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53話『三人は内省する ~ミスティラの場合~』

 全く、わたくしとしたことが、あのような生娘を相手につい理性の鎖を引き千切ってしまいましたわ。

 更に、事もあろうに、ユーリ様の御前で血を流すなどという醜態を晒してしまう始末。


 これも全て、あの目付きの悪い小娘がいけないんですのよ。

 わたくしとて、当初の内はあの娘などに手を上げるつもりはなかったというのに。


 ……いいえ、それは偽証。

 本音を白日の下に晒してしまいましょう。


 わたくしは、あの娘に激しい嫉妬の炎を燃やしている。

 それはもう、万物を焼き尽くす禁断の魔法のように。

 気が狂いそうなほどの激情を、つい先刻まで薄皮一枚の所で押し留めていたのです!


 嗚呼、赦し難い!

 すぐ頭に血が上るくらい器が小さいとくれば乳房も小粒、矮小に矮小を掛けたような小娘。

 美貌でも魔法でも、わたくしが劣る要素など、1つとてあるはずがないというのに!


 ……そ、それは、料理や掃除、経理といった技能ではわずかながら遅れを取りは致しますが、元来淑女には必要無きこと。

 ローカリ教徒としての、最低限の嗜みさえあればそれで充分なのです。


 ともあれ、そのような矮小なる存在よりも、わたくしの方が圧倒的に優れた淑女であることは事実。

 天地が上下逆に入れ替わろうとも覆りようのない真理!


 ……しかし、それでも。

 それでも!

 わたくしは、羨望に心焼かれずにはいられないのです!


 わたくしがこの世界で最も欲している財宝を手にする権利を、あの娘は手にしているのだから!

 にも関わらず、どうして受け取らないというの!?

 わたくしへの憐憫? 斟酌?

 そのような思いを示されて、わたくしが喜ぶと思って?


 戦火が広がる口火となったのは、そこから。






 ジェリーちゃんが真なる花精と花開く為、ユーリ様と共に試練へ赴いている間、残されたわたくしどもはただ信頼を羅針として御二人の帰還を待ち続けておりました。

 とは言っても、座して祈り続けるも無為に等しき行為。

 我がプスラ寺院にてローカリ教としての営みに汗を流し、余暇には魔法図書館にて学びを深めることで、隙間を埋めていたのです。


 事を引き起こしたのは、一昼夜の後。

 朝の炊き出しを終えてから食事を済ませ、部屋に戻ってしばしの休息を取っていた時でした。


「あっ、ごめんなさい!」


 タルテさんが、卓上の水差しを掴み損ねて床に落とし、割ってしまったのです。


「まったく、不注意ですわね」


 普段ならば、精々一言に留める程度で終えていたでしょう。

 しかしこの時は、つい遁走する賊軍に追撃を行ってしまったのです。


 その理由はきっと、ユーリ様の不在、降り積もった負の水滴の蓄積……これら全てが複合したせい。


「大体何ですの? ユーリ様やジェリーちゃんがいなくなってからと言うものの、そわそわそわそわと。はっきり言って目障りですわ。そういえば昨晩も、洗い物で食器を割っておりましたわね。備品とて無料ではないのですから、大切に扱って頂きたいものですわね」

「……す、すみません」


 つい言葉に猛毒の棘を仕込んでしまったことは認めましょう。


「分かっているんですけど、ユーリやジェリーのことが心配で、つい……」


 ですが、このじれったい態度!

 つくづく腹立たしい……!


