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40話『ユーリ、酒と女と肉を味わう』 その4

「って、お、おま、足下足下! 俺いる俺いる! 近い!」


 火照った白い腿がすぐ俺の鼻先に、息がかかってしまうくらいにまで近付いていた。

 この時点での位置関係を説明すると、座っている俺のすぐ右側にミスティラが、同じくすぐ左側にアニンがそれぞれ立っている形になっている。

 タルテとジェリーは、右側のちょっと離れた所でのんびりしていた。

 つまり2人が俺を挟むようにしているって訳だな。


 よりめんどくさいことになる前に脱出しねえと……

 なんて思ってる時点で既に手遅れだったみたいだ。


「行かせる訳には参りませんわ!」

「むっ」


 あろうことか、頭上の2人はそのまま俺を無視して揉み合いを始めやがった。

 実際はそこまで暴力的でもなく、水着を引っ張ったり乳を揉むでもなく、子どものじゃれ合い程度だったんだが、無防備に座ってたこっちにとっちゃ怪獣同士の激突と一緒で、さしずめ俺はそれに右往左往する大衆だ。


「うおっぷ、おま、なん、俺……」


 成す術なく、熱い肉と肉に挟まれ、擦られ、もみくちゃにされ……

 痛い。

 尻や股が至近距離で乱舞してるとかそういう問題じゃない。


 いや、それだけならまだいい。

 熱さと肉で息が詰まりそうだ。


「流石は当代一流の剣士。やりますわね」


 もういっそ、決着がつくのを待った方がいいかもしれない。

 体一つでまともにぶつかり合えば、考えるまでもなくアニンが勝つだろうし。


 だが予想に反して、両者の立ち合いは互角、膠着状態になっていた。


「これはこれで、面白い余興だな」


 原因は、アニンの方が遊んでいたからだ。

 面白くねえよ。さっさとどけ、いやどいて下さい頼むから。


 どうしてか、自力で脱出しようにも、できなかった。

 前か後ろに抜けようとしても立ち位置をずらされて阻まれるし、押しのけようとすればかわされる。

 こいつら、俺をハメるために実は示し合せて八百長やってるんじゃねえだろうな。

 腹が減ってない上、酒が入ってるから、餓狼の力を使うこともできない。


「あなたたち、やめなさいよ、こんな所で」


 ようやっと、タルテが重いケツ、もとい腰を上げて止めに入ってきた。

 ちょっと遅いけど、いいぞ。

 この怪獣どもを制圧してくれ。


「おどきなさいっ!」

「きゃっ!?」


 ……なんて期待、戦闘向きじゃない人間にはするだけ無意味だったよなやっぱり。

 あっさりと弾き飛ばされ、飛沫を上げてお湯に浸かるハメになってしまう。


「こ、この……!」


 だが、一度の黒星で戦意喪失するタルテじゃなかった。


「やめなさいって、言ってるのよ……!」


 本音は世間体を気にすることより、乱暴にされた怒りが上回ったんだろう、眉間にしわを作った怖い顔で、今度はがっちりミスティラとアニンの間に組み付いた。


「おお、三つ巴か。いいぞ、楽しめそうだ」

「ふ、その余裕、朝露を払うが如く吹き散らして差し上げますわ」


 そして、三者の争いが始まった。

 言い換えると、タルテの参戦は、俺の逃げ道をよりしっかりと塞ぐだけの結果に終わった。


「いてっ! うげっ! あべっ!」


 参戦者が増えた所で均衡が破れることもなく、ただ下半身の動きの激しさだけが増した。

 6つの足が、腿が、俺を容赦なく嬲る。

 3人揃って、俺のことなど眼中にないようだ。

 つーかこいつら、本来の主旨を忘れてやがんな。


 肉の隙間から、ジェリーがポカンとしてこっちを見ているのが映った。

 いくらなんでもあの子に助けを求める訳にはいかない。

