51話『ジェリー、未だ蕾』 その3
「――あったよ!」
少しの時間が経過した後、ジェリーが短く細い棒を掲げて声を上げた。
予想が的中しただけじゃなく、思ってたよりかなり早く見つけられた。ついてるな。
「でも……」
が、言いよどむ。
「どうした!?」
「枝から、力をかんじないの! 元気がなくなってる! これじゃ……」
なんてこった、それじゃあただの枝じゃねえか!
「あっ、でも! もしかしたら……やってみたいことがあるの!」
何を、と聞きたかったが、既に集中を始めていたからやめた。
それに、魔力を高めている姿を見れば、大体の想像はついた。
すなわち、枝そのものに"花吹雪く春息吹"を使うか、あるいはあの魔法か……
「――声無き者達には実りを以て愛を示し」
後者みたいだ。
「雄弁な我には実りを以て繁栄を与えよ、共存共栄、架け橋となる"温かき緑手"」
花による浸食を感じさせない、優しい声音で紡がれた魔法が発動すると、小さな両手に握られた枝が緑色の光を帯びていく。
「んんんん……っ!」
かなりの魔力を込めているんだろう。
目をきつくつぶり、額や頬には珠の汗が浮かんでいる。
頑張れ、頑張れジェリー!
見守るしかできないのが歯がゆい。
「…………ぁっ!」
絞り出すような声を上げた後、枝が、一瞬の閃光を放った。
その後は何も起こらない。
ジェリーも、魔力の注入を止めていた。
もう必要ないからだ。
一見形や色は変わってないが、生命力が蘇っているのが、魔法が使えない俺にもはっきり分かる。
死にかけていた枝が、ジェリーの手で、生きたヴェジの枝に戻ったんだ。
「あっ……」
「おっと」
だが、かなりの代償を必要としたらしい。
抱き止めたジェリーは、かなり衰弱していた。
尋常ではないくらい、体も熱くなっている。
「よしよし、よくやったぞ。第一段階突破だ。次は指輪で魔力を回復しような」
急がせるのは少々酷だって分かってるが、時間が経過するほど花に生命力を削られてしまう。
何とかこらえてもらうしかない。
「……うん、がんばるよ」
ジェリーの声と瞳には、固い意志の力が宿っていた。
紐を通して首から下げた指輪をぎゅっと握り、魔力を補充する。
「さっき魔法をかけたとき、枝からね、声がきこえたの。まえに持ってた人の声。"がんばって"って……! ジェリー、まけないよ!」
「そうか」
前の持ち主は、きっと優しい人だったんだな。
「……ありがとうございます」
届かないと分かってるが、礼を言っておく。
とりあえず第一段階は突破、ヴェジの枝は手に入れた。
次は"花吹雪く春息吹"の発動だ。
しかし、何を蘇らせる?
「……だいじょうぶ、どうすればいいか、もうわかったから」
ジェリーの中には、もう答えがあるようだった。
「思い出したの。おじいちゃんからおしえてもらったこと。"治すことと壊すことは表裏一体"だって」
俺の頭でも理解できた。
つまるところ、水をやりすぎた花が萎れるのと同じ原理だな。
魔法で過剰に生命力を注ぎ込んで、生きているこの花たちを"殺す"って訳だ。
萎れるのか枯れさせるのか、具体的にどうなるのかまでは分からないが。
「おにいちゃん、もうちょっとだけ、がまんしてほしいの。ぜったい、魔法をせいこうさせるから」
「ああ、皆まで言うなって。あんま腹ペコにさせないでくれよな」
おどけて言うと、くすりと笑われる。
そして、ヴェジの枝を右手に握り、集中を始めた。
"花吹雪く春息吹"は上級魔法だから、相当量の魔力が必要なはずだ。
試練前にやった検査で、発動に必要な魔力を持っているのは証明済みだが、今の体力を消耗した状態でやれるかどうかが問題だ。
でも、俺は信じている。
見守る覚悟はできている。
ジェリーは絶対、成功させるってな。
「ん……」
魔力が高まっていく。
さっきの"温かき緑手"よりも、ジェリーが使える最大魔法である"蒼鳴りの剣"よりも強く、大きく。
「んん……っ!」
ひどく苦しそうだ。
無理もない。
今もずっと間断なく、花から邪気だか毒みたいなものが飛び続けていて、俺達の生命力を容赦なく奪い続けている。
正直、俺の方も段々しんどくなってきた。
諸々の症状はどんどん酷くなってきている。
