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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
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in the stripped 2013

作者: 京元緋呂

「そうか、じゃあ仕方ねえな。どうぞお大事に」

 苦い気持ちになったのを隠し、ビジネスライクに応対して通話を切った。相手はスタッフの山谷という男の子だ。鼻の詰まった声で申し訳なさそうに謝っていたが、多分それは休みを得るための演技だろう。

 山谷には最近彼女が出来て、仕事中に何度もこそこそメールしていた。恋の始めだから浮かれるのも仕方ないと大目に見ていたが、よりによって今夜休みやがるなんて。畜生、俺だって休みてえ。いやいっそ、店を臨時休業にしてえ。

「明日は這ってでも出ます、ってか……判ってんのかよ。ただでさえ一人欠けてんだぞ」

 実は一週間前、もう一人のスタッフが盲腸で入院していた。これで本日の戦力は通常時の五十パーセントダウン、最悪に忙しい夜確定だ。考えるだけでアタマ痛えぜ。

「ボックス二つくらい減らすか……」

 キッチンで仕込みしながら溜息を吐いていると、カオルがリビングからやって来た。いつもの如く、くたびれたスウェットに寝癖だらけという超ダサいスタイルだ。カッコイイところしか知らねえファンの連中が見たら泣くぞ。

「どうかした?」

「スタッフが一人、休むってよ。今夜、神社の宵宮だから混む確率高えってのに、やってくれるぜ」

「ふーん。それって、もしかしてサボリ?」

「限りなくそれっぽい。おそらく、新しい彼女にねだられたんだろ。お祭り連れてってえ、とかよ」

「ああ、ありがち。そんで女って、仕事だからって断ると怒るんだ。私と仕事、ドッチが大事なのって。そんなの仕事に決まってるっつうの」

「リアルな話だな。過去に経験済みかよ?」

「忘れた、そんな昔のこと。それよりも……」

 既にスタッフが一人ダウンしているのを知っているせいか、カオルは心配そうに眉を寄せた。

「確か祭の期間って、店混むんだろ。休んだヤツの代わりって、どっかから調達出来んの?」

「いや、比嘉さんとこもギリギリだから来れねえ。まあ、仕方ねえから何とか回すさ」

 正直、普段だって最少人数しかいな上にこの状況じゃかなりキツいが、それをここでカオルに愚痴っても仕方ない。幸いにしてもう一人のスタッフはうちのオープニングからいて、女の子ながらも頼りがいがある。少し長めに残業してもらおうと考えていた矢先、カオルが思わぬ事を口走った。

「俺、手伝おうか?」

「へ? お前、仕事は?」

「今夜、オフだから」

「オフ?」

 だから、夕方になってもその格好でうろうろしてたのか。

「祭の夜にお前が休みなんて、初めてじゃねえ?」

「うん。ほら、先週摘発されたクラブあっただろ。ホントは今夜、あそこで仕事だったんだ」

「マジか?」

「ああ。いっぺんやりたかったとこなんだけど、閉鎖しちまってさ。俺はどうやら、あの店に縁がなかったみてえだ」

 カオルは残念そうに微笑んだ。

 そう言えば、先週そのニュースがテレビやネットで流れていた。

 摘発されたのは関東最大のクラブで、警察はたくさんの潜入捜査官を導入してハデに取り締まっていた。繰り返し流れるニュースを見ながら、似たような業種で働く身として、国家権力をひけらかすような警察の遣り口にムカついたのを覚えている。もしガサ入れが一週間遅かったら、カオルも巻き込まれていたかもしれない。

「つうか、そのクラブに縁があったら、お前もブタ箱にお泊まりだったかもな」

「それもそうだな。却って縁がなくて良かったのかも。そうか、そう思っとけばいいや」

 カオルは一人で納得したらしく、うんうんと頷いた。

「じゃあ、そういうコトで。で、俺はどうすればいい?」

「そうだな。まずはシャワー浴びて、その酷い寝癖を何とかして来いよ」

 珍しく素直な調子で聞いて来るのが何だか可愛らしい。つい抱きしめたくなるのをぐっと堪えて、笑顔で風呂場へ送り出した。


 カオルの申し出はありがたかったが、実のところ、少し気になる点があった。

 アイツにバーや居酒屋でのバイト経験があるか、俺は今まで確認したことがなかった。もし経験があったとしても、アイツの短気な性格は、あまり客商売に向いているとは思えない。酔っ払いに尻でも触られたらすぐ逆上して、トレイで殴り付けかねないからだ。

 でもそれは、今夜だけは勘弁して欲しい。プライベートでそんな場面があったら、まず俺が酔っ払いを殴り倒すが、仕事はまた別の話だ。そういう些細なセクハラは穏便にやり過ごして、客には気分良く、たくさん飲んで貰わなければならない。俺はそういう内容の話を簡単に説明した。するとヤツは横柄に頷いた。

「俺だって一応社会人だし、その辺はちゃんと判ってるから心配すんなって。つうか俺の尻なんて、誰も触んねえっつうの」

「イヤ判らんぞ。前々から言ってるだろ、お前、そういう趣味の男から見たら美味しそうなんだって」

「……」

 おい、何だその「触るのはテメエしかいねえだろ」的な視線は。確かに普段なら間違ってないけども、さすがに俺だって、仕事中は自粛するぜ。

「コホン。それから今夜一緒になるスタッフの女の子――サチって言うんだが、お前より一つ年下だ。でも先輩に当たるから、仕事中はさん付けで頼む」

「判った。で、アンタは店長って呼べば良いのか?」

「俺も、普通にさん付けで」

「了解、アキラさん」

 さらっと呼ばれて、一瞬ドキっとした。

 コイツにそう呼ばれていた頃が、ふと頭を過った。まだ親しくなる前の、客とバーテンダーの関係だった頃だ。当時のカオルは派手な金髪で、普通に女と付き合っていた。俺はそんなコイツの前で気の良い店員を装いながら、いつもこっそりプチ視姦してたっけ。懐かしい。

 回想は無駄に繋がり、やがてコイツを初めて自宅へお持ち帰りした時に至る。アレは本当に美味しい夜だったと思い返しながら、店にユニフォームを取りに行き、一式携えて戻ると、カオルが怪訝な視線を寄越した。

「……ナニ妄想してんだよ」

「へ?」

「無駄にニヤニヤして。何かおかしい事言ったか、俺?」

 お、カンが鋭くなったな。

「いや、全然。むしろたまには敬語プレイも良いなって……」

「黙れ。つうか、何で人が真剣に仕事の事考えてる時に、そういう方向に行っちまうんだよ? アホじゃねえのマジに」

「うっ、酷え。ただの冗談だろ、冗談。つうかこのくれえ、適当に笑顔であしらってくれよ、仕事中は」

「へいへい。わっかりました、アキラさん」

 カオルは憮然としながらユニフォームに着替え、ぎこちない様子で蝶ネクタイを締めた。

「蝶ネクタイって、ぶっちゃけ初めてかも。おかしくねえ?」

「いいや、全然」

「ホントに?」

「ああ。お前、ナニ着ても似合うからよ」

「そんなことねえし……でも一応、ありがと」

 カオルは少し照れたように、いそいそとダテメガネをかけた。飴色のプラスチックフレームが、派手な顔立ちに落ち着いた印象を加える。ちょっとしたアイテムなのに、効果はなかなかのものだ。

「メガネ、あった方が良い?」

「うん、そうだな」

「やっぱり。じゃ、これで行く」

 黒のスラックスに、白いウイングカラーのシャツと蝶ネクタイ、そして黒のメンズ用ロングエプロン。おそらく初めてのユニフォームなのに、ちゃんと着こなしている。臨時のホールスタッフとしては上出来だ。

 時間を確認すると午後六時過ぎで、そろそろ開店準備にとりかかる頃合いでもある。俺もクリーニングから戻って来た自分のシャツを袋から出し、着替えることにした。ちなみに俺はロングエプロンではなく、ベストにソムリエエプロンを着けている。店長格のバーテンダーはベストを着用しろというオーナーの指示だ。

 着替えを終えてからいよいよ店に降り、仕込みと入荷を捌きつつ、基本的なメニューとホールの仕事をカオルに説明した。俺は大体カウンターにいて、ホール以外の業務全般と会計を担当する。サチはフードとカクテル以外のドリンク、そしてホールでの接客を兼任し、カオルには基本的にホールと洗い場を頼むことになる。勿論、状況に合わせて臨機応変に対応してもらいたいと付け加えると、ヤツは神妙な顔で頷いた。

「判らない事があったら、俺かサチに何でも訊いてくれ」

「ん。つうか、休憩とかあり?」

「そうだな……取れたとしても多分、十二時近くなると思う。でも、もし休みたくなったら俺かサチに一声掛けて、キッチンに入れ。あそこなら、洗い物しながら一服くらいは出来る」

「ああ、じゃ、キツくなったらそうする。つうか、俺だってある意味立ち仕事だから、多分大丈夫だと思うけど」

「そうか。当てにしてるぜ」

 心強い返事に期待を込めて、軽く触れるだけのキスを交わした。柔らかい唇の感触をもう少し味わいたかったが、カオルは既に仕事のことで頭が一杯なのか、つれないほどの早さで俺から離れ、メニューの中身を把握すべくリストを開いた。

