59話『アニン、復讐の剣を放つ』 その2
「おい、それ以上は」
「限界か。奥義を用いてこの程度ならば、最早戯れる必要もあるまい。とはいえ、思っていたよりは愉しめた。これほどの使い手、我が百万の軍の中にも数えるほどしかおらぬ。誇るがいい。
今はもう良い、下がれ。次はそこで控えている男、そちだ」
指名を受けて、ようやく気付いて後悔する。
アニンが最初に奥義を見舞った直後、あいつの頼みを無視してでも攻撃すべきだったと。
ったく俺もとんだ甘ちゃんだ。
望み通りの攻撃をくれてやると、ホワイトフィールドを解除してクリアフォースを見舞ってやろうとした時、
――手出し無用ッ!
アニンがこっちに手だけを向けて、ブルートークで叫んだ。
「何を仰います陛下。これしきで我が剣の全てを量るには些か早計にございます」
続いて、疲労や焦りによって上擦った声で、皇帝に訴えかける。
「くどい」
が、皇帝は非情だった。
咄嗟にブラックゲートで飛び込んだが、皇帝がアニンの鳩尾へ拳をめり込ませるのを阻止することができなかった。
目鼻の粘膜をやすりで擦られたような刺激臭と、体の内外両方を灼かれるような激痛が伝わってくる。
声が出そうになるのを何とか抑える。
マジで毒か強酸だなこりゃあ……
本能的にアニンを抱え、皇帝や血から距離を開けて飛んでいた。
「案ずるな。殺してはおらぬ。我が血の届かぬ場所へ置いておけ」
幸いにも、グリーンライトでの回復が有効だったため、問題はなかった。
「それよりもその方。やはり面白い力を持っておるな。先の、距離を一瞬で詰めた力、そして今用いた癒しの力。魔法でも技でもないようだが、どのような力なのだ」
「…………」
「答えよ。唖ではあるまい」
「……その通りです」
「二度言わせるでない。具体的にどのような力なのかを問うているのだ」
言うしかねえか。
「"餓狼の力"と自分は呼んでいます。空腹になればなるほど、力が増します。ある時、突然使えることを思い出したんです。それと」
「もう良い。それ以上仔細に訊いては興が殺がれる」
あんたが言えっつったんだろ。
「後は実際に見せてみよ……ふん、来おったか。敢えて遠ざけておいたと言うに」
皇帝が話の途中で忌々しげに呟いた理由はすぐに理解できた。
ドタドタと、部屋の外から多数の激しい足音がこちらへと近付いてくるのが、俺の耳にも届いている。
こういう状況も当然想定していて、覚悟はしていたが、緊張を抑え切ることはできない。
足音と連動して、心臓も更に速く、激しく跳ねる。
「逃げるより留まる方が身の為だぞ」
俺にではなく、離れて様子を窺っているシィスに向けて皇帝は言っていた。
シィスはそれを聞いて逃亡を諦めたようだ。俺の方へ駆け寄り、アニンの介抱を始める。
つまり、俺は餓狼の力での防衛か攻撃に専念しろってことだな。
「失礼致します!」
そう考えている内に、外に繋がる扉が開いて、大勢の武装した兵士たちがなだれ込んできた。
「貴様ら……! 陛下、お下がり下さい!」
「良い」
声を張り上げた訳でも、特定の強い感情を乗せた訳でもないのに、その短い一言だけで、部屋の中が水を打ったようになった。
「何故入ってきた。今宵の警護は不要と伝達したはずだ」
「は、ですが……」
尋ねられた兵士は、恐らく上司である隊長か将軍かの名前を答えようとしたんだろう。
しかし、言い終えるよりも前に皇帝が無造作に振るった右手を左頬に受け、不自然に首を捻られてその場に倒れ伏した。
「明瞭に答えい」
次に尋ねられた兵士は、恐怖で叫ぶように理由を答えた。
「要らぬ世話を焼きおって」
皇帝は不愉快そうに顔を歪めた。
「我がキンダックの名に於いて命じる。この者達は朕が招いた客。咎は無い。それと直ちに食事の席を設けい。もてなすのだ」
「し、しかし……」
難色を示した兵士は困惑の表情を浮かべたまま、首をありえない方向に曲げられて絶命した。
「二度言わせるでない。それとこれより後も警備は不要。行け」
「は、直ちに!」
生き残りの兵士達が、蜘蛛の子を散らすように退出していく。
兵士の死体も忘れずに回収していった所は流石だと、つい思ってしまう。
しかし、ちょっと口ごもったりしただけで殺すとは……
「下らぬ邪魔が入ったが、席が整うまでまだ時はある。次はそちが朕の命を奪えい」
だが当然この男に罪悪感なんかあるはずがない。
兵士が全員去った後、事も無げに言う。
「仮に朕を殺せたならば、そちが次の皇帝よ。その旨、常々側近に伝え、正式な書面にも残しておる。すぐ禅譲するも良し、欲望のまま帝国を動かすも良し、好きにせい。少なくとも、暗殺後の場を治めるなど造作も無き事よ」
何言ってやがるんだこの男は。
自分で皇帝の座を奪っておきながら、そんなあっさり手放せるもんなのか?
