60話『ミヤベナ大監獄、混沌と秩序の領域』 その3
という訳で、大監獄での俺達の目的は、ダシャミエという名前の男と接触することだ。
それと……アニンの母親を無残な姿に変えた奴も探す必要がある。
『運が良ければ会える』と皇帝は言ってたが、それはどういう意味なのか、結局分からずじまいだった。
できればあいつよりも先に所在などの情報を把握しておきたい。
復讐を否定してる訳じゃなく、勝手に横取りしたい訳でもない。
あいつの勝算を上げておきたいからだ。
さほど恨んではいないという皇帝にでさえ、あんな頑迷だったんだ。
母親をあんな風にした仇と遭遇でもしたら、ほぼ確実にブチ切れて、状況を考えず殺しにかかるだろう。
それを俺が止めるのは、色々な意味で無理がある。
だったら、出来うる限り事前に情報を集めて伝達し、一緒に対策を練っておいた方がいい。
こんな程度で、あの皇帝よりも強いっていう相手を倒せるのか大いに不安が残るが、何もしないよりはマシだ。
これ以上アニンを傷付けたくないし、当然死なせたくもない。
まあ、ダシャミエのこともアニンの仇のこともひとまず置いとこう。
その前に地盤固めをしておく必要がある。
まずこの大監獄を生き抜く上で確認しておきたいことが、大雑把に分けて4つある。
1.餓狼の力を使えるかどうか
2.アニンとシィスの安否及び、何層にいるか
3.俺(=1層囚人)が監獄内で移動可能な範囲及び権限
4.1と関連するが、メシの事情
……こんな時でも腹って普通に減るもんなんだな。
さっきから腹の虫がグーグー鳴ってて、しきりに栄養を要求してくる。
あ、そうだ、せっかくの機会だ。
1層囚人の"特権"とかいう"目録"を試しに利用してみるか。
卓上に置きっ放しになっていた目録はかなり分厚く、ちょっとした本のようだった。
適当に流し読みしてみると、最初の方には『勝手に脱獄してはならない』『看守には従わなければならない』などといった禁止・注意事項が色々書いてあった。
勝手じゃない脱獄なんて存在すんのかよ。
続いての項には、1層囚人の権限が書かれていた。
要約すると、下層の囚人は上層の囚人に対して原則的に絶対服従らしい。
つまり、1層は2~5層より偉いと。
しかも、大概のことをしでかしても許されるようだ。
ただし層を超越した例外もあって、1つは看守たち。
そしてもう1つは、5人の"監獄大臣"と、"監獄王"と呼ばれる存在たち。
これらの存在には、例え1層囚人でも逆らうことは許されないらしい。
大臣と王は、囚人の中から選抜されて構成されているようだ。
……ダシャミエはともかく、アニンの仇がこれらのいずれかだったら厄介だな。
1層住人が移動可能な範囲も絵付きで書いてあった。
看守棟や一部の区域、1~2層の女子棟などを除けば、特に時間帯に関係なく自由に移動していいみたいだ。
時間帯といえば、やっぱり1層の囚人はいつ起床就寝するかは原則自由で、更に3層以下の囚人に課される労役も免除されるみたいだ。
知れば知るほど、1層の特権階級ぶりが際立つな。
ロトの奴が言ってたのはこういうことか。
下手したら堕落してズルズル……なんてことにもなりかねない。気を付けねえと。
でも腹が減ってしょうがないから、食事は利用する。
パラパラめくっていくと、ようやく目録の一覧へと辿り着いた。
えーと、食い物、酒、本……うわ、女まで調達してくれんのかよ。何でもありか。
もちろん、手を出そうとはちっとも思わないけどさ。
しっかし、これ全部無料で、しかもいつでも自由に利用できるなんてな。
メシに関してはお世話になっちまおう。
不覚にも目移りしそうになるくらい多種類な献立の中から食べたいものを見繕い、部屋の片隅の天井から吊り下げられていた紐を引っ張る。
すると、さほどの時間もかからず、遠慮がちに扉を叩く音がした。
「お待たせ致しました。ご注文をお伺い致します」
現れたのは看守ではなく、露出度の高い服装をした女だった。
「あんた、看守じゃないよな」
「はい、私は、4層の囚人です」
注文を伝えた後に尋ねてみると、こんな答えが返ってくる。
女は、小刻みに震えていた。
俺が何かするとでも思ってるんだろうか。
だとしたら、とんでもない誤解だ。
「そっか。まあ何層でもいいんだけどさ。頼んだぜ」
食事は迅速に運ばれてきた。
しかも手を抜いたとか素材がお粗末なんて形跡もない。
凄い美味そうだ。
