかだ。
正直言えば、あの時の罪滅ぼしに引き取って、一緒に行動して守るつもりでいたが、それを切り出す前にメニマから拒まれちまったんだ。
「あたしがいたら、お邪魔虫になっちゃうからねぇ」
「そんなこと……」
「ユリちゃんにはいっぱい、いっぱい幸せになって欲しいからぁ、好きな人と一緒にいて欲しいなって。大丈夫だよぉ。今は芸人さんたちや、お貴族様がいてくれるからぁ。あたしはもう充分幸せだよぉ、にはは。
……それとね、何回でもゆうけど、ユリちゃんは全然悪くないんだよぉ。それどころか、あたしを助けてくれた"ひぃろぉ"さんなんだからぁ」
メニマの笑顔を見る度、引き裂かれそうなほどに胸が痛む俺は、大馬鹿野郎だ。
それと戦いが終わった後、アニンがメニマに謝罪していた。
「すまぬメニマ殿。私はかつて聖都にて、そなたを見誤っていた。事実を誇張して同情を引こうとしていたなどと……」
「え? え? あたし、そんなことお姉さんからゆわれた覚えないよぉ?」
「承知している。だが、詫びねば気が済まぬのだ。本当にすまなかった」
こういう所で妙に生真面目なのがこいつらしいというか。
ともあれ、この件はメニマが笑って許したことで完全にカタがついたようだ。
後始末の形が固まってきた所で、いよいよ俺とアニンとシィスは晴れて監獄から出られることになった。
皇帝に頼んで手配してもらうつもりだったが、そうせずともソルティが根回しをしてくれて、あっさり話が進んだのには驚いた。
早速監獄王の権限を使いこなしてやがる。
ともあれ、俺達はただほんのわずかな間待っているだけで良かった。
そして全ての手続きが整い、俺達は今、転移魔法陣のある部屋で魔力の充填を待っていた。
クソ重たいソバコンワの鎧も、忘れずにちゃんと持ってきている。
訴えを受けた時のことを考えて皇帝が指示していたのか、何故か元々の衣服などはきちんと保管してくれていたようで、バッチリ着替えは済ませてある。
懐かしい服装に着替え終えた時、不覚にもジンと来てしまったのは秘密だ。
「やはり我が剣が一番しっくり来るな」
久しぶりに愛剣が腰に戻って、アニンもご満悦のようだ。
「達者でな」
ソルティやメニマだけでなく、アシゾン団の3人やクィンチも見送りに来てくれた。
ったくこんな温かい扱い、監獄とは思えないよな。
「ローカリ教のお嬢様にもよろしく言っておいてくれ」
「ああ」
ソルティと、拳を打ち合わせる。
この男とは色々あったけど、もうほとんど水に流してしまったような気分だ。
「いつか必ず借りを返す、ってちゃんと伝えときなさいよ」
「はいはい」
赤女――シュクレの言葉も、程々に受け取っておく。
「頼むぜ、大臣たち」
「はぁい。ユリちゃんたちも元気でねぇ」
芸人3名やクィンチだけでなく、なんとメニマも大臣になっちまったんだよな。ソルティの指名で。
……ま、大丈夫だろ。多分。
「おのれ……何故お前達は出られて、ワシは留まらねばならぬのだ!? 納得が行かぬ! 行かぬぞ!」
「当然ではないか」
「全くだ。図々しい男だな」
「ぐ、ぐうう……」
白男と青男の両方から突っ込まれて、クィンチは大分血色の良くなった顔をくしゃくしゃにして縮こまった。
「転移魔法陣、魔力充填完了」
「おっと、準備が整ったようだな」
魔術師の声に従い、俺とアニンとシィスは魔法陣の中央へと進む。
「……さ、寂しかったら、また来てもいいわよ。会ってやらなくもないわ」
「いやいやいや、ツンツンするにも前提がおかしいだろ。会うなら外だ、外」
「元気でねぇ!」
「メニマ殿も、壮健でな」
「……あれ? 私には誰も声をかけて下さらないんですか!? うううう……」
「ははは、拗ねるなシィス。君には色々助けられたな。感謝しているぞ」
「ああソルテルネ氏、お優しい言葉を……」
名残惜しさに言葉を交わしている最中にも、どんどん詠唱は進み、魔法陣が放つ光は強くなっていく。
「ユー坊!」
「なんだソルティ!」
「負けるなよ! お前さんの絶対正義を貫けよ!」
「分かってるよ!」
「……っ……!」
その後も何か言っている気がしたが、もう転送が始まっていてちゃんと聞き取れなかった。
でも、伝えたかった内容は何となく分かる。
心配せずとも、俺は俺だ。
…………
……
「……おお」
懐かしさについ声が漏れてしまう。
光が収まると、ちゃんとチュエンシー城内の転移魔法陣がある部屋に移動していた。
「さて、この後……」
「待った。まずタルテたちにブルートークで呼びかけてみる」
あっちの安否確認も兼ねて呼びかけてみた。
今の腹具合なら……多分回線はいつも開いてくれているはず……
――タルテ、聞こえるか? 俺だ。
――ユーリ!? ユーリなの!?
すぐさま反応が返ってきた。
懐かしい声、一番聞きたかった声をすぐに聞けて、目の奥が熱くなるが、グッと堪える。
――ああ、ずっと連絡取れなくて悪かったな。俺もアニンもシィスも無事だ。
――良かった……本当に……
――お前とミスティラは大丈夫か?
――ええ、平気よ。空白の皿も、お城の方も、何も動きはなくて、ずっと静かだわ。
――分かった。えっと……そうか、館の中にいるんだな? 今すぐ会いに戻るから、そのまま待っててくれ。あと、俺達のこと、ミスティラには話していいけど、空白の皿の連中にはまだ言わないでくれよ。
――分かったわ。気を付けて……
「ユーリ殿、いかがした」
「タルテたちは無事だ。急ごうぜ」
「手筈は整えてあります。行きましょう」
妙に冷静沈着なシィスの先導に従って、俺達は進み始める。
ちなみにその際、お約束のようにシィスがすっ転んだが、もう慣れたので誰も気に留めなかった。
シィスの言う手筈というのは、至って王道的だった。
ジャージアの名の下、ツァイ側にいた魔術師を抱き込み、なおかつ隠し通路を使って脱出する。
万が一予期せぬ障害があっても、俺のブラックゲートなり何なりで突破する。これだけだ。