55話『ジェリー、二度目の帰郷』 その1
「ただいまー!」
「お帰りなさい、ジェリー」
「よく無事に戻ってきてくれたね」
久しぶりに訪れたトラトリアの里は、いい意味で全く変わっていなかった。
平和で、静かで、空気が綺麗で……
試練が終わるなり、タルテとミスティラが乱闘をかますなんて問題が起こったりもしたけど、何とか解決し、その後は最速最短でここ・トラトリアの里へと戻ってきた。
「パパ、ママ、あのね、ジェリーね、いっぱいがんばったんだよ! きいてくれる?」
「はいはい、いくらでも聞いてあげるから。皆さん、お疲れですよね? まずはゆっくりお休みになって下さい」
「ありがとうございます」
かなりの強行軍でここまで来てて、正直それなりに疲労していたので、お言葉に甘えて休ませてもらうことにした。
明確に変わっているのは、ジェリーの両親の様子だな。
最初に会った時は痛々しいくらい憔悴していたけど、今は至って健康そうだ。
愛娘が試練を受けているのを待つ日々は心配だったろうけど、今はそれをおくびにも出していない。
試練のことを中心に話をしつつ、お茶菓子を頂きながらくつろいでいると、他の里の人たちもゾロゾロとやってきて、口々に祝福と労いの言葉をかけてくれた。
「よく頑張ったなあ」
「流石はナータさんとコデコさんの子だ、この年齢で一人前になるなんてたいしたもんだよ」
なんて言葉を受けるたび、
「えへへ」
と、いつものはにかんだ笑顔を作るジェリー。
「ほっほっほ、よくやったの」
「あっ、おじいちゃん!」
そして、俺達が来た時は所用で里の外にいたというエレッソさんも家にやってきて、労いの言葉をかけてきた。
「ユーリ殿、お役目お疲れ様でした。命を落としかねない危険な試練が幾つもあったことでしょう。よくぞあの子を守って下さいました。わしからも厚く御礼申し上げますじゃ」
「いえ、いい経験をさせてもらいましたよ。それに守ってもらったのはむしろこっちの方で、俺はほとんど何もしてないんです」
「私どもからも改めて申し上げます。本当に、幾らお礼をしても足りません」
「いえいえ、そんな」
「あなた方に娘を託して、本当に良かった。ありがとうございます」
色んな人から何度も深々と頭を下げられたり、お礼を言われると、恐縮してしまう。
せめてものお礼ということで、その日の夜、里の人たちがまたも盛大に宴を開いてくれた。
もちろん喜んで参加させてもらうことにした。
野菜や豆を中心にした健康的な料理も、甘味の強い果実酒も、相変わらずとても美味かった。
酒といえば、タルテは相変わらず、ちょっとずつ酒を飲んで悪酔いを回避していた。
ミスティラとの一件で過剰に自我を抑制する必要がないって分かって吹っ切れたのか、あの日以来、酒に対する抵抗感のようなものが薄れている気がする。
ちなみにあの時は"処理"が結構大変だったんだよな。色々な意味で。
「トラトリアの里……成程、聞きしに勝る良い場所ですわね。風と地の魔力に満ちているのもそうですが、何よりこの幻想的な美しさに見惚れてしまいますわね。そして、住まう花精の方々も温かい……実に素晴らしいですわ」
実際に足を踏み入れるのは初めてだというミスティラも、すっかりこの場所を気に入ったみたいだ。
ほわほわした気分の中、いい具合に腹が満たされていって、酒も回ってきた所で、恒例の花精の民族音楽と踊りを堪能させてもらう。
踊り手は……うお、やっぱりあの2人か。
目が合って笑いかけられた瞬間、ほとんど反射的に背筋がゾクッとしてしまう。
「おい、何度も言うけど、あの時のことは本当に偶然で誤解だし、今も全然やましい気持ちはねえからな」
「わ、分かってるわよ」
お? やけにあっさり分かってくれたな。
じゃあ何であの姉ちゃんたちが出てきた瞬間俺を睨んだんだとも思ったが、藪蛇になりそうなので流しとこう。
そういやあの2人、衣装が……前回と違う?
