62話『ユーリ、5層で出会ったもの』 その1
あの後、結局ソルティに押し切られる形で1層の俺の部屋へ行って、色々話す羽目になっちまった。
流石に空白の皿のことなどは隠し通したが……代償に、色恋絡みのことを大分ぶちまけてしまった気がする。
おまけに多量の酒まで飲まされた始末。
翌日すぐに5層へ行こうと思ってたのに、激しい2日酔いのせいでろくに動けず、ずっと部屋の中で過ごす羽目になってしまった。
我ながら不用心すぎて情けなくなる。
今は更に1日が過ぎた昼過ぎだ。
頭痛も吐き気も倦怠感も、きれいさっぱり消え去っている。
充分に休養を取れたと、前向きに考えよう。
本当は餓狼の力を使えるようになってから行きたかったが、仕方ない。
ソルティは別件があるらしく、5層へは1人で行かないといけない。
正直、心細さを感じてはいるが、甘える訳にもいかない。
予期せぬ形で気を許せる相手ができちまったが、油断は禁物だ。
基本的には1人で任務をこなして、生き抜かなきゃいけねえんだぞ。
しっかりしろ、俺。
「……よし」
心構えもでき、身支度も整った。
出発だ。5層へ行く。
部屋の呼び鈴を使って看守に用を告げると、別室へ行くように指示された。
向かった先には数人の看守が待っていて、いきなり新調した服を脱がされた……
なんて言うと変な連想をされそうだから言うが、実態は単なる身体検査だ。
1層の囚人といえど、武器類の携帯は許されていない。
ゆえに、目録にも武器類は一切掲載されていない。
ああ、そうだ、あの空白の皿から支給された忍び装束だと逆に目立っちまうから、ソルティの意見を参考に、浮きすぎないような服に着替えたんだ。
やましいことはないから当然だが、検査は無事突破できた。
引っかかったのは、声をかけた時もそうだったが、申し出てからというもの、看守からずっと鼻で笑うような態度を取られ続けていることだ。
どうやら好き好んで1層から5層へ行く奴はあまりいないらしい。
ただ、何をしに行くのかは尋ねられなかった。
ともあれ、検査を通過した後、看守の先導に従って専用の直通通路を通り、階段を降りていく。
5層についても、酒を飲んだ時にソルティから色々と情報を聞いておいてあった。
5層へ落ちていくのは監獄内での競争に敗れたり、虐げられたりした弱者ったちで、いきなり5層へ収監される囚人はほとんどおらず、罪状や罪の重さもあまり関係ないらしい。
また、看守や大臣に逆らったりしても一発で落とされるんだとか。
この辺りについては、ソルティからしつこいくらい忠告を受けたっけ。
『お前さんは常人が目を背けたがるような場面を見ると、止めに入る男だからな。しかしこの監獄にいる間は、その正義感を捨てろ。目的を果たしたいのならばな。これは大切な友への忠告だ』
なんて風に。
繰り返し言うくらいなんだから相当なんだろう。
正義感が強いかどうかは分からないが、一応仰る通りの性格だと自覚はしている。
確かに意識して気を付けとかねえとな。
罪状といえば、冤罪で大監獄にぶち込まれている人間もいるそうだ。
どこの世界にも、どこの国にもそういう出来事はあるもんなんだな。
他にもごく少数だが、修行したいなどの理由で、望んで落ちていく変わり者もいるらしい。
ダシャミエが以上のうち、どの理由に当てはまるのかは分からないが、さっさと見つけて目的を果たしたい所だ。
反芻しつつ心構えや考えをまとめ上げているうち、ゴツゴツした岩が剥き出しになった、洞窟のような通路に出た。
5層は大監獄建設よりも以前から存在していた古代の地下迷宮を流用していると聞いたから、ここがもうそうなんだろう。
伸びる道に従って少し進むと、鋭い牙や爪を持つ禍々しい魔物の彫刻が施された、通路全体を覆う鉄製の巨大な扉に突き当たった。
「この先が5層だ。帰る時は向こうの看守に言え」
ぶら下がったデカい錠前が看守の手で外され、ギギギと悲鳴を上げて重厚な扉が開く。
