50話『ジェリー、試練に挑む』 その1
最上部の浮島にあったのは、花精お得意の樹の建物と、青々とした葉を空一杯に張り出している大樹。
その前に、先日手続きで応対してくれた花精の男女が立っていて、俺達を待ち受けていた。
簡単に挨拶を済ませると、
「早速これより、試練を行います。ナータとコデコの子、ジェリー=カンテ。覚悟はよろしいですか」
男の方が、前置きもなく聞いてきた。
「はいっ」
ジェリーの神妙な返事を聞いて、男が頷く。
……が、その後何故か顔をしかめ出す。
「申し訳ありません、少々お待ち下さい。先に試練を受けた方を出迎えなければならなくなりました」
と、俺達に背中を向ける。
出迎えるって割にはやけにピリピリしてるな。
その理由はすぐに判明した。
樹の裏側から2人の花精が、木でできた担架を持って姿を表す。
更に俺は見てしまった。
その上に乗せられている、白い布で包まれた細長い"何か"を目にした瞬間、ジェリーの顔が恐怖に引きつったのを。
まったく、出発前に縁起でもないものを見せてからに。
「スキケの花の作用ではないの?」
「入念に確認しました。仮死状態ではなく、本当に亡くなっております。魂の方も、もう……」
「同行者の方は、遺体も見つかりませんでした」
俺達に気を遣って声を落としているんだろうけど、静かな場所だからか、嫌でも会話内容が耳に入ってしまう。
「おいおい、ジェリーもタルテも、今更動揺すんなって。"帰れずの悪魔"の猛攻さえ耐えた俺がいるんだ、大丈夫大丈夫。つーかタルテ、ちゃんとご馳走の準備をして待っとけよ」
「あなたのことは信頼してるけど……ほんとにジェリーをお願いね。ちゃんと無事に帰ってきてね」
「おう」
「ふ、愛する者の帰りを信じて待つこともできないとは、呆れて物も言えなくなるどころか、文句が口から溢れ出てしまいますわ」
「……! あ、あなたは心配にならないんですか!? よくもそんな……!」
「はいはい喧嘩しない。これ以上ゲンの悪いもんを見せるのはやめてくれよな」
全くこいつは。
俺がいない間、揉めたりしないだろうな。
「ジェリー、ユーリ殿。お主達の力量ならばきっと上手く行く。私が保証するぞ。無事に帰還し、再び笑顔を見せてくれ」
「うん、げんきにもどってくるから」
「ああ。……あいつらのこと、頼んだぜ」
「任せておくがいい」
アニンがいれば大丈夫だろう。多分。
「水を差すようなことになってごめんなさいね。先発した人が戻ってくる時機まではどうしても調整しきれないから」
「ううん、ジェリーなら、だいじょうぶです」
姉ちゃんの謝罪を、ジェリーは首を振って遮った。
先程の恐怖心はもう心の奥へと押し込んでいた。
「……あの、ジェリーも、あの人においのりしていいですか?」
更に、担架の方に目をやりつつ、そのようなことまで言う。
本当に大した子だ。
「ええ、もちろん。きっと喜ぶわ」
せっかくだから、俺達も哀悼の意を込めて黙祷させてもらうことにした。
顔も知らないような相手にそうしても偽善に過ぎないかもしれないが、やらないよりいい。
使命を果たせず無念でしょうけど、どうか安らかに――
「――では御二方。改めまして、よろしいでしょうか」
「はい」
「はいっ」
頷いた花精の男が、大樹の幹に手をついて何やらモゴモゴと唱え出す。
すると、幹の根元、中央部分が裂けて、成人男性が通れるほどの穴ができあがった。
「こちらからお入り下さい。ジェリー=カンテ。あなたに、花と精霊の加護がありますよう」
「ありがとう」
俺にはねえのかよと思ったが、まああくまで付き添いだからな。
「ユーリ様、激励を欲するならばわたくしが……」
「ああ、気持ちだけ受け取っとくわ」
目を閉じ、顔を少し持ち上げて近付いてきた時点で良からぬ予感がしたので、丁重に辞退させて頂く。
「おねえちゃんたち、行ってくるね」
「うむ、頑張ってくるのだぞ」
「2人とも、気をつけて」
「おう、任しとけ。じゃな、しばしのお別れって奴だ」
最後に持ち物検査を受け、俺達は洞の中へ足を踏み入れる。
いよいよジェリーの、一人前の花精になる試練の始まりだ。
何だか俺の方まで緊張してくるな。
中は真っ暗で、光の届いているごく狭い範囲以外は全く見えない。
確かにデカい樹だったが、こんなにも広がりがあるもんか?
