48話『帰れずの悪魔、破壊と再生』 その1
「……は?」
何の前触れもなく、白い光線が森の方から伸びてきて、俺の横を通り抜けていった。
「え……っ」
光線の通り道には、カッツがいた。
いつもの間の抜けた顔が、自分の状態を理解するにつれ、段々と絶望と苦痛に歪んでいくのが、嫌なくらい克明に、細密に見えてしまった。
「ごぼ……ぇっ!」
開いた口から、赤黒い血が大量に溢れ、吹き出るさまさえも鮮明に。
「……カッツ!」
「新手か!?」
「全員散って森の奥を警戒ッ! 坊ちゃまは私の後ろに!」
「私よりもミスティラ嬢だ! さあ早く、私が盾となります!」
「お気持ちだけで充分ですわ、己が身は己の力で守りますゆえ」
「んの馬鹿野郎、どうして避けねえんだ!」
回避の可否以前に運が大きく作用する問題で、まず不可能だと分かってても、言わずにはいられなかった。
「タルテ! 後ろに来い! アニン!」
「ジェリーは任せよ!」
っと、こいつを何とかしてやらねえと。
貫かれたのは……脇腹か。
この重傷だと即完治とは行かないが、大丈夫だ。
しかし、一体誰の仕業なんだ。
攻撃してきた方向からは邪気どころか、生物の気配さえしねえぞ。
なのに、何かが接近してくる音がした。
草を掻き分ける音。
樹を折って薙ぎ倒す音。
「……え?」
それともう幾つか、奇妙な音が加わっていた。
この場にはそぐわない、いいや、"この世界では聴こえないはずの"音。
機械的な駆動音が、はっきりと耳に入ってきた。
「むう、あれは……!」
坊ちゃんが、驚愕の声を上げる。
俺も、別の意味で驚かされた。
森の中から現れたのは、"この世界にはいないはずの"物体だった。
簡単に言うなら、黒い蜘蛛の形をしたデカいロボットだ。
もちろん実際に見たことはないが、大型の戦車ぐらいあるんじゃないだろうか。
完全に機械的な形って訳じゃなく、生物的な精巧さがあるのが不気味だった。
「"帰れずの悪魔"……!」
「まさか魔族までもが現れるとは!」
……魔族?
何言ってんだ?
「おいおい、魔族って、ありゃどう見てもロボットっつーかメカっつーか、そもそも生物じゃあねえだろ」
「ろぼっと? めか?」
「何を言っているのだ、君は」
訝しんだのは、坊ちゃんや執事だけじゃなかった。
どうやら俺と他の連中の間に、魔族という概念に対して認識のズレがあるらしい。
でも生命感がねえし、こっちから譲歩するにもちょっと難しいぞ。
「いや、知らねえのも無理ないけど、絶対ロボットだってありゃ。にしてもとんでもねえ技術だな。こんなのあっちの……」
「雑談をしている場合ではないぞ!」
アニンの鋭い声が飛ぶ。
蜘蛛ロボットの口に相当する部位が大きく開いた。
しかも狙いはこっちかよ!
「タルテ掴まれ!」
背中に感触が伝わるのと同時にカッツの治療を一時中断、そしてブラックゲートでなるべく遠くへと退避。
「うわ、危ねえな」
数瞬前まで俺達がいた位置には透明な液体が大量にかかっていて、蒸発音を立てながら草や地面をドロドロに溶かしていた。
成分までは分かんねえけど、溶解液か?
他のみんなに視線を走らせる。
それぞれ上手く回避したようだ。
「い……生きてる、のか」
ようやくカッツが体を起こす。
「俺がいて良かったな。運がいいよお前は」
「わり、もう1個借りができちまったな……うお、で、出た! あれだ、あれが俺らを襲った蜘蛛だ!」
「そうだな、蜘蛛だな。魔族でもロボットでも、好きな方を採用しろよ」
俺としちゃ精一杯の譲歩だったんだけど、カッツからは「訳分かんねえ」みたいな反応をされるだけだった。
「退却するぞ! 我々だけでは手に負えん! 援軍を要請せねば……」
彼我の戦力差を素早く算出したのであろう執事が、口早に指示を出す。
「私は戦うぞ!」
「なりませぬ坊ちゃま! あ奴の強大さ、魔女の影の比ではありませぬ!」
「くっ……! この私に、ウォルドー家の男子たるこの私に、敵に背を向けよと申すのか!」
機械だけあって空気が読めないのか、長い会話をする暇も与えてくれず、蜘蛛ロボットが8本の脚を動かし始めた。
巨体に見合わない俊敏さで、坊ちゃんと執事のいる方へ距離を縮め、鎌のようになっている前側の脚2本を振り下ろす。
「坊ちゃま、お下がり下さい!」
「マンベール!」
執事は坊ちゃんをかばいながら、得物の杖で蜘蛛の攻撃を受け流す。
が、いかんせん相手が巨大すぎる。
おまけに手数も多い。
持ち応えられなくなるのは時間の問題だ。
「待てやコラァ!」
また文句を言われるのを覚悟で、援護として球状のクリアフォースを放つ。
「……ちっ!」
頭部に命中はしたが、鈍い音がしただけで、装甲はへこみもしなかった。
なんつー防御力だ。無意識に舌打ちしてしまう。
おまけに攻撃の手を止めたのもほんの一時だけで、すぐさま攻撃を再開しやがった。
ていうか執事も出来るだろうに、その隙にさっさと下がりゃいいものを、そんなに俺に助けられたくないのか、その場に留まってやがった。
「手出し無用! 早く行け!」
ああもう、これだからお上品なお仕事をしてるお方ってのは!
