49話『リレージュ、空中に浮く聖地』 その3
「手で触れてもいいですよ」
緊張させないためか、姉ちゃんの表情や声色は穏やかだった。
ジェリーは神妙に頷いた後、小さな両手をそっと石に添え、目を閉じる。
揃って固唾を飲む俺達。
……なんて緊張は杞憂だったようだ。
ジェリーが全力で魔力を込めると、石が薄桃色に輝き始めて、姉ちゃんが目を見開く。
「結構です。"花吹雪く春息吹"の詠唱内容はもう知っていますか?」
「はい、ママ、あ、おかあさんからきいています」
そう答え、ジェリーは魔法の詠唱を魔力抜きですらすらと述べてみせた。
「"資格"は充分にあるようですね。では次に、試練について簡単にご説明致します」
姉ちゃんが、試練の規定などについて説明を始める。
とは言っても、開示された情報はかなり限定的だった。
これには理由があって、試練の数や内容は受ける者によって変化し、また同じような試練でも突破条件が全く異なったりもするため、詳細は明かせないらしい。
一応事前にジェリーの母親やエレッソさんから、どんな試練を受けたのかを聞いてはいたが、攻略に大きく役立つことはないだろうな。
それより重要なのは、持ち込める道具類についてだ。
確認した所、制限は緩く、武器、装飾品、魔具、水、食糧などは基本的にいくら持ち込んでも構わないらしいが、呪符や火炎弾はダメらしい。
何でも、花精の理に反するんだとか。
「――もうよろしいでしょうか。それでは、こちらに目を通した後、ご記入をお願いします」
と、姉ちゃんが、ジェリーに紙と筆を渡す。
本人の意思確認にも繋がるため、代筆は認められないらしい。
といっても読み書きはできるから問題はないんだけど。
「あらかじめ心の準備はしておいたのでしょうけど、書く前にもう一度よく考えて下さいね。しつこいですが、一度試練を始めたら、終わるまではやめられません。試練の途中で命を落とす可能性も少なからずあります。ジェリー=カンテさん、あなたには命をかける覚悟がありますか?」
ふと、姉ちゃんが、諭すように語りかけてくる。
見抜いてお節介で言ってるのか、誰にでもそう声をかける決まり事があるのかは分からないが、とにかくジェリーの心に突き刺さったみたいだ。
ジェリーから落ち着きが失われ始める。
「もうちょっと大きくなるまで待ってもいいのよ? あなたは、試練を受ける平均年齢を大分下回っているのだから。先送りにするのは恥ずかしいことではないわ」
「ううん、やります!」
が、ジェリーは、姉ちゃんの説得じみた言葉をぶった切るように、大声で宣言した。
「今やらないとダメなんです! ぜったい、今、いちにんまえの花精にならなきゃ!」
「……皆様は、構わないのですか?」
姉ちゃんが、今度はこっちに話を振ってくるが、
「俺達は、この子の意志を尊重します」
既に答えは決めてあった。
「……分かりました。試すようなしつこい真似をしてごめんなさいね、一応規則で、年齢に関わらず念押しすることになっているのよ」
姉ちゃんは少し申し訳なさそうな顔を作った後、改めて書類への記入を勧めた。
記入事項はそんなに多くないようだ。
現在使用できる魔法、健康状態……そして、今さっき聞かれた通り、"試練の途中で命を落としてもそれを受け入れる"ことを同意する署名。
"泥の輩"、"急ぎの刈り手"、"温かき緑手"、"縁への介入者"、"蒼鳴りの剣"……
心身ともに全て健康、病歴もなし……
そして、書類の最下部に、ジェリーは自分の名前を強い筆圧で書き込んだ。
「試練には、同行者を1名つけることが認められています。どなたになさいますか?」
同行者についても、事前に話し合って決めていた。
「俺が行きます」
手前味噌だが、俺の餓狼の力ならどんな状況にも対応できるし、消耗にも強い。
「では、目を通した上でご記入とご署名を」
記載・記入事項は、ジェリーのものとほとんど変わらなかった。
同行者は別に魔法が使えなくても問題はない。
ざっと目を通し、自分の名を書く。
こういう状況でも、もう安食悠里と書き間違えないで済むほどには馴染んでいた。
「確かに受領しました。数日以内に手紙にて試練の日をお伝えします。最後に、何か質問はございますか?」
「ないです」
「俺達からも特には」
「ではユーリ=ウォーニー様、私から質問してもよろしいですか?」
「え? はあ、なんでしょう」
まさか俺に逆質問が来るとは思ってなかったので、つい間の抜けた声を出してしまった。
「あの、あなたはジェリーさんと恋人同士ではありませんよね?」
「違いますけど」
今この書類に間柄を書いたばっか、いやそもそも見りゃ分かんだろ。
……まさか、恋人や婚約者じゃないとダメな決まりでもあったりすんのか?
