56話『シィス、とんでもない依頼をする』 その3
という訳で、クラルトさんから改良されたメルドゥアキの弓を受け取った後、俺達はラフィネを出て東へ進み、リレージュよりも更に東にある港町から船に乗って、ヨーシック大陸を離れて海を渡り、今はツァイ帝国のある別大陸に移動済で、ラクダみたいな動物に乗って砂漠地帯を突っ切っている最中だ。
夜を日に継ぐ、と言うと大げさだが、かなりの強行軍でここまで来ている。
船も馬車も、交通機関は一般のものを使用してきているが、メシ代なども含めて費用は全てあっちが出している。
そりゃそうだ。自腹だったら割に合わねえ。
ツァイに来るのも久しぶりだ。
とは言っても、前回は寄ろうと思って寄った訳じゃないけど。
いや、今回もか。
つくづく真っ当な形での入国に縁がないな。
詳しいことは着いてから教える、の一点張りだったが、俺達に暗殺を依頼してきた親玉は、帝都・ペンバンにいるとのことだ。
ペンバンは大陸西部にあるため、西岸から入国した俺達にとっては都合が良く、移動距離も短くて済む。
入国などに必要な手続きは全てシィス側がやっていたみたいで、滞りなく進むことができた。
それはいいとしても……
「すみません、この進路が一番短く済むもので」
やっぱ砂漠は暑いな。
まあ、こいつがあるからマシだけど。
砂漠地帯を突っ切っているにも関わらず、ある程度の快適さが保障されているのは、ひとえにこの懐中の冷却装置のおかげだ。
加工した水石やその他諸々を袋詰めして作られたこれは懐炉の冷房版とも言え、周囲を――具体的には体全体を冷やす効果がある。
あっちの世界にあるような氷嚢よりも遥かに便利で高性能だ。
お陰様で、クソ暑いから暑い程度には不快感が和らいでいる。
それに、こんな草木一本生えてないような場所でも、トラトリアの里でジェリーの両親からもらった"宿り木の天幕"は使えたため、思いのほか不便さは少なかった。
でも、ジェリーがいない時で正解だったな。
この環境は小さな女の子にはキツいだろうから。
事前知識の通り、夜なんかクソ寒いし、真っ暗で何も見えねえし、たまったもんじゃない。
そういえばここまでの移動中、何度か魔物と遭遇したんだけど、
『皆さんを無事にお連れするのも私の役目です。任せて下さい』
なんて言って、本当に1人で全て、あっさりと片付けてしまった。
しかも、無傷で。
ドジっちまわないか不安だって気持ちはあったけど、一応仕事や戦闘面に関してはきちっとやれるみたいだ。
以前、船で巨大イカとやりあってた時も問題を起こさなかったもんな。
本人曰く"戦いや諜報に関しては両親にしごかれて体が覚えている"かららしいが、だったら日常生活もしっかり仕込んでおいてもらいたかったと思わずにはいられない。
にしても、やはりシィスの技術には目を見張るものがある。
砂地にも関わらず縦横無尽に動き回り、短剣や投剣、鋼線といった小さな武器だけで、硬い装甲を誇るデカいサソリや毛むくじゃらのモグラといった連中を的確に、最速で屠っていった。
「惚れ惚れする位素晴らしいな。やはり一度真剣での手合わせを願いたいものだ」
「ははは……しばらくは勘弁して下さい」
アニンから誘われた時、前は徹底拒否を貫いていたのに、今は若干軟化している気がする。
こいつなりの罪悪感のせいだろうか。
まあそれはともかく、こんな感じで、道中の雰囲気は別段悪くはなかった。
移動を始めてからシィスの方が色々積極的に話しかけてきているような気がするのは、間を持たせるためだろう。
実はシィスも単なる雇われの身らしい。
「実家の道場は、免許皆伝を与えた門下生を世界各地に派遣する事業もやってるんです」
ちなみに案内人の姉ちゃん――サモンさん(こっちは依頼主側の人間らしい)は別行動でペンバンを目指すらしく、現在俺達と同行してるのはシィスだけである。
「傭兵みたいなもんか?」
「そんな所ですね。主に諜報活動や、魔物の討伐などを行っています。私も詳しくは知らされていないんですけど、世界各地に顧客がいるとか」
