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指先で触れた音色に想いを乗せて  作者: 鹿島夏紀
アルエストに残されたもの
2/8

第1話

ねえ、お母さん。戦争で人が死ぬことがなくなればいいのにね。


え、だって人間が争うのは本能だよ。それだけは無くすことはできないと思うの。だからせめて戦争で死ぬことがなくなればいいのにな、って。


だから、楽器で競えばいいよ。誰も死なない。ただ美しい旋律が戦場を駆け抜けるの。


お母さん、きっと最強だね。この国で一番美しい音色を奏でるんだもん。


お父さんとお母さんがいれば、世界の戦争が終わるよ、きっと。


こんな夢物語でも、叶うのかな……


いつかここから出れるよね。……うん、頑張るよ。





クラリオン、元アルエスト家地下牢にて。

「残念だよなあ、貴族から奴隷にまで堕ちちまうんだもんなあ~」

鉄格子越しにかけられる侮辱の言葉。アルエスト家一人娘であり、アルエスト夫妻の愛娘であるヒロナは、噛みつかんとばかりの勢いで鉄格子にしがみついて叫ぶ。

「お母さんをバカにしないで! あなたたちのような下衆と一緒にしないで!」

「なんだとオラァ!! 口のききかた気をつけろよ!!」

下衆と言われた男は鉄格子に蹴りを入れる。その振動と勢いでヒロナは簡単に後ろの方へ飛んでしまう。

「てめぇみたいな口の汚い子供にはお仕置きをしないとだなぁ!!」

男は腰にある鞭を手慣れた手つきで取り出した。それから下卑た笑みを浮かべ鞭を石床に打ちつけながら牢の中へと入ってくる。

「その可愛らしい顔に傷なんかつけたくないいんだけどよぉ、しょうがないよなぁ? 悪い子にはお仕置きが必要だもんなぁ?」

「傷をつけないとか、笑わせないでよ! 元から傷をつけないつもりなんか微塵もないんでしょ!」

「ああぁ!? てめぇは可愛げがねぇよ!」

振り上げた手に遅れて鞭が追いかける。空中で大きく踊った鞭がヒロナの方へと向かってきた。風を切り裂きながらこちらへと飛んでくる鞭に、ヒロナは怖さのあまり思わず目を(つむ)る。

「ヒロナっ……!」

それから感じたのは痛みではなく、全体にかかるやわらかな重み。その重みは母のものであるとヒロナはすぐにわかった。

「っ……」

ヒロナを庇い男の鞭を受けた母は、気絶したのか短く(うめ)いたあとに背中を滑るように横へ落ちた。

「お母さん!!」

鞭の先についてあるしなりをよくするための(なまり)がこめかみにあったようで、こめかみからあごにかけて紅い筋をひとつ流していた。

ヒロナは気絶した母を揺すり、死んだもの勘違いしパニックになっていた。

それを面白がるように見ていた男が、

「残念だなぁ〜、お母さん死んじゃったよ〜?」

「えっ......」

「ああ〜、お母さんのお仕事、ヒロナちゃんが背負うことになるねぇ〜」

「ひっ......」

男のその表情は、下卑という単語では表せないような正気ではない表情を浮かべ、ヒロナを品定めするように足先から頭の先までじっくりと舐めるように見た。

「お母さん、お母さん......?」

パニックになっているヒロナは、微かに上下する体に気づいていない。

「一人にしないでよ......」

母に泣きすがり、ヒロナの涙で濡れていく母の額。それを感じた母は、

「......ヒ、ヒロナ」

本当に聞こえるかどうかわからないほどの小さな声でヒロナを呼んだ。

「お母さん!?」

何度も聞いた忘れることなどできない母の声。ヒロナはその声を聞き逃さなかった。

「ヒロナ......」

「お母さん!」

母が生きていることを確認したヒロナは、悲しみで流れる涙ではなく、嬉しさで涙を流していた。

ヒロナで弄んでいた男は「チッ...... つまんねえ」と愚痴をつぶやいていた。

「何がつまらないんだ?」

ふと、石でできた地下牢に響き渡る声。さっきまで自分たちを弄んでいた男とは違う、凛々しいはっきりとした声。

男は牢の外へ出て入口がある横の方を向いた。

入口に立っていた人を見るや、男の表情が凍る。

「へえ。お前はそういうことをアルエスト親娘おやこにしていたのか」

「ベルリオーズ様......!」

「その鞭と鍵を渡してもらおうか」

「そ、それは別に構いませんが、何をなさるつもりで?」

先ほどまでとは違う、媚に満ちた尊敬ではなく位の違いに伏せる哀れな敬語で、男はベルリオーズと呼んだ男に話しかける。

「今は奴隷であるアルエスト親娘。それは俺が預かることになった」

鍵と鞭をひったくるように奪うと、彼はヒロナたちが入れられている地下牢の鍵を開けた。

彼の歳は十八。外見は爽やかな笑顔が似合いそうな整った顔。ヒロナはそんな彼にでさえ、ビクついていた。

「へっ...... 俺はここの地下牢の仕事がなくなったらどうすれば......」

「だから言ってるだろ、」

柔らかくそして爽やかな笑顔で、

「お前はクビだ」

整った顔から爽やかな笑顔を浮かべる。その笑顔を見たヒロナは、彼が敵ではないかもしれないと疑いを解き始めた。

牢に入ってきた彼は、ヒロナの前で膝をついてしゃがむと、「大丈夫か?」と一言かけると、胸元から小さな筒状の笛を取り出し、

ピイィィィィッ‼︎

甲高い音が地下牢から地上へと駆け抜ける。それから間も無くして、二人のメイドが現れた。

その二人に彼は、「アルエスト婦人を客室まで運んでくれ。必要があるなら怪我の手当ても頼む」と指示すると、「失礼」とヒロナの膝裏と背中に腕を回し、抱きかかえた。

「大丈夫だ。俺は何もしない。お前らを助けにきたんだ」

「助けに......?」

「ああ。昔、お世話になってさ」

彼は、「今は奴隷になっているって聞いて飛んできた」と笑った。

まだ、ヒロナはまだおびえているものの、どこか安心した表情を浮かべているように見えた。

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