 午後七時になると、サチが出勤して来た。彼女には予め電話で知らせておいたから、カオルを見ても驚かなかった。いや、むしろ喜んで飛び上がった。

「うっそお! ええ―、何でこんなイケメン、しかもメガネ―? ちょっとアキラさん、山谷くんクビにして、カオルくんにずっと働いてもらいましょーよー!」

「いや、それは無理。コイツ、ホントに今日だけの応援だから」

「えー、そうなんだ。めーっちゃ残念!」

 サチは少し厚めの唇を尖らせた。

 彼女は決して美人ではないが、表情豊かな二重の目と大きな口に茶目っ気があり、客から親近感を持たれやすい。頭も良いし気も利くから、男性客だけでなく同性にもウケが良かった。だが一つだけヤバいところがある。それは何かあると、すぐ自分のブログに書き込むことだ。何をかこうが彼女の自由ではあるけれど、何でもネタにして良いと言う訳にも行かない。特に個人情報は気を使うところだ。

「ちょ、カオルくん。写メして良い? ブログにのっけて良い?」

 ほら来た。案の定、もうスマホ構えてやがる。

「え、それはちょっと……」

 カオルもウェブにバイト姿を晒されるのは嫌らしく、困った顔で俺を見た。当たり前だ。DJサイがバーでバイトなんて、ヤツを知ってる連中の間では良いネタになる。音以外の事で話題になるのは、ヤツもきっと不本意だろう。

「ちょっと待った、サチ。あのな、コイツは俺の個人的な知り合いだから。モデルとかタレントとかじゃないから撮影禁止、呟き禁止」

「えー、じゃあ後ろ姿とかだったら、どうですか? 顔出さないってことで」

「ダメ。文字のみ更新可ってことで、よろしく」

「えー? マジ、ガード固いっすね」

 サチは不満そうにしながらも諦めてくれたらしく、手にしていたスマホをカバンの中に仕舞った。こういうところは素直で助かる。

「さ、切り替えて仕事仕事。サチ、着替えてきたら、カオルにホールの動きとか、色々教えてやってくれ。素人だから迷惑かけるかも知れないが、よろしく頼む」

「大丈夫です、優しく指導しまっす。カオルくんイケメンだから、グラス割っても蹴ったりしませーん!」

 サチは快活に笑うと、バックにある狭いロッカースペースへ消えて行った。それを見送ったあと、カオルが小さな溜息を吐いた。

「良かった。サチさん、俺の本業知らねえんだ」

「ああ。アイツ、クラブとか全く行かないらしいからな」

「そうなんだ」

「リズム感なくて踊れないらしいぜ。だけどフレアには興味あるんだと。最近、すこし練習見てやってるんだ」

「ふーん、じゃあ仕事だけじゃなくて、ソッチ的にも可愛い後輩ってことなんだ、あの子」

 ふと皮肉めいた響きが、カオルの言葉に混じった。もしかしてコイツは、そんな些細な事に嫉妬してるんだろうか。つい確かめたくなって話を続けた。

「まあな。基本的に性格良いし、仕事熱心だし。そしてあの体育会系というか、そういう元気なノリで懐かれたら、あんま無下に出来ねえしよ」

「……女には優しいもんな、アンタ」

「おいおい、ナニ苛ついてんだよ」

「はあ? 誰がだよ。全くフツーだし」

 ふいとそっぽを向いて、あからさまに膨れている。ただの仕事上の関係にまで反応するなんて、本当に可愛いヤツだ。サチが出勤してなかったら、今ここで抱き締めてキスしたい。でもそれはマズイ。俺達の関係を、彼女に知られるわけには行かない。

 俺はカオルを抱き締める代わりに、黒いピアスが光る左耳へ唇を寄せた。

「本当の俺を一番良く知ってるのは、お前だけだ」

「……」

「違うか?」

「……違わない」

「だろ? だったら機嫌直せよ。仕事絡みの些細な事なんだし、バイト代もはずむから、よ」

 離れる間際、わざと吐息を残す。するとカオルはふるりと肩を震わせ、惜しむように俺を見つめた。

「……現金即払いで、頼む」

「しっかりしてんなァ」

「俺が貧乏なの、アンタが一番良く知ってるだろ?」

 上目遣いの瞳がうっすら濡れ、頬が赤らんでいる。会話の内容に反してセクシーな表情だと思った矢先、サチの声がした。

「ちょっとぉ、二人で内緒話ですか? なーんかイヤラシいんだあ」

 目を遣ると、カオルと同じユニフォームに着替えたサチがニヤニヤしながら近づいて来た。人にイヤラシいと言いつつも、自分もかなりイヤラシい笑みを浮かべているのに気が付いていないらしい。

「だろ? バイト代の話だからな。金の話はイヤラシいに決まってんだろ」

「あ、そりゃあそうですね。カオルくん、アキラさんにたっくさん払って貰ってね! で、ついでに私もよろしくお願いしまっす」

 俺の切り返しに、サチは大袈裟な敬礼で応えた。彼女はこういう軽くて害のないやり取りが上手で、多少雰囲気が悪い場面でも客から笑いを引き出してくれる。おそらくカオルとも上手くやってくれるだろう。

「それは今夜の売上次第だな」

「えー厳しいなあ」

「大入りが出るよう祈っとけよ。じゃ、俺はキッチン入ってるから、開店準備して、時間になったら開けてくれ」

「はい、今日もよろしくお願いしまーす!」

「よろしくお願いします」

 いつもの挨拶をし、ホールからキッチンへ下がった。とは言っても、キッチンは二カ所出入口があり、それぞれカウンターとホールに通じている。だからここで作業しながらでも、ホールの様子は大体把握出来るってわけだ。サービスのチャームで出す夏野菜のマリネや他のフードの下ごしらえをしていると、二人の会話が何となく聞こえて来た。

「カオルくんは、こういうとことか居酒屋の類で働いたことある?」

「ない。でも、飲み屋とかバーには良く行くから、雰囲気は慣れてるかも」

「じゃあ、大丈夫そうだね。判らない事があったら何でも訊いてね。一つ二百円で回答するから」

「えー金取んの? しかも二百円って、何で二百円?」

「高い? じゃー大負けに負けて、タダで教えてあげる!」

「マジ? 良かった」

「良かったでしょー私良い人で」

「お、自分で良い人って言っちゃうし」

「そうだよーだってホントだもん」

 下らないやり取りと笑い声が響く。それなりに上手くやっているようだ。この調子なら何とか今夜は乗り切れそうだと思うと、眼の前が少し明るくなった気がした。


「じゃあそろそろ、開店しまーす!」

 午後七時三十分になり、サチがドアを開け、外看板を灯した。

 うちの店は落ち着いたオールドアメリカン調の内装で、席数はカウンター七席に四人掛けのボックス(テーブル)が七ある。店の最奥にはインテリアを兼ねてピンボールやダ―ツゲーム、ビリヤード台を置いていて、客層は二十代後半から四十代くらいのオトナが多い。外看板も飾り気がなく、白く塗られた中央に、アルファベットで「BAR STRIPPED 2ND」と書かれているだけ。だがそれが却って、ビカビカ光りまくるネオンの中で逆に映え、見つけやすいという声もある。

 今夜の一番客は、開店五分後に現れた。二度ほど来店したことのある、男女合わせて五人のグループだ。手には祭で配布されている、神宮のゆるキャラが描かれたうちわがあった。ちなみにゆるキャラは宮司の孫の考案だが、紫のアメーバのような微妙で不気味な物体で、評判はかなり悪い。

 祭の最中、ウチを含め、この界隈の店のほとんどが、うちわを持った来店客に何らかの特典を用意している。ウチの場合はチャームのサービスと、会計金額の五パーセントオフだ。

「いらっしゃいませ。ストリップへようこそ!」

 まずサチがドリンクのオーダーを取りに行き、一旦戻って来て俺に内容を伝えてから、人数分のチャームを再び席へ運ぶ。カオルは彼女の動きを見ながら、カウンターの端でマリネをひたすら盛り付けていた。

 その間に二組目、三組目が来店した。不思議な事に、客っていうもんは入り始めると続くものだ。ぞろぞろ現れる客で、五分もしないうちに席が八割埋まり、さすがにカオルをホールへ出した。

 忙しく立ち回るサチの指示で、カオルが女性二人組にオーダーを取りに行った。女性は二人とも二十代後半から三十代前半で、一人は肩より短い黒髪のボブ、もう一人は耳朶が見えるくらいの、ブラウンのふんわりしたショートカットだ。二人とも高いブランドの服を品良く着こなし、いかにも大人の女という雰囲気を醸している。

「ようこそ、ストリップへ」

 カクテルを作りながら横目で見ていると、緊張しているのか、ヤツの表情が固い。だが女性客はイケメン店員の登場に色めき、メニューを幾つも指差しながらヤツへやたら微笑みかける。ヤツは何度か頷き、伝票に書きつけると、逃げるように戻って来た。

「えっと、オーダーお願いします。三番ボックス、レッドアイソーダがイチ、ナイトクラブシャワーがイチ……フードも良い?」

「おう、読んで」

「ポテチリ、チーズ五種、枝豆、あさりのホワイトスパが各イチ、以上です」

「サンキュー。伝票貼って、チャーム頼む。あと、フードの取り皿とカトラリーセットも人数分出して」

「はい」

 緊張しながらも、ちゃんとこちらに伝える手順も踏んでいて、初めてにしては上出来だ。これなら何とかなりそうだと安堵しつつ、俺は自分の作業に専念した。


 カウンターとキッチンを慌ただしく切り盛りしているうちに、時刻は午後十時を回った。店内はほぼ満席で、空いているのはカウンター一席のみだ。細かいオーダーミスが出たり、全体の作業も遅れがちであったが、店は何とか回っていた。そして今日は蒸し暑かったせいか、炭酸系のロングカクテルやビールが良く出た。

