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59話『アニン、復讐の剣を放つ』 その5

 皇帝は身じろぎ1つせず、上下左右からやってくる刃を静かに受け続けていた。

 貴腐血統に再生能力があるといっても、痛覚の遮断はできないはずだ。

 皇帝もまたイカレてるってのを、改めて思い知る。


「まだ気付かぬか。愚か者」


 が、急に剣を素手で掴んで止め、やや厳しさを含んだ語調でアニンを咎めた。


「そちが優先したいのは、やり場鳴き己が憤怒の発散か。我が血で母が穢れるにも構わず」

「……ッ!」


 ぴたりと、アニンの動きが停止した。

 皮肉なことに、錯乱じみた怒りを鎮めたのはそのぶつけ先、既に傷が完治した当の憎き相手だった。


「あ、ああああああ……!」


 剣を落とし、わななき、両手で赤い髪を掻き毟り、


「申し訳、申し訳ありません……私は、親不孝者です。母上……決して、こんな目に遭わせたかったのでは……」


 その場に蹲り、声を震わせて、ひたすら母親への謝罪を続ける姿は、あまりに痛々しかった。

 隠されている顔が今どうなっているか、察するに余りある。


「お許し下さい……どうか、お許しを……」


 傍に行ってやるべきか、それとも黙って見守ってやるべきか。

 選ぼうとしていると、シィスに肩を叩かれ、首を横に振られる。


 分かってるよ。

 貴腐血統にやられるぞって言いたいんだろ。

 こんだけ刺激臭が充満してりゃあ、忘れる訳がない。

 普通の血よりも強烈で、嗅ぐだけで体調が悪くなりそうだ。

 ここで俺までやられたら、状況を打破する術がなくなる。


 ……だけどよ!


「とは言え、そちの今の行い、人の子として極自然ではある。肉親を楽器にされ、心動かさぬ方がどうかしておる」


 蹲ったままのアニンに降らせた皇帝の言葉に、嘲りや誹謗の含意はなかった。 


「二度は言わぬ、心して聞け。これを作ったのは朕では無い。命じてもおらぬ。朕は献上された一個の芸術品を受け取ったのみよ」


 そこまでを聞いて、ぴたりとアニンの震えが止まった。


「先に申した通り、これは褒美としてそちにやろう。いや、返還すると言うべきか」

「…………」


 しばし、仄暗い部屋に沈黙が流れる。

 その中、アニンはのろのろと身を起こそうとしていたが、まるで体が麻痺しているかのように、中々上手くいかない。

 立ち上がろうとして崩れ落ちるといった挙動を、幾度も繰り返していた。


 貴腐血統関係なしに、手を貸す訳には行かないと思った。

 でも、もしこちらへ飛び込んできたならば、受け止める覚悟はできていた。

 ちょっとぐらいなら血に触っても死にはしないだろ。


 試行錯誤を繰り返し、ようやくアニンが半身を起こす。

 顔を向けた先は、皇帝でも、母親でもなく、俺だった。


 まるで三日三晩寝ずに泣き通したかのように憔悴しきっていて、いつもの飄々とした顔は見る影もなくなっていた。

 涙だの血だの何だので顔中が濡れ、猫のような目は腫れ上がり、口元も緩んでうっすら開いてしまっている。


 同情、怒り、悲しみ……

 見ていて、色んな感情がごちゃまぜになって湧き起こってくる。


 でも、今の俺がすべきは、これらの感情に身を浸すことじゃない。

 目を逸らしてもいけない。


「……分かった。いいんだな」


 ブルートークなんか必要ない。

 あいつが今、何を望んでいるか、具体的なやり取りが無くたって分かる。


 弱々しい頷きが返ってきたのを確認した後、俺は視線をアニンの母親に向ける。

 正視に堪えない姿に、心臓そのものを直に掴んで揺さぶられそうな感覚に陥るが、無理矢理思考を逸らして何とか抑える。


「離れてろ」


 今は余計なことを考えるな。

 ただ、心と魂の平安が訪れるようにとだけ願え。


 目を細めて焦点を絞り込み、レッドブルームを発動させる。


 こんな風に燃やす力を使ったのは、きっと初めてだ。

 瞬く間に炎に包まれたアニンの母親を見ていると、酷く胸が締め付けられる。

 故郷やファミレで知人や傭兵仲間とかの葬式に立ち会ったことは何度かあったけど、あの時よりも苦しい。

 アニンの母親とは、一度も話したことがないってのに。


 残酷だからか?

