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59話『アニン、復讐の剣を放つ』 その4

「……ですが」


 アニンが、俺の方に首を向けて、表情を緩めた。

 いつも見せる、あの人懐っこい笑い顔だった。


「この御仁と出会い、どうやら変わってしまったようです。気質の善悪・力の強弱・身分の高低を問わず、飢えし者を救わんとする信念、それを体現する心身の強さ……その他様々な魅力が、我が剣をより強くすると共に、心を解きほぐしてもしまったのです」

「愛慕か」

「はっ! 仰せの通りでございます!」


 嬉しくて頬が緩みそうになるのを堪えるのと、少しでも疑ってしまった罰として、この時俺は自分の腿を思いっ切りつねっていた。


「ふむ」


 そして意外にも皇帝は、興味ありげな様子を見せていた。

 絶対どうでもいいって風に聞き流すかと思っていたのに。


 少しの間が空いた。

 が、皇帝がすぐにそれを埋める。


「飽きたな」


 再び酒を飲み干した後、やにわに立ち上がって、


「食事は終わりだ。片付けい!」


 給仕に向かって命令を出す。

 分かっちゃいたが、こっちの意向はお構いなしかよ。

 さて、この後はどうなる。


「アニン=ドルフよ。そちに褒美をやろう」

「褒美、ですか」

「二代に渡り朕を愉しませたドルフの親子に対する褒美だ。宝物庫に保管しておる。ついて参れ」


 警護は不要、と手下に言い残し、俺達を引き連れて皇帝は部屋の外へと歩き出した。


 仄かな灯りが点在する廊下を抜け、階段を下りて……といった経路を辿っていくのを見るに、地下へ向かっているようだ。

 無駄遣いしやがってと、華美を尽くした周囲の建築を見て改めて思う。

 かつて眺めたフラセースの建築様式が、余計にお上品なものに見えてくる。


 各所には衛兵がきっちりと配備されており、俺達が、正確には皇帝の姿を目にするなり、緊張を走らせて最敬礼を行う。

 彼らは一体、皇帝に従って歩く俺達のことを、どう思っているのだろうか。

 それを深く推察する精神的な余裕はなかった。






 地下深くにある宝物庫の扉には、衛兵こそ立っていたが、鍵はかかっていなかった。


「この場所へ立ち入れること、光栄に思うが良い」

「その栄誉、謹んでお受け致します」


 恭しく答えたのはシィスだった。


「気に入った物があるならば、持ち出しても良いぞ。朕に気取られなければ、な」


 笑えない冗談だったが、中に足を踏み入れた瞬間、それが本気に聞こえたと再定義したくなる誘惑に駆られてしまう。

 奥行きも幅もあって天井も高い、大きな公園ぐらいありそうな広間に、金貨銀貨や宝飾品、貴金属で作った像などが無造作に置かれ、積まれ、転がっていた。

 あちこちから放たれる眩い光が目を突き刺し、心を曇らせてきそうだ。


 それだけじゃない。


「魔具……?」


 見たことのない形をした武器や防具も、あちこちに置いてあった。

 魔具と断定できた理由は簡単で、鎖や札などで厳重に封印されていたり、それらから放たれる尋常ならざる雰囲気が、存在を強烈なほどに主張していた。


「手に入れたは良いが、見合った使い手がおらぬ魔具どもよ。埃を被り、日夜慟哭しておるわ」


 皇帝の言葉は決して単なる比喩じゃない。

 確かに、魔具から声が聞こえてくる気がする。

 ここから出せと。血をよこせと。


 背筋がぞっとする。

 空耳だと信じたい。


「欲しいか」

「いえ、ご遠慮致します」


 それにしても、流石は大国の長。

 保有している財産も只事じゃねえってか。


「くれてやる褒美は、この奥よ」


 宝物庫の奥には、更に別室へと繋がる扉があった。

 まだ続きがあんのかよ。


 皇帝の手に押され、ギギと微かな悲鳴を上げ、両開きの鉄扉が開く。


「っ……」


 シィスが突然、顔をしかめた。

 いや、歪めたと表現する方が近い。


 目は闇の奥に向いている。

 何だ、もう見えてるのか?