「あれ、道場の経営者ってシィスの両親だよな? 実の娘にも事情を話さずにやらせてるのか?」
「一切私情を挟まない人達ですから。とは言っても、道場や仕事以外では至って普通の両親ですよ。例えばこの眼鏡、誕生日に買ってもらったものなんです。……もらった当日、転んだ際ケーキに顔面ごと突っ込んでベチャベチャにしちゃって思い切り呆れられてしまったりもしましたけど。あ、両親は私のように腐れたドジはしませんよ! 凄くきちんとした人達なんです!」
「そ、そうか」
じゃあ誰からの遺伝なのか、ちょっと気になってしまった。
「え、ええっと……そうだ、道場の話ですね。私達は依頼主の正義や信条に関係なく、単なる事業として請けた仕事を遂行するだけです。ただし一応最低限の掟がありまして、暗殺や拷問、誘拐などは決して請け負いませんし、明らかな犯罪組織などにも加担はしません」
「雇い主が暗殺を依頼したりするのは見て見ぬふりで、誘拐まがいはアリなのか?」
「その辺りの微妙な解釈は、大人の事情ですね」
少々の嫌味を込めて言ってみたら、申し訳なさそうな苦笑いで返された。
ま、シィスに直接何かされた訳でもないし、恨みはしてねえけどさ。
ましてやこれまでの旅、シィスが渡してくれた火炎弾や呪符のおかげで随分助けられたりもしたしな。
「もう少しで砂漠が終わって、ペンバンも見えてくるはずです。頑張りましょう」
「うむ」
アニンはここまで特に変わった様子を見せず、焦りのあの字もなく、いつも通りの飄々とした態度で、時にはチョラッキオの市場で買った小さな壺に血を入れて弄んだりしていた。
シィスも相変わらず、以前同船してた時と一緒というか、黙ってじっとしてりゃキリっとした奴で通せるのに、要所要所でドジっぷりを発揮していた。
道場の話題が出る少し前なんか、何故か動物から滑り落ちそうになってたし。
「…………」
むしろ様子が違っていたのはミスティラの方だ。
いつも通り紫の上着を着込んだまま日傘を差し、睨むように目を細めて前方を見つめながら、無言で動物の背に揺られている。
いつもだったら、
『全く、このような場所を進ませるなど……淑女にとって強い日差しは大敵ですのよ』
なんてぶつぶつと文句を呟いてただろうに。
ラフィネの出発から船上まではそうでもなかったが、砂漠に入ってからはめっきり口数が減っていた。
顔色や汗のかき方からして、体調不良ではないだろう。
……ったく、しょうがねえな。
「暑さに参っちまったか?」
「ユーリ様。いえ、そのようなことは」
「心が納得してないんだろうけど、改めてもう一度言っとくぞ。気にすんな。お前は悪くねえ。あとな、お前が落ち込んでると、俺の調子まで狂っちまうんだよ」
「はい……余計な心労を重ねさせるような真似をして、申し訳ありません」
戻ってきた微笑みは、ほったらかしたパンのようにカチカチだった。
「鬱陶しいわね」
まあ時間に任せるしかねえかと思いかけてたとき、タルテが横から話に入ってきた。
「リレージュであんな偉そうなことをわたしに言ったくせに、なにをウジウジと……ユーリやアニンがいいって言ってるんだから、いいじゃない。それに、ただでさえ暑くてうんざりしてるんだから、さらに気が滅入るようなものを見せないでほしいわ」
「……ふ、まさか貴女に臀部を叩かれるとは」
手厳しい言葉を浴びせられたにも関わらず、ミスティラは不快さを欠片も見せず、薄桃色の唇を軽く緩めた。
「仰る通りですわ。湿った衣はもう脱ぎ捨てましょう。ユーリ様、アニンさん、今後一層の奉仕と献身を以て、わたくしの誠意と代えさせて頂きますわ」
「うむ、確かに受け取ったぞ」
「おう、そうしてくれ」
「つきましてはユーリ様、わたくしに一時の安らぎを下さいませ。具体的には、この寄る辺無き身を強く抱き寄せ……」
「却下。この暑い中、んな暑っ苦しいことできっか」
「嗚呼、どうか無慈悲な御言葉でこのわたくしを絶望の淵へ追い込まないで下さいませ!」
「元に戻ったら戻ったで、めんどくさいわね……」