10話『ユーリとタルテ、やらかす』 その2
「よう」
「おや、あちらで二輪の可憐な花を愛でていたのではないか」
「花ならここにも咲いてるだろ。凛としたのと可愛いのが二輪」
アニンから酒の入った杯を受け取り、飲む。
この独特のまろやかな甘さは、ワホンの清酒か?
「随分と真面目に言うのだな」
「そうしなきゃ伝わらないだろ」
ボケるなら(ジェリーには本気で言ったが)はっきり言わないとダメだからな。
中途半端は良くない。
それにしても、やっぱ飲みやすくていいよな、これ。美味い。
「……そのような態度を取るから、災難を招くと思うのだが」
「何か言ったか? それよりもっとくれよ、もう飲んじまった」
「醜態を晒して幻滅される前に、自重した方が良いのではないか」
「平気平気。今日は調子がいいみたいだ。頼むよ美人のママさん、もう一杯」
仕方ない、と言いつつ、アニンはおかわりを注いでくれた。
ちなみにアニンは見た目に違わず、メチャクチャな酒豪だ。
既にけっこうな量飲んでいるはずだが、全くいつもと変わらない様子である。
「ねえ、ユーリおにいちゃん」
可愛いお花さんが、ブドウの皮を剥いて中身を食べた後、声をかけてきた。
「どうした?」
「ごめんね、ジェリーのせいで、ファミレからはなれることになっちゃって」
「おいおい、これ以上謝るのはナシだぜ。本当にジェリーはなーんも気にしなくていいんだよ。昼にも言ったろ? むしろ旅に出るいいきっかけになって感謝したいぐらいなんだから」
気休めでも何でもない。本当のことだ。
「……うん」
「ジェリーの家、いつも温かくて、きれいな花がいっぱい咲いてるんだってな。俺も行って、見てみたいんだよ。ワクワクしてるんだ」
「うん……ありがとう」
「いいってことよ。ママさん、このお嬢さんにミルクのチョコレート添えを一杯。俺からのおごりだ」
「承知した」
どこの世界にこんな武人然としたママさんがいるんだ、と突っ込みたかったが、恐らく理解されないだろうし、ネタを振った俺に責任があるので黙っておいた。
「ユーリ殿、やはり良いものだな。こうして大勢で飲食を楽しむというのは」
「そうだな。酒もついつい進むってもんだ」
「改めて、お主と知り合えて良かったと思っているぞ」
「俺もだよ。……もう一杯」
何でワホンの清酒と焼き鳥って、こんなにも合うんだろう。
刺身などの生ものがこの場にないという不満を補って有り余るほどの活躍ぶりだ。
「ああ、うめぇ。最高。もっぱい」
「おにいちゃん、だいじょうぶ?」
「おお、まだまだ頭も口も回るぜ」
だから問題はない。
問題なし。
飲んじゃおう。
星空が、前触れも予告もなしに映った。
あれ? 何で俺、仰向けになってるんだ?
いつの間にか少し寝ちまってたのか。
しかもご丁寧に、枕まで敷かれてるし。
「あ、起きた?」
いや、枕にしては柔らかいし、温かいし、いい匂いがするな。
至れり尽くせりじゃあねえか。楽園みたいだ。
「まったくユーリったら、すぐ調子に乗っちゃうんだから。でも、そんなしょうがない所も好きなんだよね。あたし、そういう男に弱いのかな」
あれ、何でジルトンの顔が、夜空を遮るくらい大きく見えるんだ?
しかも段々近付いてる気が……
「待ーーーてーーー!!」
お、その声はタルテか?
「あ~らタルテちゃん。どうしちゃったのかな?」
「どうしちゃったのかな、じゃあないわよ! なーにユーリに膝枕してんのよ!?」
膝枕ぁ?
だからか。納得した。
「だってぇ、あたしユーリのこと好きなんだもん。別にタルテちゃんは彼と付き合ってるわけじゃないから、問題ないでしょ?」
「うるさーーい! さっさと離れろーーー! 消えろーーー!」
……ん?
タルテ、お前そんな喋り方する奴だったっけ?
「いやあん、タルテちゃんたら物騒」
「ユーーリーー! 起きろーーー!」
いや、起きたいんだけど、体が動かせないんだよ。
「さっさと起きろー! ヘタレ男ーーー! あはははははは!!」
「や~ん、こわ~い」
あいつ、酒癖悪いんだな。
にしても、いくら酒を気に入ったっつっても、ああなるまで飲むとは思えないんだが。
「……ちょ~っとおちょくりすぎちゃったかな」
お前が犯人かよ!
