41話『ユーリ、未亡人の魅力を知る』 その4
「だから待てっての。充分公序良俗に反する行為だろ。出禁になるぞ」
「案ずるな。局部露出も卑語もない、ほんの戯れだ。運営側も多目に見てくれるであろう」
「そういやジルトンも、こういう合コンみたいなノリを強要してきたよな。あいつ、今も同じ空の下で元気に大食堂を切り盛りしてんのかなー」
「話を逸らして時間稼ぎするのは男らしくないぞ。そもそも"ごうこん"とは何だ。金剛石の仲間か」
ちっ、読まれてたか。
「さ、始めようか。豪快な飲みっぷりを期待するぞ」
「は、初めてで、舌を入れるのは抵抗がございますが……ユーリ様のためならば、誠心誠意、応えてみせますわ」
「おにいちゃん、絞り汁、あまくておいしいよ」
もはや俺の準備も何も完全にすっ飛ばされ、アニンが、ミスティラが、ジェリーが、次々と自分の飲み物を口に入れ始める。
みんな容量ギリギリまで詰め込んだのか、ほっぺたがパンパンに膨らんでいる。
何だこの絵面。
にらめっこ勝負でもこんなんにはならないだろ。
順番に突っつくなり笑かすなりして噴射させてやりたくなる。
3人が、期待や待望といった感情の入り交じった眼差しを向けてくる。
どうするよ、これ。
選びたくない、なんて言えねえよな。
いっそ割り切ってやっちまうか?
いや、でもなあ……
いったん逃げちまおうか。
と思ったが、アニンから放たれる気配を感じて、それは無理と悟った。
空腹でない上に酒が回ってるから、ブラックゲートが使えないのが悔やまれる。
きっとこうやって逃げ道を塞ぐのも策の内だったんだろうな。
つい横に目を泳がせてしまう。
その先にはタルテがいて、俯きがちで意図的に俺と目を合わせないようにしながら、自分の牛乳をちびちび口に運んでいた。
助けてくれ、なんて言えるはずがない。
フェリエさんはというと、とりあえずは事の成り行きを静観するつもりのようだ。
視線で縋りつくと、目を細めて首を微かに傾げられた。
――選べ。自分を選べ。早くしろ、男らしくないな、自分で飲んじゃうよ……
三方から見えざる槍が飛んできて、顔に突き刺さる。
ブルートークを使わなくても、おおよその言葉が読み取れた。
目は口程に物を言うとはよく言ったもんだ。
やべえ。
早くどうにかしねえと、多分アニンやミスティラは自分から動いてくる。
そうなったら陥落は免れない。
どうする、どうする……
…………。
「……せっかくだから、フェリエさんがいい」
「!?」
ごくり、という音が4連続で鳴った。
最後の1つは俺が自分で自分の唾を飲んだ音だ。
自分で自分の思考回路を疑いたくなっちまう答えだった。
というか俺自身驚いている。
信じられないかもしれないが、頭で考えるよりも先に、勝手に声が出ていたんだ。
理由の如何に関わらず、一度声にしてしまった言葉を引っ込めることなどできない。
暖かい場所のはずなのに、空気がグッと冷え込んだのが体感できた。
どう転ぶのかは全く読めなかったが、この後の展開が怖くなってきて、背筋がピリピリしてきた。
「……ほう」
「あれ? おねえちゃん、それおねえちゃんのお水じゃないよ?」
「ば、馬鹿な……! 何故、何故に、わたくしを差し置いて年増を……!」
フェリエさん以外の人物の顔を見ることなど、到底できなかった。
「あら、私ですか?」
その当の本人は、頬に手を添え、困惑したような表情を作りつつ、首をわずかに傾けた。
そして、少しの沈黙の後、
「こんなおばさんでよろしければ……失礼します」
滑らせるような手つきで、俺の手から杯を抜き取り、上品な仕草で中身を口に含んだ。
続けて間を置かず、
「んおっ!?」
両手で俺の頬を挟んでくる。
思いのほか掌は熱く、そして強い力が込められていた。
いや、そりゃ全力で抵抗すりゃ簡単に振り解けるけど……できると思うか?