というか、有り体に言ってしまうと、露出度が明らかに上がってるぞ。
そこまで露骨に性的でも、下品でもないんだけど、要所を的確に押さえているというか、肢体を綺麗に浮き出しつつ、へそや脇の周囲などを見せている、そんな意匠だ。
振り付けも、記憶に残っているものと大きく変化はないんだけど、妙に艶めかしく映る。
……ちょっと待て、どうして変にドキドキしてるんだ、俺。
やめろやめろ、意識すんな。
審査員のような態度で踊りと音楽を堪能しろ。
「お久しぶりですユーリさん」
「私たちの踊り、いかがでしたか? 少しだけですが、変化をつけてみたんですよ」
踊りを終えるなり、姉ちゃん2名が近寄ってきた。
うん、きっと来るだろうと思ってた。
無下にはできないので、なるべく普通の態度になるよう応じねえと。
「えーと、フリンさんとパンナさんでしたっけ。どもっす。良かったですよ。相変わらず上手で、つい見とれちゃいました」
「覚えていて下さったのですね。嬉しいですわ」
「私たち、旅立たれてからもずっと、ユーリさんのことを忘れられずにいましたのよ」
「そうなんすか。ありがとうございます」
「あら、随分と素っ気ないですわね」
「あの時はあんなにも可愛らしい反応を見せて下さったというのに。"大人"になられてしまったのですか?」
「そうっすかね。気のせいじゃないですか」
我ながら涙ぐましいと思うくらい、穏健に済むよう対応してきたつもりだったが、報われたとは言い難かった。
「あーらいけません、酔いが回ってしまいましたわ!」
「おま、やめろ、くっつくな」
「恥ずかしがらずともよろしいではありませんか」
タルテが大丈夫だと思ったら、こっちの方がムカっと来ているみたいだ。
言葉とは裏腹に、目が全然笑ってない。
ったくもう、何でこううちの女どもは……
なだめすかし、やっとこさミスティラを引き離した所で、今度は姉ちゃん2名がさっと左右に散って俺の両手を取った。
まるで俺がそうする時機を見計らっていたかのように。
いや、見計らってたんだろう。
この人たちの怖いくらいの計算高さ、誘導能力を考えると……
「私たち、ユーリさんに愛して頂けるよう、魅力に磨きをかけていましたのよ。踊りだけでなく、女としても」
「いかがですか? 昂ぶりを覚えませんか?」
魅力っつーか、露出度が上がってるんですけど。
目のやり場に困っちまうじゃあねえか。
「ユーリ様、どうか誘惑の蜜に惑わされませぬよう。甘さで内に秘めた猛毒を隠蔽しておりますが、味わったら最後、虜となって囚われ、出られなくなってしまいますわ」
「惑わされてねえよ」
あの時中々面倒な目に遭った分、尚更な。
「ミスティラの言う通りよ。……わ、わたしをみみ見なさいよ」
「……お、おう?」
更に予想だにしない台詞が飛び出してきて、つい狼狽してしまう。
「よくぞ仰いましたわタルテ。とはいえ、最も甘く、そして良く効いて身となる薬を体に有しているのは他の誰でもない、このわたくしなのですが」
「は、はあ」
何とも言えない、微妙な空気が醸成される。
もうここまでこじれると誰のせいとも決められないけど、どうすんだこれ。
アニンは笑ってるだけで何もしねえし、姉ちゃん2名は意味深な微笑みを浮かべて俺を見てくるし。
誰か助けてくれませんかね。
まあその場はあれやこれやで何とか切り抜け、宴の締めにコデコさんのアップルパイを頂いてお開きとなり、ジェリーは実家に、俺達は前回同様エレッソさんの家にお世話になることになった。
そんなに遅い時間帯での解散ではなかったが、すっかり夜も更けている。
酔いの回った体を持て余しつつ椅子に腰かけ、外でふわふわ漂う、蛍のような淡い光の球を眺めていると、里に来てからの光景が次々脳裏に浮かぶ。
笑っている姿。
食べて飲む姿。
歌っている姿。
甘えている姿。
里に戻ってからのジェリーは、とても楽しそうだった。
そして何より、とても安らいでいた。
当然だよな。
あの年頃なら、ああやって家族や近所の人と一緒に過ごしてるのが普通だ。
……やっぱり、ここで……
未来のことを想像すると、すうっと酔いが醒めていき、体温も急に下がっていく。
でも、俺は、いや俺達は、この答えを選ぶのが最善だと思っている。
その前に最後の確認だ。
立ち上がって、3人を呼び集める。
「ちょっといいか? ……前々から話をしてたことなんだけどさ」
リレージュに着いてから、俺達は話し合っていた。
「やっぱり……そうするの?」
「ああ、両親や里の人たちと一緒にいる姿を見て確信したよ。お前らも同じだろ?」
話にジェリーを加えなかったのは、結論を出すのが遅れたり、偏らないようにするためだ。
本人を交えてしまえば、恐らく鈍ってしまってただろうから。
「女子にうつつを抜かしていただけではなく、よく見ていたのだな」
「当たり前だろ、ってかやかましいわ。みんなも同意見ってことでいいんだな」
「うむ」
「そうですわね。至極もっともだと思いますわ」
皆の同意も得た。
よし、近いうちに、本人にも切り出そう。
ジェリーとは、ここで一旦お別れだ。