「早く起きないとー……蹴っちゃうぞ~!」
その瞬間、鈍った脳に、昼間の光景が閃いた。
さっと血の気が引き、全身の火照りが治まる。
やべえ!
と直感したのと同時に、地面を蹴る連続音が接近してくる。
「と、止めろ! 誰かあいつを止めろ!」
ジルトンも含めて、周りに助けを求めるが、誰も阻止するものはいない。
「あはははは!!」
曲線の軌道を描いて、笑いながらタルテが駆けてくる。
あれは……完全に狂戦士の顔だ! 俺の頭を狙ってやがる!
自分で避けるしかねえ!
ってあれ!? 体が動かねえ! 飲みすぎたせいか!?
「え~~~いっ!!」
既にタルテが、目前にまで迫っていた。
右脚が後方に引かれる。
あ、これは大人しく喰らうしかない。
しかし、俺の覚悟は空回りに終わった。
なんとジルトンが、俺の頭を膝上に乗せたままの姿勢で、タルテの蹴りを手で掴んで受け止めたのだ。
バン! と痛々しい炸裂音がしたが、ジルトンはけろりとした顔をしていた。
「もぉ、タルテちゃんったら乱暴なんだから。ユーリに嫌われちゃうよ」
「あれー? 止められちゃったー」
と、とにかく助かった。
これはもはや呑気に寝てる場合じゃない。鞭打って体を起こす。
大地震が起こっているように、地面ごとぐわんぐわん揺さぶられる錯覚に襲われるが、気合で踏み止まる。
「あー起きたー。バカユーリが起きたー」
「お前がそんなに酒癖悪いとは思わなかったぜ」
「なによぉ~、あんたが膝枕なんかされてんのがいけないんじゃない」
別に俺が頼んだんじゃない、って言っても無駄だろう。
そもそも本当に頼んでないか自信がない。
「わたしはねえ……わたしはねえ…………っく……ひっく…………ああんもう! バカぁ……」
げっ、アガるだけじゃなくてサゲもあんのかよ。
「あらら、泣いちゃった。か~わいい」
「泣ーかした! 泣ーかした!」
「いーけないんだ、いけないんだ!」
「うるせええ! すっこんでろ!」
つーか見てたんならさっき助けろ。
しっかし、どうしたもんか。
いくら俺が絶対正義のヒーローでも、この状況を穏便に解決するのは骨が折れそうだ。
「ユーリ、貸し一つね」
そこに名乗りを上げたのは、事の元凶だった。
「貸しって、元はといえば」
「いいから任せて。はいは~いタルテちゃん。仲直りしましょ」
「ひっく……なかなおりー?」
「ほーら、座って座って。お酌したげる」
なんとジルトンの奴、ずかずかとタルテに接近したと思ったら、更にタルテへ酒を勧めやがった。
タルテはされるがままに盃を受け、飲んで、
「んぐ……おいひぃ~~」
「でしょ? もっと飲みましょうね~。幸せになる魔法のお水ですよ~」
「うんっ。…………っはぁ~っ! ねえ、もっと、ちょう……だ…………」
満足げな顔のまま、卓上に突っ伏してしまった。
……えげつねえ。潰しやがった。
「こちとら日々大食堂って戦場で修羅場潜ってんのよ? 酔っ払い娘の一人くらい余裕よ。ちゃーんと安全量も分かってるから、そこは安心して」
振り向いたジルトンの笑顔は、焚き火に照らし出された効果もあってか、やけにギラギラと禍々しく映った。
……俺、こいつと酒飲むのもうやめようかな。
「ね、ユーリ」
なんて考えてたらジルトンの奴、急に真面目な顔になりやがった。
「あんたの腕の立つのは知ってるけど、ちゃんと無事に帰ってきてよ。もっと一緒にお酒飲みたいし……それに……」
「それに、何だよ」
「ん~ん、何でもない! ほら、落ち着いたし、もうちょっと一緒に飲もっ? しばらく会えないんだから、今夜はとことん付き合ってもらうよっ」
断ろうかと思ったんだが、ニコニコ笑顔で甘い芳香を漂わせる液体入りの杯を差し出されると、どうも意志が柔らかくなってしまう。
ま、当分会えなくなるし、今夜ぐらいはいいか。
いざとなったらアニンが上手く後始末してくれるだろう。