「あの、よろしければ、御給仕を」
そう申し出てきた女の顔には、媚びと恐怖が混じっていた。
……鈍い俺でも、色々と察せてしまう。
「そうだな、独りで食うのも味気ないし、ちょっとだけ頼もうかな」
俺の答えを聞いた女の顔には、喜びと不安が混じっていた。
……ますます察してしまう。
給仕と言っても、手取り足取りお世話してもらうのは性に合わない。
「あのさ、座っててもいいぞ。それともし腹減ってたら、食っていいよ」
「! も、申し訳ありません! 大変お見苦しい姿を……!」
「あーいや、そうじゃなくて。隠してても俺には分かっちまうんだよ。腹空かしてる人間がさ。だからあんたの責任じゃねえ」
そう言ってはみたが、女は明らかに戸惑っていた。
「ま、無理にとは言わねえけど。食いたくなったら勝手に取ってくれ。……んじゃ、いただきます」
ローカリ教の食前儀礼を済ませ、鮮やかな赤身とわずかに焦げ付いた表面との対比がよく映える塊肉を口に放り込む。
「うまっ!」
数回噛んだだけで、思わず声が漏れてしまう。
柔らかくて、肉汁が詰まってて、味に深みがあって、噛むごとに容易く解れて溶けていく。
監獄で食える肉じゃねえぞこれ。
つーかこんな美味い肉を食ったの初めてかも。
「なあ、あんたは普段こういう肉食ってるのか?」
「とんでもございません。私どもが、まさか」
「じゃあ食ってみなって。美味いから、マジで。やば、感動しちまった」
女はしばらく躊躇していたが(多分俺の忙しない所作に少し引いてたのもあるんだろう)やがておずおずと皿に手を伸ばした。
「遠慮しないでここで堂々と食えよ。ほれ、この余ってるやつ使って刺しな」
ここまで来たら、押し切った方がいいだろう。
例え『上の立場の囚人から命令されている』と解釈されたとしてもだ。
相手が誰だろうと、腹空かしてる奴をそのままにしておくのは我慢ならないんだよ。
女が、一番小さく切られた肉を口に運び、咀嚼し、嚥下するさまを、メシの代わりに固唾を飲んでつい見守ってしまっていた。
「……っ」
言葉を発さない代わりに、目から一筋の涙が零れ落ちた。
それを見て、俺は間違っていなかったと確信する。
「な? 美味いだろ? ほれほれ、一緒に食おうぜ。その方が俺的にもメシが美味くなんだよ」
結局女は遠慮してあまり食べなかったが、少しでも空腹感を満たしてくれたのならば、それで良しだ。
もっと言うと、ろくに会話もできなかったのが残念だ。
別に口説こうってんじゃなく、監獄内の生の情報を少しでも集めておきたかったんだが、成果は芳しくなかった。
余計なことを話すなって命令でもされてるんだろうか。
もちろん、深入りしすぎないよう、警戒も忘れてはいない。
この女が、他の上層囚人や監獄側の間諜という可能性もあるからな。
それに……あまり考えたくないが、こんな場所にいる以上、元は犯罪者の可能性が高い訳だから、隙は見せられない。
とりあえず今回は、特に何もしてこなかったが。
「失礼致しました」
女が退出した後、鍵をかけて、柔らかい長椅子に深く腰掛け、全身の力を抜いて呼吸を深くする。
こうやって意識して心身両面での息抜きの場を設けないと、精神が持たなくなるからな。
メシはどれも美味くて、ガツガツ行きたい所だったが、餓狼の力を安全に使えるのが確定した時点で即使うことになるだろうから腹3分目……いや、半分、うーん、6分目くらいに抑えておいた。
とにかく、こういう所も精神的抑圧に繋がって、少しキツい。
あと、美味かったのは事実なんだけど……
やっぱ、あいつの料理の方がいいな。
今一番食べたいのは、あいつが作ってくれた料理だった。
それと、一番に会いたいのも……
おっと、弱気になるなよ、俺。
思い出そうとするな。今は心の隅っこに押し込んどけ。
つーかさー、しっかり野菜も摂っちまった辺り、すっかり躾けられちまってるよなー。
思う存分、肉ばっか食らってもいいのにさー。
ったく、俺ってば良い子ちゃんだよなー。
「……よし!」
それなりに英気を養えた所で、ちょっと外へ出てみるか。
前述の、
2.アニンとシィスの安否及び、何層にいるか
3.俺(=1層囚人)が監獄内で移動可能な範囲及び権限
を少しでも解消しておいた方がいい。
あと大事なのは、なめられないよう堂々と振る舞うことと、なおかつ揉め事を起こさないことだ。
自分に何度も言い聞かせ、もう一度監獄内の地図に目を通してから、部屋の外へと出た。