足元がおぼつかなくなってきて、真冬の夜に全裸で放り出されたかのような寒気が襲い続けている。
心臓の辺りが痛い。
鼓動の音がうるさい。
視界が揺らいで滲む。
咳き込みそうになるのを、何とか抑え込む。
ここで弱ってる所を見せちまったら、きっとジェリーは動揺して焦っちまう。
俺はジェリーの足を引っ張るためじゃなく、守るためについてきたんだぞ。
負けてたまるか。
ただ静かに、信じろ。
魔力を溜め始めてから結構な時間が経過したが、まだ詠唱を始めない。
一定量から増えてはいないから、恐らくもう必要量には達しているはずだ。
想像が上手く行ってないんだろうか。
体調悪化に加えて、始めて使う魔法だからな。
いくら事前に脳内学習を繰り返していても、実戦でその通り円滑に進められるとは限らない。
手助けしてやりたいが、何もできない。
黙って信じ、祈り続けるだけだ。
「…………っ!」
いよいよか。
ジェリーがすうっと息を吸い込み、枝を握った手を夜空へ掲げた。
「――春を待たずして枯れ死んだ無辜の生命」
かすれた声で紡がれる詠唱。
「――何を思い土に臥し続ける、喜びを知らず飲まれるのか」
よしよし、頑張れ。
「無念すら抱かず還り逝くのか、芽吹……く……っ!」
しかし、途中から明らかに声の調子がおかしくなる。
「げほっ、ごほっ……!」
「ジェリー!」
とうとう詠唱が止まってしまい、膝をつき、激しく咳き込み出す。
高まっていた魔力が、空気中に散って消失してしまった。
とはいえ、あれだけ魔力を高めておきながら、暴発しなかっただけマシだ。
攻撃的な魔法でなかったのが幸いしたんだろう。
それより、ここまで体を蝕まれてたなんて。まずいな。
「大丈夫、大丈夫だから。ちょっとずつ飲んで、口の中を湿らせな」
背中をさすりながら、水を少しずつ与えていくと、気休め程度だが緩和した。
でも、失った体力や魔力までは戻らない。
「よしよし、次は魔力だ」
指輪を握らせ、失った魔力を回復……
「あっ……!」
ジェリーの短い悲鳴。
なんと、指輪全体にヒビが入ったかと思うと、ボロボロに崩れ去ってしまった。
きっと使いすぎたからだ。
「ど、どうしよう……こわれ、ちゃった……」
魔力が充分に回復したようには見えない。
こいつはちょっと、しんどい状況になっちまったかもな。
「母ちゃんには俺も一緒に謝るよ。さ、もう一回頑張ろうぜ。立てるか? きつかったら俺が支えるからな」
「ご、ごめん……ね……っ……けほっ」
「謝らなくていいんだぞ。俺は全然平気だからな」
だが、ジェリーは弱々しく首を振って、
「……もう……ダメ、かも…………しっぱい、して……ちから、入らなく、なっちゃった……」
涙をこぼし始めた。
「……けほっ、ご、ごめん、ね……ダメな、せいで、こほっ……おにいちゃん、まで……」
どんどん衰弱していき、泣きながら謝罪を繰り返す小さな女の子の姿を見ていると、こっちまで泣きたくなってくる。
耐えろ。
ここで俺まで泣いたら、本当に全部終わっちまう。
諦めるな。
心の萎れたこの子を、どうやってもう一度立ち上がらせる?
叱咤か? 鼓舞か?
「ママ……パパ……」
「そうだろ、母ちゃんや父ちゃんに会いたいだろ?」
返事は、激しい咳と震え。
グリーンライトをかけてみたが、やっぱりダメだった。
「……ぁっ……っ……」
それどころか、どんどん生命力が奪われていく。
段々進行が早く、厳しくなっている気さえする。
「しっかりしろ! こんな所で、こんな所で終われないだろ!?」
冷たくなっていく体。
細く、少なくなっていく呼吸。
焦点が定まらない瞳。
「ジェリー! ジェリー!」
きっと今、この子は想像もつかない苦しみを味わっているだろう。
それなのに。
「……い、じょうぶ」
「ジェリー?」
まるでこれまでの全てが嘘だったかのように。
演技だったかのように。
腕の中の小さな女の子は、微笑んだ。
苦しみが全部消えたかのように、安らかに。
「……かった……か…………ら……」
「何を?」
しかし、ジェリーは答えてくれなかった。
微笑んだまま、まぶたを閉じ、身体から全ての力が抜け、それきり時の流れから切り離されたかのように、全ての動きを止めてしまった。