43話『金貸しユーリ、娼館街に行く』 その2
……なんて聖人ぶってはみたものの、割とすぐに釈然としない気持ちが蘇ってきた。
宿を借りているローカリ教の支部、ゲンブラン寺院に戻った頃には、無視できないくらいにまで膨れ上がっていた。
何で俺があいつなんかのために、ここまで寛大になってやんなきゃいけねえんだ。
逆にあいつが俺に貸しを作ったことがあったか? いや無い。
しかも悪びれた様子も見せねえで。
あああ、考えれば考えるほど、どんどんムカついてきたぞ。
「おにいちゃん、どうしたの?」
気が付くと、衝動的に立ち上がっていた。
「ちょっと出かけてくる」
「また? 戻ってきたばかりなのに?」
「やっぱカッツを探す。あの野郎から金を取り戻すまでは聖都を出られねえ。俺一人で行ってくっから、みんなはここで休んでろよ」
「程々にしておきなさいよ」
「分かってるって」
何に対して程々にするのか、今一つ曖昧だったが、あえて具体化はしないでおいた。
「本気で取り戻したいのならば、甘さを捨て去ることだな」
「おう、"回収できんすか"じゃなくて"回収すんだよ"って心構えで行くわ」
ミスティラは私用だといってこの場にいなかったので、戻ってきたらよろしく言っとくよう頼み、俺は寺院を出た。
陽はだいぶ西に傾いていたが、まだ暗くなるまでには時間がある。
行く所は既に決まっていた。
つい先刻通ったばかりだから、迷いもしない。
再び傭兵組合の建物に赴いた俺の判断は正しかった。
その場にいた人間に片っ端から聞き込んでみたら、すぐに手がかりを得ることができた。
あの野郎……娼館街に繰り出してるとか、一体どういうことだ!?
「持ち合わせが……」なんて抜かしておきながら女遊びとはいいご身分じゃねえか。
俺が本物の金貸しだったら、石と一緒に海水浴を楽しませている所だ。
絶対に金を取り戻すという断固たる決意ができた。
金額の問題じゃない。
これは面子の問題だ。
あの野郎、舐めやがって……!
先刻は脅しの都合上、次会った時は利息を上乗せすると言ったけど、ここで取り返せないと次はいつになるか分かったもんじゃあない。
お互いの仕事柄、下手したら次の機会が一生訪れなくなるなんてこともありうる。
という訳で俺は、ルレド区の北東部にある娼館街へと向かうことにした。
本当はヤサを特定できれば、そこに張り込むだけでいいから楽だったんだけど、残念ながら分からなかった。
傭兵組合の建物は同じルレド区の北西部にあるので比較的近く、大通りを西から東へまっすぐ歩いていくだけでいいので、迷う心配もない。
もっとも、俺は特に方向音痴でもないけど。
東へ行くにつれ、段々と街の雰囲気が変わっていくのが分かった。
本格的に夜になってきたのも相まって、煌びやかな光と熱、そして住民たちが街をけばけばしく彩り飾っていた。
槍のような形をして道の両脇に並び立つ、火石を利用していると思われる街灯が煌々と闇を照らし、また押しのけ合うように並び立つ建物からも、どことなく淫靡さを感じさせる光がぼんやりと漏れ出ている。
たむろする人間の質も明らかに変わった。
競い合うように、惜しげなくお色気を振りまくお姉さん方があちこちに立ってたり、窓から身を乗り出して手を振ったり、胸元や脚を見せて誘っていたり……
多分この辺りは安い店が並ぶ区域なんだろうなと推測する。
当たり前だけど、聖都だからといって、全てがあのイースグルテ周辺のように美しく健全な場所じゃないってことだな。
ファミレの、人口密度が高い区域を思い出させる猥雑さだった。
賑やかな場所柄、ファミレにもそういう所がある。
自分は1回も利用したことはないが。本当だぞ。
ただこの娼館街、フラセース側も半ば容認しているらしい。
下手に押さえつけて地下深くに潜られるよりは、管理下に置いた方がいいと判断したんだろうか。
遊ぶ側の人間も、どいつもこいつも溜まりに溜まった欲求を隠しもせずに垂れ流していた。
この場にいる人間で真面目な奴なんて俺ぐらいじゃないか?
