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11話『シィスが海へ跳ぶ』 その1

「俺、もうぜってー酒は飲まねえ」

「わたしも……」


 俺とタルテの呟きは、遥か水平線の彼方へと消えていった。

 いや、実際はそんな遠くまで飛ばず、すぐ下に落ちてしまってるんだろう。


 既に俺達の体は陸から離れ、今は船の上でのんびりと揺られている。


 結局、昨日の夜はいつまで飲んでたのか、全く覚えていない。

 気が付いたら自宅の寝台に寝っ転がっていた。

 アニンたちが運んでくれたらしい。


 分かり切ってたが、本当の地獄は今朝訪れた。

 アニンに叩き起こされ、激しく痛む頭と鉛を仕込まれたように重い体を引きずって旅立ちの最終準備をし、慌ただしく定期船に乗り込み、出航。

 見送りの人たちに対して、ろくに別れの言葉をかけることもできなかった。

 それ以前に、満足に嘔吐することもできなかった。


 もっとも、これが今生の別れでもないし、湿っぽいのは苦手なので、別にいいか。

 代わりにアニンやジェリーがしっかり挨拶してたみたいだしな。

 ちなみに離れている間、住んでいた家は傭兵仲間に貸し出すことで話がついている。


 で、ついにファミレを離れたのはいいけど、未だ旅に出たという実感が湧いてこない。

 それほどに、体を蝕むこの二日酔いは強烈だった。

 こうして甲板に出てお日様と海風を浴びても、一向に収まってくれない。


「あんたの力で治せないの?」

「できたらとっくにやってるっての」


 グリーンライトがそこまで万能じゃないのが悔やまれる。


「そう……あああ、それにしても恥ずかしい……消えたい……もうファミレに帰れないわ」


 タルテは、俺よりも深刻な状態に陥っているようだ。

 さっきからずっとこうである。

 俺とは違って身体的苦痛だけでなく、激しい後悔の念にも苛まれているらしい。


「あんま落ち込むなって。お前もこれまで色々と溜め込んでたんだろうから、しょうがねえよ。俺も気にしてないからさ」


 境遇から想像するに、これまで精神的に抑圧されることが多かっただろうからな。


「でも……」

「それに大食堂とかじゃあ、あれくらい暴走する奴は別に珍しくねえって。素っ裸になって踊り出した姉ちゃんとか、ゲロどころか大小まとめてお漏らししちゃったおっさんもいたけど、次の日にはケロっとしてたぜ」

