45話『ラレット、ミスティラに求婚した坊ちゃん』 その3
その後、簡単に幾つか勝負の決まり事なんかを話して、やっと坊ちゃんと執事は帰っていった。
解放された途端、疲れが一気に背中からのしかかってきた気がして、体が少し重くなった気がする。
顔を合わせて早々罵られるわ、喧嘩を売られるわなんて目に遭えば、そりゃそうなるよな。
「わたくしの為にラレットさんと争う事態を招いてしまったこと、深くお詫び致しますわ」
「気にすんな。喧嘩を買ったのは俺自身の意志だからな。お前のせいじゃねえよ。ただ勝負する以上、手は抜かねえし、絶対勝つ気で行かせてもらうぞ。坊ちゃんをコテンパンにやっつけちまっても恨むなよ」
別にさっきの坊ちゃんを真似した訳じゃないけど、頭を上げさせてから、こう付け加えといた。
「ラレットさんは例え他愛ない遊戯と言えど、手心を加えられることを嫌う御気性。どうぞ全力でお相手下さいませ」
だろうな。それは分かる。
「ねえユーリ、本当にわたしでいいの?」
次に口を開いたのは、未だ不安を消し切れない様子のタルテ。
「ああ。メルドゥアキの弓を実戦で試すちょうどいい機会だろ」
これが相方にタルテを選んだ一番の目的だ。
遠距離から狙撃できる相手がどうしても欲しかったって訳じゃなくて、比較的安全な状況で、タルテに実戦経験を積ませてやりたかった。
なんせ地租人の工房で弓を貸してもらってから、一度も魔物と遭遇してないからな。
俺の方も、地祖人のクラルトさんに鍛え直してもらった大包丁の切れ味を試す時がやっと訪れたって訳だ。
「でも、勝負の場で武器を試すような真似をしたら、相手は怒るんじゃ……」
「だろうけど、言わなきゃバレねえよ。それに今さっきも言ったけど、別に勝負を捨てるつもりはねえ」
もちろん勝算無しの出任せなんかじゃなく、餓狼の力を使えば行けるだろうと踏んでの判断だ。
坊ちゃんは「どんな技を使ってもいい」と明言していたから、問題はない。
「俺が援護するし、危ない目には遭わせねえ。だから頼むわ。まあ、無理にとは言わねえけどさ」
「……分かったわ。わたし、頑張る」
ようやく決心したのか、タルテは大きく頷く。
もうちょっとかかるかと思ってたが、意外なほど早い決断に少し驚いた。
ダメそうだったらアニンに頼むつもりでいたのに。
「ま、そんな心配すんなって。ちゃんと俺が守ってやるからさ、安心しろよ」
「ええ、分かってるわ」
そう声かけしても、やっぱり緊張は抜け切らないようだ。
タルテの表情は強張っていた。
――ん、どうした?
ブルートークを使ったのは、アニンが耳の下に手を添える仕草をしていたのが見えたからだ。
――タルテ殿が欲しがっているのは、そのような言葉ではないぞ。
指摘されて、ハッとなった。
俺もまだまだだな。
「……悪いタルテ、前言撤回だ。やっぱ最初から最後まで守りっ放しじゃなくて、少し頼らせてもらってもいいか」
「どうしたのよ、急に」
「いやほら、せっかくだからちょっと楽したいなー、って。頼むよ相棒」
「そりゃあもちろん、頑張るけど」
「おう、期待してるぜ。絶対勝つぞ」
「……ええ」
――それでいい。
「おにいちゃんもおねえちゃんもがんばってね。ジェリー、いっぱい応援するから」
「おうよ、俺達のカッコいいとこ、ちゃんと見といてくれよ」
「その為には、全力で臨む事を勧めるぞ」
「分かってる。坊ちゃんだけじゃなくてあの執事、態度こそアレだったけど、かなり出来る感じだったよな」
「うむ、くれぐれも油断されるな」
「マンベールさんは執事としてだけではなく、武芸や魔法においても一流だと、ラレットさんがよくお褒めになっていらっしゃいましたわ」
「時にミスティラ殿、よろしければ彼の御令息との婚姻にまつわる事情を聞かせてもらえないだろうか」
俺もうっすら気になっていたことを、本当にいきなりアニンが突っ込んでいった。
こいつ凄えな。それとも女同士だから平気なのか?
「よろしくてよ。まず、縁談をお断りしたのはユーリ様と出会う以前だということを申し上げておきますわ」
つい耳をそばだててしまったが、ミスティラは至って普通の調子で話し始めた。
「それと御本人も仰っておりましたが、マーダミア家とウォルドー家の両家も今回の件に関わりはありません。そもそも、今のわたくしはマーダミア家から縁を断ち切られているに近い身、名ばかりの貴族のようなものですが」
「えっ」
さらっと言ったが、何気に爆弾発言っぽくないか?
