66話『ユーリは会う、友と、仲間と……』 その2
アニンと久しぶりに顔を合わせたのは、5層の実質的統治者になってしばらく経ってからだった。
会う場所を、俺が今使っている5層の大臣専用の私室にしたのは、あいつが「一度見てみたい」と言ったのと、より機密性や安全性を確保するためだ。
扉が開いて、極端ささえ覚えるほど露出が控え目な衣服に身を包んだアニンが姿を見せた瞬間に浮かんだのは、安堵。
続いて、違和感。
「久しいな、ユーリ殿」
「何だその格好。遂に羞恥心が芽生えたのかよ」
そうは言ったが、心の中では段々と不安が強くなっていく。
肌を隠しているのはまさか……
「再会に相応しい反応とは言えぬな。これは単なる重り付きの服だ。特注品だぞ」
まるでどこかの宗教を信じる女のように、褐色の肌を漆黒の分厚い布で、目元以外をほぼ覆い隠したアニンが、怪訝な声を発しながら手足を動かす。
「とはいえ、再会の席にこのようなものを纏う私も無粋か。待たれよ」
アニンがさっと衣服を剥ぎ取り、3層の囚人が着ているような恰好になる。
それ自体は別段おかしくなかったが、今まで着ていた服を手放した瞬間、思わず「おいおい」と言ってしまった。
「何つうもん着てたんだ。服が出しちゃいけない床との衝突音だったぞ」
「これくらいせねば強くはなれぬのでな」
アニンの腰に、いつも下げている剣はなかった。
「変わらず元気そうで何よりだよ」
一見、負傷した様子もなく、アニンは変わっていないようだった。
と、今までだったらそれで済ませていただろう。
今なら分かる。
焦燥を抑えつつ、いや、それさえ糧にして、身体だけでなく心の牙も研ぎ続けていると。
「……ユーリ殿の方は、荒んでしまったな」
アニンが翡翠色の瞳でじっと俺を覗き込み、真顔で言う。
「ま、多少はな」
こいつに隠してもしょうがないので、素直に答えた。
「なれば」
するとアニンが、両腕を広げてつかつかと歩み寄ってくる。
わずか先の未来にされることを想像した瞬間、過去に俺が命を奪ってきた女達と、俺に押し倒されても屈託なく微笑むメニマの顔が脳裏に蘇って……
「……っ」
反射的に拒絶、押し返してしまっていた。
「む、いかがした。体臭が気になるか? 一応事前に湯浴みは済ませたのだが」
「いや、そうじゃねえんだ。……すまん」
やばいな。
体が勝手に拒むなんて、思ってたよりも重症だ。
ミスティラや、タルテに対してまで同じことをしてしまった時のことを考えると、ゾッとする。
「荒療治を用いてでも直しておくべきだ」
気分を害してはいないみたいだが、声は真剣だった。
「私で良ければ、幾らでも"練習相手"になるぞ」
「悪いけどまたの機会にしてくれ」
「まあ、良かろう」
まだすすめてもいないのに、アニンは勝手に近くの椅子に腰かけ、置いてあった酒を飲み出した。
今更気にする仲じゃないから別にいいけどさ。
「美味だな。ユーリ殿も飲め。……うむ、まずまずの飲みっぷりだ。それにしても、まさか支配者の一角にまで成り上がってしまうとは、大した御仁だ」
「俺だけの力じゃねえよ。他の連中が……この間ブルートークでも話したけど、メニマやアシゾン団の3人や、あとクィンチの奴とか、お前やシィスが色々助けてくれたからだって。1人でも欠けてたら、俺はきっとくたばってた」
「人の縁というのは不可思議なものだな。これもユーリ殿の人徳や信念の賜物と言えよう」
「"暴君"なんて呼ばれてるのにか?」
アニンは何も言わず、いつの間にか空になっていた俺の杯に酒を注ぎ入れた。
そんなに酒に強い方じゃなかったのに、何故だか最近は酔っ払えなくなったんだよな。
「かつての顔見知り達とも会いたいな」
「ん、じゃあ行くか。みんな、最近は少し顔色がマシになってきたんだぜ」
もうしばらく酒を交わした後、俺とアニンはメニマやアシゾン団の3人、クィンチの所を回った。
驚き、怯え、懐かしみ……
事前にアニンの存在を伝えてはいたものの、全員が予想通りの反応を取った。
一通り挨拶回りを終え、再度状況確認などを済ませた後、互いの無事を誓って別れようとした時だった。
「……うわっ!」
不意打ちのように、アニンが無言で背中から俺を抱き締めてきた。
先刻のように、俺はまたも発作的に振り払おうとするが、羽交い締めにする勢いの力だったため、振り解けず身じろぎするに留まる。
やめろとも言えず、離せとも言えず。
沈黙が流れ、ただ肉の硬さと、熱さばかりが伝播する。
