61話『ソルテルネ、意外なる2層囚人』 その1
これ以上この場にいると気分が悪くなる。
さっさと離れようと、回れ右しかけた時だった。
「あーあー、やっちまいやがった」
隣にいた男が、大げさに肩をすくめて呟く。
そういえばこいつは他の連中とは妙に雰囲気が違う。
今の呟きも、馬鹿にしているというより、呆れているといった感じだし。
「よう」
こっちの視線に気付いたのか、あるいは最初からそうするつもりだったのか、男が顔をこちらへ向け、親しい隣人と喋るかのように馴れ馴れしく声をかけてきた。
「ども」
長い金髪、たれ目で長いまつ毛、高い鼻……色男と言って差し支えないくらいには整った容貌だが、どこか軽薄そうな感じのする奴だ。
「どうしたどうした、警戒心丸出しな顔をして。まさかこの俺を、軽薄そうな男だとでも思っているのか?」
「ま、そんな所だな」
「はははは! 正直者だな」
その笑い方も胡散臭えんだよ。
「お前さん、新入りだろう。気を付けな、好奇心旺盛だとあんな風になっちまうぜ」
「ああ、そう」
人懐っこい笑みを浮かべているが、こういう場所だとむしろ怪しさが満点だ。
男が指差した階下には、いつの間にか看守が姿を現していて、淡々と死体の片付けを行っていた。
まるで図ったような都合の良さだ。
しかも、蹴られっ放しの頭は回収しないつもりなのか、悪辣な囚人どもを咎めようとする気配もない。
あんなのを見ていると、危険を顧みず餓狼の力を試してみようという気持ちがまずます萎れていく。
「……うおっ」
と、首に硬いもの――腕が巻き付いた。
「突っ張らなくてもいいんだぞ。お前さんの敵になるつもりはない」
耳元で囁かれ、"恐怖"で背筋がゾッとする。
……まさかこいつ、そういう趣味の持ち主なんじゃねえだろうな。
ほら、こういう場所にはよくその手合いがいるって言うし。
「それと、男色家でもない」
幸い、すぐに明言、解放してくれた。
にしても、つくづく変な奴だ。
眼前に迫った腕輪を見るに、こいつは2層囚人のようだが、他の連中のような媚びも恐れを欠片も見せていない。
それと、気になる点がまだあった。
こいつとは初対面のはずなんだけど、誰かに似ている気がする。
なのにどうも思い出せない。
金髪に青い目……誰だったかなぁ。
「おいおい、俺に惚れるなよ」
「んな訳ねえだろ」
ここまでずっとぶっきら棒な対応をしていたというのに、男は全く気にした様子もなく、今もまたくしゃっとした笑みを見せた。
……良く分からん奴だ。
「自己紹介が遅れたな。俺はソルテルネ、2層の囚人だ。婚約者を犯して殺した罪状でここに入れられてしまった」
言葉自体はとんでもないものだったが、どことなく自嘲的に見えたのは、俺の気のせいだろうか。
いや、油断するな。気を許すな。
ここはシャバじゃなく、犯罪者だらけな監獄の中なんだぞ。
「あんたの素性に興味はねえよ。てか、帰りてえんだけど」
このクズ野郎、と暴言を吐きそうになるのを堪え、速やかにこの場を離れようとした。
が、思いのほか強い力で肩を掴まれ、阻止される。
「離せよ」
「嫌悪感を示すとは、中々見込みのある男だな。大多数の囚人は嬉しそうに興味津々で詳細を尋ねたり、聞いてもいない武勇伝を語り出すのだが」
「あんた何なんだよさっきから。なめてんのか?」
「舐める……ある意味では舐めているな」
顎に手をあて、ソルテルネと名乗った男は意味ありげに呟く。
「まあそれはいい」
囚人の割には小奇麗な黒い服をゴソゴソと探り、小瓶を取り出した。
中には黄金色をした空豆みたいなものが数粒入っている。
見たことのない不思議な食い物? 物体? だ。
「お近づきのしるしだ。食べろよ。ツァイの大森林の奥深くにそびえる、ウォイエンの大樹でしか取れない豆だ。超希少な超高級品だぜ。1粒口にすれば、30度太陽が昇り降りする間、餓えを忘れられる優れものだ。それに味も、魂が天に昇るほど極上だと言われているんだぜ」
そりゃ凄え、食ってみてえやと、手を伸ばす訳には行かなかった。
「俺の厚意を受けられないってのか?」
声を低め、眉根を寄せて目を細める目の前の男。
特に圧力や殺気は感じないが……
「いや、いい」
相手がどんな反応をしようと、答えは決まっていた。
「何故断る」
「俺にじゃなく、腹を空かせた奴らにやってくれねえか」
「……なんだって?」
正直、説明するのを躊躇ったが、己に課した絶対正義の信念を違える訳にはいかないので、包み隠さず理由を話してやった。
「……はははは!」
ほらな、笑われ……
「いや失礼、お前さんの信念を侮辱したのではない。まるでローカリ教のような考え方に、少しばかり思う所があってな」
「あんた、ローカリ教を知ってんのか」
「うむ。特に信仰している訳ではないが……弟のことを思い出してな」
弟?
