第9話 迫る危機と、リューンへの決意
工房での生活が始まって、三日が経った。
先生とレティシアさんと私の、三人での日常。
朝は、レティシアさんの報告で目を覚まし、先生が作ってくれる朝食を食べる。
午前中は、レティシアさんのメンテナンスや、新しい魔道具の開発。
午後は、先生の日本の技術データを分析したり、工房の修復作業。
そして、夜は――
私の「先生攻略作戦」の時間。
今日は、蒼の書の教えを実践することにした。
「知的な会話で心を掴む」
男性は、自分の専門分野について語ることを好む。
相手の話を真剣に聞き、適切な質問をすることで、相手はあなたを「理解者」と認識する。
『完璧な作戦ですわ…!』
私は、メモを用意した。
夕食後、私は先生に話しかけた。
「先生」
「ん? どうした?」
「少し、お聞きしたいことがございますの」
私は、メモを広げた。
「先生は、日本でエージェントとして、どのようなお仕事をされていたのですか?」
先生は、一瞬驚いた表情を見せた。
でも、すぐに優しく微笑んだ。
「そうだな…色々とやったよ。主に、情報収集と分析だ」
「情報収集…ですか?」
「ああ。企業や組織の動向を調べ、脅威を事前に察知する。それが俺の仕事だった」
私は、真剣に聞いた。
これは演技ではない。
私は本当に、先生のことをもっと知りたかった。
「どのように、情報を集めるのですか?」
「様々な方法がある。人的ネットワーク、電子的な監視、公開情報の分析…」
先生は、丁寧に説明してくれた。
私は、先生の話を聞きながら、メモを取った。
先生の経験、技術、そして22年間という長い時間。
全てが、私にとって新鮮で、魅力的だった。
『先生は、本当に素晴らしい方ですわ…!』
私は、胸が熱くなるのを感じた。
「先生、もう一つお聞きしてもよろしいですか?」
「ああ、構わないよ」
「先生は…日本で、22年間も一人で過ごされて…寂しくはなかったのですか?」
私の質問に、先生は少し黙った。
そして、遠くを見つめるような表情で答えた。
「寂しかったよ。特に、最初の数年は…言葉も文化も分からない世界で、たった一人で生きていくことは…想像以上に辛かった」
先生の声が、少し震えている。
「でも、俺には仕事があった。そして、コロがいた。それが、俺を支えてくれた」
私は、先生の寂しそうな表情を見て、胸が締め付けられた。
『先生…そんなに辛い思いを…』
私は、思わず先生の手を握った。
「先生…」
「アリア君…?」
「もう、先生は一人ではありませんわ。私がいます。レティシアさんもいます」
私は、真剣な表情で言った。
これは、バイブルの教えではない。
私の、素直な気持ちだった。
先生は、私の目を見つめた。
そして、優しく微笑んだ。
「ありがとう、アリア君。君がいてくれて…本当に良かった」
先生が、私の手を握り返してくれた。
私の心臓が、激しく鳴り響く。
『先生の手…温かい…!』
私は、幸せな気持ちに包まれた。
『蒼の書の教え…効果がありましたわ…!先生が、私に心を開いてくださった…!』
私は、内心で喜んだ。
その時――
「マスター、アリア様」
レティシアさんの声が、緊張を帯びていた。
「工房の外に、複数の生体反応。おそらく、スヴェン殿下の兵士です」
私たちは、一斉に立ち上がった。
「また…!」
先生が、AIスマホを取り出す。
「レティシア、詳細を」
「工房の周囲を囲むように、12の生体反応。魔力パターンから、訓練された兵士と判断されます。現在、工房の入り口を探している模様」
私は、工房の防御結界を確認した。
でも――
「先生、この結界では、12人もの兵士を長時間は防げませんわ…」
「くそっ…このままでは、ジリ貧だな…」
先生が、唇を噛む。
私は、頭を巡らせた。
どうすれば、この危機を乗り越えられるのか。
そして――
「先生」
私は、決意を込めて言った。
「リューンに行きましょう」
