第30話 迷宮の乙女と、驚愕の開脚、そして予期せぬ再会
エルリック様の地図を頼りに、鬱蒼とした地下道を進む私たち。
空気は重く湿り気を帯び、足元は不安定な瓦礫で覆われている。
時折、不気味な風の唸りや、遠くで何かが軋むような音が聞こえ、緊張感を高めていた。
「先生、足元にお気を付けてくださいまし!」
私は、先生の少し後ろを歩きながら、周囲の状況に目を配っている。
やがて、私たちは巨大な岩で塞がれた広間に辿り着いた。
岩には複雑な紋様が刻まれており、中央には窪みが一つ。
レティシアさんが分析を始める。
【この紋様は古代アストリア文字の変体。魔力的な反応も感知できます。恐らく、何らかの起動キーを中央の窪みに挿入することで、岩が移動する仕組みでしょう】
「起動キー、ですか…。どこにあるのでしょう?」
私は、首を傾げた。
その時、私はふと広間の天井を見上げた。
遥か頭上、ひび割れた岩の隙間から、微かな光が差し込んでいる。
「先生、あそこに何かあるかもしれません!」
見上げると、確かに手が届かない高さの岩の隙間に、小さな光を反射する金属片のようなものが見えた。
『これは…起動キーかもしれません…!』
先生がどうしたものかと考えているのを見て、私はこともなげに広間の壁に手をかけ、ゆっくりと足を上げていった。
信じられない角度で開脚していくおのれの足は、垂直に近い壁面を難なく捉え、まるで吸盤のように吸い付いている。
「アリア君!? 危ない!」
先生が思わず叫んだ。
「大丈夫ですわ、先生! 以前、先生がいつ戻られても良いように、こっそり体を鍛えておいたのです! このくらいの高さ、朝飯前ですわ!」
『紫の書には「男性の帰りを待つ間、体を鍛える女性は、男性に素晴らしく映る」と書いてある…!』
その言葉通り、私は驚異的な柔軟性と体幹の強さで、あっという間に岩の隙間まで到達し、金属片のようなものをつまみ上げた。
「これですわ!」
軽々と飛び降りた私の手には、小さな奇妙な形状の金属製のキーが握られていた。
キーを受け取った先生が、それを紋様の窪みに挿入すると、鈍い音と共に巨大な岩がゆっくりと動き始めた。
隠されていた通路が現れる。
『やりましたわ…!計算通り…いえ、計算以上ですわ…!』
◇
通路の奥へと足を踏み入れた私たちを待ち受けていたのは、複雑に入り組んだ迷宮のような空間だった。
「ここが…『古代の自動工房』の内部への入り口、といったところでしょうか」と先生が警戒しながら呟いた。
その時、背後から聞き慣れた声が響いた。
「ヨルグ・シュタイン! やはり貴様は生きていたか!」
私たちは振り返った。
通路の奥から、憎悪に歪んだ顔のスヴェン殿下が、数人の屈強な騎士を引き連れて現れたのだ。
「スヴェン…! なぜ、ここに!?」
先生は驚愕の表情で叫んだ。
スヴェン殿下は冷笑を浮かべる。
「貴様が向かう場所など、容易に推測できたわ! この工房に日本の技術が眠っているという情報は、私も掴んでいた。貴様がこの地を目指すことなど、お見通しだ! 愚かな反逆者め! 今度こそ、逃がしはしないぞ!」
絶体絶命の状況。
しかし、私は少し考えた。
そして、先生とレティシアさんにキリッとした目配せを送った。
「先生、レティシアさん、ご安心くださいまし。わたくしが先日入手いたしました、古代王朝に伝わる戦略戦術に関する大変貴重な文献によりますと、『絶体絶命の危機においては、敵の予想の斜め上を行く大胆かつ華麗なる一手こそが、勝利への唯一の道筋!』とありますの!」
『紅の書には「大胆な一手は、勝利を開く」と書いてある…!』
私は宣言通り、先ほど見つけたキーを、広間の床に描かれた古代の紋様の中央目掛けて、Y字開脚の美しいフォームから力強く叩きつけた。
次の瞬間、床の紋様が妖しい紫色の光を放ち、間髪入れずに――
ブッシャアアアアアアアッ!!