……あっ!
そうだ、この金髪、青い目……
「ここだけの話だが……俺は、結構な家柄の生まれなんだぜ」
記憶の奥底からじわじわ浮かび上がってきた、先の疑問に対する解答が、物凄い速度で確信に近い自信へと変化していく。
そう、確か上に兄弟がいるって言ってた記憶が……
「どうしたどうした、別に畏まらなくてもいいんだぞ」
「いや、あんた、俺の知ってる貴族様と似ててさ」
「ほう、それはどちら様だ?」
「フラセースの聖都で知り合った、ウォルドー家のラレットって坊ちゃんなんだけど」
答えた瞬間、男の様子が明確に変わった。
硬直は驚きを示しているんだろう。
「……どのような経緯で関係を持ったんだ?」
俺はまた、説明を行った。
「――はははは! あいつらしいな!」
顛末を説明し終えるよりも前に、ソルテルネはおかしくてたまらないとばかりに笑い始めた。
「そうかそうか、ローカリ教の御令嬢との縁談は改めて破談したか。甘さの残るあいつでは、あのお嬢様を満足させるのは無理だろうな」
この口振りからして、どうやらミスティラとも面識があるようだ。
やっぱり本物のようだ。
「改めて名乗らせて頂こう。我が名はソルテルネ=ウォルドー。こう見えても一応ラレットの兄貴だ。この度は弟が世話になったようだな。改めて礼を言う。そして、改めてよろしくな」
差し出された手を、つい握ってしまっていた。
「俺のことはソルティと呼んでくれ」
どっかの兵士長とちょっと似ているなと思ったが、言っても通じないだろうから黙っといた。
「お前さんも名乗るのが礼儀ではないか?」
こういう所は兄弟そっくりだな。
「ユーリ=ウォーニーだ」
「ユー坊か」
「何だよそれ」
「愛称に決まっているだろう。もう一つの候補はユーミンだったんだがな、ユー坊の方が色々としっくり来るし、危なくないからな」
「好きにしてくれ」
また変な仇名をつけられちまったもんだ。
そういえば、俺のことをユリちゃんだなんて呼びやがったあいつは、今頃元気にしているだろうか。
「ところでソルティさんよ」
「"どうしてこんな所に大貴族様がぶち込まれているんだ"か?」
「……あんた、心を読む能力でも持ってんのか」
「まさか。ナシゴレの魔眼など持っちゃいないさ」
ただの観察眼だよ、と笑って言う。
「話してもいいが、場所を変えようか。いい加減立ち話も疲れてきたし、あのような醜いものをなるべく視界に入れたくは無い」
軽蔑の眼差しをちらりと送る。
階下の連中は、まだ脚や体を赤くし、興奮の声を上げながら蹴り合いを続けていた。
「あいつらは3層でも悪名高い連中だ。品性が感じられない……と言っても、俺も他人を指摘できる立場ではないがね」
またも自嘲的に言う。
こういう振る舞いを見ると、変に警戒心が薄れていってしまうのが不思議だ。
まあ、坊ちゃんの兄貴なら、ひとまずついていってみてもいいか。