「そうですよね。……あの、試練が無事終了してからで結構ですので、私と結婚を前提にお付き合い頂けませんか?」
「は!?」
真相は、想像の遥か斜め上をぶっ飛ぶものだった。
いきなり何言ってんだこの人。
「実は私、今恋人募集中なんですけど、中々出会いがなくて。あなたを一目見た瞬間、ビビッ! って運命めいた衝撃を感じました。だから……」
「あーら、貴女の瞳は掃除の行き届いていない窓のように曇っていらっしゃるようですわね。ここに寄り添い、英雄を飾り立てる美しき宝石の姿が見えていないとは」
横に座ってたミスティラの奴が、腕を取ってぴったりとくっついてきた。
当たり前のように、胸の柔らかいものを押し付けてきながら。
「お言葉を返すようですが、曇っているのはあなたの方では? 彼があなたに抱いている感情に気付かれていらっしゃらないのですか?」
だが、姉ちゃんも一筋縄ではいかない相手みたいだ。
柔らかい、それでいて少々の冷たさを含んだ微笑みで、さらりと反論する。
反撃を食らったミスティラは、みるみる顔つきを険悪にして、
「ぐっ……! い、言われずとも、痛い程理解しておりますわ!」
俺の腕を更に強く締め付けてきた。
お前は血圧計か。
いやいや、そうじゃなくて、これはちょっとやべえかも。
タルテも黙ってるけど、雰囲気をツンツンさせ始めてきたし。
「あーすんません、いきなりそういうことを言われても困るんですよね。手続きが終わったなら、もう帰っていいですか」
ここはハッキリ言って切り抜けるべきだな。
「あら、残念です。そちらの方も、大変失礼致しました」
あっさり引き下がった姉ちゃんに、流石のミスティラも矛を収めざるをえなかったようで、眉をひくつかせながらも「こちらこそ」と呟く。
タルテの方も、雰囲気が緩んでいた。
いやー平和に済んで良かった良かった。
正式に試練の日が通達されたのは、手続きをしてから3日後のことだった。
日取りは、更に3日後の早朝。
それまでの時間はいつも通りというか、のんびり過ごすことにした。
下手に訓練したりして追い込むより、心身をいい状態に持っていく方が上手くやれるだろうからな。
まあ、のんびり過ごすと言ってもダラダラする訳でもなく、寺院の手伝いをして貧しい人達に炊き出しをしたり、街の外で食糧を採りに行って配ったりしてたんだけど。
「やっぱり、人から"ありがとう"っていわれるの、うれしくなるよね」
ジェリーにとっても、いい気分転換になったようだ。
笑顔の裏に貼り付いた憂いを、完全に取り払えはしなかったが。
……で、ついに試練の前夜。
「おにいちゃん、ないしょのおはなしがしたいんだけど」
晩メシを食い終わってくつろいでいた時、ジェリーが遠慮がちに切り出してきた。
「分かった。ちょっと外に行こうか?」
「ちょっと待って」
タルテが呼び止めたのは、当然嫉妬でも何でもない。