「おーアキラちゃん、今夜は結構混んでんなあ」

 常連であるキタさんが現れ、唯一空いていたカウンター席へ滑り込んだ。隣には同じく常連の、通称マダムと呼ばれる女性がカクテルを楽しんでいる。

「今晩はキタさん。お先に頂いてるわよ」

「あらマダム、今夜もキレイだね。アキラちゃん、いつものちょうだい」

「はい」

 先日入れてくれた山崎のボトルで、シングルの水割りを作って差し出すと、キタさんは笑顔で受け取り、マダムと景気良く乾杯した。

「あ、良かったらアキラちゃんも飲んでよ」

「ホント? ちょうど喉渇いてたんです。嬉しいなあ」

 勧められて、ボトルから水割りを貰った。こうして仕事中に客から奢って貰うのも、店の売り上げのプラスになるからおろそかには出来ない。

「頂きます」

「うん、どうぞどうぞ」

 カウンター越しにグラスを掲げ、キタさんと軽く乾杯してから口付けた。ウイスキーの甘さと冷たい感触が、心地良く喉を通る。水割りは普段飲まないが、仕事で飲むにはシングルでちょうど良い。ほとんど酔わずに済むからだ。

「あー美味い。ごちそうさまです」

 改めて礼を言うと、キタさんは人の良さそうな笑顔で頷いた。

 四十をとうに超えたこの男は、近所でレンタルル―ムを併設したアダルトショップを経営していて、週に一度現れては、サチと楽しそうにじゃれて行く。今夜もそれを狙って来たらしいが、あいにく彼女は忙しかった。

「サッちゃん、今夜は構ってくれないかなあ」

「寂しいですか?」

「うん、だってボクの、心の恋人だもん。サッちゃーん、カムバーック!」

「ハイハイ、あと四時間待って下さーい」

「うん判った、って、そんな待ったらココ閉店でしょ!」

 キタさんの返しにサチがケラケラ笑いながら、キッチンへ入って行く。今、奥のシンク周りには洗い物が山のようになっている筈だ。カオルにさせようと思った矢先、サチがヤツを呼んで思った通りの指示を出した。出来たスタッフがいてありがたい。

 対してヤツの顔には疲労の汗が浮かび、呼ばれたことによって、焦っているように見える。キッチンに入る寸前で客に呼び止められたが、聞こえなかったのか、そのまま行ってしまった。仕方ねえ、フォローしとくか。

 カウンターを出て、カオルの代わりにオーダーを取り、ついでにその辺の洗い物を下げる。キッチンの入り口へ行くと、サチがフードを持ってこちらへ出て来た。

「すいません、通りまーす!」

「おう」

サチを先に行かせてから中へ入った。キッチン奥の洗い場には、指示された通りカオルが入っていた。

「お疲れ。もうバテたか?」

「別に……」

 積み上げられた汚れものと格闘しているカオルへ声を掛けると、ヤツは低い声で小さく応えた。見るからに疲れている。だが容赦なく洗い物を追加した。

「悪いが、仕事増やしてくぜ。あとグラス、食洗機止まったらすぐ開けて、トレイごと出してコッチに放置しとけ、勝手に乾くから。で、その間に新しいトレイでグラス突っ込んで、それ繰り返し」

「ああ」

「あとフードの皿とか、油ついてんのはどんどんつけ置きしろ。その方が早いぜ」

「ああ」

 おざなりに応えながら、皿をスポンジでゴシゴシ擦っている。慣れない事を必死にしている姿がすごく可愛い。つい悪戯したくなり、そっと後ろから近付いて、無防備な尻に手を伸ばした。

「ヒッ!」

「忙しいのも十二時くらいまでだ、頑張れ。終わったら裸エプロンで抱いてやるから、楽しみにしてろ」

 左の尻っぺたを軽く握りながら囁くと、カオルがひくりと身を震わせた。敏感なのは忙しい最中でも変わらないんだとニヤニヤした矢先、右足のつま先に激痛が走った。

「痛って! 思いっきり踏むなバカっ」

「黙れ、黙ってアッチ行って働けっつうの!」

 カオルは一瞬振り向き、俺を睨み付けた。だがすぐシンクに向き直り、再び洗い物を始めた。

 顔、真っ赤にしてやがる。おいおい、ちょっと和ませようとしただけなのに、そんなに怒るかよ。

「へいへい悪かった。じゃ、後よろしくう」

 撃退された気分で、厨房からカウンターへ移動した。途中ちらっと振り向いてみたが、カオルは口をへの字に曲げたまま、黙々と皿洗いしていた。

「やれやれ……」

「ナニ、どうしたのアキラちゃん?」

 カウンターに戻ると、キタさんが話し掛けて来た。

「ああ、今夜はありがたいことに盛況で、良かったなあって」

「そんなに儲かってんの? 羨ましーい!」

「いえ、意外にボトル入らないし、五パーオフだし、混んでるけどそんなでもないかな」

「おうおう、俺んとこもそう。ルームは満杯なんだけど、肝心のオモチャが売れないんだよねえ。アキラちゃん、どう?」

「じゃ、ボトルもう一本入れてくれたらゴム三箱で。あ、一番薄いヤツにしてくださいね」

「それ俺の方が赤字だって。つうか、ゴムはオモチャに入らねえっつうの」

 キタさんは眉を八の字にした。ちなみにこの男からモノを買ったことは一度もない。購入商品から、俺がどんな性生活をしてるか、絶対詮索するからだ。それは来ると必ず振って来る質問からも窺えた。

「ねえ―アキラちゃん、何かエロいネタとかないの?」

 そら来た。

「エロですか? 何かあったかなあ」

 つうか、あっても絶対言わねえよ。

「何よキタさん、エロネタなんてアンタの店にたくさん転がってるでしょ」

 話に挟まって来たのはマダムだ。近所でダンス教室を営んでいて、五十代後半ながらもスタイル抜群で若々しく、なかなかの美人である。彼女も週に一度現れ、いつもカクテルを二、三杯飲んで帰る。時々男性客と一緒で、それが毎回違う相手というヤリ手でもある。

「イヤイヤイヤ、商業エロはもうお腹イッパイ。俺が欲しいのはナマの話なの。素人の、何かこう、ダイレクトに色々ズッコンって来そうなヤツが欲しいの」

「あら、私に振ってもダメよ。私は秘密主義だから、絶対教えないわよ」

 訊かれてもいないのに、マダムがしれっと応えた。キタさんはマダムの性事情に興味がないらしく、頭をかき回しながら苦笑した。

「あ、ねえねえアキラちゃん。何か飲む? 私も奢ってあげる」

 俺が水割りを飲み干したのに気付き、マダムが振ってくれた。

「ホント? ごちそうさまです。じゃ、何飲ませてくれます?」

「そうね、アレなんかどう? 幸せのおすそわけ!」

 マダムはニコニコしながら、俺に無茶ブリして来た。

 幸せのおすそわけ、と彼女が呼ぶのは、通称「ショットガン」と呼ばれる飲み方のことで、スピリッツ類、特にテキーラで作るのがメジャーだ。

 ショットガングラスと言う小ぶりなストレートグラスに酒と塩やライムを加え、ソーダで割る。そして飲む寸前に手のひらでグラスの口を覆い、グラスの底で勢い良くテーブルを叩き、発泡させてから一気に飲む。ちなみにテキーラ発祥の地メキシコには、ショットガンの飛沫を浴びると幸せになれるという言い伝えがある。それで、マダムはこのカクテルを勝手に「幸せのおすそわけ」と呼んでいるのだ。

「じゃ今夜はコッチ……ウォッカで頂いて良いです?」

「良いわよ、アキラちゃんの好きなのにして」

 マダムの了承を得て、昨日封を切ったばかりのシロックを使った。今はクセの強いテキーラよりも、すっきりした味わいのウォッカが飲みたい。

 シロックをグラスの四分の一まで注ぎ入れ、ライムを目分量でティースプーン二杯分加え、グラスのふちギリギリまでソーダを注ぐ。それをマダムの前に、見せるように置いて右手を被せた。すると彼女はワクワクしながら、蝶の刺繍が入った白いレースのハンカチを胸元に広げた。

「じゃ、いただきます」

 真っ直ぐに二十センチほど持ち上げ、グラスの底で勢い良くカウンターを叩く。グラスの中は一瞬で真っ白になり、塞いだ手のひらに弾け、飛沫になって隙間から盛大に飛び散った。

「きゃっ! ああ、すごいわあ!」

 マダムが少女みたいにはしゃぎ、キタさんやその反対側に座るメガネの男性客にしなだれかかる。俺はその間に半分だけ口に含んだ。飲み下すと、アルコールと炭酸が焼けるような刺激を残し、喉から胃まで熱くする。美味い、けどキツイ。全部飲んだら酔っ払っちまう。今、それはマズい。俺は気付かれないように、半分残った酒をカウンターの陰へ置いた。

「ごちそうさまでした。美味かった!」

「良かったわよアキラちゃん、またおすそわけしてね!」

「ハイ」

 満足そうに笑いながら、マダムは自分のカクテルグラスに口付けた。その横でキタさんが煙草を咥えながら呟いた。

「いやいやいや、アキラちゃんホント強いねえ。俺がやったらすぐへべれけだよ」

「普段からマダムに鍛えられてるから。でも、もう一回やったらヤバいな」

「ホント? ね、もう一回やってよ。俺、おごるからさあ」

「ダメ。つうか、俺酔わせてどうすんだよ。誰も介抱してくれねえつうの」

「良いわよ酔っ払っても! ホラ、この人が介抱してくれるって!」

 マダムは隣のメガネの肩に手を掛け、話に入って来いと言わんばかりに自分の方へ引っぱった。この男は最近頻繁に現れるが、いつもカウンターに座るわりにほとんど喋らず、一人寡黙にボトルの水割りを舐めている。俺もそういう客はそっとしておくのだが、マダムはお構いなしだ。