おいそこ、笑うなよ。
……で、煌びやかなだけじゃなく、やっぱりその裏では相応の闇や毒がドロドロと蠢き、堆積しているみたいだ。
一見分かり辛い位置にはちゃあんと怖いお兄さん方が目を光らせている、と。
他にもよく観察すれば、陽気そうな呼び込みの男も、堅気ではない獰猛さを薄皮一枚の下に隠しているのが感じ取れた。
渦を巻く歌声、嬌声、その他諸々の声が1つの巨大な交響曲を奏でる。
路上での喧嘩や制裁、路地裏での嘔吐や発情はさしずめ音楽に乗って役割に没頭する女優俳優か。
おまけに酒と煙草と、あと他によく分からん香料とかが入り混じった臭い……
ここの辺りだけ切り取って「これが聖都です」って紹介したら、行ったことのない人達はどれくらい幻滅するだろうか。
単独行動を取って良かったと改めて思う。
こんな所に女子供連れで来られる訳ねえだろ。
いや、正直1人でもあまり踏み込みたくはない場所だが、金を取り戻すためにはやむを得ない。
突っ込んでやるぜ。
おっと、突っ込むって言ってもそういう意味じゃないぞ。
それと、絶対にみんなには知られねえようにしとかねえと。
理由がどうあれ、こういう場所に入ったと知られれば一巻の終わりだ。
売り手も買い手も基本的には人間が多く、竜や洋の民の姿は見えなかったが、地祖人は普通に混じっていた。
「――ねえ、あたし花精の血が半分混じってるのよ。どう?」
「へへ、面白そうじゃねえか。どんだけの技と具合なのか、試させてもらうぜ」
……今、横で起こったやり取りは、聞かなかったことにしておこう。
さて、気を取り直して、カッツを探さねえと。
あいつは高級店に行けるような奴じゃないから、この辺を当たった方が確率は高いだろう。
事に及ぶ前に身柄を押さえて取り立てられるのが望ましいが、この際終わった後でもいい。
持ち合わせがなくとも、奴の大事な武器を換金すればいいだけの話だ。
今度ばかりは待たねえ。
最後にメシ食ってから結構時間も経って腹が減ってきたから、弱いながら餓狼の力も使える。
いざとなったら使ってでもとっ捕まえる。
というか既にブルートークで呼びかけてみてはいたが、反応はなかった。
うっし、どこから当たろうか。
「あらん、可愛くて素敵なお兄さぁん」
などと考えていると早速、1人の娼婦が猫撫で声を出しながら、蛇のようにヌルヌルと近寄ってきた。
赤い派手なドレスからはみ出す胸はミスティラに負けず劣らずデカいが……随分な厚化粧だな。
ゴテゴテと塗りたくってるってのは、つまりはそういうことだろう。
「何だよ」
なめられないよう、意識して声を張り、口調も雑にしてみる。
もっとも、別に普段お上品に喋ってるとは微塵も思ってないが。
「あらあら強がっちゃって、可愛いんだから。お姉さんと遊びましょうよ。手取り足取り教えて、すっごく気持ち良くしてあげるわよ」
きっと俺みたいな奴の相手はお手の物なんだろう、有無を言わさず腕を絡め取られ、ぎゅっと谷間の所に押し付けられる。
とは言っても、別に強がりでも何でもなく、劣情を催したりはしない。
嬉しいというより、指を突っ込まれたように鼻へ浸入してくる香水のきつい臭いが嫌だった。
俺、こういうの苦手なんだよな。
いやそれ以前に、香水抜きにしてもこういう女は好みじゃない。