62話『ユーリ、5層で出会ったもの』 その3
ダメだ。
それらしい奴は見当たらない。
「おい、探してる奴がいねえじゃねえか。どういうことだ」
「はて……御探しの人物が必ずいる、と申し上げた覚えは御座いませぬが」
餓狼の力が使えたなら、有無を言わず半殺しにしていただろう。
それくらい腸が煮えくり返っていた。
落ち着け、冷静になれ。
せめて怒りを表に出すな。
事前に言い聞かせてただろ。
……よし、まだ我慢できる。
もう一度状況確認だ。
ここから見た限り、ダシャミエは上にも下にもいない。
つまり現時点での処分対象ではなく、悪趣味な奴でもないことが分かった。
それと、アニンやシィスの姿がないかも確認してみたが、幸い見当たらなかった。
「御席にはつかれませぬのかな?」
「俺の勝手だ。ほっとけ」
考え事の邪魔をすんな。
次は……どうする。
実際に降りて調べたい気持ちが湧き起こるが、色々な意味で危険すぎる。
ここは一度引き下がった方がいい、と理性の一方が囁きかける。
……でも、本心の方は……
「宜しければ"処分"の方法についても御説明致しますが、いかがなさいますか?」
「……黙ってろ」
「左様でございますか」
やめろ。
これ以上俺の心を掻き乱すな!
「どうにも御気に召されないようですな。なれば、日を改めた際、また別の面白い見せ物をご覧に入れましょう。例えば異種間における……」
「その臭え口を閉じろ」
本当に、見過ごしていいのか?
俺はずっと、腹を空かしている人達を助けようとしてきた。
例え罪を犯した人間であろうと。
それが、一度あっちの世界で飢え死にして、こっちの世界で記憶を取り戻した俺が誓った絶対正義のはずだ。
食わせるのは、飢えで死なせたくないからだ。
あんな苦しく、辛く、惨めな思いをさせたくはないと思ったからだ。
あんなの、誰がどう見たって飢えを救えてねえじゃねえか。
やっぱりダメだ。
こんなものを見せられて、我慢なんかできない。
例え死に値するほどの罪を犯した人間だとしても、ここまでの仕打ちを受けることはない。
過剰に苦しませるだけでなく、ましてやクズ共の見世物になる必要なんか欠片もない。
これから打つのは悪手だってのが分からないほど馬鹿じゃない。
でも、やらかさずにはいられない。
せっかく忠告してくれたのに悪いソルティ、やっぱ無理だったわ。
「如何なされました」
「降りる方法を言え」
「お教えできかねます。貴方様を含めまして、皆様の安全を確保せねばなりませんからな」
「喋りたくなるようにしてやろうか」
圧をかけたつもりだったが、ジジイは薄笑いを全く崩さなかった。
予想通りの反応だったが、この時点で我慢が限界を超えてしまった。
「てめえ……なめてんじゃねえぞ!」
衝動のまま殴り飛ばしたら、転がりながら吹っ飛んでいった。
が、すぐさま立ち上がり、鼻血をダラダラ流しながら、
「御不快な思いをさせてしまい、大変失礼致しました。ですがどうされようとも、お教えできかねます」
慇懃に一礼される。
そういう態度が更に内臓を熱くさせる。
「クソが……!」
ムカつくが構うな。
こんなジジイを幾ら殴った所で本質的な解決にはならない。
優先すべきは下をどうにかして止めることだ。
こうしている間にも狂気の宴は途切れることなく続いている。
催眠がかけられている以上、大声で呼びかけても無駄だだろう。
だとすれば気絶させるしかない訳だが、移動さえままならない。
虚空に手をかざしてみると、案の定結界特有の奇妙な感触に遮られてしまい、ある地点より先に伸ばせなくなっている。
くそっ、ブラックゲートが使えれば結界だろうとすり抜けられるのに……
「騒がしいな」
必死に打開策を考えていると、遠くの方から初めて聞く男の声がした。
「……!」
同じく声を聴いた、これまで掴み所のない態度を取り続けていたジジイが、急に背筋を伸ばして緊張感を漲らせ出す。
「ナトゥ様……!」
ナトゥ?
あの、こっちに近付いてくる野郎が……5人いるっていう"大臣"の1人か!
