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そして死観する

 電気ショックの刑から再起した後、俺はオギヤカに強く訴えた。

 自分の罪が自殺なのはよくわかったが、どういう風に死んだかわからない。だから罪を払拭する為に動けと言われても納得できない。あと殺す気か、と。

 そう言うと、彼女は面倒そうに小さく嘆息した。

「自分の死に様が見たい。そう言っているんですよね?」

 彼女の強めの問いに少々狼狽したが、心の弱さを打ち払って大きく頷いた。

 だが、そこは素直に「やっぱいいです」と断って牢獄に引きこもっていた方が良かったのかもしれない。


 俺は彼女に連れられて、牢獄を出た。

 薄暗く狭い廊下を、足を忍ばせて歩いていく。足を忍ばせる理由。それは途中にある連なる監獄、そこに滞在する連中のせいだった。やたら地面を舐めている男や延々と呪文を唱え続けている女、唾液を垂らしながら笑っている老人、ひとりシャドーボクシングする老婆などが横目に見えた。見えぬふりをした。なるべく刺激させないように足音を殺した。不用心というか、我無敵と言わんばかりにヒールのカツカツ音を鳴らして歩くオギヤカを恨んだ。俺は、彼らと目を合わせてしまうことを怖れていたのだ。

「この人たち、みんな自殺者なんです。部屋不足なんですよね」

 俺の恨みがましい目線を疑問と察したのか、オギヤカは少しズレたことを言った。

 しかし、ああなるほど、と胸中で呟く。明るい自殺者なんて聞いた覚えがない。それに死んだ後も牢獄に入れられるなんて、そりゃあ精神状態もおかしくなるだろう。

 だからといって、何をしてあげるわけでもないが。

 そして数分ほど歩いた先に、大きく開けた場所にぶつかった。

 ちょっとしたホールじみた部屋で、中央に鉄製の螺旋階段が鎮座していた。段の隅に頼りない光源が設置されているようで、階段に沿う形で小さな光が闇に覆われた上層部へと、細く手を伸ばしている。

「ここの上にありますよ、視聴覚室」

「視聴覚室?」

 首を傾げるが、彼女は答えることはなかった。

 そして彼女に誘導される形で、螺旋階段を上り始める。

 一段、また一段。休みもなく上っていく。特に疲れたわけでもないのに息があがった。足は重りが繋がれているように鈍重になる。回数が増える度に、膨らし粉を塗したが如く恐怖度数が膨張していくのだ。

 俺は、どこに連れていかれるのだろうか。

 もしかして、彼女は俺を騙して試練とやらに放り込むつもりではないだろうか?

 ありうる、と判断した。人の頭に妙なものを取り付けて電撃を流し込む女だ。俺が不幸に陥ることを嬉々としてやりかねない。

 ここから逃げるべきか……。

 再び俺の異常を察知したのだろう。オギヤカが顔の半分をこちらに向けて、告げた。

「この先にある視聴覚室に行くだけなので、あまり不安にならないでください」

 そして一歩分また階段をのぼって、再びこちらを見やる。

「あんまり遅いと、またおしおきしますよ?」

 底冷えする声音に、びくり、と体が反応する。完全にパブロフだ。

 ここがあの世ならこいつは天使か、と考えたこともあったが、おそらく鬼か悪魔なんだろうな。と胸中で毒吐いた。


 延々と続くかと思われた螺旋階段の頂上に、背景には似合わぬ扉がひとつ。

 俺がゴクリと喉を鳴らして覚悟を決めようとしている間に、オギヤカは不躾にもガチャッと扉を開けた。

 おいバカ気を使え。そう言葉を荒げようとした瞬間に、ぴーんぽーん、と間の抜けたチャイムが鳴り響いた。

『受付番号666番の方、119番の窓口へお越しください』

「……は?」

 思わず自分でもアホみたいだと思うような声が出る。

 視界には、清潔感溢れる市役所が広がっていた。

 左手に病衣を着た老人やライダースーツを着たフルフェイス男に、OLっぽい制服を着た女性がいる。右手には受付カウンターと、対応する職員じみた人が座っていた。

「おい、俺を異世界に連れてけよ! せっかく死んだんだからよ! 次は異世界に出来るだろ、おい!」

 と、涙声ながらに職員に掴みかかっている病衣服の男もいた。

 彼は職員に罵詈雑言を投げかけるも、周囲の人間に引っぺがされて組み敷かれてしまう。いい大人なんだろうが、おいおいと大きな声で号泣していた。哀れだ。

 オギヤカはその様子を見やり、嘆かわしいと溜め息吐く。

「あの人は病死らしいですけど……最近増えているんです。異世界に連れてけっていう要望する方。そのせいでこちらも圧迫しちゃっているし、八百万の上司も困惑しっ放しですよ。死を旅行チケットか何かと勘違いしているよなぁって」

