60話『ミヤベナ大監獄、混沌と秩序の領域』 その1
カビ臭さが仄かに漂う薄暗い部屋の中で、慌ただしく"転送"の準備が進められているのを、他人事のように眺めていた。
おかしな精神状態だと、我ながら思う。
転送されるのは自分で、しかも大罪人としてだってのに。
皇帝に啖呵を切った後、俺達はしばらく客室に軟禁させられ、夜明けと共に今いるこの場所――転移魔法陣がある、厳重に封鎖されたチュエンシー城内のとある一角へと移動した。
軟禁と言っても、行動自体は特に制限されず、移動中も見張りこそついていたものの、枷をはめられたりはしなかった。
もっと言うと、その見張りもそんな強そうには見えず、俺達3人が暴れでもしたら容易に片付けられそうだ。
諸々の事情を勘案した結果、この程度の警戒にしたんだろうけど、随分なご厚遇である。
「……第1円陣、魔力充填完了」
「ミヤベナ側の方はどうなっている?」
「順調に進んでいる、と連絡がありました」
転移魔法陣の発動準備をしている術者たちが交わす会話の意味はよく分からなかったが、断片的な情報から推察するに、出発側と到着側、両方の魔法陣に大量の魔力を送り込み、長い時間をかけて詠唱を行う必要があるみたいだ。
まあ、俺には関係ない。
精々失敗してとんでもないことにならないよう祈るばかりだ。
それにしても、こんな形で人生初の転移魔法陣を経験する羽目になるとはな。
機会があったら是非とも周りに自慢したい所だけど……事情が事情だからなあ。
特に、監獄にぶち込まれるなんて家族が知ったら、ぶったまげて卒倒するんじゃないだろうか。
それだけで済むならまだしも、勘当を食らったり、あるいはまたあの病院にぶち込まれるかもしれねえ。
あーやだやだ、考えたくもねえ。
気を紛らわせるためにも、アニンやシィスと雑談でもしたかったが、生憎2人ともこの場にいない。
別々に分けられたのは、転移魔法陣の移動の仕組みや、大監獄での手続き上の問題らしい。
しょうがないので、先程客間でアニンやシィスと交わした会話を思い出すことで代替とする。
「――幾度詫びても足りぬが、言わせてくれ。すまぬ」
「いいっての。どうせ大監獄へは行かなきゃいけなかったんだ」
「私を嫌いになったか?」
「ならねえよ。なる訳ねえだろ。つーかいい加減そういう態度をやめろ。らしくもねえ」
「……うむ、そうだな」
「それと、気持ちは分かるけど、標的を見つけても暴走は避けろよ。空白の皿からの任務に支障が出るとかじゃなく、お前の命がやべえから言ってるんだからな」
「承知している」
これだけ念押ししときゃ、ある程度は大丈夫だろう。
「そういや、皇帝にかました奥義、"テンジョーヒゲン"だっけ? どういうカラクリなんだありゃ。見てても訳が分かんなかったんだけど」
「天上秘幻か。……内緒だ。奥義だからな」
「えー、いいじゃん、教えてくれよ」
「では、私ともっと仲良くなったら教えて進ぜよう」
「遠慮しときまーす」
ま、話したくないなら、無理に聞き出すこともねえか。
「ユーリさん、よろしいですか」
「お、どうしたシィス」
「決してご無理はなさらないで下さい。私が色々と探っておきますから、それまでは……」
「分かってる。俺だって下手打って痛い目見たくはねえからな。事前の打ち合わせ通りやるよ。……それより」
「なんでしょう」
「お前、随分と平然としてるけど、本当に大丈夫なのか」
「はい、あらかじめ覚悟はしていますから」
「……凄えな。恥ずかしいけど、俺なんてかなりドキドキしてるぜ」
「あ、ええっと、私も実はですね、本当はもう心臓バックバクで! そりゃあもう、口から飛び出しそうで、いいえ、さっき食べたものを色々と吐き出してしまいそうで!」
「いや、変に気を利かせなくてもいいって」
とはいえ、多少なりとも気が紛れたのは事実だ。
その点には感謝している。
……とまあこんな話をしていた。
