65話『ユーリ、取り戻し、奪い取り、失う』 その1
隔離部屋での拷問はまだ続いていたが、もう当初ほどの辛さは感じていなかった。
そりゃ完全に消え去った訳じゃないし、猿やトチップスのジジイがやってきて、罵詈雑言や暴力を振るってきたりもするが、耐える際の姿勢がもう違う。
とはいえ、それをあからさまに表に出すのはまずいから、あくまで弱ったふりをしていた。
それで状況が好転した訳じゃないが、悪化もせずやり過ごせているから、悪くはない。
不定期ながらアシゾン団の3人も、メニマも来てくれる。
本当にあいつらには感謝している。
食糧や水、時には薬なんかも届けてくれるだけじゃなく、人との繋がりも与えてくれているから。
あいつらだって普段は辛い目に遭ってるだろうに。
それにしても、未だ敵側にバレている様子がないのが凄い。
アシゾン団ってそんな優秀だったのか?
凄いと同時に、少し不思議にさえ思えてきた。
こんなにも上手くいきすぎるもんなんだろうか。
アシゾン団の3人が"あの男"を連れてきたのは、しばらく経ってからだった。
「待たせたな。連れてきたぞ」
「……うげっ」
一目見るなり、つい心に留めておくはずだった言葉を声に出してしまう。
「ぬおっ……!」
向こうも、俺と同じような経過、結果を辿ったであろうことが、声の調子や表情だけで分かった。
「よう、久しぶりだな、クィンチ」
「ぬ、ぬうう……ユーリ=ウォーニー……!」
急激に痩せたせいだろう、全身の皮が余ってダルダルになって形容しがたい、いやお化けみたくなっていたクィンチが、忌々しげな唸り声を上げる。
「元気にしてたか? 見た目はすっげえことになってるけど」
ただ、離れていても臭ってくる強烈な体臭は無くなっていた。
というか環境そのものが臭すぎるから、もう俺の方が慣れたのか、麻痺しちまったのか。
「貴様のせいで、ワシは、ワシは……!」
「久々だってのに、ツラ合わせるなり恨み言かよ。まあいいや、聞かせてみな」
うんざりしながらも話を聞いてみた所、俺達がファミレを出た後、こいつも転落一直線の人生を辿ってきたようだ。
ま、取り立てて説明する必要もないから省略する。
「金だけでなく、土地も、美術品も、何もかも失ってしまったのだぞ! どうしてくれる! どうしてくれるのだ! ワシは、ワシは……もう……!」
「自業自得ではないか」
「醜い……悪役の片隅にも置けないわね」
「僕が彼の立場であっても成敗していただろうな」
「う、うぬぬ……」
野盗兼お笑い芸人、アシゾン団からの評価も散々だった。
「だ、黙れ黙れ黙れ! ……ふ、ふぐううう……!」
挙句の果てにはクィンチの奴、酷評されて泣く始末。
ただまあ、泣いたのをみっともないとまでは思わねえけどさ。
いくらがめつい悪党でも、持ってたものを全部失ってこんな環境に居続けりゃ、そりゃ弱りもする。
「毎日他の連中に虐げられ、ろくに食えもせず……貴様らにワシの気持ちが……」
「分かった分かった。……なあお前ら、借りは必ず返すから、悪いけど1つ頼まれてくれねえか。俺には食わせなくていいから、こいつにも食べ物を少しやって欲しいんだ。餓死しない程度でいいからさ」
「ぬうっ?」
「ファミレで約束しただろ。食うものにも困るようになったら何とかするってさ。今はこんなんだけど、直接おごれる立場になったら、改めて食わせてやるよ」
「それは愚かな依頼であると言わざるを得ないな、ユーリ=ウォーニー」
呆けたようなツラをしたクィンチを差し置いて、白男が腕を組んで言う。
「分かってる。確かに馬鹿げた頼み事をしてるよ俺は。でもさ……」
「そうではない」
青男が、すっと言葉を差し込む。
「あんたの単純さや言うことなんてお見通しなのよ。頼まれるまでもなく、"既にそうしている"わ」
「そういうことだ」
「……お、お前ら!」
「勘違いするな。君に貸しを作っておくためだ」
「貸しを作れば、将来的に美味しい思いができるものね。ちゃんと利子付きで返しなさいよ」
