第32話 沈黙の文献と、研ぎ澄まされる騎士の第六感(主に胃痛方面)
先生との手を繋いだ探索は、とても順調だった。
やがて、私たちの目の前に現れたのは、通路を塞ぐように設置された巨大な古代の機械扉だった。
複雑な歯車と、明滅する奇妙な光を放つ宝珠がいくつも埋め込まれ、素人目にも高度な技術で封印されていることが分かる。
先生は、私の次の行動を注視しているようだった。
『これは…私の出番ですわ…!』
私は、リュックから取り出したのは「貴重な文献」ではなく、小型の解析用魔道具と、羊皮紙に描かれた自作の計算尺のようなものだった。
私は、真剣な技術者の顔つきで機械扉に近づき、その構造を食い入るように見つめ始めた。
「…この歯車の噛み合わせ、そして宝珠の魔力循環パターン…非常に高度ですが、どこか不自然な流れがありますわね。レティシアさん、この扉の材質と、各宝珠のエネルギー特性を詳細にスキャンできますか?」
【了解しました、アリア様。高解像度スキャンを開始。材質は未知の合金ですが、魔力伝導率が極めて高い素材です。各宝珠は、それぞれ異なる属性の魔力を内包し、特定の周期で活性化と沈静化を繰り返しています】
私とレティシアさんは、先生が口を挟む隙もないほど専門的な用語を交わし、高速で情報をやり取りしながら、扉の解析を進めていく。
時折、私は「なるほど、この配列は古代アストリアの数列パズルを応用したもの…ですが、ここに"ねじれ"を加えることで、解読を困難にしていますのね。巧妙だわ」などと、感嘆の声を漏らした。
「…先生、少々お手伝いいただけますか? そちらの壁にある、おそらく手動の制御レバーと思われるものを、わたくしの合図で正確に三回、上下に動かしていただきたいのです。タイミングが重要ですので、集中してくださいまし」
私は、解析の途中で先生に指示を出した。
「あ、ああ…分かった」
先生は戸惑いつつも、指示されたレバーの前に立った。
先生の指示通りにレバーを操作すると、機械扉の歯車がいくつか連動して動き、宝珠の光の明滅パターンが変化した。
「ありがとうございます、先生。これで第一段階はクリアですわ。あとは、この魔力循環の逆流を誘発させれば…」
私は再び解析に没頭する。
しばらくして、私は「できましたわ!」と声を上げた。
私が扉の特定の箇所に触れると、重々しい音と共に、巨大な機械扉がゆっくりと開いていく。
【お見事です、アリア様。解析開始から扉の解錠まで、わずか17分32秒。極めて効率的です】
レティシアさんも、どこか感心したような声色だった。
「ふぅ…やはり実践は最高の学びですわね」
扉をくぐりながら、私は満足そうに呟いた。
そして、先生の方を振り返り、いつものキラキラした笑顔でこう続けた。
「今回の経験も、あの『困難な状況における男女の心理的効果と、それを応用した関係進展のための実践的考察録』の記述と照らし合わせて分析すれば、きっと新たな発見があるに違いありませんわ! 後でじっくりと考察しなくては!」
私は、いつものようにリュックサックに手を伸ばした。
私の「貴重な文献」を取り出し、新たな知見を書き加えようとした。
しかし、次の瞬間、私の顔から血の気が引いた。
「……え? ……ない? ……どこにも……」
私はリュックの中を必死にかき回し、ポケットというポケットを探るが、そこにあるはずの数冊の革装丁の本(と、びっしり書き込まれた手帳)の感触がない。
「どうしたんだ、アリア君?」
先生が訝しげに声をかける。
私は顔面蒼白になり、震える声で呟いた。
「そ、そんな…わたくしの…わたくしの『人生の羅針盤』とも言うべき、あの貴重な文献たちが…一冊も…見当たらないのです…!」
まさか、と思い当たる節が一つだけあった。
先ほどの機械扉の部屋を出る際、通路の一部が崩落し、私たちは慌ててそこを飛び越えたのだ。
その時、私のリュックの留め具が外れかかっていた。
おそらく、あの瞬間に…。
「お、落ち着け、アリア君。どこかに落としただけかもしれない。来た道を探せば…」
先生が言いかけたが、レティシアさんが冷静に、しかし無慈悲な事実を告げる。
【アリア様。先ほどの通路崩落地点を再スキャンしましたが、熱源反応及びアリア様が所持していた紙媒体特有の魔力痕跡は検出されませんでした。崩落した瓦礫の下敷きになったか、あるいは…さらに深い亀裂の奥に落下した可能性が高いと判断されます。回収は極めて困難です】
「そ…そんな……嘘ですわ……」
私はその場にへたり込んだ。
美しいアイスブルーの瞳からは、みるみるうちに大粒の涙が溢れ出した。
「わたくしの…わたくしの叡智の結晶が…先生との愛を育むための唯一の手引きが…! もうダメですわ…文献がなければ、わたくし、先生にどうアプローチすれば良いのか…どうやって先生の心を掴めば良いのか…皆目見当もつきません…! わたくし、もう先生のお役に立てないかもしれません…うぅ…」
私は、声を上げて泣きじゃくり始めた。
普段の理知的で強気な私からは想像もできないほど、大切なものを失くしてしまった悲しみに包まれた。
「アリア君…」
先生が何か慰めの言葉をかけようとした瞬間、私は涙を拭い、決然とした表情で立ち上がった。
「…いけませんわ! こんなことでくじけていては、文献の教えにも顔向けできません! こうなったら、わたくしの記憶にある限りの『恋愛成就のための最終奥義』を実践するしかありませんのよ!」
私は、突然先生の前に進み出ると、潤んだ瞳で彼をじっと見つめ、震える声で、しかし大真面目に芝居がかったセリフを口にし始めた。
「あぁ…ヨルグ様…! わたくしは、貴方様のためならば、この身、たとえ灼熱の炎に焼かれようと、深淵の闇に堕ちようとも、決して悔やみはいたしません…! どうか、この想い…受け止めてくださいまし…!」
しかし、肝心のクライマックスのセリフを忘れてしまったのか、私は「ええと、その…次は…確か『殿方の手を取り、深く見つめながら…』だったような…でも、その次がどうしても思い出せません…うぅ!」と、再び涙目で混乱し始めてしまった。
先生は、そんな私の姿を見て、そっと私の肩に手を置き、私の瞳を真っ直ぐに見つめて言った。
「アリア君。君は、そんな文献なんかに頼らなくても、十分に魅力的で、そして俺が知る誰よりも優秀な技術者だ。君自身の頭で考え、君自身の心で感じたことを信じればいい。俺は、そんな君を…ううん、君の全てを信頼している」
その言葉は、飾りのない、先生の心からのものだった。
私は、先生の真剣な眼差しと、温かい言葉に、ハッとしたように顔を上げた。
私の瞳からはまだ涙がこぼれていたが、その奥には、微かな光が灯り始めた。
「…先生…」
先生が…私を…信頼してくださっている…。
文献がなくても…私自身でいいと…。
私の心の中で、何か温かいものが動いた。
それは――バイブルの教えとは、少し違った感覚。
でも、とても大切な何か。
私は、先生の言葉を胸に刻んだ。
そして――新たな決意を固めた。
『文献がなくても…私は…先生のために…頑張れる…!』
私の「先生攻略作戦」は――新たな局面を迎えようとしていた。