まあいいや、足元は柔らかめの土になって……
「……っておい」
「出られなくなっちゃったね」
予告もなしに出入口が閉ざされ、目の前や、隣にいるジェリーさえも全く見えない状態になった。
「よーし、ちっちゃなお手々はどこかな~?」
あえて声に出し、闇の中で左手を動かす。
「ここだよー」
「お、みっけ」
すぐに柔らかいものに触れ、しっかりと、離さないように固く握り合う。
さて、こっからどうすりゃいいんだ。
既にコデコさんやエレッソさんの時とは内容が違っている。
こんな暗闇の中に放り出されたりはしなかったらしいからな。
「えっとね、この樹がおしえてくれてるよ。あるいて、この中から出なさいって」
伝えてくれたジェリーの声は落ち着いていて、特に動揺は見られない。
問題はなさそうだな。
「分かった。じゃ、早速行くか」
「うん。あ、それとね、ここで魔法をつかったり、あかりをつけたりしちゃダメなんだって」
真っ暗闇を歩いて進めってか。
「俺の"餓狼の力"は使っていいのかな」
「ねえ、このおにいちゃんの力、使ってもいい?」
ジェリーが尋ねてみるが、
「……おへんじ、してくれない」
ダメだった。
「そっか。じゃあ一応使うのは控えとくか」
餓狼の力を知らないんじゃないだろうかと思ったが、不審な行動は慎んだ方がいいだろう。
となると、警戒すべきは闇に乗じての急襲だな。
こんな時、敵に襲われでもしたら厄介だ。
しっかり意識を研ぎ澄ませておかねえと。
「まっすぐあるけばいいのかな?」
「そうだな。……ああちょっと待った、こういう時はまず壁を探して手をついて、転ばないように気を付けてゆっくり進むんだ。右に動くぞ、ゆっくりな。1、2、1、2……」
空いている方の手を伸ばし、一歩一歩足を動かしながら、壁を探す。
そこまでデカい樹でもなかったし、延々と空間が広がっていることもないはずだ。
そう遠くない内に壁に当たるはず……
「……ってぇ!」
突然に手の平へ幾つも鋭いものが刺さった痛みと驚きで、思わず小さく飛び上がってしまう。
何だこりゃあ!? 普通の壁じゃねえのかよ!
「どうしたの!?」
「気を付けろジェリー、壁に棘みたいなのがついてやがる」
足を上げ、靴の裏でちょんちょんして確かめてみると、突起物が結構な密度で生えているのが確認できた。
いや、壁っていうか……正確には寄り集まって絡み合った植物っぽい?
じゃあ俺の手を刺したのは、茨か何かか?
「おてて、だいじょうぶ?」
「ああ、いきなりだったからちょっと大げさに驚いちまったけど、平気だ」
強がりで言ったんじゃなく、幸い傷はごく浅い。
即効性の毒もなさそうだし、慌てて治療しなくてもいいだろう。
「行こうぜ。足下と"壁"に気を付けてな」
滲んでいるであろう血をマントで拭ってから大包丁を握り、ゆっくりと進み出す。
俺が前に立って大包丁を杖代わりにし、周囲の床と壁を調べていき、そのすぐ背後をジェリーがついていく。
もちろん、手はしっかりと繋いだまま。
こんなナメクジの如き鈍足で、一体いつ抜けられるのかは分からないが、まずは安全を最優先にして進んでいくべきだ。
「…………」
足音、大包丁の出すザクザク、息遣い。
聞こえるのは俺達が出す音だけで、他には一切の音がない。
あるのは、目が慣れることさえ許されない闇ばかり。
にしても不思議だ。
とっくに樹の直径以上の距離を歩いているはずなのに、不思議と前方を壁に遮られる感覚がなく、出口らしきものも見えない。
同じ所をグルグル回ってるとは思えないが……
精神の消耗がキツいから、なるべく早く終わらせてもらいたいんだけど。
俺はともかく、この子は大丈夫だろうか。
耐えられるだろうか。
何か話した方が、気が紛れていいよな。
よし、話題はどうするか。
なんて考えていると、すぐ後ろから異音。
「……っ」
ジェリーが、鼻をすんとさせている音だった。