「いや勘違いしちゃうぜおい! お前ら、いい奴らだったんだな! 最高だぜアシゾン団! 愛してるぜアシゾン団! アシゾン団万歳!」
「や、やめなさいよ恥ずかしいわね」
「この男を4人目の団員として迎え入れるのも良いかもしれんな」
「それはいいや」
「ぬ、ぬぐぐぐぐ……!」
盛り上がる俺達を差し置いて、クィンチが一際唸り声じみた嗚咽を強めた。
「おいどうした、お前が4人目の団員を目指してたってのかよ」
冗談めかして尋ねると、もげそうな勢いで首をブンブン振られる。
「惨めだ……一代にしてあれだけの富を築き上げたこのワシが、今となってはこんな地の底で、若造や、野盗風情に施しを受けねば生きて行けぬとは」
「こいつ、いっつもこうなのよね。そのくせ貰うものは貰うし、食べる時はしっかり食べるし」
「うるさいうるさい! ワシの勝手だ! ……くそう、あれさえあれば……呪符さえ……」
何気なく漏らしたクィンチの醜いぼやきこそが、俺にとっては黄金の一粒、逆転のきっかけとなる一言だった。
「ああ!? 今なんつった!?」
「ひっ!」
「ああ違う、脅したいんじゃねえんだ。今、呪符がどうこうって言ってたよな?」
「呪符を知らぬのか? ツァイの……」
「呪符の存在は知ってる。呪符と監獄内の状況と、何の関係があんだよ」
「やはり無知ではないか。呪符とは魔力とも気とも異なる力を源とする術を封じた道具。この忌々しき首輪を爆発させず、力を行使することが出来るのだ」
「……なん、だと?」
「過去、脱獄や出獄に成功したごく僅かな人間は皆、呪符を用いたり、あるいは通貨代わりに監獄側へ売り払い、事を成したそうだ」
クィンチの話に耳を傾けていると、心拍数が上がっていく。
呪符が魔力や気と違う性質を持つのは知っていた。
でも、呪符が首輪に反応しないのは知らなかった。
正確に検証したことはないけど、餓狼の力と呪符もまた、源を別にする力だろう。
でも、頭の中で、ある1つの仮説が浮かぶ。
囚人につけられるこの首輪は、魔力と気にしか反応しないんじゃないか?
ということは……もしかしたら……俺の力も……!?
「……は、はははははは」
「あんたまでどうしたのよ」
「今の俺達は、何の芸もしていないというのに」
突っ込まれても、湧き上がる笑いや震えを抑え切れなかった。
「おいクィンチ!」
「な、なんじゃ急に昂揚しおって、気味の悪い」
「最高の情報をありがとな。もし俺が這い上がれたら……いや、這い上がったら、改めてとびきりの御馳走をお礼に振る舞ってやるよ」
「何だというのだ、急に」
「さあ?」
まさか、思いもよらない奴から、思いもよらない形で、希望を与えられるとは。
ほんと、人生ってのはどこでどう繋がってくるか分からねえな。
……よし、早速試してみるか。
クィンチの発言を特に疑ってはいないが、それでも恐怖心を完全に拭えた訳じゃない。
確実に成功する保障なんかない。
万が一が起こった時に辿る結末を思うと、股間が縮こまる。
だが、このまま耐え続けても上がり目はないだろう。
それに正直、これ以上冷静でいられる自信がないくらい、我慢が限界に達していた。
ここは行く時だ。
これ以上有力な手がかりを得られる機会は、ありそうにない。
「お前ら、下がってろ」
遠ざけてもあまり意味はないだろうが、怪訝な顔をする3人やクィンチを部屋の隅に追いやり、深呼吸する。
出来るだろうか。首輪を爆発させて死なずに済むだろうか。
冷たい汗の滲む両手を握ったり開いたりしてみたが、どうにも落ち着かなかった。
どれを使うか……どのみち失敗すりゃ死ぬし、何でもいいか。
よし、レッドブルームにしよう。
滅茶苦茶空腹状態だから、力を最小限に抑えるようにして、と……
意味も分かってないまま、固唾を飲んで俺を見る4人にちらっと視線を送った後、すっかりボロボロになっちまった掌を見つめる。
もう結構な間使ってなかったが、やり方は忘れちゃいない。
意識を束ねて、小さな火を起こすイメージを描いて……
…………
……