「わたしはそんな頑丈じゃあないのよ。……一生飲まないままでいればよかった……」

「二日酔いに苦しむ者は一様に同じことを言うが、また繰り返してしまう。人間とは罪な生き物だな」


 後ろからアニンの声がして、振り返る。

 言い回しこそ高尚っぽいが、彼女の顔には俗っぽい笑みが浮かんでいた。


「酒の強い人間には、俺達の気持ちは分からねえ」

「同感だわ。……でも、本当にごめんなさいアニン、ジェリー。思いっきり迷惑かけちゃったわよね」

「良い良い、むしろやっと気兼ねしないようになってくれて嬉しいぞ」

「ジェリーも、気にしてないよ。おにいちゃん、おねえちゃん、だいじょうぶ?」


 夕べからずっと、ジェリーについてはアニンがちゃんと面倒を見てくれていたようだ。


「ええ、何とか大丈夫よ」

「それよか、かぶってるそれ、可愛い帽子だな」

「えへへ、食堂のおねえちゃんがくれたんだよ。"せんべつ"だって」


 つばが広く、花弁のようにも見える白い麦わら帽子に手をやり、ジェリーがはにかむ。

 ジルトンの奴、こういう所は如才ないよな。


「今日は結構風が強いから、飛ばされないようにしろよ」

「うんっ!」


 ジェリーが高揚しているのは、帽子だけが理由ではない。


「あのね、ジェリーね、ちゃんと船にのるのはじめてなの! 船ってすごいね!」


 ちゃんと、というのが悲しくなるが、本人は純粋に楽しんでいるから、水を差すこともない。

 でも、別の世界にはもっと早い船や、海に潜れる船もあるんだぜ。

 でもそれを、今の頭で適切に伝えられる自信がない。

 今は年相応にはしゃぐ姿を見て、微笑ましい気分になるだけで充分だろう。


「タルテは船に乗ったことあるのか」

「わたしも初めてよ。……まさかわたしが、こんな風に自由な気持ちで広い海に出られるなんて思わなかったな」


 タルテはやや視線を落とした。


「別にその歳で初めてでも、恥ずかしいことじゃないと思うぜ」

「だ、誰も恥ずかしがってなんか」

「ならジェリーみたく開放的になってみろよ。ほらほら」

「バ、バカじゃないの」

「どうしたのだ、初めてとか恥ずかしいとか。大人の話か?」


 アニンがわざとらしい誤解をしつつ、話に割り込んできた。


「まあ、ある意味そうだな。処女航海って奴か」

「お、ユーリ殿、今のは上手いな」

「よっしゃ、褒められた」

「はぁ……あっ、ジェリー! あんまりはしゃぎすぎると海に落ちちゃうわよ」


 手を打ち合わせる俺とアニンの横で、付き合ってられないといった風にタルテがため息をついて、ジェリーの後を追っていく。


「アニンはツァイ出身だっけか。当然、何度も船に乗ってるんだよな」

「うむ。色々と国を遊歴した経験はあるぞ」


 アニンが旅慣れているのは、知り合ってすぐに聞いたので知っている。

 じゃあ何で改めて聞いたのかって? 皆まで言うな。親切心だよ。




 頭痛やだるさはまだまだ治まらないが、今日が絶好の航海日和なのは分かる。

 青い空、眩しい太陽、広い海、潮の香り、暖かな空気。

 俺達だけでなく、他の乗客もこの甲板に出て船旅を楽しんでいるようだ。

 ほとんどが俺達と同じく旅人っぽい出で立ちをしている。

 しばらく一緒に過ごすことになるんだし、メシ時にでも挨拶しとこうかな。


 しかし……いつもは港に停泊してるのを外から眺めているだけだったが、こうして実際に乗り込んでみると、やっぱりデカい船だよな。

 なんでも、複数種類の魔石を組み合わせ、発生した力を利用して動力を得ているらしい。

 そのため帆も柱もなく、代わりに客室などの居住区を甲板上に設置しているとのことだ。

 結構現代的(俺が元いた世界基準で)だよな。


 ただ、それでもジェリーの故郷であるタリアン王国まで一直線という訳にはいかず、途中、ツァイ帝国の港へ寄って補給する必要もあるらしい。

 ま、のんびり旅行気分で行けばいいか。

 クィンチから徴収した資金もたっぷりあるし。


 ジェリーは未だ興味尽きぬ様子で、すっかり保護者役のタルテと一緒に甲板を歩き回っていた。


「ねえねえ、ユーリおにいちゃん、アニンおねえちゃん! こっちに来て! 見たことないお魚さんがいるよ!」

「どれどれ」


 ジェリーに呼ばれて近付いたその時、突然後ろから、体が前のめりになりそうなくらいの強い海風が吹いた。

 おお、びっくりした。


「あっ!」


 小さな悲鳴。


「ジェリー!」


 ……の体は無事だったが、かぶっていた帽子が吹き飛ばされてしまった。

 船を飛び出して、瞬く間に手の届かない海上へ舞う。


「ああっ!」


 ジェリーは悲しむだろうが、とりあえず本人に危険がなくて良かった。


 と思った時、帽子よりも遥かにデカい物体が俺達の横をさっとすり抜けていく。

 人だった。


「え?」

「お、おい!」


 緑髪の女は躊躇なく手すりを飛び越えて空中に躍り出――見事麦わら帽子を掴んだ。

 ……が、当然、この世界にも引力の概念は存在する。

 法則に従って、そのまま海へと落ちていく。


「おいおいマジかよ」


 不意打ちで予想外の展開を見せつけられたものの、何とか考える頭は追いついていた。

 助けねえと……"クリアフォース"で上手く掴んで持ち上げられるか?

 頼むから水面に浮かんでてくれよ。最悪俺も潜らなきゃいけなくなる。


「……ん?」


 痛む頭に耐えて"餓狼の力"の一つを使おうとした時、船の手すり部分に鋼線が巻き付けられているのに気付いた。


「大丈夫です」


 続いて、手すりの向こう側、下の方から声がした。

 身を乗り出して覗き込んでみると、女が船体に張り付いているじゃあないか。

 鋼線は左手の方へピンと伸びていて、右手はしっかりジェリーの帽子を掴んだままだ。


 女はそのまま船体を蹴って上がりながら鋼線を巻き取っていき、ひらりと甲板に降り立った。


「お見事」

「すげえ……」


 一連の所作を目にしていたのは、俺達だけだった。

 勿体無い。大勢に見せてやりたい。そう思うくらいの軽業である。

 何しろ、鋼線を巻き付けた瞬間すら気付けなかったのだから。


 しかし当の本人は涼しげな顔で、帽子を差し出す。


「はい、どうぞ」

「あ……ありがとう」


 ジェリーが少し戸惑っているのは、怪しんでいるというより、単純に驚いているからだろう。

 俺達だってそうだ。何て声をかけりゃあいいんだ。


「どうもっす。助かりました」


 とりあえず、こう言うのが精一杯だった。


 行動こそぶっ飛んでいたが、外見自体はまともである。

 アニンほどではないが女性にしては高めの身長、短く切った緑髪に眼鏡をかけていて、顔立ちはキリっとしている。

 少年的、というより男装が似合うカッコ良さ、といった感じだ。


 その服装はというと、白い襟付きシャツにくるぶし丈のズボン、そして大きいベルトが印象的だった。

 年齢は俺やタルテと大体同じくらいだろう。


「い、いえいえ! 私の方こそ、大げさな動きをして皆さんを驚かせてしまって! ほんと、申し訳ありませんでした!」


 またも予想外だ。

 いかにも冷静沈着そうで、実際つい今さっきまでそのように振る舞っていたのに、急にうろたえ出した。


「で、では私はこれでっ! 快適な船の旅をお楽しみ下さいっ!」


 問い質す間も与えてくれず、女性は脱兎の如く船室の方へと走り去ってしまう。


「……あの人、船員さんだったのかしら」

「いや、違うと思うぜ」

「どちらでも良いではないか。さあ、一度中へ戻ろう。ジェリー、今度は飛ばされぬよう、しっかり押さえているのだぞ」

「うん、気をつける」

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