広間全体が、ものすごい勢いで強烈なラベンダーの香りを伴う濃密な紫色の煙に包まれた。
『これが…エルリック様が仕込んだものだった…!'''
スヴェン殿下は、顔面蒼白となり、金糸の刺繍が施された扇子で必死に鼻と口を覆いながら激しく咳き込む。
屈強な騎士たちも同様に、突然視界を奪う煙幕と、強烈なラベンダーの芳香に目を白黒させ、厳重だったはずの包囲網は一瞬にして大混乱に陥った。
「今ですわ、先生! レティシアさん!」
私は、煙の中で凛とした声で叫んだ。
「よし来た!」
先生は、この千載一遇の好機を逃さず、即座に的確な指示を飛ばした。
「レティシア、閃光弾と音響パルスで騎士たちの視覚と聴覚をさらに奪え! アリアは俺の右後方、魔法障壁を展開しつつ、例の『プチアリアンズ』で陽動を仕掛けろ!」
「はいですの、先生! お任せくださいまし! 行け、プチアリアンズ! 『愛と勇気のキラキラ☆かく乱フォーメーション』ですわ!」
私の自信に満ちた号令一下、懐から飛び出した数体のプチアリアンズが、煙の中をちょこまかと、しかし驚くほど統制の取れた動きで駆け回り、騎士たちの足元にまとわりついて混乱をさらに深めていく。
『やりましたわ…!愛と勇気の力が…敵を圧倒しました…!』
先生は、煙と混乱の中、私の手を強く引いた。
私は、とても嬉しくなった。
そして、強く握り返した。
◇
数分後、私たちは息を切らしながらも、なんとかスヴェン殿下たちの追跡を振り切り、迷宮の奥深く、静かな通路へと逃げ込むことに成功した。
「はぁ…はぁ…き、奇襲、大成功でしたわね、先生!」
私は頬を紅潮させ、額に汗を滲ませながらも、達成感に満ちた笑顔で先生を見上げた。
「ああ…結果的には、な。だが、君のその『貴重な文献』頼みの作戦は、俺の心臓と胃に多大な負荷をかけることを覚えておいてほしい…」
先生は壁に手をつき、深いため息をついた。
しかし、その表情には明らかな安堵の色と、そしてアリアの大胆な行動力への、呆れと、ほんの少しの感嘆が入り混じっていた。
『先生が…私の戦術を認めてくださった…!'''
レティシアさんは冷静に報告する。
【追手の気配は一時的に完全に消失しました。しかし、彼らがこの迷宮の探索を諦めたとは考えにくいです。警戒は継続すべきです】
そして、レティシアさんは続けた。
【先ほど作動した古代の煙幕装置ですが、その噴射機構には極めて高度な魔力圧縮技術が用いられており…やはり高品質な天然ラベンダー由来のものが主成分のようです】
「あの爺さん…本当に、とんでもないものを仕込んでくれていたもんだな…」
先生は、エルリック様の顔を思い浮かべ、苦笑するしかなかった。
私は、笑った。
『計算外でしたけど…計算以上の結果ですわ…!』
こうして、私たちはアリアの「貴重な文献」とラベンダー香る奇策によって、絶体絶命のピンチを切り抜けた。
しかし、スヴェン殿下の執拗な追跡の脅威は依然として残り、そして「古代の自動工房」に眠る謎は、まだ私たちを待ち受けている。
私の「貴重な文献」には、次なる試練を乗り越えるためのさらなる奇策が記されているのだろうか…。
そして、私の「先生攻略作戦」も――新たな危険の中で――続いていく。




