63話『ユーリ、5層における地獄の日々』 その2
「何をしている! さっさとかからんかァッ!」
「……っ!」
手加減なしに棒で背中を殴打され、視界が明滅すると共に一瞬息が止まりかける。
この野郎、覚えてろよ。
一番近くに転がっていたつるはしを手に取り、カチコチの地面に振り下ろす。
甲高い音と同時に跳ね返ってくる鈍い衝撃や痺れに、早くも徒労感、空虚さが湧き起こってくる。
こんなので掘れる訳がない、なんて殊勝さだけが理由じゃない。
作業そのものが無意味だからだ。
この間やったのは、散らばっている岩の破片を洞穴の片隅に集める作業だった。
よく見えない洞穴を這いずり回って、手押し車に載せて、零しながらも運んで、また這いずり回って……
やっとのことで破片を山盛りにした所で、次に命じられたのは、集めた破片を、この広い空間へ再び均等にばらまく作業だった。
こんなの、誰が考えたって馬鹿げている。
何の生産性もない、疲弊させるだけの無意味な作業だ。
だが、この場所では、そんな正論は何の意味も成さないし、むしろ俺に無意味なことをさせて苦しませることこそが連中にとって最大の効用をもたらす行動なんだろう。
そもそも、怒り混じりに理由や意図を尋ねても、返ってくるのは暴力ばかり。
仮にぶちのめしても、更に立場が悪くなって酷い目に遭うだけだから、結局は八方塞がりって訳だ。
この状況での最善手は、なるべく消耗を抑えるよう心がけながら、やり過ごすこと。
お礼は後でたっぷりしてやればいい。
耐えながら窺っていれば、必ず好機、転換点は訪れるはずだ。
「おーいチンタラやってんじゃねえぞ!」
「おらっ! ちゃっちゃと働け!」
「……!」
寝起きの便所掃除とは違い、ここからはサボると容赦なく鞭で打たれたり、鉄棒で殴られたりする。
おまけにさっきみたく、猿だけでなく看守もそれに加わってくる。
かなりの演技力が要求される……が、生憎俺は演技が得意じゃない。
油断すると、すぐ本音が顔に出たり、ポロリと口に出したりしちまう。
今だって、こいつでてめえらのケツを掘ってやろうか、と言いたくなる気持ちを必死に抑えてるんだ。
掘るといえば、まさかあの男に裏切られるとは……
人を食ったような顔が印象的な優男のツラが脳裏に浮かぶ。
坊ちゃんの兄貴だからといって、素直に信じちまった俺が馬鹿だった。
中身まで同じとは限らないってのに。
隙を見せた自分にも落ち度があるのは分かってるし、特に激しく恨んじゃいないが、釈然としてないのも正直な所だ。
もしまたツラを合わせる機会が訪れたなら、一発ぶん殴ってやりたい。
それにしてもあいつ、強かったな。
あの身のこなし、只者じゃねえぞ。
おまけに別の意味でも只者じゃないときたもんだ。
まさかあのブタとああいう関係になってたとは……
いくら媚びるためとはいえ、あそこまで出来るか?
