54話『タルテ対ミスティラ、祝賀の席の決戦』 その3
ミスティラは明らかにカチンと来たみたいだったが、表情を動かす程度に留めた。
それを目敏く察知したタルテは怖気づくが、何とか言葉を繋ぎ続ける。
「ごめんなさい。……でも、わたし、怖いんです。あなたのことが。その……わたしの……義理の母親と似ている部分があって」
「…………」
「わたし……義母とは折り合いがよくなかったんです。血のつながっている母は……父の本妻ではなかったから」
この辺りの事情は俺も以前タルテから聞いたことがあって、本人の許可を得てミスティラにも少し話したことがあった。
なんだけどミスティラの奴、それでもあんまり考慮してくれなかったんだよな。
「続けなさい」
それはたった今も、現在進行形で証明され続けてるけど。
「でも、仕方ないって思ってました」
しかし、本人的にはまだ大丈夫なようだ。
少し間を置いて、話を続行するタルテ。
「自分以外に妻と、それと血のつながらない子どもがいるなんて、疎ましいと思うのが自然でしょうから。
……でも、そんな関係を抜きにしても、あの人のことは苦手だったし、怖かったんです。大げさで、高飛車な言い方ばかりだし、泣いても、反抗しても、笑っても、黙っていても、何をしていても否定されて。それで、両親が亡くなった後は、養子にもしてくれなくて、最後は奴隷として売られそうになって……」
「もう結構ですわ」
飲食も忘れ、目を閉じ傾聴する姿勢を継続していたミスティラが、タルテの震え声を断ち切った。
「わたくしが貴女を虐げているという誤解についてはこの際触れないでおきましょう。何よりも問い質したい事項は唯一つ。何故、より激しく戦い、権利を勝ち取ろうとしませんでしたの?」
だけど、決して優しさで止めた訳じゃなかったようだ。
きっと目を細めてタルテを見据え、詰問する。
「…………」
今度のタルテは、何も答えられなかった。
「真に己の置かれた環境に不満があったのならば、勝ち取りたいものがあったのならば、例えどれだけの傷を負おうとも、敗北の汚泥に身を浸す結果になろうとも、戦い抜くべきではありませんの? 責は、勝手に諦めてしまった貴女にあるのではなくて?」
ある意味ではローカリ教の人間らしからぬ発言じゃねえか、それ。
なんでここまで、タルテに対しては当たりがキツいんだ?
止めた方がいいだろうか、と考えていると、またタルテと目が合う。
今度はより強くはっきりと、縋りつく視線を送ってきていた。
突然、ダン、と強い音が鳴る。
酒で喉を潤したミスティラが、杯を乱暴に卓へ置いた音だった。
「不愉快ですわ。その煮え切らぬ態度! その、同情を買おうとする態度! ここまで周囲の手を借りておきながら……片手で数えられる歳の幼子でさえ、もっと力強い自立の意志を見せますわ!
申し訳ありません皆様。ですがもう我慢の限界が来てしまいました。はっきり申し上げましょう。タルテさん、貴女は惰弱も惰弱、巣穴に籠る臆病兎以下、いいえ、石に隠れる団子虫ですわ!
そんな虫けらにも等しい貴女に、尊きユーリ様と同席同道する資格はありません! 速やかにわたくしやユーリ様の視界から消えなさい!」
怒りと酒気、そして手を出さないと誓ったことで生まれた欲求不満が混合したせいか、ここぞとばかりに一気にまくしたてる。
「お前、ちょっとそりゃ言い過ぎ……」
「待たれよ、ユーリ殿」
「ふがもも……」
流石にやべえと思って立ち上がろうとした時、いきなりアニンの奴が口を塞いできやがった。
「ジェリーも、もう少しそのまま見守っていて欲しい。大丈夫だ」
更にアニンはもう一方の手で、ジェリーの肩をそっと押さえる。
力こそ入っていなかったが、目や声が真剣だったから、俺達は二の句が継げなくなってしまう。
……本当に大丈夫なのかよ。
小刻みに体を震わせ始めたタルテを見ていると、心配せずにはいられない。
「どうなさいましたの? ここまで言われて、屈辱も激憤も湧いてきませんの? ……ふう」
ミスティラの方はというと、一向に追撃の手を緩める気配がない。
しかも火に油を注ぐように、怒った心身へ更に酒を注ぎ込んでいく。
怒りと酒のせいで、頬はすっかり真っ赤になっていた。
「何かおっしゃいなさいこの無能! それとも早くも言葉を武器とする術に限界を覚えていらっしゃるのかしら? でしたら構いませんわよ、平手、拳、枕、椅子、何でもお好きに用いなさいな。粗野に訴える方が、貴女に相応しいのではなくて?
