41話『ユーリ、未亡人の魅力を知る』 その3
「乾杯ッ!」
かくして、2度目(俺は実質3度目だが)の飲みが始まった。
"非常事態"に備えて、酒はやめとくつもりだったんだが、アニンによって強引に酒にされてしまった。
あんま酔わないようにしとかねえと。
……ああ、そうだ。
「おいタルテ、そろそろ元気出せよ」
「なんのことよ、いきなり」
「このユーリさんにはお見通しだぜ。お前、まだ係員に注意されたこととか、俺が怒ってるんじゃないかとか引きずってんだろ。とりあえず俺はもう仏のように落ち着いてるから、そんな気にすんなって」
「……ええ、ごめんなさい。"ほとけ"が何なのか、よく分からないけど」
「そこは"ありがとう"にしてくれよ」
「……ありがとう」
「ん。そんじゃ、酒が欲しくなったらいつでも言ってくれよ。俺のと交換してやっから」
「それは遠慮しておくわ」
これでよしと。
次は、危惧していた場の空気だが、今の所は特に問題なさそうだ。
「時にフェリエ殿、このような特徴を持つ女子を見かけなかっただろうか。緑色の短い髪で、体は細く引き締まっていて……」
「いいえ、存じ上げませんわ。すみません」
「そうか、残念だ」
アニンはもとより、
「貴女の方からもローカリ教の教義に理解を示して下さるよう、同胞に呼びかけて下さらないかしら」
「善処致したいとは思っています」
「ねえねえ、フェリエさんってすっごいきれいだね」
「ふふ、ありがとう。ジェリーちゃんもとっても可愛いわよ」
ミスティラやジェリーも普通に接している。
フェリエさんは今回、酒ではなく水を選んでいて、酔い潰れたりする心配はなさそうだ。
今も特に具合が悪そうな様子は見受けられない。
よしよし、いい感じだ。
できればこのまま平和につつがなく……
「ユーリ様、お酒が進んでいらっしゃらないようですが」
「ああ、ゆっくり飲みたい気分なんだよ。つーか距離近いって。暑いんだから隙間を作れ隙間を」
「暑いからこその温泉ではありませんか」
行く訳がなかった。
こっちの意向お構いなしにしなだれかかられる。
肌や胸がどうこうというより、単純に濡れた髪がべったり貼り付くのが嫌だ。
「あのさぁ……もう忘れちまったのかよ。俺ら、係員に目をつけられてるんだぜ。次また問題を起こしたら出禁になるぞ」
「先の愚行、わたくしとて反省しておりますわ。どうか御安心下さいませ」
「本当かよ」
にわかには信じがたい。
という俺の猜疑心を裏切らない行動を、ミスティラは次に取った。
「いけません……わたくし、酔いが回ってきてしまいましたわ」
語尾に"カッコ棒読み"と付けたくなるくらいの嘘臭さで、自分の口元よりも遥か手前で杯を傾け、中身のぶどう酒を体に垂らしたのだ。
どんな状況でも一桁の算数ぐらいならできるように、企みの真意が、酔いで鈍りかけた頭でも用意に理解できた。
すぐさま離脱……しようとしたが、腕をガッと掴まれ、失敗する。
「嗚呼、甘美な赤き滴が体に! これは偶然、そう、運命の女神がもたらした悪戯にございますわ」
「さっきと言ってること違うじゃねえか。設定を詰めろ設定を。そもそもローカリ教の人間がしていい行為なのか、それ」
「もっともな御指摘ですわ。なればこそ、ぶどう酒の一滴さえも無駄にしないよう、どうかユーリ様がその舌で代わりに味わって下さいませ」
や っ ぱ り か 。
「俺じゃなくてその辺の人に頼めよ。大金を払ってでもやらせてくれって、希望者が殺到すると思うぜ」
「な、何という無慈悲な御言葉を! なお汚れろと仰るだなんて……! どうかわたくしを辱めて快楽に耽る真似はお止め下さいませ」
「馬鹿やめろ、そういう表現は誤解を招くだろ」
案の定、周囲から飛んでくる敵意がより強くなった。
「とにかく、俺はやらねえ。そういう趣味もねえ」
「若さ溢れる瑞々しい肉体を堪能したいとは思いませんの?」
「ああ」
「本当ですの? 全ての存在に対して宣誓できますの?」
そこまで詰められると自信がなくなってくる。
雪のように白い肌のせいもあって、首筋や胸の谷間近く、へそ下、太ももに浮かんだ赤い染みが一層淫靡に見える。
美女の血を求める吸血鬼の気持ちが少し分かった気がする……いやいや、分かるなよ。
抑えろ抑えろ。