例えばあの猿から「アレコレしたら手加減してやるし、食事も増やしてやる」と言われても、恐らく俺には無理だ。
……うえっ、考えるだけで気持ち悪くなる。
この辺でやめとこう。
ちなみに俺の貞操は未だ無事だった。
こういう場所にはつきものって聞くが、本当に良かった。
……今後もそれが続く保証はないけど。
既に俺への興味が失せ始めた当の猿と看守は、買った女がどうとかいう話をしている。
5層にもそういう場所が存在するらしい。
行ったことがない、というかそもそもそんな暇もゆとりもないから、実態までは知らないが。
振り下ろして。
振り下ろして。
振り下ろして……
元々意味なんて見出しちゃいないし、覚悟も決めていたが、それでも何ら生産性のない、無意味な作業を長時間強いられるのは精神的に辛いものがある。
このまま続けていたら悟りでも開けるんじゃないかと思ったが、ダメだった。
「よーし、そろそろ引き上げるか」
退屈と疲労で心身ともにずっしり重たくなった頃、ようやくあくびまじりの、終了の声が飛んだ。
今日は割と飽きるのが早い方だと思う。
「……ひっでぇ」
掌は両方ともマメが潰れたり皮が剥けたりでぐちゃぐちゃになっていたが、もう感覚が薄れていて痛みも鈍くなっていた。
グリーンライトを使え、という声が頭の中でするが、振り払う。
まだ我慢だ。
……5層にも医者はいるらしいけど、今の俺じゃ会えないだろうな。
「何だおめえ、全然作業進んでねえじゃねぇか」
「……すんません」
「んだその言い方ァ! あとその目! 気に食わねえんだよぉ!」
つるはしの残骸で側頭部を殴られる。
耐えろ。今はまだ我慢だ。
……それに正直、反撃する元気はない。
5層に落とされた直後はまだまだ精力旺盛だったが、日に日に、命そのものが削られていくのを実感している。
「てめぇは! 人間じゃなくて! クソ虫なんだよ! もっと! いじけた目で! 這いつくばって! 俺を見上げやがれッ!」
少しは手加減しろっての……痛みに慣れるってのにも限度があるし、慣れてもケガはするんだぞ。
「あ~……疲れた」
硬く、冷たく、デコボコした岩床がこんなにも寝心地よく思えてしまうのが癪だった。
今日の作業も、折檻も、普段に比べればこれでもまだ優しい方だ。
最初はてっきり農作業や工場での作業などをやらされるのかと思っていたが、そういうのは4層の囚人がやるらしい。
やらされる作業は1日につき1つだけだったが、これも別に人道的配慮じゃなく、できるだけやることを単調にさせて精神的苦痛を味わわせるためなんだろう。
ちなみに他の囚人はというと、この地下迷宮で工事をやらされているらしい。
もっと拡張したいのか、何か掘り当てたいものでもあるのか……目的までは分からないが。
そんなことより目下の深刻な問題は、やっとのことで1日の作業が終わり、寝起きする洞穴に戻っても、まともに休めないのが辛い所だ。
まず環境が劣悪すぎる。
硬い岩の上に大勢で雑魚寝させられるなんてのはかわいいもんで、無駄に蒸し暑いし、常に鼻の曲がりそうな悪臭が充満している。
ただ臭いに関しては麻痺して、ある程度は耐えられるようになった。
問題なのは、看守でさえまともに寄り付かないのも納得の衛生状態の方だ。
ちょっと目を凝らすだけで、囚人以外にも大量の同居者……はっきり言ってしまえば、ゴキブリやネズミ、他にも見たことのないような害虫がウジャウジャいる。
それだけじゃなく、ノミだかシラミもいるのか、体のあちこちがかゆくてしょうがない。
流石に魔物までは出てこないのは救いだが、勘弁してもらいたい。
1層で用意してもらった服は当然早々に剥ぎ取られ、新たな衣服として与えられた粗末で汚い布切れは、初日の時点で誰かの手によってビリビリに破られてしまった。
最初から期待しちゃいなかったが、味方なんているはずもない。
これも上からお達しが来てるんだろう、些細なことからあからさまなやり方、色々な方法で俺はいじめの標的になっていた。
まるで前の世界みたいじゃねえかと思うが、やっぱ傷付くもんは傷付く。
全員が敵という訳でもないが、残りは黒に近い灰色だった。
話しかけても無視され、一切手を差し伸べてはくれず……
数人、もしかしたらちょっとは白に近い灰ぐらいにはなってくれるんじゃないかっていう、見込みのある連中もいるにはいた。
そういった層にしつこく話しかけたら反応をもらえはしたが、後でその相手がひどい折檻を受けていたのを見て、己の失敗を実感した。
悪いことをしちまったな。
俺だけに限った話じゃなく、監獄内に加えて更に5層内でも階層社会が作られていた。
お山の大将になりたがる奴、とにかく上の奴に媚びて媚びて生き延びようとする奴、完全に諦めて虐げられるのを受け入れてしまった奴……
最もそれが顕著に出るのは、生存に直結する――食事の配給時だ。
本当に酷い。
1日3回、出るには出るが、総量自体が少ない上、配分がひどく偏っていた。