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61話『ソルテルネ、意外なる2層囚人』 その2

「お前さんの部屋へ行きたい所だが、あらぬ噂を立てられたくはないだろう? 悪いが辛抱してくれ」


 連れられて移動した先は、2層にあるソルティの独房だった。


 これが2層の独房か。

 本人の華やかな雰囲気とは対照的に、殺風景な場所だった。

 部屋全体が灰色がかっている上、家具もほとんどなく、一番場所を取っている寝台も簡素な作りで、寝心地が良さそうとは言えない。

 独房なんて本来こんなもんなんだろうが。


「行ける口だろう?」


 勧められるまま木製の椅子に腰を下ろすと、杯を出して、こっちの返事を待たず酒を注いできた。


「まあな」


 あまり強くはないんだけど、と言えなかったのは意地だ。


「心配するな、これは正真正銘、不純物無しの美酒だ。ウォルドー家の名に誓おう」

「"これは"?」


 尋ねると、不敵な笑みが返ってくる。


「さっき見せた豆だが、ウォイエンの大樹で取れるってのは大嘘だ。正体は、3日間は土石流の如く排泄が止まらなくなる下剤だよ。だから空腹の人間に与えでもしたら大変なことになるな」

「な……! あんた、んなもんしれっと食わせようとしたのかよ」

「お前さんの慎重さを図るためにやったんだが、それ以上に面白い、もとい気高い答えを聞けた。合格だ」


 こいつ、やっぱ食えねえ奴だ。

 俺が訝しんでいるのなんか知ったこっちゃないといった風に、ソルティは戸棚を漁り、何やら珍妙な物体を持ってきた。


「肴はこれにしよう」

「くさっ、何だこれ」


 肉の棒……か?

 硬い腸詰めのようにも見える黒く太いそれは、イカっぽいというか饐えているというか、形容しがたい悪臭を放っている。


「とある野獣のアレを切り取って作った珍味だ。この酒に良く合うんだぜ」

「アレって……アレ、だよな」

「そうだ、アレだ」

「美味い棒ってか臭い棒じゃあねえか」

「はははは、上手いことを言うな。そのような笑いの取り方、好きだぞ」


 弟と違って兄貴の方はこういうネタが通じるみたいだ。


「先に頂くぞ。……うむ、癖になる味だ」


 臭い以前に……色といい形といい、口に入れるのが躊躇われるな。

 なのにこいつ、平然と口に入れて、しかもブツリと噛み千切ってるし。

 人が食ってるのを見てるだけでもソワソワしてくる。


 ただ、飲食の所作には気品が感じられて、やはりその辺の習性は抜けていないんだろう。


「さて、大貴族様の次男坊が大監獄にぶち込まれている理由だったな」

「あっそうだ、本音を聞かせてくれよ」


 促すと、ソルティは酒で口内を洗い流し、少しの間を置いてから話し始めた。


「とはいえ、先に話した通りなのだがな。婚約者を散々に犯して、殺した罪でここへ投獄された。以上だ」

「嘘だな」

「ほう、何故そう思う」

「婚約者を犯す必要性がよく分からねえ。そもそも、あんたがそんなクズ野郎には見えねえんだよな。胡散臭えとは思うけど」


 青い目が、俺の顔を覗き込む。

 弟のように、馬鹿正直な印象さえ受けるような澄んだ目ではない。

 だが、濁ってもいなくて、何より真っ直ぐな所は弟と同じだった。


「……正直だが、疑うことも知っている。お前さん、やはりいい男だ。信じるに足ると認めよう」

「いや、普通に考えりゃおかしいってすぐ分かんだろ」

「安直な悪徳に耽りきった者は、このような違和感さえ見落としてしまうものなんだぜ」


 ソルティに倣って、俺も酒を舐める。

 これ、かなり度数が高い酒だな。

 美味い、というより熱い、という感想が先に来る。

 直で行くにはキツいが『薄めたいんだけど』って言ったら負けな気がするんだよな。


 そんな下らないことを考えている間にも、ソルティは平然と酒や臭い棒を嗜みつつ、語り出す準備を整えていた。


「詳細を語ろう。まず、俺に婚約者がいたのは本当だ」

「そこは特に疑ってねえよ。名門貴族ならいて当たり前だろ」

「そうか。……いわゆるお家の事情で勝手に決められた許嫁って奴だが、そんなことに関係なく俺は愛していた。今でもそれは変わっていない。あれ以上のいい女にはもう永久に出会えないのではないかと思う。

