52話『ジェリー、花開く』 その1
「……え?」
あまりにあっさりとした、夢への静かな埋没。
「ウソ……だろ?」
ま、まさか……本当に……
「冗談はやめてくれよ。ちょっと寝たふりしてるだけだろ? ……なあ」
「…………」
「何とか……言ってくれ……よ……」
声をかけても、揺すっても、されるがままで物言わぬ少女。
こんな簡単に、終わっちまうもんなのか……?
「ぐっ……」
俺は……俺は……何もできなかった。
何がヒーローだ。
助けてやれなかったじゃねえか。
この無能め。クズめ。
突きつけられた現実に、顔が、感情が、色々混ざってグチャグチャになる。
自分の身を蝕み続けているモノも忘れ、いや、どうでもよくなってきた。
汚い、熱いものを抑え切れない。
そもそも、もう抑える必要なんかないよな。
爆発させちまおう。
全部だ。
もういいや。
そしてその後は……
「おにいちゃんっ!」
「うおわっ!!」
最終決定しようとした直前、声をかけられて、思わず変な声を出してしまった。
だって、頭上から降りかかってきたのは、他の誰でもない、ジェリーの声だったからだ。
「え、え、え? ど、どうなってんだ?」
見上げると、柔らかい光を全身にまとったジェリーが、ふわふわと宙に浮いて、笑顔でこっちを見ていた。
もちろん、俺の腕の中でもジェリーは眠ったままだ。
2人のジェリーを、何度も交互に見比べてしまう。
「びっくりさせちゃってごめんね。だいじょうぶ、ジェリー、まだ死んでないよ。"たましい"が、体のそとに出てるだけ」
「そ、そうなのか」
出てるだけって、そんな気軽に言っちゃえるもんなのか?
とはいえ、とりあえずは無事だってのが分かって、心の底からホッとした。
「あのね、ここでどうしたらいいのか、やっとわかったよ。ジェリー、ちゃんとした花精じゃなかったからダメだったの。ちゃんと、ぜんぶのお花の心のことを分かってあげてなかったから、苦しくなっちゃってたの。いいお花だけじゃなくて、よくないお花……ううん、いいとかよくないとかじゃなくて、ありのままのお花を。
それとね、ことばのお話だけじゃなくて、もっと心のおくでお話しないとダメだったの。このこと、ママも、おじいちゃんもまえから言ってて、おしえてもらってたのに……
ごめんね、ジェリーがもっとおりこうだったら、おにいちゃん、苦しくならないですんだのに」
「いや、謝らなくていいんだぜ。俺は……ジェリーが大丈夫って分かっただけで……」
「かなしいかおをしないで。今はもうぜーんぜん苦しくないから。……えっとね、それでね、だからこわかったけど、いちどこのお花のことをぜんぶ"いいよ"ってうけいれてみたの。そうしたら、すーって体がらくになって、だんだんねむくなって、こうなったんだ。
おなまえも、おしえてもらったよ。スキケの花っていうんだって」
スキケの花って確か、試練を始める前に花精の人たちが話してたな。
仮死がどうとか……なるほど、目の前のこの光景が答えって訳か。
今、こうして幽体離脱(?)してるジェリーは、特に苦しそうには見えない。
いつも通りの様子だった。
そんな姿を見ていたら、精神だけじゃなく体の方まで緩んじまって、思い切り咳き込んでしまった。
「あっ、ごめんね。すぐおわりにするから」
「ゴホッ……終わりに?」
「うん、こんどは魔法、ちゃんと使うよ。だから、もうちょっとだけまってて」
今までにない自信、いや確信に満ちた一言だった。
ヴェジの枝を右手に持ち、両腕を広げ、魔力を高め始める。
魔力の質も、溜める速さも、さっきとは明らかに違うのが分かる。
俺の心構えは既に成功の可否ではなく、今から使われる魔法は一体どんな視覚効果なのかを見守るという状態に変化していた。
「――春を待たずして枯れ死んだ無辜の生命」
前回よりも遥かに短い時間で溜めが終わり、詠唱が始まった。
「――何を思い土に臥し続ける」
一音一音を、綺麗に、正確に、