空白の皿から事前にある程度の情報を聞かされてはいたものの、場所が場所だ。
予想外の事態なんて幾らでも起こり得る。
慎重すぎるくらいでちょうどいい。
もし、囚人たちが食事を粗末にしてたり、歪な不平等が発生しているのを目撃しても、キレないようにしねえと。
……あまり自信がない。
「準備完了致しました」
魔術師の声で、思考を中断させられる。
別に俺に向けて言った訳じゃないが。
俺を見張っていた兵士が背中を突っついてきて、魔法陣の中央へ行くよう促される。
さて、いよいよ転移魔法陣の初体験、ツァイから遠く離れた海上にある島へと強制航行って奴だ。
ドキドキするな。
鏡のように磨かれた床の上に刻まれた、魔力に満ちた魔法陣、それを構成する細々した文字や図形からは淡い光が放たれている。
移動するのは俺だけではなく、見張りの兵士たちも一緒だ。
転送対象が全員入ったのを確認し、魔法陣の外周に立つ魔術師たちが、手を組んで詠唱を開始する。
合唱のように速度や音階を揃え、意味の分からない言語を朗々と紡ぎ続ける。
詠唱に反応して、魔法陣の輝きが徐々に強くなり始めた。
たちまち、目を開けていられないくらい光度が増す。
たまらず、顔を上げながら目に手を当てて覆い隠す。
同時に、体全体を、重力の支配から切り離されたかのように浮遊感が包む。
いよいよだ。
必ずまたここに戻ってくる。
あいつらに会えないまま獄死なんてのは真っ平御免だ。
だから、待っててくれ――
なんて思っている内にすぐに浮遊感が消え、眩い光も治まったのが閉じた目蓋越しにも分かる。
「おお……」
本当にごく短時間の内に移動が完了したことに、思わず声が漏れてしまう。
目を開けると、側にいた見張りはそのままに、周辺の景色や、魔法陣の外側に立っている人間がガラリと変わっていた。
こいつは驚きの技術だ。
そりゃあどいつもこいつも血眼になって未発見の転移魔法陣を探したり、国家単位で厳重に管理するって話だ。
おっと、驚きに浸ってる場合じゃねえな。
これからどうなるか分からねえんだ、気を引き締めねえと。
親の仇でも見るように俺へ鋭い目を向けてきている連中は、この監獄の看守たちだろう。
濃紺色をしたお揃いの制服を着ている所からも容易に読み取れる。
にしても、制服のせいか表情のせいか、全員同一人物にも見えてくるから不思議だ。
床も壁も古ぼけた石を組んで造られている部屋は、まるで神殿を思わせるような感じで、あまり監獄には見えない。
これはきっと、"監獄の建設以前に存在していた建物"なんだろう。
聞いた話だと、未だ現在の魔法技術で転移魔法陣を作成できた例はないらしく、今存在しているものは大昔に作られたのをそのまま流用しているだけなんだとか。
「転送、ご苦労様です」
「"それ"が、ユーリ=ウォーニーですか」
「ええ。陛下に刃を向けた"不届き者"です」
「伺っております。では、"慣例"の通りに」
「"1層"へ入れて下さい」
「はっ」
俺そっちのけで見張りと看守の会話がトントンと進んでいったかと思うと、
「ふん、随分と腑抜けた顔をした奴だな」
一番偉そうな看守が、無礼千万な言葉を吐いてきやがった。
反射的に鼻で笑いそうになるのを、くしゃみを我慢する要領で抑え込む。
「1層の囚人といえど、これをつける決まりだ」
下っ端ぽい奴が、金色と銀色、2つの金属製の輪っかを持ってきた。
こっちの返答を待たず、手慣れた動作で強制的に俺の首に装着させてくる。
きっと純金や純銀じゃないだろうし、これ金属アレルギーの囚人だったらどうすんだろ。
俺には関係ないけど。
「一切抵抗せず、か。少しは利口なようだな」
看守が嫌味と脅し文句たっぷりに話した首輪の説明を要約するとこうだ。
囚人の暴走や脱獄防止のため、それぞれ魔力や気に反応して爆発する仕組みになっている。
ほんのちょっぴりでもダメだそうで、当然自力で外したり壊そうとしてもドカンだ。
まあ実はこれも事前に話を聞いてて知ってたんだけど。