67話『スール、絶対なる監獄王』 その1
俺は、1層よりも更に上に位置する特別区域を、独りで歩いていた。
1層の囚人でさえ立ち入れないその区域にあるのは、監獄王の独房、至れり尽くせりの周辺設備……そして、俺が今向かっている、大臣達が集う特別室。
ちなみに、5層の大臣だけは自由な立ち入りができなかったらしい。
どんだけ嫌われてたんだあのブタは。
ツァイ帝国の皇帝が住む宮殿にも負けないくらいの金銀で飾り立てた、豪華絢爛な無人の空間を歩きながら、ソルティから受けた助言を思い出す。
4層担当の女大臣・エビキュアは10もの魔具を使いこなし、3層担当大臣・ビヤックは全系統の魔法を高い力量で使いこなし、2層担当の大臣・オフエは未知の魔眼を両目に持ち、そして大監獄の実質的な統治者とも言われている、1層担当の女大臣・サクヤは、地祖人、花精、洋の民、竜の血を併せ持つ混血者。
脅威なのはこれらの設定でも、全員の首輪が外れていることでもなく……4人が結託しての権謀術数。
警戒しすぎてもしすぎることはないと、ソルティから口が酸っぱくなるくらい言われていた。
いや、警戒しすぎても無理かもしれない、とも。
ソルティがここまで言うくらいだから、よっぽどなんだろうな。
餓狼の力のことはすっかり他の囚人に知れ渡っているが、力の源泉が空腹感ということまでは誰も知らないはずだ。
この時に備えて、絶食に近い勢いで腹は減らしてある。
いざとなったら……策もクソもない勢いで暴れてやる!
ただ、基本的には忠告通り油断をせず、隙も見せず、なおかつ従順な態度を取っとかねえと。
そこまで考えた所で、会合場所として指定された特別室の扉の前まで辿り着いた。
特別区域自体がそうだが、看守も、下僕としての囚人の姿も全くない。
完全に、特権階級共の私的空間になっているって訳だ。
不思議なことに、部屋の中からは人の気配がしない。
まあ、気配を消すなどお手の物なのかもしれない。
それより、罠が仕掛けられていないかどうかが気になる。
開けた瞬間ドカンとか、勘弁して欲しい。
念の為、ごく狭くホワイトフィールドを展開して、深呼吸して精神を整えて……
あとは正しい礼儀作法を取れるかどうかが問題だが……何とかなるか。
さて、行くか。
分厚い木製の扉を数回叩く。
……反応がない。
どういうことだ。試されてるのか? 意地悪してるのか?
もう一度繰り返してみたが、やはり反応はない。
クリアフォースでぶっ壊して飛び入りたくなるが、それは堪えて、なるべく動作が丁寧になるように、ゆっくり扉を開けた。
「失礼しま……す……!?」
部屋の中の光景を見て、無反応だった理由に得心する。
まともに反応できる人間が、この広い空間には、誰一人として存在していなかった。
部屋の中央に置かれた巨大な卓とその周りを囲む5つの椅子、また卓上や周辺に置かれた食器類などから、会食の準備がしてあったことは分かる。
だが、その席が、血の海と化していた。
大量虐殺でも行われたかのように鮮血が、肉片や内臓、骨までもが辺り構わずぶちまけられ、汚すを通り越して部屋をグチャグチャにしている。
こんな惨状を目にしてもさほど心が乱れていないのは、5層で散々舐めさせられた辛酸や、ここまで俺がやってきた暴挙から得た経験の賜物だろうか。
自分でも少し驚いているほど、冷静にホワイトフィールドを維持していた。
臭いからして本物っぽいが、これも催しの一部なのか?
だとしたら、大臣共はどこかで様子を見ているはず……
「あらやだ!」
突如、背後から緊張感のない声がした。
振り返ってみるとそこには、花柄模様をあしらった真紅の詰襟型のワンピース(確かツァイ特有の衣服だったか)を纏った、金髪を長く伸ばした女が、口元を押さえて立っていた。
「もう来ちゃったの? 早いわよ~!」
先の発言は俺に向けたものらしい。
低めの声と、赤い口紅が妙に印象に残る女……
……本当に女か?
服の横に刻まれた深い切れ目から伸びる脚は長くて綺麗だが、妙に全体的な骨格が角張っている気がするし、身長も俺より高いし……
いや、そんなことよりも。
この格好、事前に聞かされた、4人の大臣の身体的特徴とはいずれも一致していない。
でも、これと似たような姿を、以前口頭で聞いたことがある。
……まさか!