 迷惑そうに眉をひそめつつも、文句一つ言わない――いや、言えないのかも知れない――メガネを哀れに思っていると、ふと視線を感じた。

「ん?」

 顔を上げるとカオルと目が合った。だがヤツは慌てて目を逸らし、そそくさと背を向けた。

「カオルくーん!」

 丁度オーダーを携えて戻って来たサチに呼ばれ、やがてトレイに灰皿を幾つか乗せて離れて行く。そのままテーブルを回り、灰皿交換と空きグラスを下げるのをちらちら見ていると、また目が合った。

 何か言いたいことがあるんだろうか。気になって、ヤツがこちらへ戻って来た時に声を掛けた。

「カオル、何かあったか?」

「ん? いや、別に……ただ」

「ただ?」

「カウンターにいるアンタって、やっぱカッコイイなって。そんだけ」

 カオルは目を逸らしたまま小声で応えると、汚れた灰皿をトレイから下ろして、またホールへ戻って行った。

 おいおい、何の口説き文句だよ。俺にナニさせたいんだよ。

 仕事している姿はアイツに何度も見せている筈だが、面と向かって褒められたのは初めてかも知れない。そう思ったら、胸にむず痒いような感覚が生まれ、つい口元が緩んだ。

 カッコイイ、ってか。

 気持ちが浮ついたせいか、タイミング良く入ったカクテルのオーダーに取りかかろうとして、グラスを一個落っことした。ガラスの割れる派手な音に、常連やら近くのボックスから視線が注がれる。ああ、店長自らグラスを割るなんて格好悪いぜ。

「失礼しました」

 ダスターを広げ急いで処理していると、サチが洗い物で一杯になったトレイを下げに来た。

「ちょっとアキラさん、遊ばないで下さーい」

「サチ、そこは違うだろ。優しく、ああーアキラさん大丈夫ですかあー、ケガないですかあーとか言わなきゃ」

「ああーアキラさーん、大丈夫、以下略!」

 サチがそう応えると、カウンターに着いていた常連達が声を上げて笑った。俺もごまかし笑いしつつ、さりげなくカオルへ目を遣る。するとヤツは気に入らないとでも言うように、あからさまな溜息をついて見せた。俺がサチと絡むのが面白くないようだ。判っていても、それを無しに仕事は出来ない。俺はカオルの溜息を受け流し、再びカクテルグラスに手を伸ばした。


 それから何事もなくオーダーをこなし、フードを作り、手が開いた隙にちょっとだけフレアを披露した。BGМを変えてミニイベントとして見せるのは、今夜は閉店近くになりそうだ。

「チェックお願いしまーす」

 サチから呼ばれ、カウンターから出た。帰り客の伝票を受け取り、入口近くにあるレジで精算し、笑顔で客を送り出す。すると入れ違いに新たな客が来た。

 若い女性三人で、目元を強調した今流行のメイクをして、露出の高い服を着ている。ウチの店よりも華やかなボーイズバーやクラブの方が似合いそうな雰囲気だ。祭の浮かれた雰囲気に乗って、勢いでココに入ってみました、という感じだろうが、どんな理由であれ来てくれるのはありがたい。

「いらっしゃいませ、三名様ですね」

「あ、ああ。うん、そう」

「こちらへどうぞ」

 知らない店で緊張しているのか、彼女達はおざなりに頷きながら、俺と目を合わせようとしない。初めての客、特に年若い女性の場合は良くあることだと気にせず、ちょうど一つ空いたホールの隅のボックス席へ案内した。そこは通称五番で、サチが既に前客のグラスを片付け、セッティングを済ませてくれていた。

「お飲み物はどうなさいますか?」

「え、っと……え?」

 ドリンクメニューを開いて、彼女達の目が泳いだ。

 ウチのドリンクメニューのトップはカクテルで、表記している数は百近い。スタンダードなものからオリジナルまで、ベースになる酒もウイスキー類からジン、ラム、ウォッカなどのスピリッツや、日本酒や焼酎類など様々あり、カクテルに疎い客は大概迷う。だからそういう客には、まずどんなものが飲みたいかコッチから聞いている。

「今夜は暑いんで、ビールや、スパークリングワインをベースにしたロングカクテルが人気です。ちなみにフルーツ、例えば柑橘系とか、梨やマンゴーはお好きですか?」

「あ、アタシ、グレープフルーツ好きー」

「あたし、マンゴー」

「私は甘いのイヤ。炭酸も苦手なの」

「でしたら、こちらがお勧めです」

 三人が好みそうなカクテルをチョイスして、順番にお伺いを立てる。すると彼女達は頷いて、やっと笑顔を見せてくれた。

「ありがとうございます。少々お待ち下さいませ」

 伝票に書きながらカウンターへ戻り、カクテルを作りながら店内の様子をチェックした。サチはキッチンでフードの用意をしている。そしてカオルはホールでオーダーを取っていて、少しののち、伝票を持ってコッチへやって来た。

「お願いします」

「サンキュー。カオル、また後で洗い場頼むな」

「はい」

 伝票を受けたあと、作り終えたカクテル三つとチャームを持たせ、五番ボックスへ向かわせた。すると俺達のやり取りを見ていたキタさんが、俺を手で呼んだ。

「ちょ、アキラちゃん。あのカオルって子、新入り?」

「いや、アレは今日だけの臨時なんですよ。ほら、今夜は山谷まで休みだから」

「そうなの? もしかしてあの子、たまにこの辺歩いてない?」

「ああ、近くに住んでるから」

 間違ってないぜ、確かにこの店のすげえ近くに住んでる。

「時々さ、一緒に買い物してるよね。アキラちゃんの友達?」

「はい」

 本当は恋人だけどな。

「へー。可愛いねえ、あの子」

 ――は?

「可愛いって……言っとくけど野郎ですよ、アイツ」

「うん、判ってる」

 キタさんは身を捻ってカオルを眺めながら、何の迷いもなく言い放った。

「俺、あの子ならイケるわ。うん、全然大丈夫。抱ける」

「へ?」

 ナニ言ってんだこのオヤジ、コロスぞ。

 俺が笑顔を崩さずに口の中で呟くと、キタさんは小さな溜息を吐いた。

「俺さ、商売柄のせいか、最近特に、女の裸見てもあんまりウホーってならないんだよねえ。そんでさ、試しに店のゲイビとか見てみたわけ。そうしたら何と、久々にバリバリ勃っちゃってさ。ほら、今の若い男の子って、草食化っての? みんなスタイル良くてキレイで、あんま女の子と変わんない感じでさあ。それに何つうか、あの、性別を越える背徳感ね。ああ、イケないことしてるって感じ。アレは女相手じゃあ味わえないよねえ。だからカオルくん、俺的にオッケーだわ、うん」

 キタさんは大きく頷きながら、イヤラシいニヘラ笑いを浮かべた。

 マジかよ、思わぬところに思わぬ敵が潜伏してやがったぜ。

 キタさんはあまり酒が強くない。今夜は水割りを三杯飲んでいて、すでに顔も赤く、ロレツもちょっと緩めだ。酔いの上での気迷いだといなしかけたところへ、これまた少し酔っ払ったマダムがキタさんの肩を叩いた。

「あたっ!」

「まあキタさん、新境地を開こうとしてるのね! 良いわねえ、キタさんまだ若いんだから、何でも挑戦してみたら良いのよ。そして、もしそっちに足を踏み入れたら、どんな感じだったのか、是非聞かせて欲しいわねえ」

 マダムが興味津々に目を輝かせてオホホと笑った。止めてくれ焚き付けるな、カオルは俺のもんなんだぞボケが。

「良いよ、むしろ見守ってよマダム。じゃあー、ちょっと声掛けてみようかな。ね、アキラちゃん、呼んでくれる?」

誰が呼ぶか畜生。

「うーん、どうかなあ。アイツぶっちゃけ、オッサン嫌いですよ」

「えー、オッサンでも、俺のムスコはぁ、まだまだ現役だぜえー」

「そのモノマネ、もしかして杉ちゃんかしら。全然似てないわねえ」

 マダムの容赦ないツッコミに、オッサンは照れたように笑った。笑うなエロオヤジ。

 苛々する感情を腹の中に押し込め、とりあえず場の雰囲気に合わせていると、五番テーブルの方から黄色い声が上がった。

「うそー!!」

「ちょ、本物ぉー?」

 何事かと振り返ると、あの三人組が立ち上がり、びっくりした顔でカオルを見つめている。周囲の客も何が起きたかと、ソッチを注目していた。

どうやらバレたようだ。カオルはどう対処するのだろう。騒ぎが大きくならないことを祈りつつ、何かあったら間に割って入ろうと気構える。すると三人組の一人がものすごく嬉しそうに訊いた。