どうなっても知らねえぞ!
「おいおいユーリ、ご本人もああ言ってんだし、ああやって引き付けてくれてるうちに逃げようぜ。いくら変な力を持ってるお前でもあいつは無理だって」
急かしてくるカッツの顔には、恐怖の色がありありと浮かんでいた。
「馬鹿野郎、ヒーローがんな真似できるかってんだ。お前だけ行け。んで報告してこいよ」
「そ、そうか? じゃあお言葉に甘えて」
そう言われるのを待ってたんだろうな。
カッツは1人、さっさと全力疾走してこの場を離れていった。
「応援を呼んでくっから、頑張ってくれよー!」
「……あ、おい待て止まれ! 危ねえ!」
なんと蜘蛛の奴、執事を無視して跳躍し、標的をカッツに切り替えてきやがった。
「う、うわあああっ!」
「世話の焼ける……!」
注意を逸らせればと、クリアフォースをぶつけたが、無駄だった。
ただカッツだって腐っても傭兵、蜘蛛の振り回す刃を危なっかしくも避け、斧で受けつつ、こっちへ引き返してきた。
……ほうぼうの体で、という言葉がとてもよく似合うざまで。
「や、やっぱ一緒に戦ってやるよ。三日月斧のカッツ様がいるのといないのとじゃあ、大きく難易度が変わってくるだろうからな」
「それはそれは心強えや。つーかお前、最初に出くわした時よく逃げられたな」
「何でか知らねえけど、他の仲間を優先的に狙ってたんだよ」
最初に決めた標的を優先的に狙うよう設計されてるんだろうか。
理由はともかく、どうやら普通の方法で逃げるのは至難らしい。
でも、逃走自体は不可能じゃないはずだ。
「ユーリ、"縛鎖の呪符"を使いましょう」
そう、タルテが今提案した通り、動きを封じる力を持つ呪符を使えば逃げるなり、いやぶっ壊すことも可能なはずだ。
……効果があればの話だが。
「ああ、それしかねえよな」
試してみる価値はある。
エピアの檻に封じ込められている大悪魔にも有効だったんだから、イケるはずだ。
タルテから縛鎖の呪符を受け取り、
「オラ聞いてるかポンコツ! 俺が相手になってやる!」
挑発。
相手が反応するかどうかは関係ない。
ブラックゲートで一気に接近し、胴体右側に呪符を貼り付ける。
実に簡単な作業だった。
紫電が弾け、蜘蛛は前脚を振り上げた姿勢のまま、動きを停止した。
「よっしゃ、効果あり!」
「ほう、呪符を持っていたのか! 良くやった、褒めてつかわそう」
「そりゃどうも。で、どうするよ坊ちゃん。ぶっ壊すか、ほっぽっといて逃げるか」
「ふっ、愚問だな。この場で葬ってくれる!」
坊ちゃんは威勢よく言い放ち、剣を構える。
「まあ同意見なんだけどさ、呪符を剥がさないように気を付けてくれよ」
「君、私の剣の腕を見くびっているのか?」
「い~え。んじゃま、任せたわ」
狩りの得点には関係ないし、仕留めるのが誰であろうと文句はない。
坊ちゃんの剣をじっくりと観察させてもらうとしよう。
「悪魔の様子がおかしい! 警戒を怠るな!」
緩みかけた雰囲気をきつく締め直すように、アニンの鋭い声が飛ぶ。
「は?」
「……むっ!」
実際、単なる神経質と片付けられなかった。
わずかずつではあるが、蜘蛛が、小刻みに振動しだしたのだ。
「んな馬鹿な……動けるはずがねえのに!」
振動は段々と大きく、激しくなっていく。
「おのれ!」
「クソッ!」
お手並み拝見なんて呑気してる場合じゃねえ。
俺と坊ちゃんはそれぞれ武器を構え、
「だりゃあッ!」
「ウォルドー式剣術・八光の赤橙刺突!」
攻撃を行ったが、装甲を多少傷付けることしかできず、蜘蛛の振動はますます激しくなるばかり。
「2人ともすぐに離れよ!」
蜘蛛の、8つの目が赤く発光するのを見て、俺もこれ以上はヤバいと直感した。