「……愚かな」

「……!」


 実際の所、相手の反応など、どうでも良かったのでしょう。

 最初からこちらの終着点は決定していたのだから。


「愛する者を信頼できないとは、己の弱さを恥と思いませんの? アニンさんを見習ったらいかが? 平時と変わらず振る舞っているではありませんか」

「いや、自分で言うのも何だが、私は参考にならぬと思うぞ」

「先の戦いにて、"帰れずの悪魔"を討つ一助となった時はわずかながら見直しもしましたが、どうやらわたくしの見込み違いだったようですわね。ユーリ様がお可哀想ですわ」

「わ、わたしは別に、ユーリのことは何とも……」


 この時点で、激情を堰き止めていた鉄壁が決壊してしまいました。

 理性が途切れ、体を巡る血が灼熱、呼吸が止まり、滲むように揺らめく視界……


「……ぁっ!」


 気が付けばわたくしは、タルテさんに向かって、近くにあった枕を思い切り投げつけていました。


「どの口がそのようなことを仰いますの!? 愚弄するのも大概にしてちょうだい! 貴女の今の発言、わたくしへ対する、いいえ、ユーリ様にとっても最大の侮辱ですわ!」

「…………」


 相手は焦点定まらぬ呆けた顔でわたくしを眺めるばかり。

 そんな態度が余計に、我が内に燃え盛る火炎へ油を注ぎ込み、薪をくべる!


「こうまでされて、反撃どころか言い返す気概さえございませんの!? 臆病を通り越して愚鈍ですわね! このような死に損ないの羽虫と寝食を共にしたなんて、吐き気さえ覚えますわ! 今すぐ消えなさい! いいえ、ユーリ様の傍に立つことさえおこがましい! 蠅! そう、貴女はユーリ様という名の蜂蜜に集る蠅ですわ! 汚らわしい!」


 内から止めどなく溢れ出る怒りのままに誹謗を羅列していると、なんと相手の睥睨しているような目から、涙が零れ始めたではありませんか。

 これではまるでわたくしが、人を苦しめて死に至らしめる魔法を詠唱しているようではありませんか!


 ……消火になる?

 ……いいえ、これは火薬!


「薄汚い涙……! 同情を買う何の足しにもなりませんわ! 寺院を汚さないでちょうだい!」


 本当は、更に十重二十重と浴びせかけるつもりでした。

 その目論見を遮ったのは、乾いた音と、頬へ走る熱と痛み。

 不覚にも今度はわたくしの方が、ほんの一瞬といえど呆けてしまう番でした。


 まさかこの小娘が、このような行動に出るとは思わなかったから。


「やってくれました……わねッ!」


 ですが、戦う者としての心得も授かったこのわたくしが、手を上げられたにも関わらず何もせずにいては女がすたるというもの。

 借りたものは即座に返済して差し上げましたわ。

 利子は拳という形で上乗せして。


「うっ!」

「わたくしに勝てるとお思いになって? テルプの温泉の時のように優しくは致しませんわよ」


 言葉とは裏腹に、わたくしの火山は終息を見始めておりました。

 怒りを延々と撃ち放したりしないままなのが、わたくしの美点ですわね。


 ですから、頭を垂れて赦しを請うならばそれで良しと考えていたのですが……

 あろうことか、あの娘は、このわたくしに向けて、椅子を投げつけてきたのです!


「な、何をなさい……ッ!」


 あの時の形相といったら!

 髪を振り乱し、顔中にしわを作り、息を荒げ……まるで悪霊が憑りついたかのよう!


「わたしは……わたしは、薄汚くなんかない!」

「だ、黙りなさい、この犬! よくもわたくしに、このような……!」


 それからのことは……記憶が定かではない、というのが本音ですわ。


 最早、言葉など不要。

 淑女という概念も、この時ばかりは身を縛る鎖。

 交わすは拳、平手。

 繋ぎ合うは手と髪、或いは手と衣服。


 ユーリ様がいらっしゃらなくて良かったと、心の底から思いましたわ。

 あのようなはしたない姿を見られでもしたらと考えただけで、かんばせが熱を帯びてしまって……


 とはいえ、魔法や武器を用いるという考えはありませんでしたわね。

 当然ですわね。たかが惰弱な兎、素手で充分。

 むしろ利き手を用いないという制約さえ課すべきだったと反省しております。


 ただ、臆病兎と言えど、いざとなればそれなりの底力を絞り出すという事実だけは認めざるを得ませんわね。

 こちらも少なからず手傷を負ってしまったのですから。


 聖戦の最中、アニンさんはただ無言の観客に徹しておりました。

 前々から感じておりましたが、あの方の思想や行動原理はよく分かりませんわ。

 もっとも、口も手も出さないで下さったことには感謝の念さえ抱いておりますが。






 ユーリ様とジェリーちゃんが試練を終えて帰還するまで、決着はつきませんでした。


 つくづく癇に障る小娘ですわ。

 卑屈なくせに、思わぬ所で大爆発を引き起こす……感情を有している分、火薬より性質が悪い!


