第6.5話 旋
美しい旋律をもう1度。
私の家族は貧しく、両親と長女である私が働いてもはたらいても生活が楽になることはありませんでした。
いくら貧しくても家族と笑い過ごす日々はとても輝いていました。
そんなある日。
私は奴隷商人に売られたのでした。
最初はわけもわからず戸惑っていました。家に乗り込んできた男の人が私の腕を掴み、厳重な鍵のついた馬車、いえ。車輪のついた牢屋に放り込み鍵をかけました。幸いにも小さな窓がついていて、そこから両親に助けを呼ぼうと手をかけました。
しかし、私の予想とは逆で男の人は私の父親にお金を払っていました。私たちが働いても稼ぐことができないような大きな額のお金を。
そこで始めては私は気がつきました。
「私は売られたのだ」と。
実の親に売られたことに対する悲しみ、憎しみ、驚き。様々な感情が身体の中を駆け巡り、残った感情は無でした。それをもはや感情として扱うことが許されるのかわかりません。
ただ、頬が濡れていたことは覚えています。
それからの日々は地獄でした。まさに生き地獄。両親に愛されていなかったとしても、まだ貧民として家族と暮らしていた方が幸せでした。
裸に近い、かろうじて服の意味をなしているボロボロの布切れ。凍えながら働く毎日。
飽きたから捨てたのか、面倒だから捨てたのか、毎日変わりゆく私の飼い主。
私は道具のひとつでしかありませんでした。
それから何年経ったでしょうか。
この頃になると、私は他の少女達よりも発育が良かったのか、毎日のように水商売のようなことをさせられました。ある時には服を脱がされ、暴漢に押し倒されたこともありました。
また、月日が流れ、季節は冬になりました。何年もの間布切れ一枚で生活させられていたので慣れていましたが、やはり冬の夜は寒くて仕方がありません。
涙さえ凍てつきそうな夜でした。
石畳の上で横たわっている私の上で、暖かそうなコートをきた私の飼い主が「奴隷競売」そう言ったのを覚えています。
奴隷競売とは、奴隷商人と貴族で行われる裏の取引で、男奴隷は労働。女奴隷は性奴隷として取引されるのが普通でした。国も公認こそはしていませんが、自分たちもその競売にかかわることがあるからか何事も知らないようにしているようです。
いくら辛い労働をさせられても、今度ばかりは逃げたくなりました。しかし手足には枷がついており、契約の固さを物語っているようです。
なにがあっても守り抜いてきた指先と処女。結ばれ愛し合った人に捧げると決めていた自分が崩れそうになりました。……奴隷になった時点でダメなのかもしれませんが。
何の抵抗もできないまま奴隷競売の日がきてしまいました。
なぜでしょうか、不思議と悲しくもありません。
まもなく商品として騒めく観衆の中ステージの上に立たされました。
目の前に群がる人たちは肩や胸に様々な勲章をつけていて、貴族だということがすぐにわかります。
貴族より高い位置に立っているという優越感など微塵も感じません。
私の前の方は690万クロークで落札されました。落札した貴族は満足そうに連れていきました。
とうとう私の番がきてしまいました。
ステージの真ん中に立ち、競売人がスタートのハンマーを鳴らした瞬間。
「「ワァァァァァァ!!」」
もはや数字なんてものは聞こえず、ただの野次でした。それが値段が上がっていくに連れて貴族たちの声も小さくなっていくのが面白いです。
声を出さないのは、入札と間違われないようにでしょう。
現在の最高入札金額は、……い、1687万クローク‼︎? 誰がこんな金額を……?
壁にかかる掲示板を見てみると、最高入札者はケイラ・ペドリフィンという貴族でした。その容姿は遠くから見てもわかる容姿は脂ぎった顔に、ブクブクに腫れたような顔。最高入札額ににやけている口からは貴族らしくなく涎をたらし、抜け落ち間が空いて音がなりそうな前歯。清潔という言葉とは縁のなさそうな貴族でした。
競売人の「最高入札金額は1687万クローク。他に入札者はいらっしゃいませんか?」という言葉に入札者たちは声を上げず黙り込みました。
「待ってくれ! ......おーい、女奴隷。両手を見せてみろ」
その水を打ったかのような会場に小石を投げ込んだ貴族がいました。
その方に手を見せろと言われたので、手? と疑問に思いつつも両手を前に突き出しました。傷一つつけないように生きてきた意味が分かる人などこの会場にいるのでしょうか。
「オッケーだ。競売人、2000万クロークでその娘を貰うわ」
「にっ、に!!? 正気ですか! 取り消すなら今ですよ!!? 」
「入札者が2000万クロークだって言ってるんだ」
「き、貴様! 払えない額を言うのではないぞ!! 」
ペドリフィンは最高入札金額を大幅に抜かれたことに不満を持っているのか、私のほうからは見えませんが入札をした貴族の方を向いて叫びました。
「んー、まあ確かに大きな買い物だけど。俺もそのこ娘が欲しいからな」
「ぐっ…… 2500万クロークだっ!! 」
「「ぉぉぉおおっっっぉおっぉお」」
「最高入札金額は2500万クロークです!! 」
「はあ、面倒なことをしやがって……」
「これなら文句ないだろう!! 貴様ぁ!! 」
こ、こんな金額…… いくら発育がいい奴隷だからと払っていい額ではありません……
「あの女奴隷は私の―――」
「5000万クローク」
彼がそう言った刹那。水を打ったかのように静まり返った競売場。誰もが声の主の方を向いていました。
「決まりだな」
ステージの上まで来きたのは、フード付きマントを羽織った背の高い人でした。顔そのものは見えません。
「奴隷商人、ここに5000万クローク入ってる。盗まれるなよ」
最初から5000万クロークを払うことを予想していたかのように大きめのアタッシュケースを奴隷商人に渡すと、私の前のまで歩いてきて両手をとりました。
「名前は? 」
「……エ、エミリオ・ハーシュラーです」
「エミリオ、今日からは俺が主人だ。俺はあんなゲス貴族じゃない。服だって寝るところだって食事も与える。俺の屋敷で働くか? 」
奴隷に対する待遇ではないと思いつつ、私は返事をしました。
「は、はい」
「よし、決まりだ。俺の名前はクリュール・ベルリオーズ。ベルリオーズ家の当主だ。よろしくな」
「はい」
「とりあえず、これでも羽織っておけ」
「これはご主人様のマントでは? お身体に支障が...」
「お前、面白いやつだな。風邪ひきそうなのはお前の方だろ?」
ベルリオーズ様のクスクスと抑え気味の笑い方は、とても気品がある貴族らしい笑い方でした。
クローク…この世界での通貨。特に意味はありません。