55話『ジェリー、二度目の帰郷』 その2
ジェリーに別れの意向を伝えたのは、身辺が落ち着いてから、具体的には数日後の朝にした。
なるべく早い方がいい。
引き伸ばしすぎると、俺達の決心も鈍っちまいそうになるからな。
「――って訳だから、ジェリーは家に残りな」
「え? え? でも、でも……」
やはりというか、激しい戸惑いを見せるジェリー。
複雑な思いを、整理して正確に伝える術を持っていないんだろう。
やがてしゃくり上げ、ぽろぽろ涙をこぼし始めた。
「じぶんのことなのに、よくわからないの。パパとママともいっしょにいたいし、でも、おにいちゃんたちともお別れしたくないし……」
「だよな。頭の中がゴチャゴチャするの、分かるよ。俺達だって同じだ。ジェリーとは一緒にいたいけど、家族や里の人たちとも一緒に、幸せに過ごして欲しいって気持ちが両方あるんだ」
そう、そこは俺達も理解している。
だから、あらかじめしっかり話し合って決めた結論なんだ。
というか、混乱させちまってるのは俺の責任だ。
いくら里に残すという方向に持っていくためにこの子抜きで話を進めてたとはいえ、いきなり言われれば、こうなるのは当たり前だからな。
「でも、長い目で見たら、里に残った方が絶対いいって考えてる。今の年齢で、家族がいるうちにたくさん一緒にいて、話したり、甘えたり、手伝いをしたり、やれることを色々やっといた方がいい。これはジェリーよりちょっとばかし長く生きてる人間からの助言な。俺だけじゃなくて、タルテやミスティラ、それにアニンも含めてな」
「うん、それは分かるよ。でも……」
そこで一旦、ジェリーの言葉が途切れる。
俺達はただ静かに、この子が自発的に続きを口にするのを待つ。
「……もう、おにいちゃんたちと会えないの?」
「まさか。もう二度と会わないって訳じゃないぜ。俺達だってジェリーがいなくなるのは寂しいんだ。ちょうどいい区切りだし、しばらく実家でゆっくり過ごしなってことだよ。一時的に戻った期間があったっていっても、もう大分長い間、父ちゃんや母ちゃんと離れてただろ? だからさ、今度はしばらく家族で一緒にいな」
「パパも、ママも、そのほうがいいの?」
「そうね。ママも、ジェリーに甘えたいわ。リレージュへ試練を受けに行っている間も寂しかったんだから」
「パパも、ジェリーにやってあげたいことがたくさんあるんだよ」
目配せしながら答えるコデコさんとナータさん。
きっとこっちの意図を分かってくれてるんだろう。
「約束するよ。俺達、必ずジェリーへ会いにまたここへ来る。その時俺達と旅がしたいって思ったなら、そしたらまた一緒に行こうぜ」
「……ほんと?」
「俺が今まで、ウソついたことがあったか?」
ぶんぶんと首を振ってくれるジェリー。
「だろ? もちろん、今回もバッチリ守るぜ」
「……うん、わかったよ」
今度はこっくりと、大きく頷く。
「ジェリー、トラトリアにのこる。いっぱい、魔法のおべんきょうして、体もつよくして、待ってるからね」
「ああ、期待してるぜ」
「だから、ぜったい、ぜったい……むかえに……!」
「うん、約束だ」
ぎゅっと、服を掴んでしがみついてきたジェリーの頭を撫でながら、俺は泣きそうになるのをぐっと我慢するのが精一杯だった。
そして、更に数日後の早朝に、俺達はトラトリアの里を発つことにした。
「おはよー! できるだけいっぱいおしゃべりしたいから、早くおきちゃった!」
俺達が目を覚ますよりも早くやってきて、朝日にも負けない明るさを振りまくジェリー。
いつもはちょっと朝に弱いはずなこの子の、精一杯の努力を無下にできる訳がない。
それに俺達も気持ちは同じだ。
急いで身支度を整え、手を引かれるままジェリーの実家にお邪魔して、早めの朝メシを食べさせてもらう。
「朝早くおいで頂いてすみません、娘がどうしてもって聞かないもので」