扉のすぐ向こう側は詰所になっていて、壁や天井も岩ではなく、設備や内装の整えられた空間の中で6人の看守が休息したり、見張りを行ったりしていた。
誰も彼も冷たい視線を投げつけてくるばかりで、一言も発さないのが妙に不気味だった。
早く行けと目で促されたので、さっさと出る。
ちなみに5層では看守の付き添いはない。俺だけだ。
つまり、ある程度の自由行動ができるって訳だ。
扉を開けて詰所から出た瞬間、明らかに空気が変わったのを体感した。
物理的にも雰囲気的にもだ。
淀んでいて、重い。
まるで重力が増したかのようだ。
殺気などは感じないが、異様な気配が漂っている。
そして、暗い。
灯りがあるにはあるが、数が少なすぎる上、明度も低い。
確かに魔窟だなこりゃ。
扉の閉まる音だと分かっていたのに、突然の背後からの物音に必要以上に驚いてしまう。
1つ、大きく息を吐いてから、用意した灯りで見取り図を照らし、確認する。
さて、ダシャミエを探さねえと。
長居はしたくないが……
「おい、誰だ」
独り言なんかじゃなく、突然前方の闇に気配がしたから声をかけたんだ。
闇の向こうの相手から、敵意のようなものは特に感じない。
5層といえど、いきなり戦闘にはならないと思うが……
俺の声に反応して、ぼうと火石による灯が浮かび上がり、人間の姿が浮かび上がる。
そこにいたのは、全身に無数のしわと傷を刻み込んだ、小柄な老人。
「御待ちしておりました、ユーリ=ウォーニー様」
「誰だお前」
「私、我が主より貴方様の御案内を仰せつかりました、トチップスと申します。お見知り置きを」
慇懃に一礼するが、不審さは全く拭えていなかった。
ソルティの5倍は怪しい。
ただ、本人も別に隠すつもりはないようで、嫌らしい笑みを一杯に浮かべて、
「人探しの為、ここ5層まで降りてきたと伺っております」
こっちの目的を口にしてきた。
「何であんたが知ってんだ」
「監獄大臣であらせられるナトゥ様は、何でもご存知でいらっしゃいます」
ナトゥ……5層を統治してる大臣か。
「ん? 今何でもご存知って言ったよな。じゃあ勿体ぶらねえでさっさとこっちの用が済むように計らってくれよ」
「無論、お教えしたい所存。それも含めまして、ユーリ様に是非とも御目に掛けたいものが御座います。ナトゥ様による催し、是非とも御参加下さいませ」
先手を打とうとした試みは、あっさりとかわされてしまった。
とはいえ、下手に逆らって揉めたりするのは得策じゃない。
「こっちも暇じゃねえんだけどな」
ひとまず乗ってやることにした。
するとジジイは具体的な回答を避け、
「必ずや退屈はさせません。では、暫し御足労願います」
そう言って踵を返し歩き出した。
結局相手の思惑に乗せられちまった気がする。
5層の通路はまさしく迷宮のように複雑だった。
見取り図がなかったら確実に迷って出られなくなる自信がある。
そんな中を、トチップスと名乗ったジジイは迷わずスタスタと、音もなく歩いていく。
念のため、見取り図を見ながら経路を確認してるんだけど、特に回り道をしている様子はなく、確実にとある指向性をもって進んでいるようだ。
それにしても、実に不衛生な場所だな。
今もまた小さな塊――ネズミがすぐ前を横切っていった。
さっきはゴキブリの一団が壁をゾロゾロ這ってたし、この手の生き物が嫌いなミスティラがいたら甲高い悲鳴を空間一杯に響かせてただろうな。
「既に御存知とは思いますが、ここ5層には独房が御座いません。幾つかの空洞に纏めて囚人を詰め込み、管理しております」
前触れなく、ジジイがしわがれた声で説明してきた。
「知ってる」
「大変失礼致しました」
そう、見取り図にも示されているが、所々大きな空洞が存在している。
これらが5層の"監房"なんだろう。
そしてジジイが向かっているであろう先は、その中でも一際広大な空洞だった。
果たしてダシャミエは、目的地にいるんだろうか。