50話『ジェリー、試練に挑む』 その3
「昨日の夜、俺に言ったこと、覚えてるか?」
代わりに俺がかけてやれる言葉は、これぐらいだ。
「もしジェリーが試練に失敗しそうになっても、恨まないから逃げていいって言ったよな。その言葉、そっくり返すよ。ジェリーが失敗しても、どうなっても、俺は絶対恨まない。
だから、やりたいようにすればいい。俺は最後まで、ずっとジェリーのそばにいるからさ」
そこまで言った時、魔獣がのっぺらぼうだった顔を縦に裂いて、紫色の魔眼を露出させた。
ホワイトフィールドを維持しつつ、短い悲鳴を上げて身を竦ませるジェリーを片手で引き寄せてやる。
石化をもたらす光が俺達に降りかかる……が、完全に遮断。
当然の結果である。
「おい、空気読めよな。せっかくヒロイックな名言を吐いてるってのに」
ったく、ヒーローがいいこと言ってる最中は攻撃しないのがお約束だろうが。
「ま、この通り、俺が飢え死にするまでは平穏無事って奴だ。のんびり行こうぜ」
「……ありがとう」
ジェリーが、すっと体を離す。
「そうだよね、おにいちゃんはいつも信じてくれたし、やくそくも守ってくれたもんね。ジェリーも……がんばらなきゃ!」
「おっしゃ、その意気だ!」
気長に待つつもりだったが、思いのほか早く意志を固めてくれた。
やっぱ、この子は強い。
「おねがいおにいちゃん、ジェリーだけじゃよけられないから、まもって!」
「かしこまりました、お嬢様」
再び魔眼から放たれた魔力を遮断しつつ、承服する。
「風の魔法でこうげきしてみる!」
言うが早く、ジェリーが魔力を高め始めた。
「よし、頃合いを見てホワイトフィールドを解くから、遠慮なくかましてやれ!」
「……風と鎌を掛けて、駆ける先へ切りかけて、"急ぎの刈り手"!」
ジェリーが、魔獣の顔面目がけて風の刃を放つ。
風の地相を活かしたか、速さも大きさもいつも以上だ。
しかしすかさず魔獣の瞳が閉ざされ、のっぺらぼうに戻った頭部に弾かれてしまい、小さな欠けを生じさせるだけの結果に終わった。
「そんな……」
狼狽するジェリーに向かって、魔獣が芝生を蹴り上げ突進してくる。
「おっと」
ジェリーを抱き抱えて回避。
こいつの攻撃方法は魔眼と、体を活かした突進ぐらいだから、対処は容易だ。
油断しなければ問題はない。
あのムカつくぐらい加虐的で饒舌だった野郎が、今は何故か一言も喋らないのは気になるが、んなことより問題は攻撃面、魔獣をどうやって撃退するかだ。
ジェリーはそんなに攻撃魔法を持っていない。
手持ちで一番威力が高いのは"蒼鳴りの剣"だが、ここは海じゃないから使えない。
かと言って武器や格闘による攻撃は望めないのは言うまでもない。
呪符や火炎弾の持ち込みが禁止されていなければと、無いものねだりをしてしまう。
となると、やっぱり魔法しかない。
有効と思われる魔法は一応ある。
あれなら何とかなるかもしれないが、問題は消耗なんだよな。
本人曰く、苦手だから上手く操作できず、必要以上に魔力を消費してしまうらしい。
「おにいちゃん、"縁への介入者"をつかってみる! タゴールの森みたいに邪気がないし、地系統の力がすごくつよそうなばしょだから、きっとだいじょうぶだと思う。にがてでもここでがんばらなきゃ!」
だが、本人も同じ結論に達したみたいだ。
ならば、俺は従うのみ。
「分かった。それなら一旦あいつから距離を開けた方がいいか。ジェリーは魔力を溜めてな」
「……うん、おねがい!」
ジェリーは祈るように両手を組み、目を閉じる。
普段取らない仕草は、他の魔法よりもより多くの魔力と集中力を必要とすることの証左。
「悪いけどバックレんぜ、じゃあな!」
見晴らしがいい場所、という優位性を大いに利用させてもらう。
ジェリーと一緒にブラックゲートで移動し、つかず離れず、約50メーンほどの間合いを取る。
"場外負け"があるかもしれないから、芝生の外へは出ないようにした。
魔獣はきょろきょろと、のっぺらぼうのまま周囲を見回していたが、すぐさま俺達の方へ突進してきた。
「へっ、バーカバーカ!」
ある程度接近した時点で、再びブラックゲートで離脱。
実に簡単な作業だ。
魔眼が開くのにだけ気を付けつつ、同じ行動を幾度か取っていると、
「……じゅんび、できたよ!」
ジェリーの魔力充填が完了した。
かなりの力の波動が、小さな体から溢れそうなほどに漂っている。
「よし。次の移動で勝負をかけられるか?」
「うん!」
突進、魔眼……どちらにも対応できるように、魔獣の挙動を慎重に観察する。
来た。突進か。
走りながら魔眼を開くか、急停止して魔眼を開く可能性もある……が、しそうにない。
よし、ホワイトフィールド解除、そしてすぐブラックゲート。
移動先は……奴の後ろ!