「初めてお聞かせする物語だったかしら? 元々マーダミア家はお父様とお母様の結婚に不賛成だったのですが、激しく深き愛の前にはそのような障害、暴風の前の木っ端のようなもの。契りが結ばれ、更には愛の結晶、数多の宝石よりも光り輝くわたくしがこの世に生まれ出ずるまでに時を待つ必要はありませんでした。
当初はお父様もマーダミア家に名を連ねることで、話が纏まりはしたのですが……程無くしてお母様が亡くなられた後、その契約は有名無実となってしまいました。すなわち、マーダミアの名を名乗ることだけを許された状態ですわね。
そしてわたくしに対しても、マーダミアの領地に居を移し、正式に列席するか、お父様の元へ残るかの二者択一を迫られたのですが……考えるまでも無き事。そもそも人生においては、重要な決断こそ電光の如く素早く、果断に富んだものでなければなりません」
「ミスティラおねえちゃんは、ほんとにパパが大好きなんだね」
「当然ですわ。例え身分を失おうとも、父から離れるなどと、血の通わぬ魔族が如き行為を取れるはずがありませんわ。それとマーダミア家も決して無慈悲なる存在ではなく、現在に至るまでローカリ教への資金援助等を継続してはいるのです。もっとも、父母の為ではなく、貴族としての義務と名誉の為でしょうが」
ここまでの話を聞いて、タルテがどこか複雑な顔をしていた。
境遇が自分とちょっと似てるから、色々と思う所があるんだろう。
そんなタルテの変化など気に留める訳がなく、ミスティラは話を続ける。
「少しばかり道草を食むのが過ぎてしまいましたわね。ラレットさんと出会ったのは、聖都で催される記念行事にローカリ教の代表として参席するため、お父様と共にシャマン区の会堂へと参じた時のことですわ。多数の貴族や他種族、各種組合や団体の方々が集う場で、図らずも隣席だったのがラレットさんだったのです。
目が合うなり、次の瞬間には結婚を申し込まれたのですわ。そう、会釈よりも早く」
「……は?」
唐突にも程があんだろ。
年齢や状況にもよるだろうけど、あっちの世界だったら事案ものだぞ。
「それだけか? 人の色恋は容易く理性や常識の壁を壊すというが、随分と衝動的なのだな」
「無論、その後にお互いの素性等をお話し合う席を別に設けは致しましたが」
ここでミスティラは一旦間を置き、少しだけ目を伏せ、片手を豊かな胸元に当てた。
「わたくしの置かれている立場を知られた上でも、変わらぬ想いを寄せて下さっているのには深く感謝しております。それにラレットさんは、ウォルドー家の血を一滴残らず抜き取って、平民のそれと入れ替えたとしても、輝きに些かの陰りをも見せないほど素敵な方だとは思いますわ。
ですがどうしても、先方が与えて下さるに等しいだけの想いを、わたくしがお返しすることが出来ないのです」
「年下はお気に召さぬか。いや、それを言ってしまえばユーリ殿もそうなるな」
「いいえ、年齢が問題ではないのです。……恥を承知で包み隠さず申し上げてしまえば、ラレットさんからは、その、どうしても、父性を感じられないのです」
なるほどなあ。
と、妙に納得してしまう俺がいた。
早い段階で片方の親を失うと、好きな相手に母性や父性を求めがちになるって話を聞いたことがある。
だからっつって、俺に父性があるとは思えないんだけど。
「その後も幾度となく手紙のやり取りを行ったり、お会いする機会を設けたりして、何かしらの節目が訪れる毎に求婚の申し出を頂戴したのですが、わたくしは変節できず……
いくらわたくしの美貌が人に罪を犯させる程とはいえ、ラレットさんが盲いてしまわれていらっしゃるのは若さゆえ。歳月を重ねれば必ず、より良い縁談に恵まれるはずですわ。その方がわたくし以上の美貌をお持ちかどうかは、また別の問題ですが」
一言、いや何言も多いやっちゃな。
と、俺だけでなくタルテも同じことを考えてるんだろうなってのが、目を見ただけで分かった。
「おおよその事情は以上の通りですわ。ユーリ様、ラレットさんを打ち負かせ、などとはとても申し上げられません。わたくしからはただ双方悔い無きよう、死力を尽くして下さることを祈るのみです」
「分かってるって」
気持ちは分かったが、別に俺がやることは変わらない。
「それと、タルテさん」
ミスティラが、先程までとは打って変わって厳しい調子と目つきで相方の名を呼んだ。
「ユーリ様の足を引っ張らぬよう、何より神聖なる勝負を汚さぬよう、誠心誠意力を尽くしなさい。未熟だからなどという弁解には一切耳を貸しませんわよ」
「……分かってます」
「何というか細い返事……真に理解できておりますの? 蝶の羽ばたきでも、もう少し力強さを覚えるというものですわ」
「わ、分かってます! ちゃんとやりますからっ!」
「まあ、よろしいでしょう」
あまり追い詰めないでやって欲しいんだけど、これくらいなら正の方向の刺激になるか。
今回の件が、タルテにとっていい経験になればと思う。