56話『シィス、とんでもない依頼をする』 その2
あんさつ。
声量こそ抑えられていたが、その4文字は、生々しいくらい姉ちゃんの口から克明に発せられた。
意外と落ち着いていられたのは、くどいくらい前置きされたからか、それとも単に突拍子のなさにまだついていけていないからか。
自分のことなのに、正確に把握できていなかった。
「はあ? 何言ってんだあんた。頼む相手を間違えてんじゃねえか」
「自然な反応ね。でもちゃんと理由はあるのよ。まず1つ目は、君の"餓狼の力"が今回のお願いに最適だからよ」
「力だけじゃなくて性格も見てくれよな。俺がそんなホイホイやれるほど冷酷非情に見えるか?」
「見えないわね。何せ優しい"ひーろー"さんだものね。ここで2つ目の理由。特にアニンさんには耳よりなお話よ」
そう言って、姉ちゃんはアニンに近付き、そっと何かを耳打ちする。
「……!」
表れたのはほんの短い時間で、すぐ消えてしまったが、俺は確かに見ちまった。
アニンの表情が、後ろ暗い感情によって強張るのを。
「いかが? もちろんタダでやれとは言わないわ。報酬は弾むわよ。しばらく遊んで暮らしたり、多くの人に食べ物を配れるくらいには、ね」
「ちょっと待て、勝手に話を進めんなよな。俺はやるっつってねえぞ」
「慌てないの。その前にシィスちゃんから伝えたいことがあるんだって」
姉ちゃんに促され、シィスが話を引き継いだ。
「こんな時になってすみません。今更ですけど、サカツさんのことをお話したいと思いまして」
サカツという固有名詞を耳にした瞬間、忌まわしい記憶が次々と脳裏に蘇る。
寂れたコラクの村、人を喰わなければならなかった心優しき鬼、そして、鼻持ちならない男の姿。
正直、名前も聞きたくなかったけど、確かに気になる。
「やっぱり、お前と関係あるのか?」
「昔に少し。あの人は、うちの道場の元門下生です。道場を出てからはほとんど音沙汰がありませんでしたが。技術を活かして金を稼いでいい暮らしをするんだなんて言っていたのに、まさか故郷に戻っているとは思いませんでした。
あの人に代わって、コラクの村とヤマモのこと、改めてお詫びします。すみませんでした」
「いや、もういいよ。それより、巨大イカに襲われての事故は偶然だったろうけど、お前が俺達と同じ船に乗ってたのも計算だったのか?」
「はい。あの時点で既にユーリさんやアニンさんを監視する必要がありましたから。サカツさんは全くの無関係ですし、彼とコラクの村で会ったのも偶然です」
「要はお前はアルたちの件と何も関わりないってことだろ。ならそれでいいよ。そこを今更どうこう言うつもりはねえ。で、誰が誰を暗殺しろって?」
「ユーリ殿。我々が暗殺するのは、ツァイ帝国の皇帝・キンダックだ」
「皇帝だあ?」
想像も及ばないような相手の名を出されて、流石の俺もたまげてしまった。
え、というか暗殺"する"って、何故にそんな表現を……
「乗ったぞ。親分の元へと案内してもらおうか」
「おいおい、いいのかよ。決めちまって」
「構わぬ、と言うより私からも頼む。手を貸してくれぬか。ユーリ殿が直接手を掛ける必要はない。私を補助してくれるだけでいい」
正直、俺は全く乗り気じゃなかった、というか断る方に強く傾いていた。
だってまずすぎるだろ。
成功しても失敗しても、とんでもないことになる未来が目に見えている。
「……あんまり言いたくないんだけど、断らない方がいいわよ。ユーリ君、ワホンのロロスにご家族がいるでしょう? ええと、お父様がギリさん、お母様がナラタさん、それと妹さんと弟さんのアザミさんとオリング君、だったかしら」
「な……ッ!」
随分と遠回しな言い方だったが、意味するところが嫌なくらい理解、想像できてしまった。
三流の悪役みたいなやり口を自分に向けられるとは……
「ご安心下さい。依頼の成否に関わらず、ただ引き受けてさえ下されば、ご家族には何もしないと依頼主はおっしゃっています。もちろん依頼後にユーリさん達を口封じする……などという事もありません」
「はいそうですかと、素直に信用なんかできっかよ」
「言っちゃ悪いけど、信用できるできないに関わらず、引き受けるのが最善だと思うけど?」
2人がかりで完全にこっちの外堀を埋められた上、
「どうか頼む、ユーリ殿」
おまけにアニンの奴まで珍しく強く主張してきて、最終的にはそれに押し流されるような形で決定せざるを得なくなっちまった。
だって、いつになくマジに頼んでくるんだもんな。
そんなに皇帝が憎いのか?
