54話『タルテ対ミスティラ、祝賀の席の決戦』 その4
「悪かったわね! どうせわたしは卑屈で矮小よ! あんたとは違うの! あんたみたいに家族や周りの人から愛されて育ってきて、魔法も使えて……恵まれて育った人とは違うの! そんな人に弱い人間の気持ちなんて分かるはずがない! わたしがどれだけ辛かったか……」
「貴女こそ、わたくしの何を理解して!? わたくしの過去を……いいえ、今のは失言でしたわ」
「ミスティラ殿、恥ではないぞ」
しまったと、口元を押さえるミスティラを諭すように、アニンが言葉を差し込んだ。
ミスティラはほんのわずか、躊躇うような挙動を見せたが、酒を口に含んだ後、続きを話し始める。
「……このわたくしとて、常勝と栄光、友愛に満ちた歴程を辿り続けてきた訳ではありませんわ。心無き罵声を浴びせられたことも、友になりたかった人に裏切られたことも……
ですが! わたくしは決して怨恨や悲嘆に挫けませんでした!
確かに幼き頃より見守り、導いて下さる方々に恵まれていたこと、否定は致しません。とはいえ、最終的に乗り越えられたのは、他ならぬわたくし自身の強さであると自負しておりますわ!」
そこまで話した所で、突然に俺の脳内に気付きが訪れた。
ああ、なるほど。このニブチンめ。
途中からジェリーが見守る姿勢に入っていた理由が、ここまで来てようやく俺にも理解できたぜ。
確かに、厳しい顔で激しい言葉の応酬こそしているものの、今の両者の間に暴力的で殺伐とした空気は感じない。
そしてこういう空気感、状況こそがアニンの描いていた絵図だったんだろう。
2人とも大したもんだ。
俺ばっかりがオタオタしてて、恥ずかしいったらない。
タルテもすっかり、本音をぶちまけられるようになっているみたいだ。
「だから、そういう部分で既にもう違うのよ! そりゃあ、わたしだって……わたしだって強くなりたい! あなたのようにまっすぐ向き合いたい!
でも……できないのよ! 人とまっすぐに向き合えないのよ! 怖いの! 本音をぶつけられないの! 醜く嫉妬しちゃうの! 何か言おうとするたびに否定されて、怒鳴られて、時には暴力を振るわれたりもして! そんなことが小さい頃からずっと続いたのよ!? できるわけないじゃない!」
「その前提が大間違いだと言うのです! 最初から出来ない相手に期待など致しません! わたくしは貴女を……っ」
「なによ」
ミスティラがまたも言いよどんだ。
こうも短時間で立て続けにこうなるのは珍しい。
続けたいのか、それとも取り消したいのか、輝きの強い目を伏せ、唇をそっと噛む。
「……わたくしは、貴女の底力や可能性を少しは、そう、ほんの少しだけですが、認めていますのよ?」
「…………!」
ぽつりと漏れた一言に、今度はタルテが言葉を失った。
「足手まといにならぬようにと、貴女は弓の扱いを覚え、そしてあの"帰れずの悪魔"にも立ち向かったではありませんか。その源泉となったのは、他ならぬ貴女の心の中に眠っていた力ではありませんの? 貴女の義母は、かの悪魔よりも強大な力を持っておりましたの? 恐怖心が、相手を過大に錯覚させていたのではなくて?」
「そ、それは……」
「人と向き合えないというのも道理に合いませんわね。競竜の時も、温泉の時も、ユーリ様にしかと主張をしたではありませんか」
「ミスティラ殿の言う通りだ。タルテ殿は出来ている。もう1つ思い出してみるがいい、トラトリアの里で、ユーリ殿が花精の女子たちに誘惑されかけた時、己の力で引き戻したではないか」
「おい、別に俺は誘惑されてねえぞ。つーかんな話を今出すかよ」
「空気を読めユーリ殿。今は反論する場面ではない」
ぐうの音も出ない正論だった。
「そもそも、全くの孤立無援でもなかったのでしょう? 悲劇の主役という役割に陶酔しすぎて失念されているのでしょうが、例えば実の母君は、常に貴女を愛してくれたのではなくて?」
「……お母様」
「まったく、当たり前の事をわたくしから言わせないでちょうだい!」
目を開き、涙を零し始めたタルテに、ぴしゃりと言い放つミスティラ。
「……ふう、ここまで口を滑らせてしまったのならば、もう致し方ありませんわ。エピアの檻の如く、より深き海に沈みし本心を打ち明けましょう。
立場や魔力の有無といった相違こそあれど、わたくしと同じ夢を抱き、わたくしと同じくらいの芯の強さを持ち合わせてもいる貴女となら……初めての対等な盟友になれると、そう思っておりましたのよ。いいえ、今も……」
あれだけ喚き散らしていたミスティラの顔が、今は信じられないくらい穏やかになっていた。
こいつ……そんなことを思ってたのか。
もしかして今まできつく当たってたのも、それが理由なのか?