よし、こういう時は隣にいる援軍を用いるに限る。
「助けてくれタルテ、ミスティラがいじめてくるんだよ。……あっそうだ、ていうかお前が代わりにやってくれればいいんじゃね?」
「な……! そ、そんなことできるわけないでしょ!?」
予想通りというか、タルテは顔を真っ赤にし、声まで裏返らせて拒絶してきた。
「わたくしとて、そのような性向は持ち合わせておりませんわ!」
「そう言うなって。奉仕精神ってやつだ。見てる外野連中は大喜びだぜきっと」
「バカ! 変態!」
よしよし、いつもの調子が戻ってきたな。
俺の徹底的な拒絶で、ミスティラの方もやがて諦めたのか、自分で零したぶどう酒を指に掬って舐め取り始めた。
……やけに扇情的な動作で。
どうして肌を這うように指を動かして、指の根元から先までねっとり咥えるんだ。
おっと。あんま見ないようにしねえと。
今の格好で異変を起こすことは即、死に直結するといっても過言ではない。
くわばらくわばら。
「まだまだ攻めが甘いなミスティラ殿」
厄介なことに、今度はアニンが話に入ってきた。
「指摘をなさるからには、相応の方策をお持ちなのですわよね?」
「無論だ。さあユーリ殿、こちらへ参られよ。私が酌をしてやろう」
参る、というより引っ張られて(違う意味で参りはしたけど)アニンやフェリエさん、ジェリーのいる方へ連行される。
「さあ、遠慮はいらぬぞ。存分に貪るがいい」
そんなことを言った後、アニンは自分の杯を傾けて口に含んだ。
飲み下し……はせず、そのままじっと翡翠色の瞳を向けてくる。
「丁重に、謹んで、遠慮させて頂きます」
こちらの意向を伝えると、アニンはごくんと口中の中身を無くし、不服そうに唇を尖らせた。
「今更恥じらう必要もなかろう。ファミレではいつもやっていたではないか」
「嘘言うな! やってねえよ!」
「まあ!」
「えっ……!?」
「ほら、こいつらはすぐ信じるんだから、そういうのは止めてくれって!」
こいつはすぐデタラメを言って、俺を陥れようとしてくるんだ。
「口出しをしただけあって、良い考えですわアニンさん。わたくしも見習わねば」
「見習わなくていいから」
俺の実に良心的な突っ込みは、当たり前のように無視された。
「おいタルテ、どうにかしろ」
「べ、別にわたしのことなんか気にしなくていいわよ。したいようにすればいいじゃないの」
「んな殺生なこと言わんで下さいよ」
「"淡き約定"よりも清浄なる濾過を施した、甘美なる極上の美酒、お召し上がり下さいませ」
勝手にどんどん話が進んでいく。
約定っつーか欲情してんじゃあねえのか。
「お前の口は、そういう使い方をするもんじゃないだろ」
「何と! 上の口では不満と!? ……し、仕方ありませんわ。他ならぬユーリ様が仰るのでしたら、下の」
「わああああ! 馬鹿やめろ! 物語が終わっちまう!」
ったく、危ない曲解をするにも程がある。
こいつ、まさかマジに発情期なのか?
「まだまだ押し引きの見極めが甘いなミスティラ殿。ユーリ殿はああ見えて面倒臭い……もとい、繊細な御仁なのだぞ」
うるせえよ。
「では、貴女の流儀を見せて頂けないかしら」
「良かろう。もっとも策は単純。即ち、誰との口移しを所望するのか、当人に強制的に選ばせるのだ」
「ユーリ様に、ですか?」
「ユーリ殿の中の序列が明確になることに加え、些か自発性に欠ける性情をも鍛え上げられる。一石二鳥という訳だな」
「面白いですわね。委細承知致しましたわ」
「聞いての通りだユーリ殿。我々の中の誰と酌み交わしたいのか選ぶのだ。なお、"全員としたい"は許可するが、"誰ともしたくない"は認めぬ」
「ふざけんな、何だそりゃ! 勝手に決めんな!」
「おっと、タルテ殿やジェリー、それとフェリエ殿も、希望するのであれば参加は歓迎だ」
無視すんなよ。
「い、いいわよわたしは」
「私も遠慮させて頂きますわ。若い子達には勝てませんから」
「みんながやるなら、ジェリーもやりたいな。あのね、ママもパパにやったことあるんだって。おとなりの家のおねえちゃんが言ってた」
「よしよし、そうかそうか。しかしジェリーは牛乳や果物の絞り汁にしておくとよかろう」
そんな生々しい情報は聞きたくなかった。
しかも牛乳とかもっと生々しいんだけど。