第28話 ぬくもりの代償と、天使の無邪気な『おかわり』
深夜。エルリック様の隠れ家の一室。
私は、とても素敵な夢を見ていた。
温かい。とても温かい。
先生の肩は、大きくて、温かくて、とても安心できる。
『桃の書には「男性の温もりは、女性の心を慰める」と書いてある…!』
私は、とても幸せに、先生の肩に頭をもたせかけて眠っていた。
しかし、夢の中の私は、気づかなかった。
自分の華奢な体が、いつの間にか先生の体全体にすり寄せ、あろうことか先生の腕を抱き込むようにして、無意識のうちに「抱き枕」になっていたことに。
柔らかな髪が先生の首筋をくすぐり、温かな吐息が耳元にかかる。
そして、ガウンの合わせ目がわずかにはだけ、スリップの感触が先生の腕に伝わっていた。
私は知らなかった。
先生がこの時、身じろぎ一つできず、石像のように動けない状態になっていたことを。
◇
時折、私は寝言を呟いた。
「ん…せんせぇ…この数式は…」
私は気づかなかった。
その言葉のたびに、先生の心臓があらぬ方向に跳ね上がっていたことを。
◇
翌朝。
私は、とてもすっきりと目覚めた。
「ん……ふぁ~……。よく、眠れましたわ……」
ゆっくりと目を開けると、至近距離にある先生の顔があった。
私は、自分が先生に抱きつくような形で眠っていたことに気づいた。
一瞬だけ「あっ」と小さく目を見開いたが――
次の瞬間には、花が綻ぶような満面の笑みを浮かべた。
「おはようございます、先生! 昨夜は本当にありがとうございました! 先生がそばにいてくださったおかげで、それはもう、とっっっても安心してぐっすり眠れましたわ!」
私は、キラキラと瞳を輝かせた。
「まるで、昔お父様が作ってくれた、大きなクマのゴーレム(試作品)の隣で寝た時みたいに、温かくて、大きくて、すごく安心できたんですの。夢も見ませんでしたわ!」
先生の顔色は、とても悪かった。
土色を通り越して青黒い。
『紫の書には「男性の体調を気遣うことで、好感度が上がる」と書いてある…!』
私は、こてんと首を傾げ、キラキラした瞳で続けた。
「つきましては先生、大変申し上げにくいのですが…もし、先生のご迷惑でなければ…その…今晩も一緒に寝ましょう?」
私は、とても真剣な顔で付け加えた。
「わたくし、こんなに質の高い睡眠は本当に久しぶりで、今日の研究も、ものすごく捗りそうですの! 先生にとっても、わたくしの安眠は有益だと思いませんこと?」
『蒼の書には「合理的な提案は、男性に信頼される」と書いてある…!』
先生は、完全に言葉を失った。
◇
その後の工房。
先生は、しどろもどろに私の提案を辞退しようとした。
「あ、アリア君、その、人間にはな、パーソナルスペースというものがあってだな…その、一緒に寝るというのは、その、色々と誤解を招くというか、だな…」
私は、きょとんとした顔で先生を見た。
「パーソナルスペース? 合理的ではありませんわ。むしろ、睡眠時の体温維持や心理的安定効果を考慮すれば、ある程度の密着は推奨されるべきかと。レティシアさん、そのあたりのデータは?」
レティシアさんは、淡々と答えた。
【アリア様の睡眠効率及び心理的安定性に関する昨夜のデータは極めて良好でした。マスターのストレス指数は危険域でしたが、これは慣れの問題と、睡眠環境の最適化で改善可能です】
『レティシアさん…さすが…!私の最高傑作…!』
結局、先生はその日一日、使い物にならなかった。
◇
そして夜。
私は、先生の袖を引いた。
「先生、今夜の寝床の準備はできましたわ! 今日はわたくしが、先生を温めて差し上げますね!」
私は、満面の笑みで先生を見上げた。
先生の顔は、とても複雑な表情になっていた。
私は、少し心配になった。
「…先生? まさか、わたくしと一緒に寝るのが、そんなにお嫌なのですか…? わたくし、何か先生にご迷惑をおかけしましたでしょうか…?」
私は、少し潤んだアイスブルーの瞳で、じっと先生を見上げた。
『桃の書には「潤んだ瞳は、男性の罪悪感を刺激する」と書いてある…!』
工房の隅では、エルリック様が肩を震わせながら笑っている。
レティシアさんは「マスターの心拍数、急上昇。アリア様の行動パターンに対する有効な回避策を構築できていない模様です」と冷静な実況を続けている。
「さあ、先生! 最高の安眠をお約束しますから、早くこちらへいらしてくださいまし!」
私は、先生の片手を両手でしっかりと掴むと、有無を言わさず寝台へと引いた。
先生は、なすすべもなかった。
◇
その夜も、私は先生の隣で、とても幸せに眠った。
すぐに安心しきった寝息を立て始め、無意識のうちに先生の方へと身を寄せ、彼の腕にすっぽりと収まった。
そして、夢現つなのか、先生の頬に、そっと自分の柔らかな頬をすり寄せた。
「せんせぇ…あったかいです……すぅ……」
私は、とても安心していた。
先生の温もりは、とても素敵だった。
◇
翌朝。
私は、これ以上ないほどすっきりとした笑顔で目覚めた。
「おはようございます、先生! 昨夜も、先生のおかげでとーってもよく眠れましたわ! やっぱり、先生の隣は世界で一番安心できる寝床ですのね!」
私の太陽のような笑顔に、先生も思わず頬が緩んだ。
「…ああ。おはよう、アリア君」
先生の声は、とても穏やかで、優しさに満ちていた。
私は、先生の声の温かさに、胸がポカポカと温まった。
『紫の書には「柔らかな声は、恋の始まりを示す」と書いてある…!'''
レティシアさんは、「マスターとアリア様の睡眠時における相互作用データ、良好な結果を継続。アリア様の『温め効果』は、マスターの精神安定に顕著な影響を与えるようです」と、とても嬉しそうに報告した。
私は、内心でガッツポーズをした。
『計算通り…いえ、計算以上の効果ですわ…!'''
先生の声の色が変わった。
それは――私の「先生攻略作戦」が、着実に、成果を実らせていた証拠だった。
◇
エルリック様は、作業台の上に広げた古文書を見ながら、満足げに頷いた。
「さて…『古代の自動工房』への道のりは、なかなかに険しいぞ。鉄鼠組の残党も完全には壊滅しておらんし、何より、その奥には『番人』がおるという伝説もある。お前さんたち、本当に行く覚悟はできておるか?」
私は、先生の方を見た。
先生は、古文書を見つめながら、静かに頷いた。
私も、しっかりと頷いた。
『桃の書には「共に困難へと踏み出す決意は、二人の絆を強固にする」と書いてある…!』
『計算通り…いえ、計算以上の展開ですわ…!』
私の「先生攻略作戦」は――新たな局面へと、進んでいった。