安心なさい。先の誓いに違わず、わたくしは一切手出しせず、あくまで舌鋒を以てのみ応じますわ。貴女如き、触れるまでもなく屈服させられますもの。そうでしょう? 己が想いすら素直に綴れぬ愚鈍な生娘に敗れる要素など、このパン屑ほどもありませんわ。
あーら失礼? 怖い怖い、貴女の義母のような口振りになってしまいましたわね。お許し下さいませ」
おいおいおい、これもう一方的すぎんだろ。
不介入を貫くにも限界ってのがあるぜ。
おまけに最後の方は俺自身にも言われているようで耳が痛い。
ってかそれ以前に、やっぱこういう場面をジェリーに見せちゃまずいだろ。
……と思ってちらっと横目で窺ってみたが、意外なほどジェリーは落ち着いていた。
ミスティラの勢いに驚きこそすれど、恐怖はしていないようにも見えた。
「……よく言うわね」
また、当のタルテも、完全に打ちのめされてはいなかったらしい。
あれだけの罵倒を受けたにも関わらず、意外に感じられるほど余裕のようなものがうかがえた。
「あの時だって、先に手を出してきたのはあなたのくせに」
声量こそ消え入りそうなくらいだったが、効果は抜群だったらしい。
一瞬、ミスティラは言葉を失い、眉をぴくつかせた。
「タルテ殿、声が掠れているぞ。喉を潤すといい」
アニンお前、この状況でよくんなこと普通に突っ込めるな。
しかしタルテは冷静に助言を聞き入れた。
無言でアニンから渡された杯を受け取り、グッと一息に飲み干す。
……っておい、それ、酒じゃねえか?
「……なにが愚鈍よ。人前、しかも父親もいた前でユーリに振られたにも関わらず、それでもついてきてるような図々しい、いいえ、羞恥心のない人に言われたくなんかないわ。よくもまあ、平気で自分を棚に上げられるわね。不感症なのかしら?」
一呼吸の後、はっきりした呂律でタルテが放った一撃は、あまりに強烈な猛毒を含んでいた。
これまで絶対的優位に立っていたミスティラが、一瞬の内に表情を激変させて、
「な……なんですってぇ!?」
色んな感情を入り混じらせた声を漏らしながら、わなわなと震え出す。
形勢逆転というのはこういうことといういい見本だ。
「ユーリ、おかわり」
「は?」
脈絡なく杯を突き出される。
何でいきなり俺に振る……
「おかわりっ!」
「お、おう。……ほら」
「ちがうっ!」
「ユーリ殿、こちらを」
気を遣って水にしたってのに……もうどうなっても知らねえぞ。
「……んっ」
タルテは手渡された酒(しかも結構強めのやつ)を再び傾け、叩き付ける勢いで卓に置く。
「淑女らしからぬ振る舞いですわね」
「うるさいッ!!」
部屋全体をビリビリと揺るがしかねない怒声に、思わず飛び上がりそうになる。
今のタルテは、普段は絶対に見せないような、凄まじい形相をしていた。
目に涙こそ滲ませているが、激しい呼吸で肩を上下させているその姿からは可愛げの欠片も見当たらない。
「聞きなさい棚上げ女ッ!! わたしだって……好きでこんな風になったんじゃないのよ! あの時のことを体験したこともないくせに、勝手なこと言わないでよ!」
「それが惰弱だと言うのですわ! どうして戦わないのです! 乗り越えないのです!?」
ミスティラも全く怯まずに応戦する。
「だから、どうしてそう無神経なの!? あんたのそういう所、本当に大嫌い! いっつもいっつも、ムカムカしてしょうがなかった!」
「わたくしも改めて宣告致しますわ! 貴女の卑屈で矮小な性根、つくづく嫌悪が込み上げてきますわ!」
いきなり大爆発する所はいいのか?