「うふっ」
目が合うと、意味深に片目をつぶる仕草を見せられて、全身が凍り付きそうになる。
思わず、ホワイトフィールドを解除してしまったほどに。
その感情の正体は、色々と混ざっていて、一言では言い表せない。
「あなたが新しい5層の監獄大臣になったユーリちゃんね?」
こっちの都合などお構いなしに、女(?)は声音を上げて問う。
「ええ、そうですが」
「いい男じゃな~い! 素敵よ、好みだわ~。でも残念、あの人ほどじゃあないわね。ごめんなさい、あなたとは交際できないわ」
ますます確信が深まる。
やっぱりこいつは……!
「ユーリさんっ!」
と、いきなりシィスが息を荒げて部屋に飛び込んできた。
「シィス! お前、どうやってここに……!」
こんなの打ち合わせにはなかっただろ。
今回はお前の警護も外して単独で行くはずだったのに。
「そんなことより、下がって……!」
真面目な状態で、こんなに冷静さを欠いたシィスを見るのは初めてだった。
警戒、いや、激しく恐怖している。
「怖がらなくていいのよ、お嬢ちゃん。この子まで殺したりはしないから。勿論、あなたもね」
恐怖の対象が、にっこりと微笑む。
確かに殺気どころか、威圧感さえ一切出してはいない。
でもそれが、余計に不気味に感じられた。
きっとシィスも同じ理由で、俺と同じことを感じているんだろう。
ただ表に出しているかどうかの違いだ。
「もう分かってると思うけど、改めて自己紹介しときましょうか。あたしがこのミヤベナ大監獄の王・スール=ストレングよ。よろしく、新しい大臣ちゃん」
優美な仕草で一礼し、手を差し出してくる。
やはりか、という思考と、警戒、恐怖、といった感情。
それらに負けず、すぐさまこっちも手を伸ばせたのは、精神的な強さではなく幸運だったからとしか言えない。
「よろしくお願いします、スール様」
『友よ、忠告しておこう。奴と遭遇しても決して逆らうな。機嫌も損ねるな』
何より、かつてソルティから受けた助言が役に立った。
「あら~、反骨心バリバリって聞いてたのに、随分素直で礼儀正しいわね」
女性的な手から伝わってくる微かな握力と温かさを感じながら、とりあえずの選択の正しさを実感する。
「でも敬語は禁止よ。堅苦しいのは嫌いなの」
「……分かった、じゃあスールさんとだけ呼ぶ」
「さんもいらない~」
握っていた手を離し、くねくねし始める。
監獄王じゃなかったら、あからさまに軽蔑を表に出していただろう。
「あの、私はこういう喋り方が癖になっているので、このままでよろしいでしょうか」
「いいわよ。ちゃんと自己主張できて偉いわね」
何て命知らずなことをと焦ったが、スールの対応は思いのほか好感触だった。
「自己主張といえば、ここにいた大臣達はほんとダメだったのよね。いい加減ムカつきが限界だったから、まとめてブッ殺しちゃったわ。それに知ってた? あいつら、あなたに女の活き造りなんてものを食べさせようとしてたのよ。しかもメニマちゃんだっけ? あなたの大事な人のをよ? ほんと悪趣味よね~。もっと早くブッ殺しとくんだったわ~」
「……ありがとう。メニマは俺の恩人だったんだ。救ってくれて感謝してる」
あらゆる物体を巻き込んでいる津波に突然飲まれたように、思考と感情の混沌にかき混ぜられる中、平静を装ってそう絞り出すのが精一杯だった。
「いいのよ。大切にしてあげなさい。あんな純粋で、無意識にせよ打算を使いこなせる子、そうはいないわよ。もし恋愛感情が芽生えたら、あたしに教えてね。殺してあげるから」
……は?
「あらあら、あたしったらほんとドジ! 何こんな血の海でボサっと立ち話してるんだか! お茶にしましょお茶に。お嬢ちゃんも一緒にいかが?」
「よろしいのでしたら、是非」
「も~う、大歓迎よ~。2人より3人の方が楽しいものね。ちょ~っと待っててね、ここを片付けさせるのに人を呼んでくるから。その後、あたしの部屋に行きましょ」
言うだけ言って、スールは部屋を出ていってしまい、後には俺とシィス、それと人間だったモノだけが残された。
「…………ッ!」
いなくなった途端、全身から大量の冷たい汗が流れ出し、体がガタガタ震え始める。
シィスも同じ反応をしていた。
部屋の惨状よりも、お喋りで人当たりの良さそうなオカマ1人の方が恐ろしくて仕方がないと、本能が激しく主張していた。
ほんのわずかな時間接しただけだってのに、完全に話の主導権どころか、生殺与奪まで掌握されてしまった気分だ。
確かにソルティの言う通り、あれを常識的な感性で理解するのは……無理だ。