しかも暴君じみた振る舞いをしたと思ったら、メシの用意をして俺達をもてなすだの、殺したら皇帝の地位をくれてやるだの……人間性がさっぱり分からない。
でもここは……皇帝の言うことを信じて、当初の予定通り仕事を行うのが最善策か。
アニンは気を失ってるし、しょうがねえ。俺がやるか。
「……」
分かってる。お前はアニンを頼む。
緊張の混ざった視線を送るシィスに軽く頷き、広い部屋の隅に行くよう手で促す。
空腹など到底感じている余裕がない、針のむしろにいるような緊張感の中、俺は覚悟を固めた。
もう分かってはいると思うが、結論から言うと、ダメだった。
強化した餓狼の力ですら、皇帝の貴腐血統を超えることはできず、回避行動すら取らせられず、叩き付けても、押し潰しても、すぐに再生されてしまった。
力の余波や飛び散る血でただいたずらに部屋を破壊し、穢すだけに終わってしまった。
炎上を避けるためレッドブルームは使わなかったが、仮に使ったとしても結果は変わらなかっただろう。
こうして力が通用しない現実を突きつけられたことで、精神的衝撃を受けているのに自分でも驚いている。
これまでいかに餓狼の力へ依存してたかってのを実感させられた。
「興味深い力ではあったぞ。貴腐血統をも防ぎ、癒せるとはな」
そんな言葉をもらっても嬉しくない所か、何の慰めにもならなかった。
で、その内食事の席が準備できたということで時間切れになって、アニンも意識を取り戻し、俺達は別室へと通された。
そこは言葉を失うような趣向の凝らされた、とんでもない部屋だった。
床も壁も天井も真っ黒だったが、完全な暗闇ではなく、壁と天井から無数の小さな光の粒が淡い光を放っていて、空間を柔らかく照らしている。
そして、部屋の中央には椅子と円卓があり、卓上には豪勢な宮廷料理が、夕暮れ時を思わせる色に調節された太陽石の光に照らされてずらりと並べられている。
さながら宇宙の只中にいるような錯覚を覚えると同時に、モクジさんが"楽園の燦"を発動させた時のことを思い出す。
料理の内容自体に、さほどの驚きはない。
餓狼の力の調整期間に入るまで、ロトの屋敷で同じようなものを食わせてもらってたからだ。
驚くべきは、こんな真夜中に、しかも迅速にこれだけの料理が揃えられたって点だ。
時間帯に関係なく、一声かけるだけですぐにこれだけの食事が用意された所に、大国の長たる力を感じずにはいられない。
「遠慮は要らぬ。存分に味わうが良い」
そして、今の状況に至る。
「作法などどうでも良い。それとも毒を懸念しておるのか」
促されるまま着席だけして、一切手を付けない俺達に皇帝はそう言って、目の前の肉を貪り始めた。
「殺すつもりならばとうにそうしておるわ」
確かにその通りだ。
反抗を貫いて機嫌を損ねるのは得策じゃないな。
それに、控えている数人の給仕以外、伏兵の気配も感じられない。
ここまで付けっぱなしだった覆面を外すと、汗の浮かんでいた顔が外気に触れて、一気に冷却される。
気持ちがいいというより、寒すぎるという感想の方が先に浮かんできた。
皇帝は別段、俺達の素顔に興味はないようだ。
一瞥をくれただけで、すぐに食事を再開した。
「頂きます」
ローカリ教の食前儀式を行った後、目の前にある肉の炒め物を口に放り込む。
「急襲を期待していたのだがな。まあ良い」
流石の俺にも、再度餓狼の力で不意打ちする気力は残っていなかった。
そしてこんな状況でも、美味いものは美味いと感じてしまう。
同時に、忘れかけていた空腹感が一気に蘇ってきたけど、がっつきたいとまでは思わなかった。
ちらりと左右を窺うと、アニンやシィスものろのろと手を動かし、極めてゆっくりと食事をしていた。
「ただ食を進めるのみも退屈。対話でも行うか。光栄に思え、朕と言葉を交わせる機会など、それなりの立場に就く者でもそうあるものでは無い」
「ありがたき幸せです」
シィスが代表して答えてくれた。
「判り切ってはいるが、敢えて問おう。その方ら、空白の皿の尖兵であろう」
「はい」
またもシィスが答える。
俺も隠すのは逆効果だと思ってたので、異論はない。
皇帝はふん、と鼻を鳴らし、
「先に送り込んできた者共といい、ジャージアめ、面白いものばかり見つけおって。真に孝行息子よな」
さも嬉しそうに口元を歪めた。
「ジャージア?」
「陛下、今、何と仰いました」
「当人から聞いておらぬのか」
皇帝は細く剃った眉根を寄せる。
「空白の皿の首魁・ロトとは仮初の名。奴の真の名はジャージア=キンダック、我が血を受け継ぎし息子よ」