「ねー、何でサイがここでバイトしてんの?」

「いえ、ボク、赤の他人です」

「えーマジぃ?」

「良く間違われますけど、違います」

「つうか、チョー似てんだけど」

「すいません、ホント人違いなんです。双子の弟でも、ドッペルゲンガーでもないです」

 疑う三人に対し、ヤツは普段と違う愛想の良さを見せて、ひたすら違うと主調する。すると次第に三人組は勢いを失い、ついに諦めたように座った。

「はあ……」

 切りの良いところで彼女達の元を去り、カオルが額の汗を拭いながらこちらへ戻って来た。

「大丈夫か?」

「ああ、問題ない……オーダー、お願いします」

「サンキュー」

 さらっと言葉を交わしつつ、良く対処してくれたと頷いて見せると、カオルは疲れを滲ませながらも、任せろと言うように口の端を上げてみせる。コイツは意外にも、ちゃんと接客が出来るヤツだったのだ。今後も、どうしようもなくなった+時には助けて貰おう――小さな安堵の溜息を洩らした直後、キタさんが動いた。

「ね、ね、カオルちゃん?」

「はい?」

 まるで猫でも呼ぶように、おいでおいでと手招きする。マズイ予感が頭を過った。

「初めてのお手伝い、ご苦労さんだね。一杯飲む?」

「いえ、今、仕事中なんで」

「良いじゃん、アキラちゃんも飲んでるしさあ」

「僕、お酒弱いんで、飲んだら仕事出来ないんです。すいません、でもお気づかい、ありがとうございます」

 カオルはキタさんの斜め後ろに立ち、微笑みながら軽く会釈した。上手い断り方だ。しかしキタさんはそれをモノともせず、カオルに少し身を寄せた。

「そっか。良いよ、気にしないでね。ところでカオルちゃんってさ、彼女とかいるの?」

「は? いえ別に」

「じゃあ、彼氏とかは?」

「……どういう意味ですか?」

 途端に、いつもの短気なヤツに戻り、思いっきり不快そうに眉を寄せた。カオル待て、落ち着け。

「いやいやいや、別にそのまんまなんだけど。しっかしカオルちゃん、近くで見ると益々可愛いねっ」

「ハァ?」

 キタさんがカオルの腕を握った。握んなこのエロオヤジめ。

「オジサンと、新世界を開拓しないかーい!」

「……それ、ルイ五十何世とかっていう芸人のモノマネですか? 古っ」

「ウホッ、ツッコミきびしーっ! でもオジサンは、キミにツッコミたーいっ」

「ヒッ、て、テメエっ!」

 キタさんが満面の笑みで、カオルの腰へ抱き着いた。ついでに尻をぐいぐい撫で回す。途端にカオルが短く叫び、手にしていたトレイを頭上高く振り上げた。だが、それが振り下ろされる前に、俺の体が動いた。

「おい、ナニ勝手に触ってやがんだよ!」

 手近なティンを掴み、投げる。銀色に輝くそれはキタさんの頭に思いっきり当たり、こいーんという何ともマヌケな音を発てた。ふん、投げたのがボトルじゃねえ事に感謝しやがれボケが。

「いったあーっ!」

「あ、アキラ……」

「……ハッ!」

 い、今俺、何したんだよ。客にモノ投げたりしなかったか?

「あらあら、ちょっとキタさん、大丈夫ぅ?」

 頭を抱えて呻くオッサンを見て、マダムがげらげら笑っている。周囲の客は何事かとこちらを振り返り、カオルはビックリしたまま俺を眺めていた。

 ヤバい。瞬間的にキレちまったぜ。とにかく謝罪を、と思った矢先、サチが血相変えてコッチへ走って来た。

「この浮気者―っ!」

「いだっ!」

 彼女の持っているトレイが閃き、キタさんの頭を直撃した。たまらず身を縮めるエロオヤジを、彼女はお構いなしにバシバシ叩きまくる。さすがに見かねたカオルが割って入った。

「ちょ、サチさん落ち着けって……」

「だって、だって、キタさん、私を心の恋人だって、言ってくれたじゃない! なのに、何でカオルくんのお尻触るのっ? 私に好きって言ってくれたのは、あれは嘘だったのっ?」

 サチは涙目で、顔を赤くして叫ぶ。それを見たキタさんが、見る見るうちに顔色を失った。

「サッちゃん……」

「私、ほんとはキタさんのこと……もう知らない、キタさんのばかぁっ!」

「サッちゃん!」

 顔を両手で覆い、脱兎のごとくキッチンへ逃げるサチを追いかけようと、キタさんが立ち上がった。だが足がもつれたのかバランスを崩し、無様にカウンターへ倒れ込んだ。それでもキタさんは必死に手を伸ばし、大声で叫んだ。

「サッちゃーん、カムバーック!」

「オホホホ! 二兎を追う者は収穫ナッシングって、まさにこの事よねえ! キタさん、あんたが一番悪いわ。これは誠心誠意のお詫びをしなきゃ、許して貰えないわよぉ?」

「誠心誠意の、詫びって……?」

 キタさんが虚ろに見遣ると、マダムは人の悪い笑みを浮かべた。つうかアンタが焚きつけたクセに、よくもそんな事が言えるな。

「あら、決まってるじゃない。頭丸めて四国巡礼よぉ。ああ、もちろん全部歩かなきゃダメよ。歩いて、汗かいて、俗世の穢れを綺麗に流して、心の禊をして来るの。そうすればきっと、サッちゃんだって許してくれるわ」

「そんな、四国って……」

 さすがにひるむキタさんの前で、マダムはカクテルグラスに手を伸ばし、優雅に揺らした。

「例えば、の話よ。別に、本当に四国に行かなくっても良いわ。ただ、それくらい真剣にお詫びをしなさいってこと。サッちゃん、まだ若いのよ。自分を気に入ってくれた年上の男性が、それも本当は憎からず思っていた相手が、あろうことか目の前で男性を口説いた……これがトラウマになって一生お嫁に行けなくなったら、アナタどう責任取るのかしら」

「う……」

「さあ、判ったらさっさと何とかなさいな」

 マダムは笑顔ながらも、鋭い視線をキタさんに向ける。キタさんは束の間マダムを眺めていたが、いきなり立ち上がり、懐から慌てて財布を出した。

「アキラちゃん、釣りいらないから。俺、ちょっと行って来る!」

「え、どこへ?」

「もちろん、ミソギだああぁ!」

 叫びながら俺の手に一万円札を押し付け、そそくさと店を出て行った。一体どうするつもりなんだろう。よためきながら去る背中を見送っていると、マダムが吹き出した。

「あー面白い! あのくたびれてエロにまみれたオッサンが、若い女の子とプラトニックラブなんて。でも、恋っていうものは幾つになっても良いモノね。恋をしている限り、女は女で、男は男でいられるしねえ。ねえ、アキラちゃん?」

「……はい?」

 マダムが妖しげな表情で俺を眺めた。

「もし、人生に迷ったら、私に言ってちょうだい。手取り足とり、何でも教えてあげるわ。女もね、意外にイイモノなのよ?」

 何やら誘うような言葉が恐ろしいぜ。つうか最後の言葉、俺に思いっきりカマかけてやがる。いやむしろ、見抜かれてるのかも。だが乗らねえ。断じて尻尾は出さねえぞ。

「ハハハ、じゃあ、俺がマダムに見合うだけのオトナになった時、もし人生に迷ってたら、その時はよろしくお願いします」

「まあ、アキラちゃんたら可愛いこと! 良いわよ、その日を楽しみにしてるわね」

 マダムは上機嫌でウインクを決めると、少し温くなったカクテルを一気に飲み干して席を立った。

 マダムに見合う大人になった頃、なんて、我ながら良く出まかせ言ったもんだ。だが正直に、遠慮します貴女には全く興味ありません、と言うのも憚られた。ここでは会話も酒のツマミみたいなもんで、その内容が現実的かどうかとか、そんな野暮は考えちゃいけない。基本的には酔いの上での戯言なんだし、おおむね本気にするような内容でもないんだ。だからそんな般若みたい顔で睨むな、カオル。

「ホールの灰皿頼む」

 目配せしながら指示を出すと、カオルはふいとそっぽを向き、返事もせずにカウンターを離れて行った。やれやれ。

 レジに入り、マダムの会計を済ませ、鼻歌まじりに帰って行く背を送り出した。それからカウンターへ戻ると、キタさんがらみのゴタゴタはもう忘れ去られ、客はそれぞれの話に夢中になっている。その隙間をカオルが一人で行き来しているのを見て、サチのことを思い出した。

 そうだアイツ、まだキッチンにいるのか。

 もしかして泣いてやしないかと、ちょっとだけドキドキしながらキッチンへ入る。するとサチはまったく平気な様子でフードを作っていた。

「サチ、大丈夫か?」

「へ、何がですか?」

 うわ、もう忘れてやがる。

「キタさんのことだけど。お前本気……じゃねえよな?」

「へ? あーソレね。やだなあ、ノリですよぉ! 当ったり前じゃあないですかぁ」

 やっぱり。どうりで演技じみてた訳だ。

 サチはフライヤーのカゴからから揚げを取り出しつつ、話を続けた。

「だって、キタさんってうちの父親と同世代ですよぉ? あり得ないもん、私そんな守備範囲広くないし」

「ふーん、ま、それなら良いけどよ。キタさん、慌ててどっか行ったぞ。もし何か誤解が生じてたら、俺に早めに相談しろよ」

「判ってます。って言うか、アキラさん?」

「ん?」

「カオルくんのこと、好きなんでしょ」

 言葉と共にコッチを向いたサチは、ものすごいイヤラシい笑みを浮かべている。待て、何でいきなりソコ突いて来るんだよ。だが残念だな、俺は簡単に動揺なんかしねえぜ。

「好きって、そりゃあ俺達、仲は良いけどよ」

「そんな誤魔化さなくってもイイですってば。確かに聞いちゃいましたよ。さっき、キタさんにティン投げた時、勝手に触んなって言ってましたよね?」

「そんな事言ったっけ?」

「ヤダもうとぼけちゃって!」

 サチは大げさに、両手をひらひらさせた。そのリアクション、限りなくオハサン臭えぞ。

「良いんですよぉ、私とアキラさんの仲じゃないですかぁ。大丈夫、私が騒いだせいで、きっと皆、忘れてますから。うん、アレは我ながら上手いフォローだった!」

「は? イヤだから……」

 お前の誤解だ、と言い掛けた俺へ、サチは真面目な顔をした。

「私、もしアキラさんが男好きでも、全然オケーです。むしろ全力で応援しちゃいますよ。カオルくん、彼女も彼氏もいないらしいから、アキラさんなら、きーっと嫁に出来ると思います。とりあえず飲ませて押し倒しちゃえ」