何だこれ。
心の深い部分ではは嫌がってるのに、浅い部分や体は嫌がっていない。
訳の分からなさに混乱しだした頃、不意に拘束が解かれた。
「すまぬな。少しばかり悪戯をしてみたくなったのだ」
「いや……」
返事が曖昧になったのは、肩を竦めて苦笑する姿にムカついたからでも、行動の真意を理解して複雑な気持ちになったからでもない。
「体を愛えよユーリ殿。では」
何か言おうと思っている間に、アニンは手を振って去って行ってしまった。
アニンと再会した翌日、次はシィスとも顔を合わせた。
場所は前日同様、5層の大臣専用の私室。
「ユーリさん、ご無事なようで何よりです」
「お前もな、シィス」
1層の身分だというシィスもまた、変わらずに壮健さを維持していたようだ。
アニンとの違いはというと、まずは服装を元々着ていたものと同じ風に仕立てていたという点。
白い襟付きシャツに黒い七分丈のパンツ。眼鏡もそのままだ。
そしてもう1つの違いは、焦りも疲労感も感じられず、自然な冷静さを保っているという点だ。
まさに諜報活動の熟練者……
「どげっ!」
あ、転んだ。眼鏡を吹っ飛ばして。
ここの床は別段滑りやすい訳でもなく、平坦だってのに。
……こういう所も変わってねえな。
「お手間をかけて申し訳ありません」
シィスの詫びた手間というのは、ブルートークが不通気味だったことに対してだ。
当然シィスにも事前にブルートークの存在を教えてて、回線を繋げていたんだけど、感度が非常に悪かったんだよな。
近距離なら問題はないが、ある程度離れるとてんで会話にならなくなる。
その理由ってのは、
「"精神防壁手術"がまさかユーリさんの力にも及ぶなんて……」
具体的にどのようなものなのかは教えてくれなかったが、シィスの実家の道場の人間は皆受けているらしいこの手術は、心や感情を読まれたり、それらに干渉する魔法や魔具などを無効化、あるいは効果を弱める技術とのことだ。
俺のブルートークも、それに引っかかっちまったらしい。
この世界にも、まだまだ分からねえことが色々あるもんだな。
「それともう1つ、今更ですが、直接救出に向かえず申し訳ありませんでした。まるでお役に立てていませんね、私は」
「いいって、頭上げろ。あと自虐的暴走もすんなよ」
あらかじめ釘を刺しておいてから、続ける。
「ある意味来られなくて正解だったぜ。おかげであのクソ大臣をぶっ殺して、5層を少しは変えられる時間をもらえたからな」
「ユーリさん……」
眼鏡に手をやり、少し俯くシィス。
アニンが俺を評した時と同じことを思ってるんだろうなと予想できた。
「俺からも改めて言わせてくれ。ありがとな。お前からの差し入れがなかったら、誇張抜きでとっくに死んでた。アニンから聞いたぜ、メシや薬を差し入れてくれたの、シィスなんだろ?」
礼を述べると、シィスがキリっとしている目を微かに泳がせた。
「いえ、私はあくまで1層の目録を使って調達しただけです。大したことはしていません。実際に検閲を潜り抜けて、物資をユーリさんのいる所まで届けたのは、別の方なんです」
「へえ、誰だよ」
上層の囚人に、これ以上味方や知り合いがいるとは思えないので、気になった。
「……ソルテルネ=ウォルドーという名を出して、伝わるでしょうか」
間を置いた後、シィスは眼鏡に手をあてながら答えた。
「ソルティだと? あいつが……?」
直接の原因ではないとはいえ、俺を地獄に突き落としたあいつが、何で助ける?
「私が直接言っていいものなのかどうか分かりませんが……"友を死なせたくはないから"だそうです」
「友だと……? ふざけやがって!」
思わず、近くにあった椅子を蹴り飛ばしてしまう。
「真相を、ご自身で確かめてみてはいかがでしょうか」
「今も繋がりがあんのか?」
「はい、時々。今はダシャミエ氏や、アニンさんの仇の捜索協力もしてもらっています。接触を図ってきたのは向こう側からでした」
「お前は俺みたく裏切られたりして、不利益を被ってねえのか」
「はい、特には」
ますます意味が分からねえ。
「次の接触で私がソルテルネ氏との約束を取り付けましょう。仮に渋ったとしても、説得や実力行使で連行してみせます」
時折見せる危なっかしさは全くなく、熟練の暗躍者として、限りなく断定に近い語調で、シィスは誓約してくれた。
「頼む。どうしても一度会っとかなきゃ気が済まねえんだ。色んな意味でな」