41話『ユーリ、未亡人の魅力を知る』 その2
「すみません、知り合ったばかりの方に、こんな暗いお話をしてしまって。やっぱり私って陰気な女ですよね」
「いや、そんなことないっすよ! むしろ2つの意味で嬉しいです」
「2つの意味、ですか?」
「こんなに深い話をしてくれたのと、親しげに話してくれる洋の民に会えたことです」
「……ふふ、ありがとうございます。本当に優しいお方ですね、ユーリさんは」
やばい、これは男として喜ばずにはいられねえ。
しょうがねえだろ、ここぞとばかりに嬉しげな顔を、しかも両手で口元を抑えながらされちゃあさ。
それだけじゃあない。
話しているだけで、いや、一緒にいるだけで落ち着いた気分になる。
これが大人の女性ってやつか。
いいもんだなと、ついしみじみ思ってしまった。
「あ、すみません。少し席を外させて下さいな」
不意に、フェリエさんがお湯から足を抜いて立ち上がり、そのままどこかへ歩いていった。
何だろうと思っていると、すぐに杯を持って戻ってくる。
しかも1つではなく、2つ。
「よろしければ、いかがですか」
「あ、ありがとうございます。ちょっと待って下さい、酒代……」
「構いません。私からのささやかなお礼です」
「え、でも」
「私のお酒、飲んで下さらないのですか?」
囁くように言われてしまえば、これ以上反論なんかできない。
ぶどう酒の入った杯を受け取り、さっきまでフェリエさんがしてたように、浴槽の縁に座って足だけをお湯に浸ける。
「失礼します」
音もなく、フェリエさんが隣に腰を下ろした。
肌が触れ合うほど近い訳でもないのに、それだけでどうにも落ち着かなくなってムズムズしてくる。
「いただきます」
誤魔化すために、先に飲ませてもらうことにした。
味なんてよく分からなくなってて、ただ酒気がギュッと各種内臓から頭に回っていく。
「では、私も」
とても上品な所作で、フェリエさんは杯の中身を体内に入れる。
わずかな喉の動き、杯を唇から離した後の艶やかな吐息、ほんのり頬に差された紅……全ての変化から目を離せずにいた。
「美味しいですね」
「そ、そうっすね」
抱きしめたら折れそうなくらい華奢だし、露出も少ないし、胸や尻の厚みもないのに、どうしてこんなにも酒を飲む姿が色っぽく見えるんだろう。
「お顔が赤くなってますが、大丈夫ですか?」
「あ、はい、問題ないっす。俺、酒入るとすぐ赤くなっちゃうんですよね」
「あら、そうなのですか。私もなんです。ほらここ、赤くなってませんか?」
綺麗に整えられた爪の先で頬を差す。
はい、知ってます。もう見ちゃってましたから。
その後は酒を飲みながら、話をして過ごした。
と言ってもだいたい俺の方が自分の来歴や信念、旅してる理由なんかを話すばかりだったんだが。
何というか、フェリエさんが聞き上手だから、ついつい口が軽くなっちまうんだ。
言っとくけど、別にタルテたちの存在を失念してはいない。
もうそろそろ戻らなきゃとは思っていた。
ただ、切り出す機を窺っていただけだ。
俺とフェリエさんの杯の残量を確認してみると、互いにほぼ空になっていた。
よし、名残惜しいが、これを飲み干したら行くとするか。
口の中を半分満たすくらいの量の酒を、ガッと含んでゴクッと飲み下す。
一時期醒めてた酔いが再び支配的になってるが、まだ大丈夫だ。
「あの、すいません。連れが待ってると思うんで、そろそろ……」
立ち上がろうとした直前、まるで図ったかのように、隣のフェリエさんが急にふらりふらりと、頼りなく体を揺らし始めた。
「え、ちょ……おっと」
あろうことか、そのまま前方の湯船に倒れて飛び込みそうになったので、反射的に腕を出して抱き止めてしまった。
やっぱり、フェリエさんの体は軽く、負荷はさほどない。
「大丈夫すか?」
「はい。……ごめんなさい、御迷惑をかけてしまって。弱いくせにお酒なんか飲んでしまったから……でも、楽しかったので、つい」
語り口は意外としっかりしていた。
それは良かったんだけど……体勢的に、フェリエさんの首筋がすぐ鼻先にまで迫っていたのがちょっと……
石鹸の香りがほのかに漂ってくるし、他にも体の熱さや、呼吸や脈が早くなっているのまで伝わってきて、俺の方にまでそれがうつっちまいそうだ。
というかもうドクドク来ている。
どぎまぎしていると、フェリエさんがふっと身を離した。
「気持ち悪くはないですし、意識もはっきりしてますから、私のことは放っておいて構いませんよ。どうぞ行って下さい。お連れの方達にも悪いですから」