 向こうも俺のことを家ぐるみで大層気に入ってくれてな。それはもう、将来は仲睦まじい夫婦になるだろうと誰もが口にしていたもんさ」


 俺の背後を透かし見るように遠い目をするソルティは、どこか懐かしげに、そして少し哀しげな顔をしていた。


「……だが」


 が、眉の間に溝が刻まれたのを契機に、段々と怒りを帯びたものへと変化していく。


「正式に婚姻の日取りが決まり、式が挙行される前夜だった。あの下衆が、俺から全てを奪っていったのは」


 カタカタと卓や杯、体が振動していたのは、地震のせいではない。


「あいつが何をしたって言うんだ。人に恨まれるという概念から最も遠い所にいる女だったのに。あんな……」


 酒をぐいっと呷り、卓を睨み付けてしばし沈黙するソルティ。

 その時の出来事を鮮明に脳内で再生しているんだろうか。

 とても演技とは思えない怒気だ。

 このお喋りが言明を避けているぐらいだから、婚約者は余程酷い目に遭わされたんだろう。


 ……と、普段だったら俺も一緒に沈黙していたけど、今回はむしろ逆の方が有効だろうと直感した。


「あんた、犯人を知ってるみたいな言い方だな」


 正解だったようで、固定していた視線を解いて「ああ」と頷きながら、


「下手人は既に分かっている。このミヤベナ大監獄の頂点に立つ、刑期12000年の"監獄王"・スール=ストレングだ」


 そう答える。


「監獄王ってそんな名前だったのか」


 我ながら間の抜けた相槌を打っちまったとは思うが、一応理由はある。

 妙に引っかかるというか……


「解せない、といった顔だな。漠然とこう考えているのだろう。幾ら高貴な身分とは言え、人を1人犯して殺した所でそんな冗談のような刑期を課されるのか、と」


 ズバリだった。


「もっともな疑問だ、と言っておこう。答えは至って単純だ。俺の婚約者を殺したのは、罪状の1つに過ぎん。ほしいままに奪い、食らい、遊ぶ……奴は世界各国で様々な罪を重ねている。現在進行形でな」

「は? 現在進行形?」

「奴にはそういう力があるんだ。奴にとってこの監獄は懲罰を受ける場所ではなく、あらゆる利便性に優れた居心地の良い邸に過ぎん」

「じゃあまさか、目録に書いてあった"勝手に脱獄してはならない"って掟って……」

「御名答。スールの為にわざわざ新設された掟だ。せめて一声かけてから出入りして欲しいという、監獄側からの"お願い"だな」

「つまり、監獄王は看守よりも偉くて、強いと。おまけに出入りも自由と」


 ソルティは無言で頷いた。


「そんなとんでもねえ奴を野放しにしてていいのかよ! 何のための国家間共同運営の大監獄なんだよ!」


 ソルティは無言で首を振るだけだった。


「友よ、忠告しておこう。奴と遭遇しても決して逆らうな。機嫌も損ねるな。そして何より、下手に媚びようとするな」

「そんな厄介、ていうかめんどくさい奴なのか」

「奴を常識的な感性で理解しようとしてはいけない。あれは人の形をした悪魔……と言いたい所だが、残念なことに紛れも無き人間だ」


 色んな理由で頭が痛くなってきたが、お構いなしとばかりにソルティは怒りを滲ませて話を続けてくる。


「そんなことはどうでもいい。悪魔だろうと人間だろうと関係ない。俺の最愛の女を殺した奴に、法でもなく、他の誰でもなく、この俺が然るべき裁きを下す。それだけだ」

「あんた、そのためにここへ……」

「半分は外れだ。ここにぶち込まれるよう罪を着せたのは、犯人のスール自身だからな。……不愉快極まりないが、俺は奴にあい……気に入られてしまったようだ。気に入った美術品を邸に保管しておくように、俺をここに置いておきたかったのだろう」

「ん、スールって女なのか?」

「さあな、俺からは何とも言えん」


 ことん、とソルティが卓に杯を置く音が、やけに大きく聞こえた。


 その後、しばし沈黙が流れる。

 聞いてはいけない部分に触れてしまったのか。

 仮にそうだったとしても、どうすりゃいいのか。

 話の接ぎ穂を失っている状態だった。


「おっとすまん、暗くなってしまったな。友と飲むせっかくの酒を不味くするのは本意では無い。なあに、奴は監獄内にいないことの方が多い、心配はいらないさ。それに俺の方も気長に機を窺おうと思っている。どの道今の実力では太刀打ちできんからな」


 と思ったら、勝手にまた相手が喋り出す。


「おお、そうだ。あいつの話でもしてやろうか? というか聞けよ、本当にいい女だったんだぜ! 睡眠不足の寝起きだったとしてもパッチリ目が覚めてしまうような飛びきりの美人だったし、乳もはち切れんばかりに大きかったし、何より性格がいい! タリアン屈指の大会社のお嬢様だってのに、全然高飛車な所がなくてだな、いつも笑顔を絶やさないで……」


 やっぱこいつ、よく喋る奴だな。

 先程とは打って変わった明るい表情と口調で、延々と婚約者の自慢や惚気話を続けるのを、俺は適当に相槌を打ちながら聞いていた。

 普段だったら雰囲気に押し負けないよう、こっちも酔っ払って精神を昂揚させている所だが、場所が場所だから控えていた。

 ……それが余計にしんどさを加速させる。

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