「何だソレ。押し倒すって、アイツ男だぞ?」

「え、だってどっちかって言うと、アキラさんが攻めでカオルくんが受けでしょ?」

「ハア? 意味判んねえ、俺が何だって?」

 雑に訊き返すと、サチは一瞬しまったというような顔をし、慌てて笑顔で取り繕った。

「な、何でもないです。とにかく、何なら私がキューピッドになりますから、何でも相談してくださーい!」

 から揚げが吹っ飛ぶんじゃないかという勢いで、サチがバンザイして宣言した。

 何を勝手に妄想膨らませてやがるんだ、コイツは。つうか、むしろ応援って一体何だよ。お前の応援は要らねえっつうの。

「ああー何か仕事がすっっっごい楽しくなってキタぁー!」

「ハイハイ、妄想はそろそろ止めて、さっさとソレ出して来いよ」

「ハーイ!」

 鼻歌でも出そうな勢いで、サチが足取り軽くキッチンを出て行った。

 彼女に妄想癖があるなんて、今まで気付かなかった。しかも、俺のただ一つの言葉からカオルを嫁にするところまで発展するなんて、正にナントカ猛々しいってヤツだ。

 彼女にこれ以上オイシイネタを提供するわけにも行かない。もう、彼女の前で余計なことをしないでおこう。


 カウンターにいたメガネが珍しく泥酔し、その処理でドタバタしているうちに、本日の閉店予定である午前一時を過ぎた。本来なら閉店十分前には外看板も消すんだが、さっきようやくサチが消してくれた。席についている七組の客からラストオーダーも貰った。ここまでくればあともう少し。何もトラブルがなければ、二時過ぎには閉店出来るだろう。

 仕事に慣れているサチも、顔に疲れが滲み始めている。カオルは本当にバテて来たので、キッチンで少し休憩を取らせた。多分、今は洗い物をしている筈だ。俺も疲れているが、まだ客がいるうちは景気の悪い顔をするわけにも行かない。そこへ、今夜初めて来店したカップルからフレアのリクエストが入った。

「アキラさーん、シメの一本、入りましたぁ!」

「おう。じゃ、アレ行くか」

「ハイ。よさこいソーランですね」

「いや、阿波踊りのほう」

 アホなやり取りをしながら、サチがキッチン手前の棚へ向かった。機械を操作し、ジャズピアノ系のBGMからホーンが華やぐアップテンポなものへ変える。サチが用意したもので、何とかっていう人気ドラマのテーマ曲をモチーフにしているらしい。場の雰囲気が変わり色めく客達を前に、サチと二人でカウンターに並んだ。メインの演技は俺で、サチが横でサポートするという形だ。

 オーダーはマルガリータとラブ・ハーモニー。どちらもシェイクだ。カクテルグラスのふちに塩をつけ、カットライムを用意する。カウンターにウォッカとテキーラ、その他の材料を並べる傍らで、サチが店内全体に声を掛けながら、ミニイベントへの期待を煽った。俺も手を叩きながら加わると、ばらばらと始まった手拍子がまとまり始め、曲のリズムと重なって行く。それがある程度大きくなったところで、サチが俺に合図を寄越した。いよいよ、今夜のラストフレア開始だ。

「レディー、ゴー!」

 手拍子の中、サチがスタートを叫んだ。俺はそれを合図に、ウォッカのボトルとティンを空中へ躍らせた。途端にそれらは生き物みたいに跳ね出し、俺の思うままに回転し始める。疲れが却って力みを殺いでいるのか、今夜はかなり良い感じでコントロール出来た。

 トス、フリップ、背から投げ上げて、落ちて来たボトルをキャッチし、腕を派手にクロスさせてウォッカをティンへ投入する。横で、今度はサチがクレームドカシスとライムのボトルを躍らせた。

「よっ、ほっ、うはっ!」

 手付きがまだ怪しいが、最近彼女なりにコツをつかんだらしく、二本のボトルの動きは安定している。女の子のフレアは華やかでしなやかで、男には無いある種の艶もあって、なかなか良いモンだ。

「おいおい、落とすなよ?」

「だいじょぶ、行きます、ワン、トゥー、スリー!」

 カウントと共に、俺へクレームドカシスを放って来る。同時に俺も彼女へウォッカを放った。同じタイミングで受け取り、少し投げてから中身をティンへ注ぐ。そしてライムも同じようにやり取りした。

「パテント行きます!」

「おう!」

 ライムとシロップを入れた後、サチから氷が入った透明のパテントグラスが投げられた。縦に回転して来るそれを、一旦上へ弾き上げてからキャッチし、ティンに被せてシェイクに入る。これで氷を落とさないようにそっと隙間から注げば、ラブ・ハーモニーの出来上がりだ。続けてマルガリータを作るのに、俺はテキーラとホワイトキュラソーのボトルを躍らせた。

 俺とサチの技が決まるたび、客席から歓声が聞こえて来る。合間にちらりと見ると、オーダーしてくれたカップルの彼女と束の間目があった。可愛いが、どこにでもいる優等生的な印象だ。初めてフレアを見たのか、身を乗り出し夢中になってこっちを見ている。隣に座る彼はよほど惚れているのか、ひたすら彼女を見つめていた。やれやれ、そんなに見てたら顔に穴があいちまうぞ。

「ラストミニッツ!」

 サチの告知を合図に、BGMは最後の盛り上がりに入った。曲のラストに合わせて俺がシェイクしたカクテルをグラスへ注ぎ、サチがすかさず仕上げのライムをふちに飾る。それから二人でわざとらしくドヤ顔で決めると、拍手と笑いが起こった。

「サンキュー! またのリクエスト、お待ち申し上げまーす!」

 サチがお決まりの台詞でミニイベントを締め、それからすぐに、出来あがった二杯を例のカップルの元へ運んで行った。俺はようやく本日一本目の煙草を咥え、一息吐きながら店内を観察した。皆、笑顔だ、良かった。

 それなりに楽しんで貰えた―と安堵しながら、ふと目を遣ると、カオルがキッチンの入口に立っていた。ああ、また般若だ。いや、あれは鬼神の険しさといった方が良いかも知れない。油断すると食いちぎられそうだ。

 後で相当フォローしなければならない予感がする。だがそれも、俺の体力さえ持てば、それなりに楽しい時間に出来るはずだ。

「とりあえず、一本行っとくか……」

 冷蔵庫の隅に入っている栄養剤の黒いパッケージを想い浮かべ、つい一人言が洩れた。


 最後の客を送り出したのは、午前二時を少し過ぎた頃だった。その後サチとカオルに後片付けを任せ、俺はレジ締めを行った。

「へえ……」

 レジから吐き出される結果をチェックすると、今夜の売り上げは俺の予想を上回っている。ただ、やはり大入り袋を出すほどではなかった。

「今夜、どうでしたぁ?」

 回転ボウキを持ったサチが、床を刷きながら俺の方へ寄って来た。

「売上予想はクリアしてる。だが残念ながら、大入りは出ねえな」

「えー、残念! けっこう頑張ったのにぃ」

「そうだな、ホントご苦労さん。じゃあせめて、ビールでも飲んでけよ。おごるぜ」

「ハイ! 頂きますぅ」

 サチはホウキをキッチンの横に立て掛けると、嬉しそうにビールグラスを持ち、カウンターに入ってビールサーバーのコックを捻った。慣れた手付きでグラスを傾け、上手に液体と泡を注ぎ込む。それを三杯作るとカウンターに並べ、キッチンへ声を掛けた。

「カオルくーん、一服しよーっ」

 返事の代わりに、カオルがキッチンから姿を現した。洗い物をしていたらしく、エプロンの裾で両手を拭っている。覇気のないくたびれた様子だが、カウンターに置かれた金色のジョッキに目が輝いた。

「ほら、ここ座って。アキラさんもコッチにどうぞ」

 鮮やかなサチの仕切りで、端から俺とカオル、そして彼女と並んでカウンターに着く。それから各々グラスを持った。

「そんじゃあ皆さん、お疲れさまでしたー!」

「お疲れ!」

「お疲れさまー!」

 グラスをぶつけあってから、一斉に喉を鳴らした。弾ける苦味と冷えた爽快感が、疲労にまみれた体を駆け抜ける。こんな時に飲むビールの、最初の一口ってのは本当に美味い。

「あー、ウマっ!」

「ふあー、生き返るぜ!」

「うっはービールさいっこおおおー!」

 全員がそれぞれ感嘆の声を上げる。一番大きかったのはサチで、イスがひっくり返るんじゃないかという勢いでふんぞり返り、高々とバンザイした。

「労働の後のビールは超ウマですよねー!」

「ホント、すっげえ美味い」

 やっと笑顔になったカオルへ、サチが微笑んだ。

「カオルくん、初めてなのに頑張ったよね。疲れたでしょ」

「ん……正直、本業より疲れたかも」

「本業って、何してるの?」

「クラブで音響関係の仕事してる」

「えー、ホントに? 何か良く判んないけど、格好良さげだね。どこのクラブなの、この近く?」

「近いと言えば近いかな。中央線の東駅んとこなんだけど、Uって判る?」

「うん。聞いたことあるけど、行ったことないんだ。あ、でも友達が通ってるから、今度連れてって貰おうかな。って言うか、カオルくんも夜仕事のヒトなんだね。仕事ってシフトなの?」