「――愛を騙るより善良で」
今だ、と俺が合図を出すまでもなく、ジェリーは詠唱を始めていた。
「敵を呪うより罪深く、善悪無き隔たりを弄ぶ、我こそが"縁への介入者"!」
魔法の名が声高らかに告げられた直後、万物に響いて揺さぶる重低音が唸りを上げて背中から前方へと突き抜けていく。
その際、かなりの不快感を伴ったが、すぐに収まる。
"縁への介入者"は、物と物を引き合わせたり反発させたりする魔法だ。
それぞれの性質が"地の系統"に近いほど効きやすく、力が増すと言われている。
「はじいてっ!」
つまり、石造りの魔獣と地面の相性は――最悪!
「おちてっ!」
と同時に、抜群!
最初の"介入"で、強力な投石機で撃ち放されたように魔獣は真上へ、観客席の最上部よりも高くぶっ飛ばされ、2度目の"介入"によって今度は物凄い怪力で思い切り引っ張られたように急降下していく。
そのまま受け身どころか身動きさえ取れず、魔獣は地面に激突した。
「隕石の落下だな、こりゃあ」
盛大に吹き飛ばされた土や芝を見て、そう思わずにはいられない。
「ちょっと見てくる」
念の為ホワイトフィールドを維持し、ジェリーを後ろに残して、できあがった窪みの中を窺う。
哀れ底にいた魔獣は、頭部から胴体の半分くらいまでをずっぽりと地面にめり込ませていた。
そして、体のあちこちに深いヒビが走っているのが確認できた。
……これならやれる!
「行けるぞジェリー! もう1回風の魔法だ!」
「うん! ……風と鎌を掛けて、駆ける先へ切りかけて、"急ぎの刈り手"!」
すかさずジェリーが窪みの底に放った風の刃が、魔獣の体を粉々に打ち砕いた。
「おっしゃあ! やったぜ!」
魔獣だった破片が、光を放ちながら風化、消滅していくのを見て、ジェリーの勝利を確信する。
「あっ……」
「おっと、大丈夫か」
ただ危惧していた通り、大分魔力を消耗してしまったようだ。
「魔力の回復がてら、しばらく休憩してくか」
「ううん……だいじょうぶだよ!」
全力でにっこり笑顔を作るが、疲労を隠し切れてはいなかった。
「悪い、実は俺の方がちょっと休憩したくてさ。いいかな?」
「……やっぱりおにいちゃん、やさしいね。うん、おやすみしよっ」
ジェリーの許可を得て、さて一休み……
「うおっ!?」
させてはくれないみたいだ。
何と、俺達が今立っている芝生が陥没し始めた。
変化は緩慢だったものの、範囲があまりに広い、というか芝生全体がすり鉢状に変形して沈んでいく。
なんつう地盤沈下だ。このままじゃあ落っこちちまう!
「捕まれ!」
ジェリーの手を握り、全力で外側目指して走る。
が、どんどん傾斜はきつくなっていき、走り辛くなり、速度が出せなくなっていく。
「もうちょっと頑張れ!」
「はっ……はぁっ……!」
とは言っても特に問題はない。
「ごめ、ん……もう……っ!」
「よし、上等!」
これだけ近付ければ!
「飛ぶぞ!」
ブラックゲートを使い、観客席部分の最前列まで跳躍!
「……ふぅ」
何とか落ちずに済んだ。
「勘弁してくれよな。……ん、どうした?」
軽く息を弾ませながら、ジェリーは目を閉じていた。
「このツタさんが、どうしておりていかないのか、って言ってる」
さっきのは罠や試練ではなく、単なる道案内だったらしい。
……いやいや。
「アホか! 連れてくならもっと紳士的にやれっちゅうんじゃ! こんなちっちゃな可愛らしい女の子に対してなんちゅう扱いしてやがる!」
俺の声が届くのかは知らないが、文句を言わずにはいられなかった。
「……お?」
少しの静寂を挟んだ後だった。
観客席に伸びていたツタがざわざわと動き出して、互いに絡み合い、縒り合い、アリ地獄の罠みたいになってしまった芝生部分の中心、底の方へと伸びていく。
縄梯子ならぬ、ツタ梯子が完成した。
「へえ、気が利くじゃんか。怒鳴って悪かったな」
「"速やかに降りよ"だって」
しょうがねえな、休憩は少しお預けか。
これで無視したら、やっぱお前ら滑って行けって言われそうだし。
作ってもらった縄梯子を使って、俺達は下へ降りていく。
「よし、おんぶするから乗りな」
「いいよ、ジェリー、ちゃんとひとりでできるよ?」
「遠慮すんなって。もっと俺にヒーローの仕事をさせてくれよな」
本当は別の理由があった。
もし各自で降りた場合、盾になるべく、当然俺が先に降りていかなきゃならない。
でも、上から何か異変が起こる可能性だってあるし、ジェリーの体力なども気にかける必要がある。
それらを調べるためにも、たまに見上げなければならない。
で、だ。
今のジェリーの服装は、白いワンピースを基調として組み立てられている。
ワンピースだから、下はスカート。
ここまで来れば……分かるだろ?
説明すれば理解を示してはくれるだろうが、女の子のそういう部分をいたずらに見ないに越したことはない。
俺がジェリーを背負うことにしたのは、当然の帰結って奴だ。
「おもくない?」
「ぜーんぜん」
これくらい背負えないで何がヒーローか。いや軽いのは本当だけど。
それにしても、結構深そうな穴だな。
底の方が全然見えねえ。
まあ試練のために行けって言うなら降りていくだけだが。
「中に入るぞ。しっかり捕まってろよ」
「うん」
胸の辺りに回された細腕に込められている力が更に強くなったのを確かめ、俺はツタ梯子に手足をかけた。