「リューン…?」
「ええ。自由都市リューン。王都から離れた、様々な種族が集まる街です」
私は、先生に説明した。
「そこには、私の師匠…いえ、父の旧友である老錬金術師がいます。エルリック・ザイドラーという方ですわ」
「エルリック・ザイドラー…」
先生が、その名を繰り返す。
「ええ。偏屈な方ですが、腕は確かです。そして、情報にも通じています」
私は、続けた。
「リューンは自由都市。王国の権力が及びにくい場所です。そこなら、追手から逃れることができるはずです」
「マスター、アリア様の提案は合理的です」
レティシアさんが、分析結果を報告する。
「リューンは、王都から約200キロメートル。徒歩で5日、しかし私の支援があれば3日で到着可能です。自由都市のため、王国の兵士も容易には手を出せません」
先生は、少し考えた。
「…そうだな。ここにいても危険だ。それに、その老錬金術師が君の父の旧友なら、信頼できるかもしれん」
「はい。エルリック様は、時々変わった方ですが…でも、必ず助けてくださるはずです」
「よし、決めた。リューンに行こう」
先生が、決断した。
「レティシア、脱出ルートは?」
「工房の裏手に、古い排水路があります。そこから森に抜けられます。ただし、兵士たちの包囲網を突破する必要があります」
「上等だ。アリア君、必要な荷物をまとめてくれ。レティシアは、脱出ルートの安全確認を」
「はい!」
私は、急いで荷物をまとめた。
工具、魔石、そして何より大切な――
5冊のバイブルと、日本の雑誌。
これだけは、絶対に忘れられない。
「先生、準備ができました」
「よし。レティシア、行けるか?」
「はい、マスター。脱出ルートは確保しました。兵士たちの動きを分析した結果、最適な脱出タイミングは…今から30秒後です」
私たちは、工房の裏手へ移動した。
排水路の入り口が、小さく開いている。
「カウントダウン開始。10、9、8…」
レティシアさんが、淡々と数える。
「3、2、1…今です!」
私たちは、排水路へ飛び込んだ。
狭く、暗い通路。
でも、レティシアさんの瞳が光を放ち、道を照らしてくれる。
背後から、兵士たちの怒声が聞こえた。
「見つけたぞ! 逃がすな!」
「くそっ、追ってきたか!」
先生が、舌打ちする。
「レティシア、彼らを止められるか?」
「了解しました、マスター」
レティシアさんが、振り返った。
その腕が、エネルギーブレードに変形する。
そして、排水路の天井に向けて、一閃。
轟音と共に、天井が崩れ落ちた。
追ってきた兵士たちが、瓦礫に阻まれる。
「やった…!」
私は、安堵のため息をついた。
「マスター、追跡は一時的に阻止しました。しかし、時間稼ぎに過ぎません。急ぎましょう」
「ああ」
私たちは、排水路を抜け、森の中へと飛び出した。
夜の闇が、私たちを包む。
でも、レティシアさんのセンサーが、道を示してくれる。
「リューンまで、約3日…頑張りましょう、先生」
「ああ。アリア君、レティシア、頼む」
こうして、私たちは新たな旅立ちを始めた。
自由都市リューンへ。
エルリック様の元へ。
私の心の中には――
先生との距離が、確実に縮まっているという、確かな手応えがあった。
『蒼の書の教え…そして、私の素直な気持ち…どちらも大切ですわ…!』
私は、そう思いながら、暗い森の中を進んだ。
そして、枕元に大切にしまった5冊のバイブルを思い出す。
リューンに着いたら、また新しい作戦を実行しなければ。
紅の書の「大胆な肌見せ」。
桃の書の「甘えと気遣い」。
紫の書の「癒しの技術」。
黒の書の「直接的な告白」。
『まだまだ、先生攻略作戦は続きますわ…!』
私は、そう決意しながら、夜の森を進み続けた。
リューンでの新しい生活。
そして、先生との距離をさらに縮める作戦。
私の「先生攻略作戦」は、新たな舞台で、さらに加速していく――。