 わたくしとて、血の通わぬ悪魔ではありません。

 あの娘の人格が形成される原因、境遇については、ユーリ様や当人より耳にしていて、無理からぬ事と理解を示してはいるつもりですわ。


 ですが、いつまでも囚われていて、一体何になるのです!?

 過去を、苦痛を、乗り越えてこその人ではありませんか!

 成長を止めてしまうなど、人が人として在る理由を放棄しているに等しいですわ。


 そのような相手に、最も負けたくない部分で勝てないことが、腹立たしくて仕方がない。

 口惜しくて仕方がない。


 嗚呼、それにしても、ユーリ様の何と愛おしいこと!

 日々を重ねる毎に愛が募りすぎて、己が欲求を抑え切れなくなりそう!

 少年の輝きを失わない目が、悪戯っぽさを残す立った髪が、落ち着きを含む明るい声が、逞しくしなやかな筋肉が、類を見ない強さが、聖騎士の如き誠実さが、父性と母性を併せ持つ優しさが、ありとあらゆる全てが愛おしい!


 何よりも、ローカリ教の教義に合致した"餓えし者に施しを"という信念を、誰に教えられずともお持ちでいらっしゃったことに深い崇敬を抱かずにはいられません。

 これはきっと、教主の娘たるわたくしと結ばれるべきという天啓。

 なれば、あの方の喜びに繋がるよう、惜しみなく全てを捧げてみせましょう。体も、心も、武も、魔法も、魂も……


 かつてユーリ様からは「お父様を救って頂いたことを火種とする、一時の熱に浮かされているだけ」といった主旨の御言葉を頂きました。

 確かに当時に限定したならば、的を射ているかもしれません。


 ですが今となっては、ユーリ様の方が取り誤られていたと表現するしかないでしょう。

 こうして熱病が平癒した今も、わたくしの、ユーリ様への愛は些かも衰えてはいないのですから。

 紛れもない本物と、胸を張って、誰にもはばかることなく断言できますわ。


 このように、わたくしの覚悟はできているというのに、当のユーリ様は一向に手を出して下さらない……

 そんな奥ゆかしき所もたまらなく可愛らしいのですが、何を我慢なさっているのかしら?


 ……いいえ、本当は問うべきも無きこと。

 骨が軋む程に理解しております。


 ユーリ様はきっと、持ち前の気高き信念と、金剛石の如き意志で操を立てている。

 その相手は他ならない……


 勝機などほぼ無いに等しい、絶望に満ちた戦であることは、最初から承知しております。

 御二人の間に流れる、不可視の糸と意図を察せぬ程、わたくしは愚かではありません。


 本音を打ち明ければ、揺らぎそうになる時もあります。

 挫けて膝を折り、また涙を零してしまいそうになる時もあります。


 そんな弱さを、めっきを施すように、嫉妬と憤怒で上塗りしているに過ぎない。

 わたくしとて、あの娘と大して変わりがないのかもしれません。


 ……そうだとしても!

 どうしてもあの娘には渡したくはない。

 相応しい、相応しくないといった資格などは関係なく、わたくしが心の底から愛しているから。

 ユーリ様と結ばれるのは、このわたくし。

 例えこの心が、隠し事で汚れているとしても。


 それに……大して変わりがないからこそ、わたくしはあの娘と……

 ああもう! どうせならばせめて同じ舞台に上がってきてもらいたいですわ!

 そうすれば、仮にわたくしが争いに敗れたとしても、納得できないこともないというのに!

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