そういや、それなりの付き合いになるが、こいつの詳しい過去を未だによく知らないんだよな。
何度かそれとなく尋ねてみたことはあったけど、毎回適当にはぐらかされて終わっちまうし。
話したくないんだろうなと思って深く追及しなかったんだけど……
「こっち的には目的を達成してくれるなら、手を下すのがどちらでも構わないわよ。ただ分かってるとは思うけど、他の人にペラペラ話さないでね」
「お聞き入れ下さってありがとうございます。では数日後、改めてお迎えに……うわわわっ!」
「ちょっとシィスちゃん、何もない所で転ばないでよ。ドジっ子さんね。まあいいわ、あたしも退職願を出さなきゃ」
そういえばこいつ、こういう奴だったな。
ここまでずっと深刻な空気だったから忘れてたが。
「――今回ばかりは曖昧にはぐらかすのは無しだぞ。聞かせろ」
流石に何も知らないまま手を貸すのは嫌だから、2人と別れた後すぐ、暗殺を引き受けた理由をアニンに聞いてみた。
「……父の無念を晴らしたい」
私自身、気持ちの整理が未だ完全にはついていないのだが、と前置きしてから、アニンは答えた。
「父は前皇帝時代、帝国で将軍の地位についていた」
「将軍!? お前、ツァイの将軍の娘だったのかよ。相当な家柄じゃねえか」
「昔の話だ。今は一介の剣士に過ぎぬ。――現皇帝との間で後継者争いが起こって敗れた時、前体制側の人間ということで処刑されてしまった。ゆえに仇を討つことが、父に出来る最後の孝行と思っている。何せ生まれてこの方、親不孝ばかりしてきたからな、ははは」
淡々と語り、乾いた笑いを漏らす姿から、特に憎しみは感じられなかった。
抑えているのか、それとも別の原因があるのかまでは読み取れなかった。
噂などで耳にした、俺が知っている皇帝・カオヤ=キンダックについての情報は、"弱肉強食の体現者"というぐらいで、ひどく漠然としたものばかりである。
名君でも暗君でも暴君でもなく、ただツァイ帝国の思想を具現化しただけの男。それぐらいだ。
「その通りだ」
身内を殺されたアニンも同様の評価だった。
「とはいえ、大国の頂点に君臨する男だけあり、常人では計れぬ異質さの持ち主だ」
しかし、更にそんな言葉を付け加えはしたが。
まあ、一筋縄ではいかないくらいじゃないと、皇帝なんて務まらないんだろうな。
いっそ救い難いくらいのクズだったならば、と思っちまうのは、完全に俺の傲慢だ。
「遂行にあたり、タルテ殿やミスティラ殿には一切迷惑はかけぬ。重ねてお願い申し上げる、私に手を貸してくれ」
「……んー」
アニンの中に相応の理由があることは理解した。
そりゃ事情はどうあれ、家族を殺されれば、復讐を決意するのは自然だ。
ま、よくよく考えてみりゃ俺の方も、今更「人を殺せません」とか、誰かに対して「汚いことは良くありません」なんて寝言を吐く資格はない。
何せ"人切りユーリ"なんて仇名を付けられたこともあったぐらいだ。
そもそも、選択の余地なんかないに等しい。
……しょうがねえ、か。
「……分かったよ。とりあえずは、な」
「感謝する。巻き込む形になって済まぬな、タルテ殿」
「正直、驚いているわ。……でも、お互い様よね。アニンにはこれまでたくさん助けてもらったんだし。暗殺や復讐を肯定はできないけれど……アニンやユーリに会えなかったら、わたし、とっくに人生が終わってたもの。そういう意味では、あなたたちを否定したり口を挟む資格はないと思ってる。
だから、無事でいてくれさえすれば、それ以上は何も言わないわ」
「……済まぬ」
アニンはもう一度、詫びを重ねた。