「へえ」

「死んだ直後なんて、だいたいが不安定ですから。気持ちはわからなくもないですが……」

 彼女の言葉を流しながら、自分の服へ視線を落とす。

 俺は、ピンク色の作業服を着ていた。道中で目撃した自殺者たちも同じ服装だったから、特に何も思わなかったのだが……待合室や椅子に待機している方々と比べると、いささか場違いに思えた。

「俺、他の人と服装が違うみたいですけれど、何であの人たちは普通の服なんですか?」

「ああ、それは自殺者だからですよ。獄衣と思ってください」

「獄衣……」

 口にするのも憚れる恐ろしい二文字だ。

「さ、行きましょう」

 俺は彼女に促されて、周囲の奇異の目をたっぷりとその身に受けながら歩を進めた。


 『視聴覚室・ヤタカガミ』と小さな看板を掲げた室内に入る。

 がらんとしたミニシアターとも言えるような内観だ。仄かな明かりが灯る室内には、赤い椅子が十席。それが規則正しく五列並んでいる。変わったものと言えば、四隅には古臭い映写機じみたものがあることだろうか。それに、視聴覚室というわりには、どこにもスクリーンは見当たらない。

 オギヤカに椅子に座れと言われて、俺は最後尾の隅に腰を下ろす。

 隙を見せた俺が悪かった。とすっ、と首筋に冷たい何かを差し込まれたのである。骨髄から脳へ、ひんやりとした何かが染み込んでいく。

「えっ、あ、な、何をしたんですか」

 情けなく震える声。

 差しこまれた何かが体内で動くのを怖れて、振り返ることが出来ない。向き直ることは出来ないが、伝わる雰囲気でオギヤカが楽しんでいる様子は理解していた。

「自分から望んだんだから文句言わないでください。ほら、今から自殺の様子が流れますから前を見て。見たかったんですよね?」

 作業しているのか、カチャカチャと機械を弄る音が耳に入る。

 俺は暴れることも出来ず、素直に彼女に従う他なかった。

「さ、始まりますよ」

 彼女の声を合図にパッと周囲は消灯し、四隅の映写機にぽつぽつと光が灯っていく。

 光は妖しく瞬いて、薄暗さに飲み込まれそうな淡い緑、赤、黄色といった色が部屋を包み込む。

 四隅の映写機の互いに示し合せるような明滅は、大きな間隔からゆっくりと速度をあげていく。手拍子を徐々に重ねるような光の瞬きは激しさを増していき、それが完全に合わさった瞬間だった。


 日の暮れ始めた赤い陽光が、誰もいない教室に差し込んでいる。

 影を落とす教室の隅に、背の低いおとなしそうな少年が、ひとり静かにリコーダーを吹いていた。曲は、威風堂々だろうか。

「え……これは……」

「おっと、間違えました」

 と、悪びれもなくオギヤカは告げる。

「操作を誤って、可愛い女生徒のリコーダーを吹く幼い頃の春人さんを出してしまいました」

「待って。わざとですよね? 絶対わざとですよね」

 恍惚した表情で笛を吹く少年を自分とは認めたくなかった。曲のチョイスはなんで威風堂々にしたのだろう。むしろ厚顔無恥ではないか。

 異様な恥ずかしさに身悶えする俺を差し置いて、一旦、世界が消灯する。

 そして再び、映写機は瞬き始めた――。

 

 小さなミニシアター内に、柔らかな雨が降り始める。

 いや、降っていない。その証拠に、俺の衣服は少しも濡れていなかった。雨の光景を作り出したのだろう。そして夜空に黒雲、攻撃的な大粒の雨。足元は煙のような水飛沫が覆われて、目の前には大通りと車が行き交う風景が広がっていく。

 歩道に、死人と見紛うほど血の気のない顔をした男を見つけた。青の稲妻が彼を照らす。その男は、俺だった。大雨だというのに傘も差さず、自転車を傍らにトボトボと歩いていた。


