44話『メニマ、聖都に生きる娼婦』 その3
「あたしさぁ、中々お客様を取れないんだよねぇ。そりゃ、毎日頑張って声をかけてると、時々ついてきてくれるお客様もいるけど、いざ本番になると失敗ばっかしちゃうし、上手くやれなくて怒らせちゃうしで、再指名なんて全然ないしぃ。
もっと稼げるようにって、先輩たちは笑って色々教えてくれたりするけど、娼婦頭さんや館長さんはいっつもカンカンでさぁ。文句ゆわれちゃうわけ、"役立たず"とか"頭が足りない"とか」
「酷えな」
「でもさ、本当だから仕方ないよねぇ。あたし馬鹿だし、綺麗でもないし。にははは」
そんなことはない、って言っても無意味だし、慰めにすらならないだろう。
何だろう、胃の辺りが変にムカムカしてきた。
「でね、今朝館長さんにゆわれちゃったのぉ。もう我慢の限界だ、今日中にお客様を取れなかったら、また別の所に流すぞ、そこはもっと辛い所だぞ、って。また流されちゃうのは嫌だからぁ、あたし、今日は絶対お客様を見つけるんだぁ」
相当重たい内容のはずなのに、悲壮感みたいなものは特に感じない。
だが変な方向に緩くて純真っぽい分、尚更嘘を言っているようには聞こえなかった。
やべえな。
俺、こいつに同情しかけている。
メシ食わすだけじゃなく、ちょっとでも役に立てるなら、なんて考えかけちまってる。
「どうしたのぉ? ユリちゃんもお腹空いちゃってるぅ? お顔が曇ってるよぉ」
「いや、そうじゃねえ。ただちょっと、お前、辛い環境なのに前向きで凄えな、って思ってさ」
「うへへ、そんなことないよぉ。ショルジンからこっちに来た時は毎日泣いてばっかだったしぃ。でも、泣いてたら、迎えに来る王子様が困っちゃうでしょぉ? 王子様も、泣いてる子より笑ってる子の方がきっと好きなはずだもん。だから笑うようにするの。にはは」
果たして王子様は、変な笑い方を許容してくれるだろうか。
「ここまで真面目に聞いてくれたの、ユリちゃんが初めてだよ、嬉しいなぁ。ユリちゃん、モテるでしょぉ?」
「え? 何だよいきなり。……まあ、人並み以上には」
女から向けられる感情にちっとも気付かないほど鈍感ではない。
と自分では思っている。
「あー、やっぱりぃ!」
「いやいや、これくらいの舌先三寸は誰でも言えんだろ」
「ううん、あたし分かるよぉ。ユリちゃんが真剣に聞いて、答えてくれてるって。心と心が通じ合う、みたいなぁ?」
「……やってみるか?」
例えのつもりで言ったんだろうけど、せっかくならちょっと現実化させてやるか、という悪戯心が湧いてきた。
「え?」
「頭の中で俺と喋る想像をしてみな」
――こういう風に。
――えっ、えっ、えっ!?
「うえええええっ!?」
ちょっとブルートークを使ったら、体内で爆弾を爆発させたが如くメニマは目を白黒させ、大声を上げて飛び上がった。
「おま、急にデカい声出すなよな。ビックリすんだろ」
「ウソ、ウソ、ウソぉ!? 凄い凄い凄い、なぁにこれぇ!? ユリちゃん、魔法使いなのぉ!?」
「魔法とはちょっと違うんだけどさ」
原理をごく簡単に説明してやると、メニマはますます目を爛々と輝かせ、
「ユリちゃん、すっごぉーい! 天才だよぉ、偉いよぉ、カッコいいよぉ!」
陳腐ながら、お褒めの言葉を片っ端からおひねりのように投げてきた。
「もういいもういい、恥ずかしい」
嫌ではないけど、こうも身内事のように喜ばれると、体がむずがゆくなってくる。
「……あっ!」
と、ゼンマイが切れたみたいに、メニマが突然動きを止めた。
どうしたと、俺が声をかけるよりも早く再起動し、目を二、三度ぱちくりさせる。
変な奴だなと、俺がため息混じりに言うよりも早く両手を握られる。
やべ、調子に乗りすぎた。
と直感的に数瞬先の出来事を理解して後悔しかけるが、もう色んな意味で手遅れだった。
「ね、ね、ね。おねがぁいユリちゃん。やっぱりあたしの王子様になって、ね? 今夜だけでもいいからさぁ」
何が一番やばいかって、話を蒸し返す方向に持ってってメニマにこう言わせちまったことじゃなく、俺の決心の在処だ。
短い時間、ちょっと付き合うだけなら……いいか。
なんて、頼まれる前にほぼ決めかけちまっていたからだ。
俺がちょっと一緒にいるだけで、この日だけでもこいつが救われるなら、やむを得ないんじゃないだろうか。
相手側からすりゃ、こっちが手を出そうと出さまいと関係なく、金さえ入りゃ問題ないんだし。
王子様になりたいなんて願望もないし、ましてや断じて欲情もしてない。
それは確かだ。
大包丁と、絶対正義のヒーローの名に誓ってもいい。
本当にささやかどころか、中途半端な同情、その場凌ぎでしかないのは分かってるけど、助けになってやれればと思ってしまっていた。
だって、今日を凌げなきゃ、その先の未来すらない訳だろ?