「――喜びを知らず飲まれるのか」
濁りのない声音で紡ぎ、
「――無念すら抱かず還り逝くのか」
身も心も魂さえも、スキケの花と調和、一体化して、
「――芽吹く意志あるならば繋げ、今再び土と空を」
どこまでも続く地を慈しみ、
「――理を越え、理に沿う風が、棺を震わせ割く誘いとなろう」
吹き続ける生温い風を友にして、
「――"花吹雪く春息吹"!」
一人前の花精の象徴たる魔法が発動した。
絶え間なく吹き続けていた風が完全に止み、静寂が夜の世界を覆う。
が、すぐにまた風が戻る。
いや、これまでとは違う新しい風が、夜の彼方から吹き始めた。
まさしく春の訪れを想起させる、瑞々しい花の芳香を含んだ、暖かな心地良いそよ風。
目を凝らすと、風の中には光の粒子がチラチラと踊っていた。
それと、いつの間にか体の不調が消えていたのに気付く。
この風のおかげだ。
呼吸を繰り返すほど、重かった体が軽くなっていく。
苦しさ、気怠さが和らいでいく。
悪い熱が失われて涼やかになっていく。
失われた生命力が戻っていく。
そんな俺とは対照的に、地面いっぱいに咲き乱れた灰色の花たちは、少しずつ力を失っていくのが分かった。
風が強くなった。
それを受けた花たちが、ぼろぼろとその身を崩していく。
凪いだ水面に波紋が広がっていくようなその光景は圧巻だった。
魔法の効果範囲は、俺達の周辺に留まらず、このどこまでも続く花畑全てにまで及んでいるようだ。
更に風が強くなった。
全ての灰色の花が、本当の灰と化して吹き上げられ、月の待つ夜空へ還っていく。
終わった、のか?
いや、まだだ。
この魔法は本来、破壊のためにあるものじゃない。
風が止み、光の粒たちが、空位になった地面へゆっくり降り注いでいく。
それら全てが土に付着した後、再び暖かく強い風がどこからともなく吹いて、通り抜けていく。
「凄え……」
自然と、感嘆の言葉が出てしまう。
赤、黄色、白、桃……
風を契機として地面から一斉に緑色の芽が現れたかと思うと、時間と過程を超越して色鮮やかな無数の花が、代わりに大地に生まれ、敷き詰められていく。
これが"花吹雪く春息吹"の真骨頂か。
これが花精の本分か。
なんて綺麗で、尊いんだろう。
「大したもんだ……なんて言葉じゃ足りないよな」
一連の事象は全て、この1人の小さな女の子が用いた偉大な魔法が引き起こしたのだ。
この子は俺の想像以上に立派で、しなやかな強さを持った女の子だったらしい。
今まで過小評価しすぎていた自分が恥ずかしくなってくる。
「本当によくやったな、ジェリー」
心からの労いの言葉をかけると、全ての仕事を終えた一人前の花精が、満開の笑顔で見つめ返してきた。
「あっ!」
と、顔を斜めに向けて小さな声を上げる。
視線の先には、花精と、その相方と思われる人間の若い男が淡い光を放ちながら美しい花畑に立っていた。
他にもあちらこちらから、志半ばにして倒れた人達の姿が浮かび上がる。
魔法の追加作用であの人たちの魂も解放された、ってことでいいのか?
「あの、おねえさん! このヴェジの枝、ありがとう!」
ジェリーの言葉に、花精の女の人は微笑んで、小さく頷いた。
「……うん、大切につかうから! これからおねえさんの分も一生けんめい、花精のおしごとするから!」
「ありがとうございます、おかげで助かりました」
俺からも礼を述べると、人のよさそうな雰囲気の男女は小さく両手を振って、謙遜する仕草を取る。
そして『ありがとう』と口だけを動かして、他の人々と共に、ゆっくり天高くへと舞い上がっていった。
「おねえさんたち……さよなら! ゆっくり休んで!」
「お疲れ様でした!」
あの人たちも、どこか別の世界へと転生していくんだろうか。
もし地球だったら、どうか食べ物に困らない環境へ生まれ変われますように。
目の前の、神聖ささえ覚えるほどの幻想的な出来事を眺めながら、そんなことを思う。