「そんなことできませんって」
こんな所で酔った人を放置するのは危険すぎる。
それにそんな「行かないで」的な、密かにねだるような、後を引くような顔をされてしまっては、男としても見捨てられない。
「とりあえず、どこか休める所に行きましょう。すいませんけど、ちょっと抱かせてもらいますよ」
持ち上げるべく、フェリエさんを引き寄せようとした、その時。
突如として、目の前のお湯が盛り上がり、浴槽から何者かが姿を現した。
「お……お待ち、なさい……!」
「ミスティラ……? 何つう登場の仕方だ! 海坊主かお前は!」
肩を激しく上下させ、ずぶ濡れになった長い金髪を垂らして顔を覆い隠している姿は、紛うことなく妖怪だ。
「お言いつけ、通り……氷のような水風呂にて、しばらく頭を冷やし……平時の落ち着きを、取り、戻しましたので、こうして、間諜の如く浴槽に、身を潜め……事の一部始終を見守る、つもり、だったのですが……」
息を切らしてるってのによく喋る奴だな。
つーかマジで実行したのかよ。
「ユーリ様は恐らく、今のわたくしを、かしましい邪魔な小娘としか、お思いではないでしょう……ですが、それでも、敢えて、申し上げますわ。これ以上……静観を貫くなど、到底、出来るものではありません! "休む"、"抱く"などと耳にしてしまえば……」
「ば、馬鹿、そういう意味じゃねえっての! OLを落とすんじゃねえんだから!」
「それにしても意外でしたわ。ユーリ様は年増がお好みだったとは……」
「おい、そりゃ失礼だろ。訂正しろよ」
「あーら、これは失礼致しましたわ。おほほほ」
大分呼吸も整ったのか、まるで悪役令嬢さながらに手の甲を口元にあて、高笑いをするミスティラ。
「いえ、事実ですから」
失礼な扱いをされたにも関わらず、フェリエさんは特に気にした様子も見せず、怯えた様子も見せず、酒気を纏いながらもおっとりとした空気を崩していなかった。
やっぱ大人だな。
「ところであなたは……ローカリ教の教主・モクジ様の御令嬢ですね」
「わたくしをご存知なのですか?」
「ええ、あなた方の献身的な活動にはかねてより敬意の念を抱いております」
「よ、洋の民にしては柔軟なお考えの持ち主のようですが、褒めてもユーリ様をお渡しする訳には行きませんことよ」
なんて言いながらも、ミスティラは満更でもなさそうだった。
「同感だな。私達だけでは飽き足らず、浮気か」
また話をややこしくする増援が現れた。
浴槽から、海坊主2号が。
「……お前、ずっと気配消して潜ってたの?」
「当たり前だ。もうしばらくは行けたのだがな」
もはや突っ込む気にもなれない。
「タルテとジェリーはどうしたんだよ」
「既に後ろにいるではないか」
「え?」
言われて振り返ってみると、確かに2人が立っていた。
全然気付かなかった……俺が鈍ってるのか、2人が上手く気配を消していたのか。
「あのね、おにいちゃんがいなくて、ジェリー、すっごくさびしかったの。いっしょにいよ? ね?」
駆け寄って抱きついてくるジェリーとは対照的に、タルテは固く口を結んで複雑な表情をしていた。
文句の1つでも言いたいけど、先の騒ぎの罪悪感が邪魔してるんだろう。
「いいんです、構わず行って下さいユーリさん。私のことなど忘れて、旅をお続けになって下さい」
タルテにかける言葉を探していると、フェリエさんがすっと俺から身を離して、微笑みながら言った。
「ですけど」
「御本人の意志を尊重すべきではなくて? いいえ、そもそもの話、か弱さを売り物にして殿方を籠絡するという行為自体が腹に据えかねますわね」
「おいおい、そりゃフェリエさんに失礼だぜ」
「騙されてはなりませんわ。女というものは平然と偽りの仮面を被り、真実を覆い隠すものですのよ。そう、月を遮る雲のように。わたくしとて……」
「まあまあ、待たれよ」
ここでぶった切りに展開を変えてきたのはアニンだった。
「折角紡がれた縁だ、すぐに切り離してしまうのも些か無粋。皆で飲み直そうではないか。フェリエ殿、よろしいか?」
「お気遣いありがとうございます。御迷惑でないのならば、是非」
か細い声ながらも即答するフェリエさん。
まあ俺も異存はない。
「うむ。ならばここは私がおごろう。さて、では皆で飲み物を取りに行こうではないか」
誰かを残して不穏な空気を作らせないためだろう。
この辺り、やっぱアニンは上手い。