こりゃまた、随分と"いかにも"な格好をしやがって。
ブクブクと肥えた体を、星々の輝く夜空をそのまま布地にしたような、細かな光を放つ衣で包んでいる。
太陽石の欠片でも縫い付けて散りばめてるんだろうか。悪趣味極まりない。
そんな品性の無さが締まりのないツラにも表れてんだよ。
「何をやっておる。客が集中して愉しめぬではないか。貴様がついていながらどういうことだ、ん?」
「申し訳御座いません」
嫌味ったらしさ全開で偉そうに振る舞う奴と、ひたすらヘコヘコしている奴。
このやり取り、まんま部下をいびる上司だ。
と、前者の方が、粘っこい視線をこっちに向けてきた。
アレだ、こいつ、以前ファミレで会ったクィンチの野郎に似てるな。
「ふん、貴様、先日1層に来た新入りだな」
鼻を鳴らすとますますブタだな。
「だったら何だってんだ、ブタ」
「これ、無礼な口を慎まぬか!」
「誰に指図してんだ。つーかさっきまでの態度はどうしたよ。化けの皮が剥がれてんぞ」
慌てふためくジジイのことは、半ばどうでもよくなっていた。
せっかくの親玉のご登場だ、こっちの相手をした方が手っ取り早い。
「このクソ悪趣味な催し物を企画したのはてめえか」
キンダック皇帝と比較するとあまり強そうには見えない……が、油断はできない。
また腕をひねられたくはない。
「威勢がいいな。私が誰か、未だ理解できていないのか?」
「5層を担当する監獄大臣・ナトゥ様だろ」
「馬鹿か貴様は。私が、この監獄内で、どれほどの力を持っているのか、理解しているのかと聞いているのだ」
両手を広げ、芝居がかった口調でブタが鳴く。
実際、言うだけの権力を持っているのは知識だけでなく、実感もしている。
場の空気は完全にあっちに味方する流れになっていて、取り巻きや野次馬の中で、俺の側につきそうな奴は全くいそうにない。
「たまたま1層に配置されたからと言って図に乗るなよ。私の力を持ってすれば貴様如き一声で、すぐにでもこの地の底の底へ叩き落とせるのだぞ」
そんな脅しでビビり上がるとでも思ってんのか。
「どうした。事実を突きつけられ、急に酔いが醒めて恐ろしくなったか」
「んな訳ねえだろ、ブタ野郎」
ブタが顔を引きつらせた、と同時に、周辺がざわめき始める。
「……貴様、今、何と口にした」
「ブタっつったんだよ。英語で言うならpigだ。あ、お前の脳みそじゃあ理解できねえか」
腫れぼったい目蓋や、こめかみに浮いた血管がピクピクしているのが、衣服にくっついた太陽石のおかげで余計にはっきりと見えた。
そして結界を隔てた下では今でも、こっちの騒ぎには全く気付いてない囚人たちが狂った宴を続けて、いや続けさせられている。
やっぱりどう考えてみても、彼らに自由意志があるとは思えない。
挑発するのが賢くない選択だってのは分かってる。
でも、餓狼の力が使えないから見過ごします、クズ野郎相手にヘコヘコするなんてダサい真似、できるかってんだ!
じゃあどうするかって?
決まってる。
このクソッタレな大臣をぶっ飛ばして、俺が新しい大臣になって、こんな腐った催しをやめさせてやる!
「分かっても分かんなくてもどっちでもいいや。ブタはふかふかな椅子じゃなくて、ブタ小屋の土の上に転がってろ。つーか残飯処理は全部てめえがやれよ、人に任せてねえでよ」
完全に怒りに任せて放言した訳でもない。
確かに大臣や王には絶対服従が大監獄での原則とされているが、それは必ずしも立場の絶対性を約束したものではない。
部屋で読んだ、規則が書かれた本にも明記されていた。
『――監視の及ぶ場所にて、直接的な戦闘において王及び大臣を死に至らしめた場合はこの限りではない。なおその場合、当該囚人が空白となった地位に就く』
と。
要約すれば『直接勝負であることを他人に証明できる場所と状況で大臣や王を殺害できれば、その座を手に入れられる』って訳だ。
だから俺がこの場でこいつを殺せば……