58話『ユーリ一行、暗殺決行前の過ごし方』 その4
「実は私もミスティラ殿やシィス殿と同じく、ユーリ殿に隠していたことがあるのだ」
「えっ、お前もかよ」
「怒るか?」
「知らない間に俺の分の食べ物をつまみ食いしてた、とかだったらな」
そう返したら、アニンが小さく笑った。
が、すぐに引き締め直される。
「空白の皿との接触がなくとも、いずれはユーリ殿に同じことを依頼するつもりでいた。"餓狼の力"ならば皇帝を討てる。初めて出逢った時、そう直感したのでな」
「だからこれまでずっと、俺にくっついて、ご機嫌取りをしてたってか?」
「否定はせぬ」
「……言い訳しない所がお前らしいよな。ま、いいよ。能天気で楽天家なお前にも真っ当な事情があることは分かってるし」
「責めぬのか?」
「今更だしな。大体お前、人を利用して捨てる悪女ってガラでもねえだろ」
体を起こそうとした……が、できなかった。
「ユーリ殿……大好きだぞ!」
アニンの奴が、覆い被さってきたからだ。
「馬鹿やめろ、重いんだよ」
「良いではないか良いではないか」
「また服を脱がそうとすんな!」
「照れるな。さあさあ、私の方も好きな所を触って良いのだぞ」
「あっ、おい、やめ……ろって……」
「すみませんユーリさん、よろしいですか」
組んず解れつを中断させたのは、第三者の声だった。
いつの間に入ってきたのか、緑髪の眼鏡女――シィスが、部屋の入口に立っていた。
「明日のお出かけの件でお話したい……こと……が」
何でお前も戸を叩かず入ってくるんだよ。
と言おうとするよりも早く、きょとんとしていたシィスの顔に、みるみる焦燥や罪悪感といった感情が滲み出す。
「あ、あの、私、お邪魔でした……よね。し、失礼しましたあああああ!」
「ま、待て! 誤解すんな! これは違う! 断じて違う!」
「ほんと、私って奴はどうしてこんなにも間が悪いのでしょうか! 大事なお楽しみを邪魔するなど! 私はどうしようもないクズです! 罵って下さい! どうぞ罵詈雑言を浴びせ、裸に剥いて晒し上げて下さい!」
「何言ってんだお前! つーかそういうことを叫ぶな! 他の奴らに聞こえたら……」
「今のって、シィスさんの声?」
「騒がしいですわね。一体どうなさいましたの?」
「やべえぞやべえぞ。おいアニン、あいつらが来る前にさっさとどけ」
「断る。折角だ、皆にも我々の仲睦まじさを見せつけてやろうではないか」
「申し訳ありません許して下さい! 何でもしますから!」
これもう、どうしようもねえな。
喚くような自罰の声と、段々と近付いてくる足音を聞きながら、俺の心身は諦観状態に入っていた。
6日間の休養期間は、つつがなく過ぎていった。
問題は、炊き出しが相変わらず潤滑に進まなかったことと、餓狼の力を強化するためにメシがろくに食えなくてしんどかったってことぐらいか。
いつも以上に力を底上げしておく必要がある分、飢餓感も増している。
"アニンに襲われた事件"はあの後どうなったかって?
……聞くな。
そして、遂に決行の時がやってきた。
今の時間帯は真夜中。
恐らく帝都内のほとんど全ての人間が寝静まっていると思われる中、俺達は屋敷のとある一室に集まり、最後の諸確認を済ませ、行動を起こそうとしていた。
「存分に英気を養えたかね」
「んな訳ねえだろ。今日なんかろくに寝られもしなかったわ」
ましてや腹まで減ってるんだ。
イライラして文句の1つぐらい言っても罰は当たらないだろう。
ロトの野郎はというと、やっぱり仮面をつけていて、眠いのかどうかすら窺えない。
「服の大きさはいかがですか? 窮屈ではありませんか?」
「はい、丁度いいっす」
「それは良かったです。ユーリさんのことを想い続けて仕立てたんですよ」
こっちの緊張を解そうとしているのか、パッカさんが、のんびりした様子でそんなことを言う。
そう、俺が今身に着けているのはいつもの服じゃなく、今回の任務用に仕立てられた特別製だ。
闇に溶け込む色をしたピッタリ貼り付くやつで、顔も覆面でしっかりと隠している。
あっちの世界で言う所の忍者になった気分だ。
「良い着心地だな」
俺だけじゃなく、他の実働隊2人――アニンとシィスも、同じものを着ている。
関係ないが、胸の盛り上がりを見れば識別は簡単だ。
「こんな風に声をかけられても嬉しくないでしょうけど……頑張ってね、ユーリ君、アニンさん、シィスちゃん」
いつもはデカいサモンさんの声も、この時ばかりはとても控え目だった。
「まあ、やるだけやりますよ」
こちらとしては曖昧に答えるしかない。
ちなみにライクのおっさんは、俺達実働隊とは別の役割があるらしく、既にこの場にはいなかった。
ふと、視線を感じた方向に目をやる。
タルテとミスティラが、不安そうに俺達を見ていた。
「心配すんな、ってのは無理だよな。とりあえず、いい子にしてくれさえすりゃいいや」
「ええ」
「大包丁と服、ちゃんと預かっててくれな」
「ええ」
上の空のように、同じ言葉を繰り返している……と思いきや、別の話を切り出してきた。
「……わたし、どうなっても、ユーリとアニンを信じるわ。最後までずっと味方でいるから。だから……」
「そう言ってくれるだけで凄え助けられるぜ」
だから泣くなよ、と付け加えようとした瞬間、ミスティラがずいとタルテを押しのけるように前に立った。
「ならばわたくしは更なる援助をご提供致しましょう。いざとなれば、ローカリ教が全力を以てお2人を匿いますわ。
……いいえ、むしろその方がわたくしとしては有利な展開ですわね。ユーリ様を次期教主へとお迎えし、かつ婚姻も結べたならば……!」
「分かった。安全網はバッチリって訳だな。ありがとな」
受け流したり、突っぱねる訳にも行かなかった。
だって、ミスティラの声もタルテと同じく、ちょっと震えてるのに気付いちまったから。
いつもの勝気な表情を崩してないのは流石だと思うけど。
死ぬつもりはさらさらねえけど、しばらく見納めになるかもしれないから、2人の姿を、声を、しっかり頭の中に焼き付けておく。
「その辺にしておけユーリ殿。鈍るぞ」
「そう、だな」
厳しいが、もっともだ。
「どうせならば、言うべきことを言ったらどうだ」
「は?」
「とぼけるな」
覆面の隙間から覗くアニンの目は、笑っていなかった。
"言うべきこと"が何を指しているのかは俺でも分かる。
……くっ、でも色々な事情の手前、反論しづれえ。
それ以前に、こんな人前で言えるかよ。
いやいや、でもこれで最後かもしれねえんだぞ。
やっぱりこの場で……だがしかし……
「ユーリ様、どうなさいましたの? わたくしに何か?」
「いや、その……大包丁と服、くれぐれも頼んだぜ」
「わたくしのこの腕、決して破られぬ金庫と心得て下さいませ」
少しだけ不服そうに言われる。
すまねえ。
「あのさ、タルテ」
「ユーリ?」
言え、俺。
もう次は無いかもしれねえんだぞ。
よし、ぶちかませ。
「……いや、いつもみたいにさ、帰ってきたらメシ、作ってくれよ」
「……ええ、任せて」
俺は、臆病者だ。
こんなヘタレに、暗殺なんて務まるのだろうか。
始まる前から、半ば失敗した気分になっていた。