66話『ユーリは会う、友と、仲間と……』 その1
ミヤベナ大監獄へ来てから、夢をよく見るようになった。
遠い過去、家族と過ごした、幸福な日々。
そして、決して起こり得る筈のない、その続きを。
強かった父・ヤウゴ=ドルフ。
清楚で優しかった母・マルボ=ドルフ。
争いを好まないが、聡明で柔和だった弟・ムシノ=ドルフ。
今はもう、誰もこの世界にいない。
皆、殺されてしまった。
幼い頃の私は、身分を抜きにしても、何不自由なく育てられていたと思う。
物心ついた時から既に我が傍らに在った剣を、毎日飽くこと無く振り続けていた。
私は剣が好きだったし、剣も私を愛し、証として才を与えてくれた。
剣と同じくらい、家族のことも大事に思っていた。
ツァイの大将軍だった父は、稽古の時は厳しかったが、それ以外の時間は良き父だった。
ツァイの有力者にしては珍しく妾を持たず母だけを愛し、武よりも学問に適性のあった弟に対しては、必要以上の鍛錬はさせず、個性を尊重して好きなことをさせていた。
母も常に父を立て、姉弟分け隔て無く慈愛を注いでくれ、弟も素直で可愛らしかった。
素晴らしい家族に囲まれていた私は、幸運であり幸福だったと、胸を張って言える。
「私を超えてくれ」
稽古を終える時、父はいつも、私にそう声をかけていた。
「はい、父上」
私は決まって同じ返事をした。
敬愛する父の期待に応えたいがため。
父を超えんと、私自身に暗示をかけるため。
大将軍とまでは行かずとも、帝国の剣として前線に立ち、活躍するつもりでいた。
帝国に対する愛国心は特に強くはなかったが、鍛え上げた剣の腕を振るうには最適な場所であると、当時の私は思っていたのだ。
そのような目標や幸福を破壊したのは、当時帝国の第2皇子だった、カオヤ=キンダックだった。
己が皇帝の座に就かんが為、武力と権謀術数双方を用いた乱を起こし、実父である前皇帝を殺害した。
我が父は前皇帝の側について戦ったが敗れて処刑され、弟も戦火に巻き込まれ、母は行方知れずとなった。
その時私は、ササ流の修行の為に偶然帝都を離れていたため、共に戦うことができなかった。
帝都に踏み入ることもできなかった。
毒の蔓延している場所に行ってはならない、それ以前に今の私では皇帝には到底及ばないと師に止められては、従う他ない。
そのまま私は、1度も祖国の為に剣を振るうことなく、師に命ぜられるがまま船に乗って、諸国を遊歴することになったのである。
ごく最近知ったことだが、現皇帝は、私を配下に迎え入れるつもりだったらしい。
師は、そのような状況になるのを最も避けたかったのだろう。
人の子として、無念や怒り、悲嘆といった感情は当然浮かび上がった。
更に剣を磨き、力を手に入れたら皇帝を討たんという思いもあった。
しかし、全ての元凶である現皇帝を激しく恨めなかったのは、気持ちが分かってしまったからだ。
現皇帝が乱を起こした理由もまた"父を超える為"だったのだから。
愛国心が特に強くはないというのに、帝国に蔓延る思想は、すっかり私の心の中にも根差してしまっていたようだ。
しかし、この大監獄内にいるはずという、母をあのような姿にした者については全く別だ。
必ず探し出し、徹底的に痛苦を味わわせてから、首を刎ねる。
真相を知らないままの方が良かったとは思わない。
それに実際、激しい絶望と憎悪、特定の誰かへの執着を感じられた自分にどこか安堵していた。
私は、人間だったのだと。
人並みの感性を、まだ持ち合わせていたのだと。
下手をしたら、ユーリ殿以上に、未だ顔も知らないその相手に想い焦がれているかも知れぬ。
ユーリ殿は無事だろうか。
噂では、監獄大臣の1人に逆らい、5層に落とされたらしいが。
我ながら薄情だとは思うが、救出や援助に関しては、シィス殿に一任していた。
それに、剣を取られてしまった上、首輪のせいで技を封じられている今の私では、大した役には立てないだろう。
いや、それは言い訳だ。
単に私の都合を優先し、保身に走っているに過ぎない。
母の仇を探すには、誰にも目をつけられず、1層の身分のまま留まっていた方が、圧倒的に都合がいい。
空白の皿から命じられたダシャミエなる男との接触については、半ばどうでも良くなっていた。
その件についても、シィス殿に任せてしまっていた。
「ダシャミエ氏は、私の方で捜索しておきます」
「かたじけない」
「それと、アニンさんのお母様の仇も、捜索だけは……」
「すまぬ、負担ばかりかけてしまっているな」
「お気になさらないで下さい。こういった活動が私の本領ですから。しつこいですが、早まった真似はなさらないよう、お願いします」
「うむ、承知している」
シィス殿も同じく1層に収監されており、空白の皿より課せられた任務を果たさんと日々奔走していた。
彼女とは定期的に顔を合わせ、安否確認と情報交換をするようにしていた。
私の方から有力な情報を提供することは、中々出来ていなかったが。
シィス殿は、このような環境でも冷静で、しなやかで捉え所のない強さを失っていなかった。
初めて出会った時に感じた通り、やはり只者ではない。
手合わせしてみたい気持ちが再燃するが、今の状態ではほぼ確実に私が負けるだろう。
徒手空拳でも使い物になるよう、訓練をする必要があった。
効率的に事を成すための環境を作り出すという意味でも、1層に留まることは重要だった。
にわか仕込みで皇帝や、それより強いという仇を討てるとは到底思っていないが、無駄にはならないはずだ。
「申し訳ありません、まだ発見できていなくて……」
顔を合わせるたび、そのような報告を受けても、苛立ちを感じはしなかった。
それに、シィス殿のことは信頼している。
現状で相対させぬよう、虚偽の報告をしたりもしないだろう。
「ああ、私は何という無能なのでしょう! どうか、どうかこの屑を役立たずと罵って下さい! 踏みにじって下さい!」
「落ち着けシィス殿。無能は私の方だ。其方には感謝以外の感情を抱いておらぬ」
「アニンさん……何とお優しいのでしょう! このシィス、一層奮励努力し、ご期待に添えられるよう……あっ! ……たたた」
こういった部分が全く変わっていないのも面白い。
いやはや、それにしてもまさか、何もない所で己の両足を絡ませて転倒するとは。
独り訓練を続けている内、仇の発見よりも先に届いたのは、ユーリ殿からの通信だった。
どうやら5層の過酷な環境を耐え抜き、餓狼の力も使えるようになったらしい。もう安心だろう。
ただ、精気を摩耗している点を差し引いても、声色が変わっていたのが気になったが。
気になるといえば、ユーリ殿は女子に対してきちんと向き合えるのだろうか。
私の方は、男子として好意は抱いてはいるものの、タルテ殿やミスティラ殿ほど想いが強く、またさほど女性的なものでもないと自覚している。
どうしても煮え切らないのならば奪ってしまおうかと考えてはいるが、そうでなければ自身の意志を尊重し、譲ることは吝かではない。
乙女のようになれないのは、私が父の方の血を色濃く受け継いでいるからか、ツァイ帝国が父性偏重だからか、或いはその両方か。
それが果たして幸福なのか不幸なのかまでは、私には分からない。
この問題までは、ユーリ殿に聞いても答えは得られないだろうな。
――おうアニン、聞こえるか? 聞こえてたら返事してくれ。
おっと、ユーリ殿のことを考えていたらまた連絡が来たな。
――聞こえているぞ。いかがした。