「ねぇねぇ王子様ぁ。助けてぇ。代わりにあたし"ごほーし"、するからぁ」
問題は、後処理だ。
なるべく早く、最悪朝になる前には帰って、なおかつタルテたちには絶対勘付かれないようにしとかねえと。
ちゃんと臭いや痕跡は消去して、振る舞いも自然にだ。
こういう時の女の勘は狩人よりも、野生動物よりも冴え渡るっていうけど、大丈夫だろうか。
「いいでしょぉ? 絶対正義の"ひぃろぉ"様ぁ」
「ぐっ……!」
重ねて誓うが、断じてやましい気持ちはない。
これは人助け。人助けだ。
「……そう、だな。じゃあ」
「終わりだ」
「うおっ!?」
すぐ背中越しから、散々聞き慣れた女の低い声で後頭部を殴られ、今度は俺がメニマのように打ち上がる番だった。
「ア、ア、アアアニン! お、お、おま、どうしてここに」
「落ち着け。男子たる者、このような場を目撃されても堂々としているべきだ。案ずるな、私以外は誰もおらぬ」
腕組みをしているアニンの声や表情に、特に不快感や軽蔑の色はない。
とは言っても心臓に悪いことこの上ない登場、存在であることには変わりない。
まだバクバクと、早まった鼓動が治まらない。
つーか先日の温泉の時といい、何なんだこいつは。
俺に単独行動の自由はねえのか?
「最初は静観を決め込むつもりだったのだが、余りの甘っちょろさにちと見かねてな」
こういう男の欲求を満たすための場所に女剣士がいるのは、ケーキの上にサラミが乗っかってるくらい違和感に溢れているんだが、当の本人は全く気にした様子もなく、腕組みを解いて、
「おい、何すんだ」
ぐいっと俺のマントを掴んで引っ張った。
自然と、メニマから引き離される形になる。
「私の初心な坊やをかどわかすのは止めてもらおうか、お嬢さん」
「誰が初心だって?」
俺の反論を無視し、アニンは淡々とメニマに言葉を飛ばす。
「すまぬがこの身、先約があるのだ」
「え、え、え、ユリちゃんの恋人?」
「候補の1人、とでも言っておこうか」
「何だそりゃ、勝手に決めんなっつの」
アニンは牽制のつもりで言ったんだろうに、
「はぇ~……やっぱしユリちゃん、モテるんだねぇ」
メニマはすっかり信じてしまったようだ。
「話はここまでだ。行くぞユーリ殿」
「ちょっと待ってくれよ」
引っ張られないように足腰に力を入れるが、アニンの力はかなり強く、抗い切れない。
「駄目だ、待てぬ」
「事情があんだって。俺の、ヒーローとしての存在価値がかかってんだよ」
「承知している。おおよその話を聞いていたからな」
こいつ、一体いつから近くにいたんだ?
「せめてメシだけでも」
「ならぬ、これ以上帰りが遅くなってしまうと皆が心配するからな」
おまけにちょっと態度が強硬な気がする。
いつもだったら「私も相伴に与ろう」なんて同行してきそうなもんなのに。