 俺の方はまだ目が慣れてなくて、何も見えねえ。


 皇帝が、太陽石を加工して作った照明器具を使って、部屋を照らし出す。

 珍しく気を利かせたじゃねえか。


 と考えるのは、大きな間違いだった。


「……っ!」


 喉の奥から、反射的に引きつった声が出てしまう。

 同時に、シィスが顔を歪めた理由が痛いほどよく分かった。


 先程とはうって変わった、宿の待合室ほどの狭い部屋、その中央にあったのは、悪趣味という言葉では到底言い表せないモノ……

 いや、"モノ"って言っちゃダメな気がするが、他にどう表現すりゃいいんだ!?


「アニン=ドルフ。これをそちにくれてやろう。受け取れい」


 味気ない演奏のような、皇帝の無機質で甲高い声が降りかかる。

 別に悪意でそうした訳ではないようだ。


 だからこそ、余計に恐ろしくなる。

 皇帝からアニンへの"褒美"とは……簡単に言うなら『酷く不気味に変質させられたヒト』だった。


 既に絶命しているのは見て分かる。

 特殊な処理を施してあるのか、腐敗はしておらず、臭いもない。

 恥ずかしい話だが、もし臭いがしていたなら、きっと視覚との相乗効果できっと俺は嘔吐していただろう。


 何だよこれ……

 人間に対して、ここまで酷いことができんのかよ!


 骨格の構造上ありえない姿勢を取らされたまま、彫像のように固定された若い女性。

 皮膚のあちこちが、腐敗とは違う、本来あり得ない様々な色に染められている。

 更に各部位が千切られ、爛れ、全く無関係の場所に継ぎ足され、塗り足され……


 美しい顔はほとんど綺麗なまま残されているが、その表情は発狂するほどの苦痛と恐怖を張り付けたまま固定されている。

 濁った翡翠色をした左右の眼球には細かい赤線が規則的に、それぞれ縦と横に刻まれていた。

 開かれた口は歯が一本置きに抜かれ、舌は花びらのように"加工"されているのが見え……


 これらの作業は……全部、生きたまま……

 ダメだ、これ以上考えられない。

 直視できない。

 眺めているだけで頭がおかしくなりそうだ……


「……母上?」

「……え?」


 今、アニンは何て言った?

 ははうえ?

 それって……つまり……


「時を経ても忘れはせぬか。そちの母を材料に作った楽器よ」


 楽器?

 何言ってんだ、こいつ?

 人間だろ?

 どうして人間が、楽器になる?


「5年ほど前までは音を奏でていたのだがな。本来は生物だからか、保守にも限界があったようだ。しかし処分するには惜しい造形ゆえ、こうして保管を続けておる。この時の訪れを思うに、処分せずにいて正解だったな」


 こうも感情を乗せず淡々と言えるのが理解できない。

 悪趣味にも程が、いや、そんな言葉じゃ全く足りない。


「今こうして眺めていても飽きが来ぬ。毛髪から皮、骨、血肉……人体を余す所なく用い、大胆に組み替えた、この世界に2つとない芸術品よな」


 違う。

 悪意や加虐趣味といった感情が一切"ない"から、余計に不気味で、怒りが込み上げてくるんだ。

 本当に、単純に、芸術品としてしか見ていないんだ。

 この男の言葉に、一切の偽りはない。


 怒りの源泉は何なんだ?

 一般的な感性からかけ離れた存在を排除しようとする防衛本能か?

 本当に正義感や倫理観で、俺は怒っているのか?


「おおおおおおおッ!!」


 思索の最中、前触れなく獣のような咆哮が鼓膜を突き刺してから起こった一連の出来事を理解するのに、いくばくかの時間を要してしまった。


 吼えたのはアニンだ。

 そう認識した時には既に、彼女は抜刀して斬り付けていた。


 皇帝の血がやべえ。

 そう認識した時には既に、俺の体はシィスによって突き飛ばされ、貴腐血統による浸食を間一髪免れていた。


 周囲に転がっていた他の不気味な"財宝"が溶けていく。

 そう認識した時には既に、


「ああああああああッ!!」


 アニンは完全に我を忘れ、返り血を全身に浴びながら、狂ったように幾度も皇帝へと斬り付けていた。

 いつものような鋭く繊細な剣の冴えは見る影もない。

 剣というより鈍器でやたらめったら殴りつけているようだ。


 それなりに長い付き合いだが、こいつがこんなにも殺気や怒りを剥き出しにした姿を見たのは、これが初めてだ。

 凄え、っつーか……怖え。

 恥ずかしい話だが、身動きが取れない。


 やめろ、なんて言えなかった。

 意味の有無以前に、言える訳がない。

 自分の母親があんな風になったのを見て、感情を抑えろなんて無理に決まっている。

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