 自分の知らない世界で働くカオルに興味が湧いたのか、サチがあれこれ質問し始めた。それに対してカオルは簡潔に、そしてわりと正直に応えている。本当はサチに色々知られたくないが、カオルがどこまで質問に応えるかはヤツ自身の裁量によるから、俺は黙っていた。

 それにしても腹が減ったぞ。空きっ腹にアルコールは体にも良くない。

 サチがカオルと話している間にキッチンへ行き、まかない代わりのつまみ――と言っても本日のフードの残り物だが――を適当に持って来て並べた。ガーリックトーストや枝豆、ポテトやらの揚げ物で、酒に合うものばかりだ。それほど量は無いが、皿に見栄え良く盛り付けて出すと、サチが一番に手を出した。俺も飲みながらあれこれつまみ、湧いて来る空腹感を紛らわしていく。ところがカオルは一つも食わず、怠そうに煙草を咥えた。

「お前、腹減ってねえのか?」

「ん……今はいい」

「晩飯食ってねえだろ? ああ、もしかしてサラダとか、さっぱりしたもんが食いたいか?」

「いや、いらない……つうか、豚汁食べたい。昨日のやつ、ある?」

「ああ、冷蔵庫に入ってる」

「白飯は?」

「ねえな。炊き込みご飯なら冷凍してあるけど」

「んじゃ、それでいいや。アンタも食べる?」

「そうだな。汁くれえは食おうかな」

「じゃ頼んだ」

「おいおい、俺がやんのかよ?」

「オネガイシマス」

「ったく、しゃあねえなァ」

「あのー、聞いて良いですか?」

 食事の算段をしていた俺達に、サチが妙にかしこまった顔を向けて来た。

「今の会話……もしかしてお二人って、一緒に住んでるんですか?」

「……」

 ヤバい。つい気が緩んで、コイツがいるの一瞬忘れたぜ。

 一緒に住んでるなんて知れたら、またあれこれ妄想されるに違いない。ごまかそうとした矢先、カオルが煙草を揉み消しながら頷いた。

「ん。俺が世話になってんの」

 おい、ばらすなこのバカ。

「え、じゃあ同棲……じゃなかった、ルームシェアとか?」

「まあ、そんな感じ」

「へえーそうなんだ!」

 サチはすこぶるイヤラシい笑顔になった。妄想開始したな。

「いやあ全然知らなかったなあ、アキラさんそういうプライベートって、なーんにも教えてくれないんだもん。ね、一緒に住んでどのくらいなの?」

「そうだな……もう、どのくらいだっけ?」

「えー、じゃあ結構長いんだ。私、全然気付かなかった。ここの上に住んでたってことでしょ、でも今まで会ったことないよね」

「それは、カオルが帰って来るのが、お前が帰ったあとだから。さ、とっとと飲んでお開きにしようぜ、じゃねえと夜が明けちまうぞ」

「えー?」

 サチの抗議の声を無視して立ち上がり、まだつまみの残る皿を持ってキッチンへ向かった。そこでプラスチックの容器にキッチンペーパーを敷き、適当につめて蓋をしめる。するとサチが背後から寄って来た。

「あのー」

「あれ、今日はおみやげいらねえ?」

「いや、いつも通り頂きますけど……アキラさん?」

「ん?」

 呼ばれて振り向くと、サチはまだイヤラシい笑顔のままだった。

「もー早く言って下さいよぉ、一緒に住んでるって」

「だって、聞かなかっただろ」

「えー?」

 不満そうに口を尖らせたってダメだ、そもそもお前に知らせたくねえんだから。

しかもサチはちゃっかりしていて、俺がプラスチック容器を差し出すとすぐに受け取り、そこらに置いてあったスーパーの白いポリ袋に入れて、口元をキュっと縛った。持って帰る気満々だ。

「とりあえず、私は掃除して帰りますけどぉ……アキラさん、頑張ってくださいね!」

「は?」

「忘れないでください、私はアキラさんの味方ですから。何かあったら、いつでも言ってください。私、力の限り協力しますからっ。ゴチです、そして素敵な事後報告、いつでもお待ちしてます!」

「イテッ!」

 最後に俺の左肩にバシッと一発入れると、彼女はスキップしながらホールへ戻り、掃除の続きを始めた。


 それから十五分後、仕事を終えて着替えたサチは、俺とカオルに退勤の挨拶をして帰って行った。もちろん変態的なニヤニヤ笑いを残してだ。カオルがバラしてくれたお陰で、最後の最後にオイシイネタを提供してしまった。これで彼女は今夜、俺達の「その後」を妄想して楽しむに違いない。だが、それはそれで放っておこうという結論に達した。

 何があっても、俺が彼女に真実を告げることはない。あとは何を聞かれても知らん顔すれば良い。それよりも、今はもっと重要なことがある。彼女が帰った途端に、何故か最悪に悪くなってしまったヤツの機嫌を、いかにして取るかということだ。

「カオル、そろそろ二階上がろうぜ」

 店の施錠を済ませて普通に声を掛けると、ヤツはちらりと俺を睨んで、返事もせずに二階へ上がって行った。そっけない、そっけなくてハラが立つぜ。

 ヤツの機嫌が悪いのは、多分、俺が仕事中に取った態度や行動のせいだ。でもそれはあくまでも仕事であって、本音とはまったく違うところでされていることだ。だからそれに対して気に入らないと言われても、悪かったとしか言いようがない。いや、そもそも謝る話でもないんだ。だからこんな風に機嫌悪くなるのは、本当に勘弁してくれ。お前が疲れているように、俺だって疲れている。正直ヘトヘトだ。このまますぐシャワー浴びて、ベッドにダイビングして、お前を抱き枕にして眠りてえんだよ、カオルちゃん。

 とか心の中で溢しつつも、ついヤツの動向を窺ってしまう。そして何とか機嫌を取ろうと、色んな糸口を探した。何だかんだ言ったって、俺はコイツに甘い。悔しいが、惚れた弱みってヤツだ。

「カオル、コーヒーでも飲むか?」

「いらねえ」

 二階で靴を乱暴に脱ぎ、俺に背を向けたままソファに座ったのを見て、平静を装って声をかけてみたら、すごい早さで断られた。いやまだ負けねえ、飲みもんがダメなら食いもんだ。

「ああ、そうだ。豚汁あっためるか? お前、下で食いたいって言っただ……」

「いらねえ」

 今度は話の途中でバッサリだ。おいおい、そろそろいい加減にしろよ。

「じゃあ何が良いんだよ。つうか、随分機嫌悪いんだな。どうしたよ?」

「どうしたって……判んねえのかよ?」

 カオルは唸りながら、また俺を睨んだ。そんな顔されたって、さっぱり判んねえよ。一体俺が何をしたって言うんだよ。

 コッチへ来て隣に座れと、ヤツが手で合図を送って来る。俺はそれに溜息で応えてから、缶ビールを手にソファへ向かった。

「飲むか?」

 右隣に腰掛けて、プルタブを引っぱりながら聞いてみる。すると横から手が伸びて来て、俺の手からビールを奪った。何だ、ビールなら飲むのかよ。

 カオルは喉をごくごく鳴らして、缶を逆さにする勢いで一気に呷った。そして満足げに小さなゲップを洩らしてから、俺の手に缶を押し付けた。軽い。半分以上飲まれたようだ。

「おい、ちょっと一気に飲み過ぎじゃ……」

「ねえよ。普段から誰かさんに鍛えられてっから、今更ビールじゃ大した酔わねえつうの」

 仏頂面で、俺の気遣いにイヤミで応えやがった。コイツ、甘い顔してりゃイイ気になりやがって。本気で泣かしてやろうか。

 湧き上がる怒りを一旦沈め、これからどう出ようか計算する。そうしながら襟元を緩め、テーブルに転がっていた煙草に手を伸ばした。一本引き出して咥え、ライターで炙る。一口深く吸うと、煙が肺を満たすのが判った。美味い。体に良くないとパッケージにも書いてあるが、どうにも美味い。

 副流煙に刺激されたのか、カオルもポケットから煙草を出して吸い始めた。無言のまま並んで、しばらくもくもくと煙を作り出す。そのうちにカオルが手を伸ばし、テーブルに置かれた黒い陶器の灰皿を引き寄せた。