 よく分からない。


 明確な答えを出せないままでいると、シィスが黒い球体を投げ込んだ。

 すると、更に火勢が増す。

 レッドブルームを補助するために助燃剤みたいなものを持つようにすると、事前の打ち合わせで本人が言ってたのを思い出す。


「弔いのつもりか」

「文句あるかよ」

「構わぬ。好きにせい」


 既に興味が失せているからか、それとも別の理由があるのか、皇帝は素っ気なく返答した。


「……り……とう」


 ほとんど聞き取れないくらい掠れた声で、アニンが呟く。

 彼女の双眸は、燃え上がる炎に向けられていた。


「いいよ、無理に喋んな」


 そう声をかけると、アニンはまたうなだれて体を震わせた。

 声を殺して泣かなくたっていいって言いたかったが、それは彼女の尊厳を奪いかねない行為だ。

 後に取っておこう。


「もう一つ、良い事を教えてやろう」


 そんなアニンを見下ろしながら、皇帝が無機質に言う。


「そちの母をこのように"作った"者は、ミヤベナ大監獄にいる可能性が高い」

「……!」

「そちに幸運あらば、仇を討つ機が訪れるやも知れぬ」


 脂肪で膨らんだ両頬を持ち上げ、皇帝がニヤリと笑った。

 俺はドキリと驚いた。

 だって、ミヤベナ大監獄って言ったら……


「……私は」


 アニンが、ゆっくりと立ち上がる。

 もう体の震えは収まっていた。


「私は、監獄へ行く」


 明確な意志――復讐心の宿った、強く、低い声。

 俺を見る赤色の滲んだ目からも、既に脆さや弱さは消え失せていた。


「じゃあ俺も行く。嫌だっつってもついてくから、反論は聞かねえぞ」

「ユーリ殿……」


 本当はアニンを監獄へ行かせ、更にシィスを御目付役につけた上で、俺は一時皇帝の部下になって城に残り、暗殺の機を窺うのが最適解なのは分かってる。

 でもそいつは無理ってもんだ。

 仕事以前に、今のあいつをほっとけるかよ。


「……すまぬ」

「何をつまらぬ事を申すか。ジャージアからも事前に命じられているのであろう。朕の命奪えぬのならば、大監獄へ行けとな」


 そういう茶々を入れる雰囲気じゃないだろうに、空気を読めよな。

 ってかそれもお見通しかよ。

 まさしくその通りで、アニンの件が無くとも、仮に暗殺に失敗した場合、元々ミヤベナ大監獄へは行く予定だった。


 本来の筋書きだと、皇帝がそのように言ってくるはずだった。

 何故か皇帝暗殺を企てた者は死刑ではなく大監獄へ送られる法になっていて、ロト(ジャージア)が俺達以前に送り込んだ"先発隊"は皆、同じ流れを辿っているみたいだから。


「まあ良いわ、望むのならばその通りにしてやろう。大監獄にて存分に剣を磨けい。朕すら殺せぬようでは、あ奴を討つなど到底叶わぬぞ」


 マジかよ、アニンの仇は皇帝よりも強いってのか?


「その方らが大監獄へ行くとなると、朕に挑める機会はこれが最初で最後になるやも知れぬな。だがその時はその時よ。諦めい」


 俺達に向けたとも、独り言とも取れる風に呟く。

 正確な標的を知るよりも早く、皇帝は勢いの弱まり始めた火を眺めて、血色の悪い唇を歪めた。


「無駄に暑くてかなわぬ」

「そうかい。んじゃあ皇帝さんよ、とっとと俺らを大監獄へぶち込む手続きを取ってくれや」

「ホーッホホホ! 威勢が良いな! 好ましくはあるが、果たして監獄においてもなお貫けるであろうか」

「はっ、なめんなよ」

「ふん、そちが如何様に振る舞い、また強くなるか、楽しみにしておるぞ。我が下に付きたくばいつでも申せ。即座に出獄を手配し、先に申したように相応の地位もくれてやろう」


 あり得ねえよ、と喉元まで出かかった所で何とか押し戻す。

 状況によっては使えそうな手札を、一時の感情で捨ててしまうのは馬鹿げている。


「尋ねるのを忘れておったわ。その方、名は何という」


 そういや、これまで自分の名前を一度も呼ばれも聞かれもしなかったな。

 ……偽名じゃない方がいいな。


「……ユーリ=ウォーニー」

「覚えておいてやろう」


 大国の長から名前を覚えられることが光栄なのか、それとも警戒すべき出来事なのか、それは分からない。

 分かっているのは、俺達の先に敷かれている道は、とんでもねえ悪路ってことだ。

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