 こんな醜い状況に巻き込ませるよりはいい。


「……こんな所で……とんだ変態ね……」


 どっかから、微かにそんな声が聞こえた気がした。

 流石にふざけんなと思った。

 誰が好き好んでこんな遊びをするかってんだ。

 そもそも痛めつけられて悦ぶ趣味はねえ。

 連動して込み上げる、3人まとめて水着を剥がしてやろうかという激情を、理性でギリギリ押し留める。


「お、お前ら、いい、加減に……」

「焦れったいですわ!」


 怒鳴りつけてやろうと、息を吸い込んだのと同時に、視界に星が散った。

 ミスティラの膝が、俺の右顎をガツンと打ち抜いたのだ。


「おっと、中々だな。しかしまだまだ」


 続いてアニンの膝が、今度は左顎をしたたかに打つ。

 短時間で左右に立て続けの強烈な攻撃を食らい、急速に意識が朦朧とし始めた。


 こ、これは……やべえ……


「周りの、迷惑に、なるって、言ってるのよ……!」


 周りよりもまず足元を見ろ……

 タルテが放った膝蹴りを鼻っ柱に食らいながら、俺は心の中で精一杯の突っ込みを入れた。






「すみませんすみませんすみません……」


 その後のことは、何故かよく覚えていない。

 顔面に食らった攻撃を中心とした色々な要因で、しばらくの間頭の中が虚ろになってたみたいだ。

 次に意識が明瞭になった時、あちこちの痛みを伴って眼前に映っていたのは、温泉の係員に対して体を直角に曲げひたすら平謝りするタルテと、バツの悪そうな表情をしているアニンとミスティラの姿だった。

 そうか、また救世主が助けてくれたのか。ほんと表彰、いいや勲章ものだ。


「次に騒ぎを起こしたら、退出してもらいますから」


 とはいえ、流石に係員も、冷静な声色の中に怒りを忍ばせていた。

 そりゃそうだよな。客観的に見りゃ俺達は問題大ありな客だ。


「いやはや、面目ない」

「醜態を晒したこと、お詫び致しますわ」

「貴方も、きちんと監督して下さい」

「え?」


 突如、係員の矛先が俺に向けられて、つい声を上げてしまう。

 おいおい、俺の責任かよ。

 どう考えても俺は被害者じゃないか?


「いや、違うんすよ。こいつらが勝手に……」

「……やだ、言い訳してるわ。情けない男……」

「……どうしてあんなクズが女を侍らせられるんだ」


 おまけに外野からまでヒソヒソと心無い野次が浴びせられる始末。


「とにかく、次はありませんからね」

「す、すいません」


 この場はどうにか事無きを得たが、ピシャリと最後通告を突きつけられた。

 とはいえ、ここまで3度も許してもらえているだけで充分甘い処置だろう。


 係員が去った後、俺はわざと大きくため息をついて、ジェリー以外の3悪人を順々にねめつけてやる。


「お前らなぁ……」

「えっと、その……」

「わたくし、決して加害者などではありませんわ」

「いやいや、決してユーリ殿の存在を失念していたのではないぞ。最初の内はちゃんとだな」

「やかましいわ! 言い訳禁止! ったく、あっちの水風呂にでも入って少し頭を冷やしてきたらどうよ」


 まだ顔を中心に全身が痛いわ、ビールの残りは飲み損なうわ、散々だ。

 温厚で通っているこの俺でもこれは我慢できねえぞ。


「ユーリ様、どちらへ?」

「しばらく独りになりてえ。ついてくんなよ。ちゃんとジェリーを見てろよな」

「おにいちゃん……」


 こいつらといると、落ち着いて温泉に浸かることもできない。

 ジェリーには悪いけど、少し単独行動を取らせてもらう。

 それにこの子を一緒に連れて行かなかったのは、周囲からあれこれ誤解されるのが嫌だったってのもある。

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