「いえいえ、俺達もこの子とたくさん話をしたかったので」
ナータさんもコデコさんも既に起床していて、俺達を笑顔で迎え入れてくれた。
「もう食事をお出ししてしまってもよろしいでしょうか?」
「はい。俺はいつでも空腹みたいなもんですから」
ほんとよね、とタルテの突っ込みが入って笑いが起こった後、
「いただきまーす!」
朝メシが始まった。
こうやってジェリーと卓を囲むことも、しばらくはできなくなる。
食事も、会話も、しっかり噛み締めなきゃな。
食後に出してもらった、華やかな酸味を含んだハーブティーも、いつも以上にじっくりと味わった。
……そして。
「そろそろ、行くか」
「……そうね」
お茶で水分を補給したばっかだってのに、早くもタルテの声は掠れ気味になっていた。
「ねえねえ、里の出入口まで、お見送りしてもいい?」
「ああ、もちろん。頼むよ」
対するジェリーはいつも通り、陰りのない元気さで、目にも涙はもうなかった。
家を出るなり、大勢の人がぞろぞろと集まってくる。
ジェリーだけでなく、ナータさんやコデコさん、それにエレッソさんや他の里の人たちまでもが総出で見送ってくれるらしい。
凄く嬉しいんだけど、ちょっと照れちまうな。
「お世話になりました」
「またいつでもいらして下さいね」
「そうだわ。ジェリーちゃんの代わりに、私たちが同行してもよろしいですか?」
「却下! 却下ですわ!」
「おいおい……」
まあいいや、勝手にやらせとこう。
んなことより、先頭に立って歩くジェリーは、今何を思ってるんだろう。
小さな体や、左右に結んだ薄紫の髪が揺れるのを見つめていると、あの感情が湧き起こってくる。
紛れもない、寂しさ。
結構な間、一緒に過ごしてきたもんな。
あっさり割り切るには、お互いの心の融合が進みすぎている。
でも、これでいいんだ。
俺達の判断は、決して間違っていない。
そしてついに、里と森の境界線へと差し掛かった。
ぴたりと、ジェリーの足が止まり、俺達もついそれにならう。
「……ここまで、だね。おにいちゃんも、おねえちゃんも、元気でね」
しかし、すぐに振り返り、明るい声と笑顔を振りまいた。
「ああ、ジェリーもな。いっぱい食べてよく寝るんだぞ」
「うん!」
「共に過ごせて楽しかったぞ」
「うん、ジェリーもだよ」
「その幼く健やかな御身に、途切れることなき幸福と安息が降り注ぐことをお祈りしていますわ。……全く、簡単に涙を見せないでちょうだい。ジェリーちゃんの清々しいお顔を見習いなさいな」
「う、うるさいわね。……お父様やお母様と、仲良くね」
「うん。おねえちゃんたちも、あんまりケンカしすぎないで、仲よくね」
その後、示し合わせるでもなく、無言の間を作ってしまう。
……ダメだな。
これ以上名残惜しさに任せてると、涙腺が緩んじまいそうだ。
「ねえねえおにいちゃん、ちょっとだけお耳かして?」
俺が率先して切り出そうとした直前、ジェリーが話しかけてきた。
「お、何だ、内緒話か?」
顔の高さを合わせ、接近を待つ内に話の内容をいくつか予想してみる。
が、解答はそのいずれでもなかった。
答えは、頬に柔らかいものが押し当てられる感触。
「えへへ。これくらい、いいよね?」
至近距離で恥ずかしそうな、ほんの少しだけ申し訳なさそうな笑顔を見せられて、心臓を激しく揺さぶられた。
「"ひーろー"さんも、ゆうき、出してね」
更に間髪入れずジェリーがそっと耳打ちしてきた言葉は、深く、鋭く、痛みさえ覚えるくらいに俺の心へ突き刺さった。
……ああ、きっとこの子にはもうバレちまってるんだろうな。
次に会いに行くまでには、本当の意味で勇気ある自分になっとかねえと。
「頑張るよ。ジェリーに負けないくらい、勇気100倍のヒーローになれるように」
「おにいちゃんなら、きっとうまくできるよ」
その時まで、今はさよならだ。