 ああ……胸中に、得たいの知れぬ冷たく暗い衝動がじわりと滲んでいく。

 俺は、思い出したのだ。

 自分がどういう思いで、ここを歩いていたのかを。

 店長と、あの人の光景を。


「死んだ人より死んだ顔してますね」

 オギヤカは言った。

 死相と言えばいいのだろうか。確かに俺の顔色は良くなかった。

 自分のこととはいえ、自殺しそうと言えば、自殺しそうな風貌である。

 ペラッと紙を開く音が聞こえた。オギヤカがピンク色のノートを開いたのだろう。

「この後、あなたは車に轢かれます」

 彼女の言葉通り、俺は車に見事追突された。

 自分の死を観るというのは、気分の良いものではない。表現を躊躇ってしまうほどのグロテスクな光景だった。目の前に倒れていた子供にも、申し訳ないものを見せてしまったな、と思う。

 俺の死を持って、周囲の風景はシャットダウンされたように暗闇に戻ってしまった。そして、ぽつぽつと橙色の明かりが灯り始める……。


「以上となりますが、ご満足頂けましたでしょうか?」

 映写機の投影は終わり、俺の首筋から何かがズルルッと気色悪い感覚を伴って引き出されていく。

「……いや、あれは自殺とは言えないと思うんですけど」

 俺は子供をかばって、車の前に飛び出したではないか。

 自己犠牲精神と褒められこそすれ、自殺だ罪だと罵られるものでもないだろう。

「あれが自殺ではないと? そうおっしゃる?」

「はい」

「まぁ傍から見ればそう思われますよね」

 彼女はピンク色のノートの項目を読み上げていく。

「でも実は、あの子は助かる予定だったんですよ」

 さらっと、彼女は意味不明なことを口にした。

「はい?」

「車が大きくハンドルを切って、結果として単独事故になる予定だったんです」

 なんとも残酷な事実。

 へこむ俺を気にも留めず、オギヤカは懇切丁寧に教えてくれた。

「それなのに、あなたが運命をねじ曲げてしまったんですよ。八百万の上司たちもこれには驚きました。運転手も度胆を抜かれたと思いますよ。おかげで運転手は右にも左にもハンドルを切れず、あなたを轢くハメになったし」

 彼女は続ける。

「さて自殺じゃないっていう愚問ですが……。あの時、あなたはきっとこう思ったはずです。死ねば解放される。しかも少年を守る形となれば、自殺としても理想的じゃないか」

「さすがにそれは穿った見方では……?」

「本当に?」

 オギヤカの黒い双眸が俺を射る。俺は、ぐっと押し黙ってしまった。

 否定も肯定も、俺はしなかった。

「もう思い出したでしょう。何で、あなたが死んだのか」

 彼女の言葉に、小さく頷いた。

「はい。出来れば、忘れたままの方が良かったです」

「ええ、そうなんですよ。自殺者には記憶を消す処置をしているんです」

 それでも刻まれた物を完全に消すのは難しいですけど、と彼女は付け加えた。

 俺は忘れたままでいたかった。

 記憶なんて取り戻したくなかった。

 どうして俺だけ、こんな目に遭わなくちゃいけないのか。

 どうして現世帰りなんて、しなくちゃいけないのか。

 またあんな場所に解き放たれるなんて、嫌だった。膨大な時間の中に放り込まれるなんて、それこそ監獄じゃないか。

 終点であろうこの場に居させてくれ。

 懇願するように彼女の目を見やる。

 オギヤカの無表情から、彼女の意志は読み取れなかった。

「でも今回ばかりは事情が違います。本当ならば、あなたはもっと長生きするはずだった。少なくとも、ここで死ぬ予定はなかった。これでは死のルールが破綻してしまう」

 オギヤカはピンク色のノートを小脇に抱えて、こちらを見やる。

「春人さん」

「……でも、それでもやっぱり、俺は生き返りたくありません。きっと俺が死んだって誰も悲しまないし、むしろ喜ぶ人の方が多いと思うんです」

「それはあなた個人の問題です。今日日、通販だって七日間過ぎれば返品不可になるんですから諦めてください」

 彼女は手早く映写機を片付けた後、容赦なく言い放った。

「では、私はあなたの要求通り死の間際をお見せしました。次は、あなたが私の要求を飲む番ですよ」

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