 煙草の先がふちに打ちつけられ、灰が落ちて真っ赤な火種が光る。それを追い掛けるように、俺も灰を落とそうと手を伸ばした矢先、カオルが一つ舌打ちした。

「俺……今夜はマジ悔しかった」

 見ると、メガネを外したカオルはかなり深刻そうに眉を寄せている。その様子は子供が拗ねるような、単純なものではないように思えた。

「……そうか」

「まさかアンタ……好きでやってんじゃねえよな?」

 カオルがすがるように俺を見た。

 そんなことを聞いて、何を確かめようと言うんだろう。俺はこの仕事で食っているし、フレアも好きでやっている。コイツも随分前から知っている筈だ。

「好きも何も、あれは俺の仕事だ」

 これ以外、他に何が言えるんだ。ここを俺達の住処として生きて行くためには、好き嫌いは言っていられない。俺はコイツが万一失業しても養ってやれるくらいは稼いでいたいんだ。だから今の仕事を辞めるわけには行かないというのに、コイツは何を言いたいのか。悶々としていると、カオルは低く唸った。

「ちょ、テメエ、仕事って言えば何でも通ると思ってんのかよ?」

「アァ? 仕事だから仕事だって言ってんじゃねえかよ。カオル、お前だって働いてんだから判んだろうが」

「ハァ? マジふざけんなよ」

「ふざけてねえよ。お前こそ、今更ガキみてえにゴネてんじゃねえよ」

「何だとコラ!」

 荒い声を投げ付けられると同時に、乱暴に胸倉を掴まれた。おいおい、この疲れてる時に殴り合いでもする気かよ、面倒臭え。

 いつの間にか立ち上がっていたカオルに引っぱられ、俺もついついヤツの胸倉を掴み返した。タッパと体重がある分、ケンカは俺の方が強い。だからハンデと言う訳でもないが、もし手を出して来るなら、いつもみたいに一発目は譲ってやろうと思った。こう言うのも、結局は惚れた弱みなのかもしれない。

 いつどこから殴られても良いように、奥歯を噛み締めて腹に力を入れた。だがヤツの拳はどこにも飛んで来ない。それどころか、目の前のヤツは怒りに顔を歪めたまま、目をウルウルさせはじめた。

 もしかして殴る前に泣くのだろうか。新手のケンカのパターンだな。いや待てよ、新手のパターンってことは、新たな結果も生まれる可能性があるってことか。

 新たな結果――それを考えて背筋が粟立った。ここに越して来て以来、俺達はどんなにケンカしても、一度も別れ話まで発展したことがなかった。だが今回は、もしかしたらそこまで行くかもしれない。そう予感させるような顔を、カオルはしていた。

「……アキラ」

「な、何だよ?」

「俺……」

 カオルは唇をきつく噛み締めた。その奥にはもしかしたら、決して口に出してはいけない言葉がぶら下がっているのだろうか。聞きたくねえ、聞いたらきっと、お互い取り返しがつかなくなる。言わせたらダメだ、何がなんでも絶対に――例え不本意でも、俺が折れてコイツの気が済むならそうするしかない。別れるなんて言わせない。今度コイツを手放したら、多分俺は生きて行けない。

「判ったカオル、俺が悪かった!」

「……え?」

 鳶色の瞳が、驚いたように大きく開かれた。俺がこんな風に折れたのは初めてだからだろう。でもこれで、場の主導権は握ったぜ。あとはコイツの気持ちを安全圏まで押すのみだ。

「嫌な気分にさせて済まねえ。だが判ってくれ、こればっかりは仕事だからどうしようもねえんだ。サチとのやり取りも、客とのやり取りも全部、微塵も本気じゃねえ。俺にとって一番大切なのはお前で、お前と暮らすためだけに、俺は毎日働いてるんだから」

 カオルの両肩に手を掛け、正面から見つめたまま、噛んで含めるように語りかけた。すると効果があったようで、俺を掴む手から力が抜けて行った。良い感じだ、とりあえずキスまで持って行けば、最悪の危機は回避出来るはずだ。

「だから、もうそんなツラするな。お前にそう言われたら、俺も辛いんだ。信じてくれカオル、俺にはお前しか……」

 いないんだと続ける前に、カオルはふいとそっぽを向いた。

「ナニ言ってんだよアンタ」

「……へ?」

「勘違いしまくりだっつうの」

 俺の胸倉を掴んでいた手を下ろし、カオルは呆れた様子で溜息を吐いた。何だ、何が違ったんだ。

「アンタが客と何話そうが、サチさんと仲良く振る舞おうが、そりゃちょっとはイラッとするけど、そんな些細なことはどーでも良いんだって。問題は、何でアイツの曲をフレアに使ってんのかってコト」

 ――は?

「アイツって、どいつ?」

「ユタカ、春野ユタカ! まさか知らねえで使ってたとか言うなよな」

「……誰ソレ?」

「うわ、マジ知らねえのかよ?」

 盛大に溜息を吐かれ、ダメだこりゃ、と呟かれた。何だかまるで、知らないことが悪いって勢いだ。カオルは唖然としている俺へ続けた。

「春野ユタカって、プロのアレンジャー。ドラマのBGMとか、バラエティーのサントラとかの編曲してるヤツ。アンタのあの曲、ちょっと前にやってたドラマのサントラだろ。俺、アイツの曲大っ嫌い! ああいう商業じみた、小手先のテクニックばっかの曲なんてクッソつまんねえのに、あんなのが好きなのかよ?」

 応えを求めて睨まれるが、音楽的知識の乏しい俺には何を言うことも出来ない。ただ、カオルが何をどういう方向で怒っていたのか、今頃やっと見えて来た。つうかコイツのこういうとこ、ややこしすぎて全然判らん。

「いや、アレはサチが持って来ただけで、別に好きって訳じゃ……」

「ならもう次から、春野ユタカの曲使うな。アンタの曲は、全部俺が面倒見るから!」

「イヤ待て、何もそこまで……」

「黙れ。アンタに、春野の曲に浮気されたまんまで引っ込めるか。良いかアキラ、俺はまず、明日の夜までに、すっげーカッコイイヤツを作る。そんで、十日以内に十曲、合計五十分、つまりアルバム一枚分作る。全部アンタのフレア用だ。だから今後は絶対、春野の曲は使うな。判ったかよ?」

「へ? いや、あの……」

「判ったかって聞いてんだよバカ野郎!」

「……ハイ」

 真正面から真剣かつすごい勢いで迫られ、頷かざるを得なかった。

 コイツにとっての音楽っていうのは、きっと命の次に大切なものだろうというのは理解している。だが、その熱意や愛情もここまで来ると、正直俺には良く判らない。

 カオルは蝶ネクタイを外してソファに放り、続けてエプロンも外して床に投げると、フロアの隅にあるヤツの仕事部屋へ入って行った。ラックや機材やCDの棚を壁にして造られた小さな空間はヤツの聖域で、ここに籠られたら最後、俺にも手出しは出来ない。まるで岩戸に籠ったアマテラスみたいもんだ。本人が自分の意思で出てこない限り、呼ぼうが叫ぼうが一切無視される。

「マジかよ……カオル」

 本当ならこれで仲直りして、今夜も疲れたなとか労わり合いながら、お互いに癒し合う時間を送る予定だったのに。何がどうしてこうなっちまったんだ。

 一気に疲れが吹き出して、体が倍以上重くなった。思わずよろめいてソファに座り込むと、カオルが岩戸から姿を見せた。もしかした倒れた俺を心配してくれたのか――そう一瞬喜んだが、カオルは俺の前に仁王立ちして、再び俺の胸倉を掴んだ。うっ、今度は何を怒ってんだよ。

「アキラ!」

「お、おう」

「それから……それからっ。裸エプロン敬語プレイはコッチが終わってから付き合ってやるから、色々用意して待っとけボケが!」

「へ? うぐっ」

 意外な言葉にビックリしてる間に、カオルはガチン、と前歯がぶつかるような、乱暴なキスを寄越した。上顎にじんわりと痛みがひろがり、ちょっと涙が滲む。ヤツも顔をしかめつつ、荒っぽく俺から手を放し、また岩戸へ戻って行った。

「痛って……」

 何だ、裸エプロン敬語プレイって。ああ、俺が仕事中に言ったヤツか。

「つうか、ナニ顔真っ赤にしてんだよ」

 軽い冗談のつもりだったのに、カオルは覚えていたのだと思うと、何だか微笑ましくなった。アイツは俺が望めば、それがかなりマニアックな要望でも受け入れるつもりなんだろう。言いかえれば、それだけアイツの許容範囲が広いということだ。まったく、この可愛い変態め。

 岩戸からガサガサと、何かを探す気配が伝わって来た。続けて複数のスイッチが入れられ、機械に内蔵されたモーターが回り、キーボードが叩かれる。どうやら本格的に作業を始めたようだ。こうなったら、カオルはしばらく出て来ない。待っても無駄ってヤツだ。

「何だかなァ……」

 慣れない仕事で疲れているのに、俺の為に頑張ってくれるなんて、ある意味ありがたいことだ。正直、フレアに使う曲なんてノリが良かったら良い程度にしか考えてなかったが、カオルの曲は確かにやりやすい。それが、アイツが時々言う「アンタのリズムを知っている」ってヤツなんだろう。だがそれにしても、何で今なのか。明日じゃダメなのか。俺の可愛い抱き枕は、どうしてこうも思い通りにならないのか。

「……寝よ」

 疲れた。シャワーも浴びる気にもならない。

 ユニフォームを脱いでソファに放り、キッチンで水を一杯飲んだ。それからベッド側の照明だけ落とし、ベッドへ潜り込んだ。下着一枚の体にシーツが冷たい。カオルのタオルケットを手繰りよせ、ぐしゃぐしゃ丸めて抱えると少しだけ温かくなった気がした。

 横たえた体に疲れが溢れ出し、すぐに瞼が重くなる。とりあえず今夜はコスプレ敬語プレイの内容を考えながら眠ろう。夢の中で予行演習出来ることを願って。



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