「……今さっき、あんなにひどいことを言ったのに?」
「同罪、お互い様ですわ。いいえ、嫉妬の度合いがより醜い分、わたくしの方が重罪かも知れませんわね」
「ずいぶんと殊勝ね。珍しい」
「だ、黙りなさい」
「……ありがとう。そういう風に思ってくれてたなんて、本当に嬉しいわ」
目元を拭った後に見せたタルテの笑顔には、もう一切の屈折も、卑屈さもなかった。
「訂正させて。あなたは、あの人とは全然違う。心から尊敬できる、強くて優しい、まるで先生みたいな人よ。厳しいことを言ってくれて感謝するわ。よかったら、これからもわたしに色々……」
「教師などと、そのように窮屈な定義を当てはめないで下さる? わたくしは……その、対等な盟友になりたいと申しておりますの。何度も音にさせないでちょうだい。
それと、互いに切磋琢磨し、過ちがあれば正し合うのは当たり前のことですわ」
「……そうだったわね、ごめんなさい」
そう言って、タルテは右手を差し出す。
「こちらからも改めて、よろしくお願いするわ」
「ふ、三文芝居のような筋書きでしたが、悪くはない決着ですわね」
ミスティラもまた、手を出して握り返す。
「先に暴力に訴えたこと、謝罪致しますわ」
「いいわ、お互い様だから。差額は目を覚ましてくれた勉強代ってことにしておいてくれるかしら?」
「確かに受領致しましたわ」
固く握手を交わし合う2人の顔はとても清々しく、まるで試合終了後に健闘を称え合う運動選手のようだった。
「対等と認めた以上、今後は何においても一切の仮借を含みませんわよ。肝に銘じておきなさい。……タルテ」
「わたしも、負けないわ。……ミスティラ」
「うむ、これにて一件落着だな」
ようやく区切りが見えた所で、具体化するようにアニンがパンと手を打ち鳴らした。
「仲よくなれてよかったね」
「みんな、ごめんなさいね。見苦しいところを見せちゃって」
「そんなことないよ。タルテおねえちゃんも、ミスティラおねえちゃんも、かっこよかったよ。ちょっとビックリしちゃったけどね、えへへ」
「そ、そうかしら」
「ジェリーちゃんの言う通りですわ。拍手喝采ものの名戯曲だったではありませんか」
「さっき三文芝居っつってなかったか?」
「お聞き間違えになられたのではなくて?」
んな訳ねえだろ、と思いながらも笑ってしまい、それにつられてみんなも笑う。
もちろん、その中にはタルテも含まれている。
本当に強くなったよな。
今のお前になら、"秘密"を話せるかも……
いや、その前に俺も強くならねえと。
2人のぶつかり合いを見て、改めて思い知らされた。
この中で一番臆病なのは、俺だ。
きっと俺が一番、色々なものと向き合えていない。
あいつに資格を求めておきながら、当の自分に資格が、勇気がないってのも滑稽すぎる話だ。情けねえったらねえ。
「空気を読めユーリ殿。今は浮かない顔をする場面ではない」
「ああ、悪い悪い。ちょっと酒が回ってきてさ」
咄嗟の誤魔化しだったが、幸い深く追及はしてこなかった。
「では、改めて御二方、固めの杯を取り交わしてはいかがか。そして今度こそ、盛大にジェリーの試練突破を祝って飲み食いしようではないか」
「良い考えですわね」
「そうね、いただくわ」
「おいおいタルテ、飲むのはいいけど大丈夫か? 珍しく量行ってるけど」
「……うん、だいじょうりゅ」
大丈夫じゃなかった。
その後は色々な意味で盛り上がって、最終的にはヘトヘトになっちまったのは言うまでもない。
ま、楽しかったからいいけどさ。