目が合うと、にっこりと艶っぽい笑みを作られる。
知り合ってから初めて見る顔だった。
タルテもミスティラも、アニンにもない、成熟した大人の色香。
まるでここぞという時を狙って出した切り札のような……
目から脳、足の先まで、電撃が駆け抜けていく。
腕力よりも、誘惑の魔法よりも抗いがたい魔性。
真面目でお堅いと評判の洋の民だから、余計に来るものがある。
数多の文字が脳内を流れている間にも、しっとりと濡れた、薄桃色の小さな唇が近付いてくる。
え、マジかよ。
こんな所ではじめてが……
いいのか、俺。
覚悟と観念の狭間での揺れが止まらない。
止めるか、受け入れるか。
どっちだ。どっちに決めればいい。
もう外からの声は入ってこない。
あるのは揺れと、痛み。
……え、痛み?
何で後頭部がズキズキ痛むんだ?
迷いで後頭部が物理的に痛むなんて、聞いたことがない。
おまけに意識まで遠のいていく……
「にゃははははっ!」
こ、この異様なまでに高揚した声……
聞き覚えがある。
そう、ファミレを出る前夜……タルテが……
もしかしてあいつ、酒を……
…………。
……。
「あれ? 温泉から瞬間移動してる?」
「あっ、おにいちゃん、おきたよ」
目を開けると、何故か温泉ではなくバラン寺院の部屋の、寝台の上に寝かされていた。
間髪入れず、ジェリーの可愛らしい顔と、物凄く申し訳なさそうな顔をしたタルテが視界に入り込む。
みんないつもの服装に着替えていた。
「あ、あの、その……ごめんなさい。わたし、また」
「あー、いいよいいよ。俺もあん時ゃちょっとおかしかったから」
「頭、だいじょうぶ?」
「ああ、もう痛くもねえし、記憶も飛んでねえ」
おいおいそりゃ挑発かとボケたらきっと真に受けてますます落ち込んじまうだろうから、普通に答えた。
「あの、今度は本当にもう、二度とお酒を飲まないから」
「いいっていいって。無礼講の席は失態を犯してナンボだ。いちいち気にしてたらキリがないし、過去を思い返したら俺なんか死刑ものだっての」
サッカーボールよろしく、後頭部を蹴っ飛ばされたくらい、こっちの世界基準ならどうってことはない。
えっと、あれからどんだけ経ったのかは分からないが、タルテが元に戻ってるってことは、それなりに寝ちまってたのか。
服は……着てない。水着のままだ。
畳まれて寝台脇の籠の中に入っている。
実際は一応布か何かを被せてくれたんだろうけど、そのまま運んだってことか。
酒も……大丈夫なはずだ。
意識をなくした人間に無理矢理飲ませはしてないだろう。
「さて、貞操に関する整理がついた所でよろしいかユーリ殿。起きて早々申し訳ないが、悪い知らせがある」
「どうしたよ」
「我々一同、今後温泉への出入りを禁じられてしまいましたわ」
出禁か。
まあ、あんだけ騒ぎゃそうなってもしょうがねえか。
「全く、平和な場所であのような蛮行に及ぶなど、品性を疑いますわ」
「な……ミ、ミスティラさんだって、あの後騒いでたじゃないですか。それに、元はといえば、最初にいかがわしい格好をしてたから目をつけられたんじゃ」
「まあ! 口答えなさいますの!?」
「べ、別に、そういうつもりは……」
「あー分かった分かった。寝起きにキンキン声を浴びせないでくれ」
全部終わった後で責任の所在を明らかにしてもしょうがない。
それよか、フェリエさんはどうしたんだろう。
部屋を見回してみるが、姿は見当たらない。
知りたいのはやまやまだが、この状況で口にしたら火に油を注ぐのは明らかだ。
ほとぼりが冷めるまで待つとするか。
ただ、もう温泉で会えないのが確定してしまったのは残念なところだ。
……懲りてねえな、俺。