69話『アニンとソルテルネ、仇に挑む』 その2
その直後だった。
「……ッ!」
アニンが全身から、汗を流し始めたのは。
過去の体験から、その原因はすぐ特定できた。
スールの奴……アニンにだけあの殺気を飛ばしてやがるな!
「……ぬうッ!」
だけど、アニンの覚悟や復讐心はそんなもんじゃ揺るがないらしい。
躊躇なく剣で自分の脚を突き刺し、すぐさま構えを取り直す。
「お見事」
スールが笑顔のまま、拍手をする。
「それでいい。頼りにしているぞ、相棒」
ソルティが、スールから視線を切らないまま、独り言のように呟く。
でもあの傷、殺気の呪縛を解除するにしても少し深くつけすぎじゃ……
と思った時、脚の傷口が淡い青色の光を放ち、瞬く間に完治させてしまった。
「あれが聖剣の加護って奴か?」
「はい。流石はアニンさん、聖剣を使いこなしてますね」
確かに凄え。
愛剣を失って"技"が使えなくなった不利を補って余りあるほどの効果だ。
「……では。どちらが止めを刺すかは」
「時の運、だな」
2人の交わしたその言葉が合図だった。
姿が消えたかと思うと、スールの左右に位置取り、斬撃と刺突を見舞っていた。
……全然過程が見えなかった。
しかし。
「いいわよ~不意打ち」
ノロノロ飛んでる羽虫を摘むように、スールは両手でそれぞれの剣を止めてしまった。化物め!
「止まるな!」
「承知!」
すぐさま剣を引き抜き、連続攻撃を繰り出す2人。
おお、凄え息の合った攻撃だ!
練習期間もろくになかったどころか、知り合って間もないってのに、まるで数年来の仲間のような連携だ。
しかし、スールはその全てを余裕で回避していた。
どう考えてもかわしようがないだろって位置に何度も2人の剣が飛んできてるのに、何故か当たらない。
あいつ、全身に目がついてて、かつ体を自在に伸縮変形でもさせられるのかと思ってしまう。
「ほらほら、頑張って!」
発破をかけつつ、スールが空高く跳躍し――何故か中庭の端、建物の方へと走っていった。
「捕まえてごらんなさ~い!」
何考えてんだ、あいつ?
当然、アニンもソルティも追跡を開始する。
俺とシィスも追っかけざるを得ない。
「うお、こっちに来やがった!」
「わあああ!」
遠巻きに観戦していた囚人たちから悲鳴が上がり始める。
逃げ惑う。混乱。恐慌。
「盛り上がってきたわね~」
そんな中でスールは立ち止まり、再び迎撃態勢を取った。
こいつ……愉快犯だ!
アニンもソルティも、全く周りの人間を気にかけるような素振りを見せなかった。
生物ではなく、単なる障害物としてしか見ていないんだろう。
邪魔になるようなら躊躇わず切り捨て、蹴り飛ばし、ただ標的にだけ注意を向けている。
スールも同様だ。
平然と囚人を盾にし、球のように投げつけ、またある時は粘土をちぎるように素手で分解し、血肉をばらまいて目くらましに使う。
これを地獄絵図と呼ばずして、何て言う。
「凄まじいですね。もう少し離れた方がいいかもしれません。しかし、スールが一切反撃しようとしないのが気にかかりますね」
シィスが疑問を呈すると、悲鳴に混じって笛や鐘の音が鳴り響きだす。
するとすぐさま看守たちがやってきて、当事者たちを包囲した。
流石にこんな大騒ぎを起こされてしまっては、管理者側としても看過できなくなったようだ。
……しかし、本来絶対の権力を有するはずの人間たちも、全くの無力、というか逆効果だった。
「邪魔しないでちょうだい。ブッ殺すわよ。いいえ、ブッ殺したわよ、と言うべきね」
次々と、盾と槍を持って近付いてきた看守たちを一瞬のうちに肉塊に変え、他の看守の一群に投げ飛ばした。
アニンやソルティも同様で、取り押さえようとした看守は既に瞬殺して、闘争心に燃えた表情でスールに再び挑みかかっていた。
俺が感じていたのは、嫌悪感や不安、恐怖ではなく、馬鹿なことをしやがってという看守たちへの軽い軽蔑。
俺が考えていたのは、メニマたちが巻き込まれないか否かということ。
俺も、もうおかしくなってるなと改めて思った。
ちなみにメニマたちは5層の大臣用私室から絶対出ないように言ってある。
いくら何でも、あそこまで争いが飛び火することはないだろう。
邪魔といえば、戦いが始まってからずっとブルートークでスールに呼びかけていたが、全く効果がないみたいだ。
あまつさえ、
――ねえ、ユーリちゃんの好きな食べ物ってなぁに? 今度持ってきてあげるわよ。
こんな軽口まで返してくる始末。
やっぱりあいつ相手じゃ効果は見込めねえか。
災害のように周辺へ無差別に被害を撒き散らしつつ、戦場を再び中庭の中央付近に移していったが、3人は未だ目立った負傷をしていない。
アニンもそうだが、やっぱりソルティの奴……相当な強さだ。
相手がスールだから目立ってないだけで、弟はおろかアニンにも引けを取らない、いやそれ以上の剣技かも。
しかも、他にも使えるはずなのに、ソルティは"四方ノ虚装"以外一切の魔法を使っていない。
それと、恐らくウォルドー式剣術も使えるはずなのに、一度も発動させていない。
何か考えがあってのことなのだろうか。
「どうしたのソルテルネ。あまり成長してないじゃないの。あたしをガッカリさせないでちょうだい」
スール的には不満があるようだ。
「答える義務も、応える義務もない」
「アニンちゃんも、もっと頑張りなさい。そんなんじゃ皇帝陛下も殺せないわよ」
さらりと受け流されると、次はアニンに振ってきた。
「黙れッ!」
怒声と共に首に放たれた一閃。
「も~う、髪は赤いのに青いんだから」
それはあっさりと摘まれてしまった。
「……もし全力この程度なら、もう我慢しなくていいかしら? そろそろ行くわよ」
神速、という言葉でしか形容できない動きで伸びたスールの手が、アニンの左腕の付け根辺りを掴んだ。
そしてそのまま……
「……ぅッ!」
力任せに握り潰し、ちぎり取ってしまった。
「アニン!」
やばい、すぐ治療を……
と、飛び出しかけた瞬間、アニンの持つ聖剣が光を放ち、スールの手から腕がすり抜けて、元の位置へと何事もなかったかのようにくっついた。
聖剣の加護ってのはあんなにも凄えのかよ。
「ご主人様思いのいい剣ね~。でもアニンちゃん、聖剣の回復に頼りすぎね。それだと見限られちゃうわよ」
「……!」
図星だったのか、アニンがほんの僅か、身を引く素振りを見せた。
同時にソルティも大きく飛びのく。
「……はあ」
それを見逃さず、スールがため息をついたかと思うと、予備動作無しで無造作に殴りつけた。
アニンの持つ聖剣の、青く美しい刀身を、何度も、何度も。
「……マジかよ!」
なんと、度重なる打撃によって、聖剣は意外なほどあっさりとヒビが入り、砕けてしまった。
「おいおい、聖剣ってあんなに脆いのか!? それとも古すぎてボロくなってたのかよ」
「そんなはずはありません! 容易く砕けるようなものでは……」
つまり、スールの肉体は聖剣以上の凶器って訳かよ。
「見限る代わりに、あたしがブチ壊してあげたわ。これで聖剣のあなたに対する忠誠は、永遠になったわね」
しかも訳の分からねえこと言ってやがるし。